教育研究業績の一覧

藤原 智
A 教育業績
教育実践上の主な業績 年月日概要
1 教育内容・方法の工夫(授業評価等を含む)
1 授業にてプリントを作成・配布し、またプロジェクターを使用して、学生の理解の向上に努めた。 2024-04-00 ~
2 作成した教科書、教材、参考書
3 教育方法・教育実践に関する発表、講演等
4 その他教育活動上特記すべき事項
B 職務実績
1 研究会の企画・司会「第10回親鸞仏教センター研究交流サロン」 2014-03-14 「生きづらさを考える―精神科外来から見えること」をテーマに、精神科医の青木省三氏、大谷大学の冨岡量秀氏を招き研究交流の場を開いた。(『現代と親鸞』第29号掲載)
2 研究会の企画・司会「第13回親鸞仏教センター研究交流サロン」 2015-06-23 「カルト問題を再考する―宗教の〈魅力〉と人間の危うさ」をテーマに、立正大学の西田公昭氏、ジャーナリストの藤田庄市氏を招き研究交流の場を開いた。(『現代と親鸞』第32号掲載)
C 学会等及び社会における主な活動
所属期間及び主な活動の期間 学会等及び社会における主な活動
1 2007-00-00~0000-00-00 真宗教学学会
2 2008-00-00~0000-00-00 真宗連合学会
3 2010-00-00~0000-00-00 日本印度学仏教学会
4 2010-00-00~0000-00-00 日本宗教学会
5 2010-00-00~0000-00-00 日本仏教学会
6 2014-00-00~0000-00-00 東アジア仏教研究会
D 研究活動
著書、学術論文等の名称単著、
共著の別
発行又は
発表の年月
発行所、発表雑誌等
又は
発表学会の名称
概要
Ⅰ著書
1 曽我量深――生涯と思想共著 2025-02-00東本願寺出版 明治から大正、そして昭和の戦前・戦後という激動の時代を歩み、近現代の真宗大谷派に大きな影響を与えた曽我量深の生涯と思想を尋ね、思想的課題や宗門や時代状況との関わり、そして生涯を貫いた志願を探究したもの。とくにこれまで十分には検討されてこなかった「日蓮論」や戦時下での立場、また戦後の宗門の同朋会運動との関係など、曽我個人の思想だけでなく時代・社会との関りを重点的に明らかにした。
総頁数263頁
本人担当:第1~6、8~9章の本文、関連年表
224頁(3~164頁、193~244頁、252~261頁)
編者:真宗大谷派教学研究所、共著者:武田未来雄、名和達宣、藤原智、木全琢磨
以上1点
Ⅱ学術論文
1 真仏弟子の歩み―菩提心の現働―単著 2009-12-00『大谷大学大学院研究紀要』第26号 親鸞の思想を菩提心という視点から考察した。親鸞の師法然の「菩提心無用」という主張が、念仏一行を選び取る如来の本願を根拠にしていること。またそのことを確かめる親鸞の思索が、「ただ念仏」という信の内実を本願力回向と捉え、それによって逆に信心こそが菩提心であるとすることを確かめた。その上で、その菩提心によって成り立つ人間の歩みを親鸞が常行大悲として語っていることを明らかにした。
30頁(105頁~134頁)
2 横出の菩提心―「化身土巻」開顕への視座―単著 2011-01-00『眞宗研究』第55輯(真宗連合学会) 親鸞が菩提心について二双四重の判釈をする中、横出の菩提心として確かめていることを明らかにした。その親鸞の思想の背景として、まず浄土教において菩提心がどのように了解されているのか、法然の思想の上に見た。これを踏まえ『教行信証』「信巻」三一問答での思索を通して親鸞における信の意義を明確にした。その信の吟味の中、横出の菩提心として見出された事柄こそ、「化身土巻」を開く起点となったことを論じた。
22頁(33頁~54頁)
査読あり
3 金剛心の源泉―親鸞の摂取不捨観―単著 2012-03-00『親鸞教学』第99号(大谷大学真宗学会) 親鸞が獲信の利益を摂取不捨という言葉で語っている意味を考察した。親鸞は摂取不捨を善導の『観念法門』現生護念増上縁の言葉に依って了解していることを確かめ、さらにそれが『教行信証』「信巻」の中で欲生心釈からの展開である真仏弟子釈に引用されていることを確かめた。その上で、親鸞は欲生心の具体性として摂取不捨を了解していることを明らかにし、親鸞の思索の持つ意義を論じた。
21頁(61頁~81頁)
4 親鸞の菩提心観(博士論文)単著 2013-03-00大谷大学 親鸞の思想を菩提心の一語で見通すことを目的とした。まず親鸞の思想の母体である源信・法然の思想を論じ、彼らの思索の中心に菩提心の問題があったことを論じた。その上で、親鸞の主著『教行信証』はこの菩提心が中心問題であること、特に親鸞の思想の特徴である如来回向という概念が菩提心の論証の為の思索より出てきたことを論じた。そして最後に、菩提心の問題は第二十願の問題へ究竟していくことを論じた。
総頁数136頁
5 「顕浄土方便化身土文類六」に展開する「教誡」という課題―『大無量寿経』の対告衆としての弥勒菩薩の意義―単著 2013-12-00『現代と親鸞』第27号(親鸞仏教センター) 親鸞の主著『教行信証』の「化身土巻」後半部の意義を考察した。まず、そこに親鸞が述べる「教誡」という言葉が、『大無量寿経』において釈尊が弥勒に語る三毒五悪段の文脈に基づいていることを論じた。その上で、「信巻」における「真仏弟子」の論述が、「教誡」を社会と関わる際の立脚地とすることを確かめる論述であり、その課題がさらに「化身土巻」に展開していく意味を論じて、親鸞が社会と関わる思想的根拠を明らかにした。
33頁(2頁~34頁)
6 『教行信証』「化身土巻」末における経典引用について―一貫する問題意識としての邪見―単著 2014-12-00『現代と親鸞』第29号(親鸞仏教センター) 親鸞の主著『教行信証』「化身土巻」の末巻部分における経典の引用意義について考察した。従来「化身土巻」は本巻と末巻が分断されて考察されがちであるが、そこには一貫する課題があることを指摘した。特にその連続性について、本巻における阿弥陀仏の第二十願に関する論述と末巻の『大集月蔵経』の引用への考察を中心として、「邪見」という語にあることを明らかにした。
45頁(2~46頁)
7 『教行信証』「化身土巻」所引『大集経』「忍辱品」への一試論―『往生要集』との連関から―単著 2014-12-00『印度學佛敎學研究』第63巻第1号(日本印度学仏教学会) 親鸞の主著『教行信証』「化身土巻」に引用された『大集月蔵経』について考察した。『月蔵経』は七文引用されるが、その第六・第七文は実は『往生要集』からの孫引きと言ってよい引用である。その『往生要集』おいては、『月蔵経』は破戒者がなお冥衆の護持にあずかることを論じる引用であったことを受けて、親鸞はそれを無戒でありつつ称名念仏する者が冥衆の護持に与る証文として引用していたことを明らかにした。
4頁(157~160頁)
査読あり
8 「化身土巻」所引『日蔵経』試論―光味仙人に注目して―単著 2015-06-00『真宗教学研究』第36号(真宗教学学会) 親鸞の主著『教行信証』「化身土巻」での『日蔵経』の引用意義について考察した。『日蔵経』は三文引用されるが、その第一・第二文に共通して「光味」なる人物が登場するところに親鸞の注目点があるのではないかと指摘した。それは外道に住する「仙人」から、仏道に帰依せる「菩薩」への転回を示すものであり、その内面における降魔の事実を親鸞は描き出そうとしたということを明らかにした。
19頁(66~84頁)
9 親鸞の末法観と『弁正論』単著 2015-12-00『印度學佛敎學研究』第64巻第1号(日本印度学仏教学会) 親鸞の主著『教行信証』での『弁正論』引用について、末法論と関わるものだと論じた。『弁正論』の主要論点の一つが老子と釈迦の先後であり、そこで釈迦の入滅の時期について論じられるが、その議論は日本に至って末法論争へと意味が変わって受け継がれる。そして当時の比叡山が末法否定のために出した釈迦入滅時期の主張が『弁正論』での道士の主張と同じであり、その点を突くのが親鸞の『弁正論』引用であることを明らかにした。
4頁(80頁~83頁)
査読あり
10 『教行信証』「化身土巻」の『弁正論』引用について単著 2015-12-00『現代と親鸞』第31号(親鸞仏教センター) 親鸞の主著『教行信証』「化身土巻」での『弁正論』の引用意義について考察した。そこで、当時比叡山から専修念仏の停止を求めて出された上奏文との関連を二点指摘した。その一点目は末法論争であり、もう一点が専修念仏を「不孝の罪」と断罪する点である。この二点から親鸞の『弁正論』引用が、比叡山の念仏批判は世間的価値観に基づくものであり、それは外道におもねるものだと反論する意義があることを明らかにした。
49頁(18~66頁)
11 曽我量深 晩年の思索―第十七願と第二十願との対応―単著 2016-03-00『曽我教学―法蔵菩薩と宿業―』(方丈堂出版) 近代真宗教学の第一人者である曽我量深の晩年の思索について考察した。具体的には、阿弥陀仏の第十七願と第二十願に連関があることを繰り返し語っている点に注目した。特に戦後から始まるその曽我の思索が敗戦を契機として展開されたものであったことを指摘し、真宗教学と歴史社会とがいかに関わるのかを確かめようとしたものであったことを明らかにした。
40頁(363頁~402頁、編者:水島見一)
12 『西方指南抄』から見る親鸞の仏身観――『観経』真身観を中心に――単著 2016-12-00『印度學佛教學研究』第65巻第1号(日本印度学仏教学会) 親鸞が主著『教行信証』において、化身について「真身観仏」と規定している意義を、法然の言行録『西方指南抄』を手掛かりに考察した。従来の親鸞研究では真身観に説かれる阿弥陀仏の姿自体を化身と理解してきたが、『西方指南抄』は阿弥陀仏と共に摂取の働きをする化仏を化身と位置付けていることを指摘した。その上で、親鸞も法然と同様の理解だと考えるべきであり、従来の研究を再考すべきことを提言した。
6頁(72頁~77頁)
査読あり
13 日本古写経『弁正論』と親鸞『教行信証』単著 2017-03-00『日本古写経研究所研究紀要』第2号(国際仏教学大学院大学附置日本古写経研究所) 親鸞の主著『教行信証』に引用された『弁正論』の底本について考察した。これまで親鸞の見た『弁正論』は全く不明であったが、平安・鎌倉期に書写された古写本『弁正論』のいくつかを比較対照し、それらが親鸞所覧本と同系統であることを明らかにした。そして、これまで親鸞の誤写、もしくは意図的書換えと考えられてきた多くの箇所が、あくまで底本を忠実に書写したものであることを論証した。
29頁(53頁~81頁)
14 日本古写経『弁正論』巻第三の諸本比較―築島裕氏の検討を受けて―単著 2017-12-00『印度學佛教學研究』第66巻第1号(日本印度学仏教学会) 現存する中世期のいくつかの『弁正論』の写本の校訂作業を行い、その関係を考察した。先行研究として、築島裕が行った法隆寺本と石山寺本と大正蔵本との校訂結果を参照し、それに七寺本、興聖寺本、金剛寺本を対照させた。それにより中世日本には宋代以降に請来された版本と異なる系統の『弁正論』が広く流布していたことを明らかにした。
6頁(215頁~220頁)
査読あり
15 『教行信証』撰述の意図をめぐる研究の展開―元仁元年の意義を中心に―単著 2018-03-00『近現代『教行信証』研究検証プロジェクト研究紀要』創刊号(親鸞仏教センター) 親鸞が主著『教行信証』を執筆した意図について、研究史上どのように考えられてきたのか、近世後期から戦後にかけての議論の展開を論じた。特に本文中に出てくる「元仁元年」の記述に関し、江戸後期には立教開宗のためとの理解が大勢を占めていたが、近代以降は親鸞に立教開宗の意図はなかったという議論が提示されたことを指摘し、さらに戦後の宮崎円遵がこれを比叡山の奏状と関連付けたことに始まる議論の重要性を明らかにした。
42頁(87頁~128頁)
16 親鸞と聖冏の『弁正論』引用について―親鸞の引用は親鸞による抄出か―単著 2018-05-00『東アジア仏教研究』第16号(東アジア仏教研究会) 仏教思想史という広い観点から、親鸞による『弁正論』引用の意義を考察した。特に注目すべき点として、親鸞より後代の浄土宗鎮西派の聖冏が親鸞とほぼ同一の引用をしている点を指摘した。そこから親鸞の引用が親鸞独自の着目なのか、それとも親鸞も先学の影響によって引用したのかを検討した。その上で、親鸞による『弁正論』の引用は、親鸞の時代と密接に関わるものであり、親鸞の独自性と見るべきことを指摘した。
17頁(179頁~195頁)
査読あり
17 真宗大谷派における宗学の問い直し―大谷大学の真宗学の名称をめぐって単著 2018-09-00『日本仏教を問う 宗学のこれから』(春秋社) 近現代の真宗大谷派において、宗学という言葉と真宗学という言葉が区別されて用いられている傾向を指摘し、その意味を考察した。具体的には、真宗学の名称は大正期の大学令による大谷大学の認可に始まること、またそこでは宗派の学問という枠組みを越えた普遍性や公開性、あるいは学問の自由が求められたことを明らかにした。
24頁(105頁~128頁、編者:智山勧学会)
18 高野山大学図書館所蔵『弁正論』について単著 2018-12-00『印度學佛教學研究』第67巻第1号(日本印度学仏教学会) 高野山大学図書館が所蔵する『弁正論』の古写本について、空海が請来したものを伝えたものかどうか検討した。まずこれが中世の高野山で書写されたこと、本文の構成は日本古写経系と近い特徴を持つこと、巻末に記載された音釈が宋・福州版との関連が見られることといった点を明らかにした。その上で、確証はないものの、空海請来本を伝える可能性が十分あることを指摘した。また、併せて親鸞の引用との一致点も指摘した。
6頁(182頁~187頁)
査読あり
19 親鸞における阿闍世王という課題―『教行信証』「化身土巻」の『弁正論』引用から―単著 2019-01-00『眞宗研究』第63輯(真宗連合学会) 親鸞が『教行信証』に引用する『弁正論』に、阿闍世王に関する記述が出てくることに注目し、そこから「信巻」で『涅槃経』から阿闍世王の救済についての文を引用することの意義を考察した。前者は父を殺した阿闍世王を不孝と批判するものだが、実は親鸞当時の専修念仏にも不孝という批判が向けられており、その反証として不孝の者を救済するのが阿弥陀仏の教えだとする意図をもって「信巻」の引用があることを明らかにした。
22頁(47頁~68頁)
査読あり
20 真宗教学史の転轍点―相伝教学批判たる香月院深励の還相回向論―単著 2019-03-00『近現代『教行信証』研究検証プロジェクト研究紀要』第2号(親鸞仏教センター) 親鸞の還相回向論が、それ以後どのように受け止められてきたのかを、初期真宗から近世後期頃にかけて真宗東派(大谷派)を中心に考察した。そこには、私が教化する方向と、私が教化される方向との、大きく二つの理解が見られた。東派(大谷派)においては、後者の理解は高倉学寮講師の深励によって強く批判されるが、その思想的対立が顕在化した事件として文化年間の法幢の異安心調理があったことを明らかにし、その教学史的意義を論じた。
53頁(45頁~97頁)
21 曽我量深の「往生と成仏」論について―その影響としての鈴木大拙―単著 2019-03-00『親鸞教学』第110号(大谷大学真宗学会) 近代真宗教学を代表する曽我量深が、その最晩年に語った「往生は心にあり、成仏は身にあり」という命題の意義を考察した。第一に問題になっているのは、往生浄土として語られる救済の現在性をどのように語りうるかということであった。その上で曽我が問題にしているのは、還相としての利他性を現在において語りうるかという点であり、その契機が鈴木大拙の還相論であったことを明らかにした。
24頁(17頁~40頁)
査読あり
22 親鸞『教行信証』「化身土巻」における『論語』引用について―法琳・遵式の引用を通して―単著 2019-03-00『大谷大学真宗総合研究所研究紀要』第36号 『教行信証』の本論の最後に引かれ、親鸞独自の訓みとも言われる『論語』の意義を、「化身土巻」の論述の展開から考察した。問題にしたのは、その読み替えを可能にした視点である。そこで、『弁正論』の引用において孔子は釈尊の弟子と位置付けられている点、さらに宋代浄土教を代表する遵式が鬼神を祭祀すべきでないことを論じる中で孔子の発言に言及している点を指摘し、この二点が親鸞の読み方を可能にしたことを明らかにした。
18頁(27頁~44頁)
査読あり
23 宗教的言語の受用/形成についての総合的研究共著 2020-03-00『大谷大学真宗総合研究所研究紀要』第37号 宗教的言語の受容/形成というテーマのもと、親鸞に即して考察した。親鸞は、直接の師である法然、またその法然が師事した唐の善導を阿弥陀仏の化身として仰ぎつつ、その言葉を受け止める自己をどこまでも凡夫と規定した。その親鸞の漢文著作のスタイルが文類である。それは先達の言葉の単なる語り直しではなく、自己の表現が直ちに自己に向けた教化であるような表現として、積極的に選び取られたものであることを明らかにした。
本人担当「第三章 親鸞における宗教的言語の受容/形成」
5頁(63頁~67頁)
分担執筆:池上哲司、松澤裕樹、藤原智、稲葉維摩、田崎郁子
査読あり
24 清沢満之と真宗の教法―倫理的宗教および俗諦をめぐって―単著 2020-03-00『大谷大学真宗総合研究所研究紀要』第37号 清沢満之の倫理道徳に関する思想の変遷を、当時の議論に即して考察した。特にその契機として、明治32年末に井上哲次郎が提唱した倫理的宗教論が大きく影響していることを指摘した。そして最晩年の清沢の「宗教的道徳(俗諦)と普通道徳の交渉」で宗教と倫理が別天地だと述べたのは、井上哲次郎の国家主義的な倫理道徳論に回収されないものとして真宗思想の意義を説いたものであることを論じた。
41頁(オンライン限定掲載、論文要旨7頁(1頁~6頁))
査読あり
25 『教行信証』における引用文について―古写経本による再検討―単著 2020-06-00『近現代『教行信証』研究検証プロジェクト研究紀要』第3号(親鸞仏教センター) 親鸞の主著『教行信証』に引用される様々な仏典の典拠について考察した。まず研究史を概観し、文献学の発展に伴い、単なる引用箇所の特定ではなく、各典籍のいずれの版からの引用なのかまで問題とされてきたことを指摘した。その上で、従来十分に研究されてこなかった日本古写経を検討し、不詳とされてきた親鸞の引用文が、いわゆる宋版だけでなく古写経に多くの典拠をもつことを明らかにした。
45頁(63頁~107頁)
26 江戸期における坂東本『教行信証』の活用(上)単著 2020-07-00『教化研究』第166号(真宗大谷派教学研究所) 親鸞の主著『教行信証』の自筆本である通称坂東本について、近代以前にどのように認識されてきたのか、近世前・中期を中心に考察した。そこで、坂東報恩寺に伝わる自筆本の存在は近世前期には真宗内では知られていたこと、そして報恩寺と関係をもつ有力寺院ではその書写が行われていたこと、しかし十八世紀後半の学寮講師慧琳は閲覧が出来ていなかったことなど、当時の坂東本を取りまく状況を明らかにした。
14頁(212頁~225頁)
27 曽我量深の「還相回向」理解をめぐって単著 2021-04-00『教化研究』第167号(真宗大谷派教学研究所) 近現代の真宗教学に大きな影響を与えた曽我量深の還相回向に関する理解の在り方を、寺川俊昭の指摘を手がかりとして考察した。寺川は、大正時代の論考を通して曽我の還相理解を「師の教化に見るもの」としているが、曽我の還相理解はそれに止まらない。その振れ幅を寺川は積極的に見ることはないが、それは決して曽我の理解の揺れではなく、一定の体系的理解からその場の課題に即して現れる表現の差異であることを明らかにした。
22頁(29頁~50頁)
28 曽我量深の著作概観単著 2021-04-00『教化研究』第167号(真宗大谷派教学研究所) 曽我量深の数多くの著述を、編年的に考察した。まず曽我の代表的著述は『曽我量深選集』全十二巻にまとめられており、その編集方針を確かめた。その上で、『選集』に収められていない著述がかなり多数あることを確認した。さらに昭和十年代の著述の問題点、具体的には戦後公刊された際に修整があることなどを指摘した。最後に、あまり知られていない昭和十年代の著述をリスト化し、今後の研究の便宜をはかった。
21頁(174頁~194頁)
29 江戸期における坂東本『教行信証』の活用(中)単著 2022-06-00『教化研究』第168号(真宗大谷派教学研究所) 親鸞の主著『教行信証』の自筆本である通称坂東本について、近代以前にどのように認識されてきたのか、近世後期を代表する学寮講師・香月院深励を中心に考察した。そこで、まず近世に坂東本に触れ得る機会として、これを伝来した報恩寺の名所記の類における記述、そして報恩寺の開帳の機会を確認した。その上で、深励が坂東本の写本を所持していたことを指摘し、講義での言及内容から深励の認識を明らかにした。
18頁(180頁~197頁)
30 清沢満之と真宗大学(東京)の運営単著 2022-12-00『現代と親鸞』第47号(親鸞仏教センター) 真宗大学の運営に携わっていた晩年の清沢満之の動向について考察した。従来、晩年の清沢については著述を中心に考察され、具体的な動向についてはあまり検討されてこなかった。それに対し、近年翻刻された清沢の同志の関根仁応の日誌を手がかりに検討した。当時の大谷派は非常な混乱状況にあり、そこで諸関係者、特に渥美契縁との間で様々な交渉が行われていたことを明らかにし、清沢の大学辞任についても新たな視点を提起した。
19頁(256~274頁)
31 江戸期における坂東本『教行信証』の活用(下)単著 2023-03-00『教化研究』第169号(真宗大谷派教学研究所) 親鸞の主著『教行信証』の自筆本である通称坂東本について、近世後期の学僧、特に深励の同世代以下がどのように認識していたのかを考察した。そこでの坂東本への言及は前時代に比べ増加しているが、それを検証すると坂東本(御真本)の名のもとに真偽の入り混じった様々な情報が伝聞されていたことが判明した。近世後期、学寮において坂東本が臨写されるが、その背景にこのような錯綜した状況があったことを明らかにした。
25頁(171~195頁)
32 江戸期における坂東本『教行信証』の活用(補遺)単著 2023-06-00『教化研究』第170号(真宗大谷派教学研究所) 近世後期に東本願寺の学僧たちが親鸞の主著『教行信証』の自筆本、通称坂東本の書写を行っていることは、古くから知られていた。ところが、その写本は坂東本の臨写本からの転写であり、その原本となる坂東本の臨写本については所在が知られていなかった。そこでこの臨写本と見られる坂東本写本が大谷大学博物館にあることを紹介し、その特徴から臨写の年代についていくつかの想定を示した。
7頁(144~150頁)
33 清沢満之 最後の上山―明治期大谷派の財政問題と新法主の御修養―単著 2023-12-00『親鸞教学』第118号(大谷大学真宗学会) 大谷大学(真宗大学)の初代学長の清沢満之が、真宗大学の学監辞任後に二度京都に赴いたことの意義を考察した。従来、大学辞任後の清沢の動向は、ほぼ尋ねられてこなかった。しかし、近年翻刻された清沢の同志の月見覚了の書簡には、清沢とその同志たちが新法主(大谷光演)の動向と宗門の方向性をめぐって京都で議論を重ねていたことが記されている。この月見の書簡から、最晩年の清沢と大谷派との関係を明らかにした。21頁(26~46頁)
34 『教行信証』における「後序」の位置付けについて―呼称の変遷と史実性をめぐる議論―単著 2024-03-00『近現代『教行信証』研究検証プロジェクト研究紀要』第7号(親鸞仏教センター) 親鸞の主著『教行信証』の末尾にある、現代に「後序」と呼ばれる文章についての研究史を辿った。そこで二つの課題を提示した。一つは『教行信証』全体の中で「後序」がどのように位置付けられてきたのか、特に「後序」をいかに呼称したかを中心に近世前期から近代にかけて概観した。二つに、「後序」の内容について、明治から大正期の実証史学の潮流の中での論点を確かめた。その二つの検討から「後序」の問題点を明らかにした。
46頁(137~182頁)
35 親鸞『教行信証』における真実証―「必至滅度」についての香月院深励の議論をてがかりに―単著 2024-07-00『真宗教学研究』第45号(真宗教学学会) 親鸞の主著『教行信証』「証巻」冒頭の自釈における「必至滅度即是常楽」の文を検討した。この文はしばしば「滅度即是常楽」であるかのような説明がされており、その問題点を指摘する近世後期の香月院深励の議論を紹介した。その上で、深励以降の教学者たちの論点を概観しつつ、『教行信証』の「必至滅度即是常楽」の文は「必ず滅度に至るということが、それがそのまま常楽である」ということを述べていると明らかにした。
14頁(28~41頁)
36 法然・親鸞に関する典籍研究単著 2024-12-00『教化研究』第173号(真宗大谷派教学研究所) 法然や親鸞にかかわる近年の研究について、とくに典籍研究という点から論じた。まず、親鸞の主著である『教行信証』研究のあり方について、親鸞自筆本である坂東本の研究史を確かめた。そこで問題となっていた異文問題に関して、近年は大蔵経研究、特に日本古写経研究を通して『教行信証』が検討し直されていることの意義を論じた。また法然やその門流における近年の典籍研究を紹介し、今後の法然門流研究の課題を提示した。
14頁(110~123頁)
37 親鸞『教行信証』「行巻」に引かれる『悲華経』願文の意義―第十七願と第二十願との対応と唯除―単著 2025-01-00『眞宗研究』第69輯(真宗連合学会) 親鸞『教行信証』「行巻」での『悲華経』引用の意義を考察した。それは、『無量寿経』とその異訳経典から第十七願意を示す引用文に続けて記される阿弥陀仏の願文である。従来、この文は第十七願相当、もしくは第十七願と第十八願の連関を示すと捉えられてきたが、第二十願相当とする指摘や、「唯除」の語があることを重視する先行研究を紹介し、そこから自力心と唯除という課題を踏まえた親鸞の大行理解を明らかにした。
18頁(92~109頁)
以上37点
Ⅲ 口頭発表・その他
1 親鸞における度衆生心の意義口頭発表 (一般発表) 2008-07-00第15回真宗大谷派教学大会(於大谷大学、京都市北区) 親鸞は信心を菩提心として語る際、多く「願作仏心即是度衆生心」という表現を使う。この「度衆生心」という言葉について、これを信心の行者が他の衆生を度す心ではなく、行者に信心を獲得せしめる如来のはたらきであると明らかにした。そして如来の度衆生の心の中に行者の歩むべき道があり、ここに真宗の積極性を明らかにした。
発表時間20分
発表要旨『真宗教学研究』第30号205頁、2009年6月
2 三心一心問答より見る真仏弟子の意義口頭発表 (一般発表) 2011-08-00国際真宗学会第15回大会(於大谷大学、京都市北区) 親鸞が真仏弟子を「金剛心の行人」と規定する意味を主著『教行信証』の「信巻」から尋ねた。親鸞の語る金剛心とは、仏の智慧に照らされ救済された所の自覚であり、この身においては機の深信として相続されるということを論証した。それによって真仏弟子の具体性とはこの機の深信の徹底と相続にあることを明らかにした。
発表時間15分
3 知恩報徳―「信巻」と「化身土巻」の「自信教人信」を通して―口頭発表 (一般発表) 2011-10-00第18回真宗大谷派教学大会(於大谷大学、京都市北区) 親鸞の持った教化への志願を「自信教人信」という言葉に見据えた。そしてこの言葉が親鸞の主著『教行信証』の「信巻」と「化身土巻」の両巻に同じように引用されていることに注目した。同じ言葉を二つの文脈から捉えようとする親鸞の思索を通して、信仰生活上の微細な問題を浮き彫りにしようとした。それは他力の中の自力の心であり、それを超えるのはただ師の呵責のみであるという親鸞の意を明らかにした。
発表時間20分
発表要旨『真宗教学研究』第33号143~144頁、2012年11月
4 三願転入の原理としての還相回向―『観経』・『弥陀経』に感得される釈迦・諸仏の恩徳―口頭発表 (一般発表) 2013-07-00第20回真宗大谷派教学大会(於大谷大学、京都市北区) 親鸞の還相回向論について、寺川俊昭の説に基づき考察した。寺川は還相回向について『大経』を説いた釈迦の恩徳だとするが、その恩徳が『観経』『弥陀経』にも見出せることを指摘し、この二経に基づいて親鸞が三願転入を述べていくことから、還相回向と三願転入の関係を指摘した。そして、寺川は回心の一点に還相回向を捉えたが、その回心に始まる信仰生活を成立せしめる力用として還相回向があることを明らかにした。
発表時間20分
発表要旨『真宗教学研究』第35号140~142頁、2014年6月
5 『教行信証』信巻における『集諸経礼懺儀』引用の意義口頭発表 (一般発表) 2013-09-00日本宗教学会第72回学術大会(於國學院大學、東京都渋谷区) 親鸞の主著『教行信証』信巻に引用されている善導の諸文、特に『集諸経礼懺儀』の考察を通して、『教行信証』の課題を明らかにすることを目的とした。そこで親鸞が『往生礼讃』と『集諸経礼懺儀』を比較し、敢えて『集諸経礼懺儀』を選び取ったことを論証した。そしてその意味を、善導の言う信心とは聞名を契機として発起する「一心」であることを論じようとしたものであると明らかにした。
発表時間15分
発表要旨『宗教研究』第87巻別冊358頁~359頁、2014年3月
6 松原祐善講話集刊行会編『他力信心の確立―松原祐善講話集』共編 2013-11-00法藏館 松原祐善の三つの講話の音声テープを文字化し、編集、書籍化した。なお、あとがきの執筆もした。
総頁数335頁
本人執筆部分:あとがき5頁(331~335頁)
7 親鸞『教行信証』における『菩薩戒経』引用への一考察口頭発表 (一般発表) 2014-09-00日本宗教学会第73回学術大会(於同志社大学、京都市上京区) 親鸞の批判精神を示す文としてたびたび言及される『菩薩戒経』について、従来十分に検討されていなかった主著『教行信証』の文脈を通して考察した。特に、直前の『地蔵十輪経』との連関を指摘し、そこで鬼神を拝むことを懺悔しないならば戒の有無に関わらず重罪となるとされていることに注目して、鬼神への不礼を説く『菩薩戒経』の引用を戒の有無に関わらざる仏弟子の尊厳性を確かめるものであることを明かした。
発表時間15分
発表要旨『宗教研究』第88巻別冊319頁~320頁、2015年3月
8 『曽我量深講話録〈一〉』単編 2015-08-00大法輪閣 雑誌『中道』に掲載された曽我量深の講話録を編集、書籍化した。なお、まえがきとあとがきの執筆もした。
総頁数333頁
本人執筆部分:まえがき4頁(1~4頁)、あとがき4頁(330~333頁)
9 専修念仏批判への応答―親鸞の『弁正論』引用の一側面―口頭発表 (一般発表) 2015-09-00日本宗教学会第74回学術大会(於創価大学、東京都八王子市) 親鸞の主著『教行信証』での『弁正論』引用について、それが当時の比叡山からの批判に応答するものだと論じた。特に第七文では、道教が仏教について「不孝」として批判する箇所が引かれるが、当時の比叡山の批判も同様に専修念仏を「不孝の罪」と弾劾するものであった。この「孝」という観点から行われる仏教批判に親鸞の課題があったことを示し、それが『教行信証』の撰述自体に密接に関わる問題であったことを明らかにした。
発表時間15分
発表要旨『宗教研究』第89巻別冊276頁~277頁、2016年3月
10 『曽我量深講話録〈二〉』単編 2015-10-00大法輪閣 雑誌『中道』に掲載された曽我量深の講話録を編集、書籍化した。
総頁数340頁
11 『曽我量深講話録〈三〉』単編 2015-12-00大法輪閣 雑誌『中道』に掲載された曽我量深の講話録を編集、書籍化した。
総頁数330頁
12 『曽我量深講話録〈四〉』単編 2016-02-00大法輪閣 雑誌『中道』に掲載された曽我量深の講話録を編集、書籍化した。
総頁数352頁
13 『曽我量深講話録〈五〉』単編 2016-04-00大法輪閣 雑誌『中道』および『大法輪』に掲載された曽我量深の講話録を編集、書籍化した。なお、あとがきの執筆もした。
総頁数336頁
本人執筆部分:あとがき6頁(329~334頁)
14 清沢満之の明治31年の東上と巣鴨監獄教誨師事件口頭発表 (一般発表) 2016-09-00日本宗教学会第75回学術大会(於早稲田大学、東京都新宿区) 従来の清沢満之研究において言及されることの少ない明治三十一年の巣鴨監獄教誨師事件に対し、実は清沢は極めて大きな関心を持っていたことを論じた。注目したのは、明治三十二年七月の清沢の書簡であり、そこでは巣鴨監獄事件を念頭に現在の真宗の教法が罪人を改過遷善に向かわせているのか疑問視している。この問題意識から、当時の清沢は他力信仰こそ道徳の重要性を覚知させるものだとする考察を進めたことを明らかにした。
発表時間15分
発表要旨『宗教研究』第90巻別冊260頁~262頁、2017年3月
15 『教行信証』に引用された『弁正論』の諸課題――同時代資料に照らして口頭発表 (招待) 2021-07-00龍谷大学世界仏教文化研究センター『諸神本懐集』研究班ワークショップ(於龍谷大学大宮学舎、京都市下京区、オンライン開催) 『教行信証』に引用された『弁正論』の読解は、従来非常に困難だとされ、十分な読解がなされてきていなかった。ただ、それらは、多くが前近代という資料的に限られた時代の研究に拠ってきた。それに対し、近代以降に発見された様々な同時代資料があることを指摘した。それらを用いることによって書誌学的にも、思想的にもこれまで見えていなかった事実や論点が明らかになることを示し、今後の研究のあり方を提示した。
発表時間60分
16 解説「教行信証」正行寺本展示解説 2023-12-00特別公開「教行信証」正行寺本(於中津市歴史博物館、大分県中津市) 大分県中津市の真宗大谷派正行寺に蔵される坂東本『教行信証』の写本の展示について、解説文を執筆した。坂東本の意義と、その写本がなぜ正行寺にあるのか、当寺住職であった雲華院大含の大谷派教団内での地位や近世後期の学僧たちの課題などを解説した。
17 最近読んだ本 福島栄寿『近代日本の国家と浄土真宗―戦争・ナショナリズム・ジェンダー』書評 2024-03-00『歴史の広場』第26号(大谷大学日本史の会会誌) 福島栄寿『近代日本の国家と浄土真宗――戦争・ナショナリズム・ジェンダー』(法藏館、2023年)の書評を執筆した。
5頁(69~73頁)
18 大正期『精神界』誌上における曽我量深と暁烏敏の対話―「大自然の胸に」の還相回向論―口頭発表 (一般発表) 2024-07-00第23回真宗大谷派教学大会(於大谷大学、京都市北区) 大正五年から六年にかけて雑誌『精神界』誌上での曽我量深と暁烏敏の議論を紹介し、そこから見出せる曽我量深の還相回向に対する問題関心を論じた。それは、暁烏敏の語るところが大自然に没入するような信仰であることを批判し、大自然から離れてしかありえない現実の人間の悲哀を凝視するものであった。そして、その現実に向かうものとして曽我は法蔵菩薩の還相の本願を見出していったことを明らかにした。
発表時間20分
以上18点

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