教育研究業績の一覧

鳥越 覚生
A 教育業績
教育実践上の主な業績 年月日概要
1 教育内容・方法の工夫(授業評価等を含む)
1 アニメ・音楽・文学作品の授業への活用 2020-04-00 ~ 西欧の哲学や宗教の講義が、時空を隔てた外国の抽象的な話にならないように、身近なアニメ・音楽・文学作品を適宜取り入れて、そこに伏在している哲学や宗教の問題を読み解いている。
2 各種勉強会の開催 2020-04-00 ~ 大谷大学における学習支援の一環として、学生、院生、卒業生の希望に応じて、勉強会・読書会・集中読書会を開催している。現在は、柳宗悦、聖書、カントを不定期で講読している。
3 大谷大学哲学カフェの開催 2020-04-00
~2022-03-00
地域に開かれた大学を目指し、大谷大学総合研究室で哲学カフェを開催した。
4 出席ノートの導入 2023-04-00 ~ 大谷大学「英語再入門」の「リフレクションシート」に着想を得て、「哲学演習」(大谷大学)、「宗教学」(甲南大学)、「世界の宗教」(龍谷大学)の授業で出席ノート制度を導入している。授業を受けた学生に「学んだこと」と「わからなかったこと・感想」を(受講者数によるが)毎回、100字程度書いて貰っている。それにコメントを返すことで、学生とのコミュニケーションをとり、講義の難易度調整や学生の学習状況や生活状況への目配りに活用している。
5 日本語レポートの添削 2023-04-00 ~ 大谷大学「日本語表現」を担当した経験から、学生のレポートを、希望があれば、添削している。
2 作成した教科書、教材、参考書
1 宗教学講義資料の作成 2018-04-00
~2025-03-31
甲南大学における「宗教学」の講義資料(書き込み用ワークシートと資料集)を作成した。大まかな範囲は、イエス、パウロ、アウグスティヌスからカントやショーペンハウアーを経て、レヴィナスやエリ・ヴィーゼルまで。また、今年度は龍谷大学「宗教の世界」において日本における仏教以外の宗教について講義するために、和辻哲郎、唐木順三、亀井勝一郎、井上洋治等の思想を土台として、日本人の自然観と宗教心についての資料集とスライドを作成した。
3 教育方法・教育実践に関する発表、講演等
4 その他教育活動上特記すべき事項
1 京都大学 T A 2012-04-00
~2013-03-00
「宗教学基礎演習」の補助業務である。学部を中心とする学生と接し、必要に応じて、授業後に議論や親睦を深めた。
2 大谷大学生涯学習講座の担当 2022-04-00
~2023-03-00
「挨拶の哲学:よく生きるために」というテーマで3回に亘り、市民講座を担当した。
3 大谷大学学習支援室の担当 2023-04-00
~2025-03-31
大谷大学学習支援室の主任アドバイザーとして学生の学習支援と同室の管理・運営に参与している。学生への教育のみならず、教育をサポートするアドバイザーの教職員や事務職員の方々との折衝の訓練も積んでいる。
B 職務実績
1 国際自由宗教連盟(IARF)世界大会に参加 2018-07-29
~2018-08-02
ワシントンD.C.で開催された国際宗教連盟世界大会に一燈園代表として参加し、一燈園の活動を報告。また、海外の宗教者との交流を深めた。
C 学会等及び社会における主な活動
所属期間及び主な活動の期間 学会等及び社会における主な活動
1 2011-03-00~0000-00-00 日本ショーペンハウアー協会 幹事(2025~)
2 2014-03-00~0000-00-00 宗教哲学会 編集補佐(2025~)
3 2019-04-00~0000-00-00 教育思想・教授法年報 編集委員
4 2020-04-00~0000-00-00 日本ディルタイ協会
5 2020-04-00~0000-00-00 大谷大学哲学会
6 2022-04-00~0000-00-00 比較思想学会
D 研究活動
著書、学術論文等の名称単著、
共著の別
発行又は
発表の年月
発行所、発表雑誌等
又は
発表学会の名称
概要
Ⅰ著書
1 『佇む傍観者の哲学 ショーペンハウアー救済論における無関心の研究』 単著 2022-12-00晃洋書房 ショーペンハウアーの主著『意志と表象としての世界』(1819)の全体を「無関心(interesselosigkeit)」という観点から体系的に読み解いた。それにより、従来、美の形而上学に限定されて議論されていた「利害関心を離れた美的態度」が、認識論、色彩論、美学、倫理学、救済論を横断的に読み解くための鍵概念であることを示した。それと同時に、ショーペンハウアーの「無関心」概念を切り口に「無関心」というテーマの輪郭を素描した。
272頁
2 『挨拶の哲学』単著 2024-06-00春風社 日常で交わす挨拶の哲学的意義を、身体(我が身)や世界との関係から重層的に読み解き、「挨拶の哲学」という分野の開拓を試みた。小著を通して、分断や差別が深まり、他者への無関心が常態化する危機を打開する小さな祈りとして、「宇宙ことば」である挨拶の可能性を提起した。
240頁
3 「ショーペンハウアー」『ドイツ哲学入門』その他 (共著 (分担執筆)) 2024-11-00ミネルヴァ書房 ドイツの哲学者であるアルトゥール・ショーペンハウアーの思想について初学者向けに概説した。
5頁(91頁〜95頁)
以上3点
Ⅱ学術論文
1 「ショーペンハウアーの色彩論から構成される構想力の問題についての若干の考察と見通し」 単著 2012-11-00『宗教学研究室紀要』第9号
(京都大学宗教学研究室)
ゲーテの指導を受けて生まれたショーペンハウアーの色彩論を生理学や自然史ではなく、カントの超越論的観念論を継承した独自な「哲学」として読解することを試みた。特に、想像力と身体(肉眼)の緊密な関係を探り出し、ショーペンハウアーの身体論への新たな通路を開拓した。
21頁(107頁〜127頁)査読あり。
2 「ショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』第一巻における知覚の虚妄の問題」 単著 2013-11-00『宗教学研究室紀要』第10号
(京都大学宗教学研究室)
ショーペンハウアーの主著である『意志と表象としての世界』における「表象」の記述を「虚妄」という観点から整理し、新たに「質料における虚妄」を見出した。これにより、ショーペンハウアー知覚論や身体論の新たな奥行きが明らかになった。
19頁(88頁〜106頁)査読あり。
3 「ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』における単なる表象の前史:それ自身無関心に、単に知覚される感覚の発見」単著 2016-12-00『宗教学研究室紀要』第13号
(京都大学宗教学研究室)
文献学的手法によって遺稿集を調査した結果、ショーペンハウアーの主著である『意志と表象としての世界』に埋蔵されていた「単なる表象」を「無関心」という観点から新たに発掘した。それと同時に、ゲーテ、カント、シュルツェの影響を確認した。
16頁(107頁〜122頁)査読あり。
4 「単なる色彩は美しいか?:カントとショーペンハウアーの哲学的色彩論」

単著 2017-10-00『ショーペンハウアー研究』第22号(日本ショーペンハウアー協会)
ショーペンハウアーの色彩論を科学論文としてではなく、哲学論文として読解することを試みた。それに当たり、カント哲学に目立たない形で内蔵されている色彩論を再構築して、ショーペンハウアーの哲学的な色彩論の特色を浮き彫りにした。その結果、ショーペンハウアーに独自な「透明な色彩」が剔出された。10頁(87頁〜96頁)査読あり。
5 「ショーペンハウアーと無関心」 単著 2017-11-00『暁烏敏賞入選論文』(白山市) 利害関心に囚われて私益に走る近代社会の危うさをいち早く感知したショーペンハウアーは、苦しみの世界から脱却する可能性を利害関心を離れた無関心の境地に賭けていた。その真義を照らし出すために、プラトンとカントを柱とするショーペンハウアー哲学を「無関心(性)」という観点から再構築し、その現代的意義を提起した。
13頁(3頁〜15頁)査読あり。
6 「ショーペンハウアーの美の形而上学における媒体論:ヘーゲルの反映論と対照して」単著 2017-12-00『宗教学研究室紀要』第14号
(京都大学宗教学研究室)
ベルリン大学でほぼ同時期に開講していたショーペンハウアーとヘーゲルの美学論に着目し、両者の相違点を「媒体」ないしは「仮象」という観点から浮き彫りにした。二人の哲学者は共に、利害関心を離脱したときに到来する美の輝き(Schein)、その仮象(Schein)性に着眼しているが、この仮象の評価が対照的であった。そこに両者の哲学の反照を確認した。
20頁(58頁〜77頁)査読あり。
7 「ショーペンハウアー哲学における美と善の問題:主客の同一性に即して」単著 2018-03-00『教育思想・教授法年報』第2号(教育思想・教授法研究会) カント、シェリング、シラーを補助線とすることで、ショーペンハウアー哲学における美と善の問題を明らかにすると同時に、その特色を「主客の同一性」として示した。とりわけ、悲劇におけるシラーとショーペンハウアーの思想的な近さを詳らかにした。
17頁(54頁〜70頁)査読あり。
8 「ショーペンハウアーの苦悩の共同:カントとシュヴァイツァーを参照して」単著 2018-12-00『宗教学研究室紀要』第15号
(京都大学宗教学研究室)
カントとシュヴァイツァーを補助線とすることで、ショーペンハウアー倫理学の現代における可能性を探った。カント哲学を継承しながらも、理性や人格に依拠した倫理学の限界を先取りしたショーペンハウアーは、独自な「生きんとする意志の形而上学」に則して、理性ではなくて心身で苦しみを共にする「苦悩の共同」を説いていた。この同情の思想が、シュヴァイツァーの「生の畏敬」にも引き継がれていることを見届け、ショーペンハウアー倫理学の現代性を再考した。
20頁(3頁〜22頁)査読あり。
9 「ヴェールと利害関心:なぜベルクソンはショーペンハウアーの直観を評価しなかったのか?」
単著 2019-12-00『宗教学研究室紀要』第16号
(京都大学宗教学研究室)

ベルクソンがショーペンハウアーの直観を評価しなかった理由を、ヴェールと利害関心という観点から解釈した。二人の哲学者は共に、利害関心を離れた時に立ち現れるヴェール越しに透けて見える美の世界の意義を認めていた。ただし、ショーペンハウアーがヴェールを剥ぎ取ることに否定的であるのに対して、ベルクソンはヴェールが取り去られる可能性について肯定的に考察していた。ここに、二人の直観の相違点の根深さを見定めた。
19頁(3頁~21頁)査読あり。
10 「人間はエゴイズムを克服できるか?:ショーペンハウアー救済論における無関心の問題」
単著 2020-03-00『宗教哲学研究』第37号
(宗教哲学会)
ショーペンハウアー救済論における無関心の問題をエゴイズムの克服という観点から考察した。ともすると、エゴイズムの克服は理性による自己完成や傾向性の克服として理解される。しかし、独自な「生きんとする意志」を構想するショーペンハウアー哲学では、利害関心を離脱した無関心の境地を契機として、エゴイズムの克服可能性が説かれていることが明らかになった。
13頁(56頁~68頁)査読あり。
11 「自然の美しさと晴れやかさ:ショーペンハウアーの美の形而上学における”Gemaingefühl”の問題」単著 2020-05-00『教育思想・教授法年報』第4号(教育思想・教授法研究会)
ショーペンハウアーの美の形而上学においてひっそりと記述されている「生命感情」について、カントやシュルツェを参照してその概念史を辿った。そのうえで、利害関心を離れた美の境地と生命感情(体調)の緊張関係について思索を試みた。
16頁(38〜53頁)査読あり。
12 「ショーペンハウアー哲学における無関心の研究」(博士論文)単著 2021-03-23京都大学 最後の形而上学と呼ばれるショーペンハウアー哲学全体を「無関心」という観点から縦走的に考察した。なお、本論は加筆・修正を重ねて、『佇む傍観者の哲学 ショーペンハウアー救済論における無関心の研究』(業績I. 1.)として出版した。
230頁 査読あり。
13 「色と形:ショーペンハウアー哲学におけるプラトン的イデーについての試論」単著 2021-05-00『教育思想・教授法年報』第5号(教育思想・教授法研究会) ショーペンハウアー哲学におけるイデーの問題を色と形という観点から考察した。カント哲学を継承しているショーペンハウアー哲学においても、形式と関わる形は評価されている。だが、独自な身体論を有するショーペンハウアー哲学では、形に加えて、質料と関わる色が高く評価されていた。
17頁(68〜84頁)査読あり。
14 「色彩体験は人間に何を教示するか?:ショーペンハウアー哲学からみるディルタイのゲーテ論」単著 2021-11-00『ディルタイ研究』第32号
(日本ディルタイ協会)
目を閉じた時に現れる色彩を体験する意義を、ショーペンハウアーとディルタイのゲーテ論から読み解いた。これにより、ニュートンの色彩論とは別の色彩論の系譜を「暗がりの色彩論」として読み解く基盤が確認された。
15頁(89〜103頁)査読あり。
15 「生きとし生けるものが苦しみから自由でありますように:ショーペンハウアー哲学からみる地獄」単著 2022-02-00『哲學論集』第68号
(大谷大学哲学会)
地獄の思想史の内に、ショーペンハウアー倫理学を位置付け、その可能性を検討した。その結果、利害関心に囚われた近代的自我が孤立して引き籠る地獄の様相を剔出した。それと同時に、この孤独な地獄の中だからこそ、独立した個体である人間が、受苦を通じて他者に目覚め、苦悩の共同が開かれることを見定めた。
15頁(1〜15頁)査読あり。
16 「佇む傍観者:夏目漱石『草枕』における非人情についての試論」単著 2022-08-00『教育思想・教授法年報』第6号(教育思想教授法研究会) 夏目漱石の『草枕』を精読することにより、『草枕』における非人情とショーペンハウアーの無関心の連関を、世界のなかで受肉している身体性に則して探った。それにより、横臥、直立、散歩という身体のあり方の意義が再確認された。
15頁(37〜51頁)査読あり。
17 「世界を映す一つの眼と巨人:ショーペンハウアーのWeltaugeについての試論」単著 2023-10-00『教育思想・教授法年報』第7号
(教育思想・教授法研究会)
ショーペンハウアーの「世界を映す一つの眼(Weltauge)」の意義をハイデッガーの批判を検討することで明らかにした。その結果、ショーペンハウアーとハイデッガーの思想の近さが確かめられると同時に、苦しみを前にして痙攣する身体という点で、ショーペンハウアー倫理学がレヴィナスに接近していることを突き止めた。
14頁(51〜64頁)査読あり。
18 「立ち上がって祈っていなさい:パスカルからショーペンハウアーへと引き継がれる哲学者の祈り」単著 2024-02-00『哲學論集』第70号
(大谷大学哲学会)
「ルカ福音書」における「立ち上がって、祈っていなさい」というイエスの教導を暗がりの中の身体論として読み解き、パスカルからショーペンハウアーを経由してレヴィナスへと至る読み筋を辿った。
15頁(28〜42頁)査読あり。
以上18点
Ⅲ 口頭発表・その他
1 「ショーペンハウアーの実践的な理性論:人間の形而上学的欲求と形而上学的能力」口頭発表 2012-12-00第25回ショーペンハウアー協会全国大会(龍谷大学) 「道具的理性」の先駆者として知られるショーペンハウアー哲学における「理性」に着眼することで、そこに形而上学的な契機を見出した。
(60分)
2 「ショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』における知覚の虚妄の問題」 口頭発表 2013-08-00第11回ニーチェ研究者の集い
(大阪大学)
本発表の成果は業績II.2.に結実した。
(45分)
3 「なぜショーペンハウアーは錯視を考察したのか:哲学者と錯覚の問題のための試論」 口頭発表 2014-03-00第6回宗教哲学会
(京都大学)
ゲーテとの共同研究で着手されたショーペンハウアーの色彩論の哲学的な意義を特に「錯覚」に着目して考察した。(45分)。なお、発表要旨が『宗教哲学研究』第32号に掲載されている。
4 「ショーペンハウアーの死生観を錯覚から考え直す試み」口頭発表 2014-12-00第27回ショーペンハウアー協会全国大会(日本大学文理学部) ショーペンハウアーの表象論に含まれる「錯覚」の記述を手掛かりとして、「死は何でもない」と放言するショーペンハウアーの死生観に迫った。
(45分)
5 「感情によって知られる身体とは何か?:ショーペンハウアー身体論の虚軸の検討」 口頭発表 2015-10-00第68回関西哲学会
(京都大学)
ショーペンハウアーのテキストにおける「体調(Gemaingefühl)」概念に着目することで、知覚によってではなくて感情によって知られる身体論がショーペンハウアー哲学にあることを示唆した。
(60分)
なお、本発表の成果は、修正を重ねたうえで業績II.11.に結実した。
6 「ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』における単なる表象の前史」口頭発表 2016-08-00第13回ニーチェ研究者の集い
(大阪大学)
本発表の成果は業績II.3.に結実した。
(45分)

7 「ショーペンハウアーの愛の道徳についての試論:Personの用例を手掛かりとして」口頭発表 2017-03-00第9回宗教哲学会
(京都大学)
本発表の成果は、加筆・修正を経て、業績II.8.に結実した。
(45分)
なお、発表要旨が『宗教哲学研究』第35号に掲載されている。
8 「ショーペンハウアーと自然美」 口頭発表 2017-10-00第70回関西哲学会
(大阪体育大学)
ショーペンハウアーの自然美が、カント、シラーの影響を受けていること、さらにエドゥアルト・フォン・ハルトマンの妻であるタウベルトの自然美の考察に影響を与えていることを明らかにした。(60分)
9 (翻訳)「ショーペンハウアー初期遺稿集」(9) 翻訳(共訳) 2018-11-00『ショーペンハウアー研究』第23号
(日本ショーペンハウアー協会)
いまだ邦訳がないショーペンハウアー遺稿集(Arthur Schopenhauer, Der handschriftliche Nachlaß, München: DTV, 1985)の翻訳である。共訳:西章、シュタイナー堀 郁、鳥越覚生、林由希子、堤田泰成、太田匡洋。
18頁(169頁〜186頁)
10 「ヴェールと利害関心:なぜベルクソンはショーペンハウアーの直観を評価しなかったのか?」口頭発表 2019-03-00第44回ベルクソン哲学研究会
(京都大学)
ベルクソンがショーペンハウアー哲学に対して冷淡であった理由を両者に共通する「ヴェール」と「利害関心」という概念から考察した。
(60分)なお、本発表の成果は業績II.9.に結実した。
11 「一燈園の「座水月道場・修空華万行」について」単著 2019-06-00『光』誌第1178号
(燈影舎)
西田天香(1872-1968)が好んで揮毫した「座水月道場・修空華万行」の意義と由来を調査し、その源流として西田天香と南禅寺の関連を明らかにした。
6頁(26頁〜31頁)
12 「比叡山の「平和の祈り」と一燈園の「帰一の大願」」

単著 2019-10-00『光』誌第1182号
(燈影舎)
1987年に始まる比叡山宗教サミットにおける「平和の祈り」と一燈園の「帰一の大願」の関係を、西田天香の思想に即して解き明かした。
7頁(13頁〜19頁)
13 (翻訳)「ショーペンハウアー初期遺稿集」(10)翻訳(共訳) 2019-11-00『ショーペンハウアー研究』第24号
(日本ショーペンハウアー協会)
いまだ邦訳がないショーペンハウアー遺稿集(Arthur Schopenhauer, Der handschriftliche Nachlaß, München: DTV, 1985)の翻訳である。共訳:西章、シュタイナー堀 郁、鳥越覚生、林由希子、堤田泰成、太田匡洋。
19頁(61頁〜79頁)
14 (翻訳)シャムエル・ファイナー「ユダヤの伝統への挑戦:18世紀ヨーロッパにおける楽しみ、文化変容、世俗化」翻訳 2019-12-00『ユダヤ・イスラエル研究』第33号
(日本ユダヤ学会)
2018年に来日したシャムエル・ファイナー教授の発表原稿の邦訳である。
10頁(40頁~49頁)
15 「「忍」の行者:大石順教と西田天香」単著 2020-02-00『光』誌第1186号(燈影舎) 西田天香と大石順教に共通する生活態度を「忍」として考察した。
6頁(29頁~34頁)
16 (翻訳)「ショーペンハウアー初期遺稿集」(11)翻訳(共訳) 2020-12-00『ショーペンハウアー研究』第25号(日本ショーペンハウアー協会) いまだ邦訳がないショーペンハウアー遺稿集(Arthur Schopenhauer, Der handschriftliche Nachlaß, München: DTV, 1985)の翻訳である。共訳:西章、シュタイナー堀 郁、鳥越覚生、林由希子、堤田泰成、太田匡洋。
19頁(73~91頁)
17 「色と形:ショーペンハウアー哲学におけるプラトン的イデーについての試論」口頭発表 2021-03-00大谷大学哲学会
春季研究会
(オンライン)
ショーペンハウアー哲学における主題の一つである「プラトン的イデー」について、色と形という観点から考察した。
(30分)なお、本発表の成果は業績II.13.に結実した。
18 「夏目漱石『草枕』における非人情と憐れみ:ショーペンハウアーの「無関心」と照らし合わせて」口頭発表 2021-03-00第13回宗教哲学会(オンライン) ショーペンハウアーの「無関心」と照らし合わせて、夏目漱石の『草枕』の読解を試みた。(45分)なお、本発表の成果は業績II.16.に結実した。
19 「色彩体験は人間に何を教示するか?:ゲーテ・ショーペンハウアー・ディルタイ」 口頭発表 2021-07-00日本ディルタイ協会関西研究会
(オンライン)
色彩体験が有する意義について、ゲーテ、ショーペンハウアー、ディルタイの思想を参照しながら考察した。
(30分)なお、本発表の成果は業績II.14.に結実した。
20 (翻訳)「ショーペンハウアー初期遺稿集」(12) 翻訳(共訳) 2021-12-00『ショーペンハウアー研究』第26号(日本ショーペンハウアー協会) いまだ邦訳がないショーペンハウアー遺稿集(Arthur Schopenhauer, Der handschriftliche Nachlaß, München: DTV, 1985)の翻訳である。共訳:西章、シュタイナー堀 郁、鳥越覚生、林由希子、堤田泰成、太田匡洋。
17頁(94~110頁)
21 「わたしの国はこの世に属していない:ショーペンハウアー救済論における「謙遜」の問題」口頭発表 2022-07-00京都ヘーゲル読書会 夏期研究例会 ショーペンハウアー救済論における「謙遜」の問題に迫った。「謙遜」はショーペンハウアー哲学のなかで注目されにくい概念ではあるが、それがショーペンハウアーの「生きんとする意志」の否定、とりわけ聖者の身持ちを端的に表す言葉として決定的な意義を有していることを明らかにした。
(30分)なお、本発表の成果は業績I.1.の第十二章に加筆修正した上で収録されている。
22 (翻訳)「ショーペンハウアー初期遺稿集」(13) 翻訳(共訳) 2022-12-00『ショーペンハウアー研究』第27号(日本ショーペンハウアー協会) いまだ邦訳がないショーペンハウアー遺稿集(Arthur Schopenhauer, Der handschriftliche Nachlaß, München: DTV, 1985)の翻訳である。共訳:西章、シュタイナー堀 郁、鳥越覚生、林由希子、堤田泰成、太田匡洋。
18頁(54~71頁)
23 (合評会)太田匡洋「もう一つの19世紀ドイツ哲学史:ポストカントにおける哲学方法論の系譜」口頭発表 2023-01-00京都大学文学研究科・西洋近代哲学史専修 太田匡洋著『もう一つのの19世紀ドイツ哲学史:ポストカントにおける哲学方法論の系譜』第二章の書評を、「佇む傍観者の哲学」と照らし合わせるかたちで試みた。
(30分)
24 (自著紹介)『佇む傍観者の哲学 ショーペンハウアー救済論における無関心の研究』 口頭発表 2023-11-00『ディルタイ研究』第34号
(日本ディルタイ協会)
2022年に晃洋書房より刊行した小著『佇む傍観者の哲学 ショーペンハウアー救済論における無関心の研究』の射程を特に「生の哲学」との関連から紹介した。
8頁(95〜102頁)
25 (翻訳)「ショーペンハウアー初期遺稿集」(14) 翻訳(共訳) 2023-12-00『ショーペンハウアー研究』第28号
(日本ショーペンハウアー協会)
いまだ邦訳がないショーペンハウアー遺稿集(Arthur Schopenhauer, Der handschriftliche Nachlaß, München: DTV, 1985)の翻訳である。共訳:西章、シュタイナー堀 郁、鳥越覚生、林由希子、堤田泰成、太田匡洋。
18頁(113~130頁)
26 (合評会)鳥越覚生『佇む傍観者の哲学 ショーペンハウアー救済論における無関心の研究』合評会口頭発表 2024-02-00京都大学 ショーペンハウアー研究者に制限しない五人の若手研究者と『佇む傍観者の哲学 ショーペンハウアー救済論における無関心の研究』の合評会を開催した。
(4時間)
27 (書評)「太田匡洋『もう一つの19世紀ドイツ哲学史:ポストカントにおける哲学方法論の系譜』(京都大学学術出版会、2022年)第二章への無関心研究からの応答」単著 2024-03-00『Scientia』第4号
(京都大学大学院文学研究科西洋哲学史研究室)
ショーペンハウアーの方法論を扱った第二章「批判主義における哲学方法論に立脚した意志形而上学の展開−ショーペンハウアー哲学の再読」を概観したうえで、無関心思想との連関を探った。
7頁(14〜20頁)
28 (合評会)「立ち上がって祈っていなさい:パスカルからショーペンハウアーへと引き継がれる哲学者の祈り」口頭発表 2024-06-00大谷大学哲学会
春季研究会
闇夜に立ち上がって、祈る人間の寂とした佇まいを、聖書、パスカル、ショーペンハウアーを援用して考察した。
(30分)
以上28点

前のページに戻る