教育研究業績の一覧

根無 一行
A 教育業績
教育実践上の主な業績 年月日概要
1 教育内容・方法の工夫(授業評価等を含む)
1 学生の考え・意見を積極的に評価すること 2014-04-00 ~ 発言することを避けたがる学生が多いため、発言してくれたのであれば、どのような意見であっても、できる限り肯定的に拾い上げ、そこにポジティヴな意味を見つけることで、学生が自然と積極的な姿勢を取ることができるよう心がけている。
2 リアクションペーパーを取り入れた授業の実施 2014-04-00 ~ 適宜学生からコメントや質問を受けつけ、次の回にやや長めに時間を取ってなるべく多くのコメントにレスポンスしている。多く取り上げるのは、「自分のコメントが取り上げられた」という体験が学習意欲を高めるからである。また、日常的な事例を引きつつ社会問題とも関連づけながら丁寧にレスポンスするのは、初学者にも思想系の厳密で抽象的な議論に興味を持ってもらえるようにするためである。
3 「先輩相談室」での対応や文学部の学部生向けガイダンスの実施(京都大学文学部教務補佐として) 2014-11-00
~2017-03-00
教員でもなく大学院生でもない「OD」の立場で、学部生・院生の学習・研究や大学生活に関する様々な相談に対応した。また、文学部新入生向けガイダンスでの便覧の見方や教職免許取得についての説明、専修分属のためのガイダンスやその後の立食パーティの主催等を行った。活動報告として、「学生相談室からの報告」『京都大学学生総合支援センター紀要』京都大学学生総合支援センター編、第46号、81~83頁、2016年。
4 小規模クラスの演習授業での「休憩」の取り入れ(大谷大学) 2017-04-00 ~ 90分間集中力を保つことは難しいので、途中で2~5分ほど休憩を取り入れている。その間に教室内を回り、学生の学習状況(予習はできているか、授業についていけているか)などを確認すると同時に、学生とコミュニケーションを取って挙手・発言を促すことを心がけている。
5 哲学カフェの運営(大谷大学) 2017-04-00
~2019-03-00
学内外から参加者が集まる「大谷大学哲学カフェ」を月に1回程度開催し、主に司会を担当した。
6 読書会の開催(大谷大学) 2017-04-00
~2019-03-00
哲学専攻大学院生のために複数の読書会を開催した。
7 大学院生の研究サポート(大谷大学) 2017-04-00
~2019-03-00
哲学専攻大学院生3名の修士論文の草稿を添削し、アドバイスを行った。
8 ラーニングスクエア(学習支援室)での学生対応(大谷大学) 2019-04-00
~2022-03-00
学生の語学学習やレポート・レジュメ作成、ゼミ発表準備等に関してアドバイスを行った。
9 Webを利用した授業の実施 2020-04-00
~2022-03-00
コロナ禍においてはZoomを利用した授業だけでなく、講義の動画を作成してYouTubeに限定公開で投稿し、オンデマンド配信を行った。
2 作成した教科書、教材、参考書
1 レジュメの作成 2014-04-00 ~ 重要ポイントを記憶に定着させるために、要点を簡潔にまとめたレジュメを配付している。
2 引用集の作成 2014-04-00 ~ 自分で原典にあたるという学問的営みの基本を経験してもらうために、原典からの引用集を配付して、じっくりそれを読む時間を適宜設けている。
3 論理トレーニング用の教材の作成 2017-04-00 ~ 「批判的思考」(大谷大学)では、論理的に思考していくための読み書きのトレーニングを行っているが、様々なテキストから練習問題を収集した教材を作成し、使用している。
4 デカルト『方法序説』(英訳)の文法解説プリントの作成 2018-09-00 ~ 「批判的思考」(大谷大学)では、論理的に思考していくための訓練として英語のテキストを一言一句たりともおろそかにせずに訳読していく作業を行っているが、その補助となる詳細な文法解説プリントを作成し、使用している。また、時間をかけて訳読していくことで、重要な古典的議論を身体で覚えていってもらうことも目的にしている。
5 エッセイのサンプル(学生たちが自分でエッセイを書いていく際に参考するためのもの)の作成 2019-10-00
~2021-03-00
京都精華大学人文学部1年生必修科目「発展ことば演習」で使用した。いずれも教育的配慮を念頭に作成した。
①「「迷子」と「ならず者」」。ショーン・タンの短編映画『ロスト・シング』について、分離壁の向こう側にユートピアがあるかのような結末を、ポストコロニアル批評の観点から批判したエッセイ。

②「ことばについて」。「言語」についての構造主義的な見方やポスト構造主義的な見方を1年生にも理解できるようにわかりやすく説明することを狙ったエッセイ。

③「私の好きな時」。無為に時間を過ごして焦る経験に、時間が私を一方的に好いて追いかけてくる事態を読み取ろうとした哲学的なエッセイ。
6 ワークシートの作成 2021-04-00
~2024-03-00
①2021年4月~2023年3月
②2022年4月~2024年3月
「日本文化論」(京都芸術大学)(①)と「日本語表現」(大谷大学)(②)ではワークシートを作成し、それを、初学者がテキストを読解してレポート作成をしていくための道筋をわかりやすく示すために使用した。
7 『宗教学』(3STEPシリーズ4)、昭和堂、2023年。 2023-04-00 ~ 〈3ステップで読者自らを問いへと誘い、宗教学の面白さと奥深さを伝える入門書〉の第2章「悪の問題―無関係ではいられない熱い問題」を執筆し(「D.研究活動」欄参照)、「宗教の世界」(龍谷大学)の教科書として用いている。
3 教育方法・教育実践に関する発表、講演等
1 大学で教えるとは、学ぶとは(エッセイ) 2020-04-00
~2021-03-00
「教員が大学で教え、学生が大学で学ぶとはどういうことか」についてエッセイを書き、京都精華大学人文学部1年生必修科目「発展ことば演習」で配布した。
4 その他教育活動上特記すべき事項
1 京都大学文学研究科「プレFDプロジェクト(若手研究者のための大学教育研修プログラム)」修了 2015-02-00 京都大学主催の「若手研究者のための大学教育研修プログラム」を修了した。事前研修会への参加、授業計画の作成、京都大学非常勤講師(「哲学基礎文化学系ゼミナール」)として授業実施(リレー講義)、授業後の検討会への参加(自分以外の授業にも参加)、事後研修会への参加などを通して、いわば「大学版の教育実習」を修了した。この授業では「現代フランス現象学と宗教」というタイトルで講義を行なった。
B 職務実績
1 日本キリスト教団春日丘教会での教会学校スタッフとしての活動 2004-04-00
~2005-03-00
キリスト教教会の教会学校のスタッフとして、様々な活動に参加した。
2 日本キリスト教団大津教会での派遣神学生としての活動、また、教会学校スタッフとしての活動 2005-04-00
~2007-03-00
「派遣神学生」とはキリスト教教会牧師になろうとする人向けのいわばインターンシップである。主な仕事は、教会学校のスタッフとしての活動、青年会会長として様々な活動の企画・実行、社会委員会や広報委員会などの各種委員会活動や早天祈祷会などの集会、年中行事(バザーやクリスマス)などへ参加である。教会学校スタッフとしては、通常の活動の他、高校生たちと「なぜ人を殺してはいけないか」というテーマでの一泊研修なども行った。
3 外部資金の獲得(科学研究費助成事業:特別研究員) 2012-04-01
~2014-03-00
科学研究費助成事業(特別研究員奨励費)「アウシュヴィッツに連関づけられた救済の観点からの宗教哲学的なレヴィナス研究」課題番号12J05598。
4 外部資金の獲得(龍谷大学国際社会文化研究所研究プロジェクト:研究分担者) 2021-04-00
~2023-03-00
「宗教概念批判以降の宗教研究に基づく人間性の探究」(2021年4月~2023年3月 研究代表者:古荘匡義)において、「宗教哲学」部門を担当した。
5 名古屋外国語大学での講演授業 2021-06-00 一般教養科目「比較宗教論」で、「宗教と無意味な世界―神は乗り越えられない試練を与えない?」と題した講演授業を行った。
6 名古屋外国語大学での講演授業 2021-07-00 一般教養科目「自己再構築論」で、「〈ありのまま〉でホームレスは助かるのか?」と題した講演授業を行った。
7 京都大学人文学連携研究員 2023-04-00
~2025-03-00
〈京都大学における人文学(社会学・心理学も含む)の研究を一層進化させ国際化を推進するとともに、先端学術領域との連携も進展させて、京都大学が世界に向けて発信する「人文知の未来形発信」に寄与し得る基盤形成を図る〉という目的で設立された京都大学人文学連携研究者制度による採用を受けて(課題名「フランス現象学と「宗教哲学」―ポストコロニアル的視点からの再考」)、杉村靖彦教授(京都大学文学研究科)と連携研究を行っている。
8 外部資金の獲得(科学研究費助成事業:基盤研究C) 2024-04-00
~2027-03-00
「ポストコロニアル的視点からのフランス現象学と宗教哲学の再考」課題番号24K03397。
C 学会等及び社会における主な活動
所属期間及び主な活動の期間 学会等及び社会における主な活動
1 2008-12-00~0000-00-00 宗教哲学会(2016年3月~2023年2月、事務局補佐)
2 2010-03-00~0000-00-00 日本ミシェル・アンリ哲学会
3 2010-09-00~0000-00-00 日仏哲学会
4 2011-06-00~0000-00-00 実存思想協会
5 2014-01-00~2018-03-00 レヴィナス研究会
6 2017-04-00~0000-00-00 大谷大学哲学会(2017年6月~2019年5月、委員)
7 2019-04-00~0000-00-00 日本宗教学会
8 2020-04-00~2022-03-00 京都大学文学研究科『宗教学研究室紀要』編集委員
D 研究活動
著書、学術論文等の名称単著、
共著の別
発行又は
発表の年月
発行所、発表雑誌等
又は
発表学会の名称
概要
Ⅰ著書
1 ジャン・ルフラン『十九世紀フランス哲学』(文庫クセジュ)共訳 2014-04-00白水社 ビッグネームの不在のため、17世紀のデカルトやパスカル、18世紀のルソーやモンテスキュー、そして20世紀の多様な現代フランス哲学の影に隠れ、専門家以外にはほとんど知られていない19世紀フランス哲学に関する入門書の翻訳。
総頁数194頁
本人担当:第3~4章
55頁(116~170頁)
監修:川口茂雄、共訳者:長谷川琢哉、根無一行
2 『ミシェル・アンリ読本』共著 2022-08-00法政大学出版局 20世紀後半の現代フランス現象学の「第二世代」を代表するミシェル・アンリについての『読本』シリーズの著作解題を担当した。ポストモダンから自覚的に距離を取ったアンリの思索は「ポスト・ポストモダン」の時代を迎える今、改めて読み直す価値があると指摘した。
総頁数323頁
本人担当:主要著作解題5『野蛮』
2頁(286~287頁)
編者:川瀬雅也、米虫正巳、村松正隆、伊原木大佑、共著者:ロラン・ヴァシャルド、阿部善彦、上野修、服部敬弘、水野浩二、景山洋平、加國尚志、ディディエ・フランク、北村晋、村瀬鋼、吉永和加、本間義啓、野村直正、本郷均、古荘匡義、佐藤勇一、松永澄夫、越門勝彦、亀井大輔、柿並良佑、杉村靖彦、平光哲朗、池田裕輔、松田智裕、佐藤愛、根無一行、落合芳、樋口雄哉、武藤剛史、中村行志
3 『宗教学』(3STEPシリーズ4)共著 2023-04-00昭和堂 「概説→ケーススタディ→アクティブラーニング」という3ステップで構成された本書は、読者自身が主体的に問いを立てて考察していくことを促す入門シリーズである。応募者が担当した第2章「悪の問題」では、宗教哲学が「悪」をどのように論じてきたのかをわかりやすく論じつつ、読者がどうしても「自分事」として考えてしまわざるをえないような議論を紹介した。
総頁数270頁
本人担当:
(1)第2章「悪の問題―無関係ではいられない熱い問題」
15頁(33~47頁)
(2)資料「用語集」の中の「一神教」「エロースとアガペー」「終末論」「無神論」の項目。
10頁(257~266頁)
(3)資料「諸宗教の解説(キリスト教)」
1頁(267頁)
編者:竹内綱史、伊原木大祐、古荘匡義、 共著者:根無一行、重松健人、松野智章、後藤正英、鶴真一、坪光生雄、岡本亮輔、河西瑛里子、猪瀬優理、田中浩喜、藤井修平、下田和宣
以上3点
Ⅱ学術論文
1 レヴィナスの「顔の彼方」―無限責任の成就?単著 2010-12-00『宗教学研究室紀要』第7号(京都大学文学研究科宗教学専修) 倫理を第一哲学とみなすレヴィナスの基本的な主張は「責任」の無限性である。それゆえ責任を果たし終えることがあってはならない。しかし、レヴィナスには「無限責任の成就」に関する記述が見られる。解釈が「困難」だとされるこの記述を同じ箇所に記された「メシア的意識の極度の覚醒」という記述と合わせて考察することで、キリスト教神秘主義的な「自己」をレヴィナス哲学から引き出しうる可能性を提示した。
37頁(78~114頁)
査読あり。
2 レヴィナス的ケノーシスにおける苦しみの祈りの問題単著 2011-09-00『フランス哲学・思想研究』第16号(日仏哲学会) キリスト教においては神は「受肉」して「イエス・キリスト」として現前するが、敬虔なユダヤ教徒であるレヴィナスは、神は「過越す」のであって決して現前しないとしてキリスト教を批判する。現前するならば充足=満足という形で責任が消失してしまうからである。他方で、レヴィナスは「現前する神」についての積極的な記述も残している。この記述をレヴィナス哲学に抵触しない仕方で解釈できないか問題提起を行った。
9頁(62~70頁)
査読あり。
3 レヴィナスにおけるエロスと子を生むこと(父性)をめぐる一試論―救済の問いに向けて単著 2011-11-00『宗教学研究室紀要』第8号(京都大学文学研究科宗教学専修) レヴィナスにおいて「救済」は「他者の救済」を意味し、キリスト教的な「自己の救済」はエゴイズムとして退けられる。しかし、レヴィナス哲学の基本的枠組みである「共時性/隔時性」という時間概念とそれに基づいた「現象/痕跡」という現象概念のどちらにも該当しないような第三の時間・現象概念がレヴィナスに見られることに注目し、そこに「エゴイズムに陥ることのない自己の救済」という意味を見て取ろうとした。
20頁(20~39頁)
査読あり。
4 アウシュヴィッツの記憶と神の自己性―レヴィナス的倫理の可能性の条件の探求単著 2012-11-00『宗教学研究室紀要』第9号(京都大学文学研究科宗教学専修) 「過越す神」を語るレヴィナスはイエスのような実体化された「神の自己性」を認めない。しかし、レヴィナス的「責任」の可能性の条件である「自己性」の成立を問うならば「神の自己性」にたどり着く点を明らかにした上で、このような超越論的条件は、「切迫した責任の発生の瞬間においてはそれが責任かどうかは問題にならない」という意味を指示するゆえに、レヴィナス哲学上で積極的なものでありうる可能性を引き出した。
20頁(68~87頁)
査読あり。
5 イリヤの他者―レヴィナス的倫理の出発点単著 2013-11-00『宗教学研究室紀要』第10号(京都大学文学研究科宗教学専修) レヴィナスが「他者」を語ったのは、主体が「存在者なき存在」を意味する「イリヤ」から逃れるために必要だったからである。しかし後にレヴィナスは奇妙にも「イリヤとは他性の全重量である」と言う。この点に注目することで、「イリヤ」とはアウシュヴィッツで虐殺された者たちの場であり、それゆえにこそ主体が責任を負ったものとして立ち上がってくる、と後期レヴィナスが考えている可能性を提示した。
17頁(53~69頁)
査読あり。
6 レヴィナスとSSの顔単著 2014-03-00『宗教哲学研究』第31号(宗教哲学会) レヴィナス的責任は「敵」に対するものをも含むが、親族を虐殺したSSに対する責任については、レヴィナスはそれを〈原理的には〉認めつつも〈現実には〉認めない。しかし、レヴィナスは主体の責任を、「殺人者」による死の接近の記述を通して、「主体の方が殺人者だった」と描く。そこにはSSに対する〈現実の〉責任が暗黙裡に語られている可能性があるのではないかと結論づけた。
13頁(121~133頁)
査読あり。
7 レヴィナスにおける救済の問題(博士学位論文) 単著 2017-03-00京都大学文学研究科 レヴィナスにはその哲学の基本線から逸脱する記述が少なからず見られるが、それらは扱いが難しくこれまでほとんど論じられてこなかった。しかし、ユダヤ教とキリスト教という文脈の中でそれらを組織的に考察することで、「アウシュヴィッツ以後いかなる救済が可能か」という問いを浮かび上がらせ、その問いが隠れた仕方でレヴィナス哲学全体の根源的次元を牽引していることを明らかにしようと試みた。
総頁数164頁
大幅に加筆修正の上、出版予定(『ポストコロニアルの宗教哲学―祈りとパレスチナ』昭和堂、2025年12月)。
8 再会の現象学―レヴィナス「アグノン論」について 単著 2018-02-00『哲學論集』第64号(大谷大学哲学会) レヴィナス哲学が語る他者は「汝殺すなかれ」とまなざす「弱者」として規定されるが、まなざすことができる以上そこにはある種の力が想定されている。ここから翻って考えると、レヴィナスが本来見つめたかった「弱者」の形象とは「主体をまなざすことさえできなかった(=責めない)者」だったのではないか。このことを論証しようと試みた。
17頁(47~63頁)
査読あり。
9 盲目的臆病さについて―レヴィナス、ヴェイユ、カミュ単著 2020-03-00『文明と哲学』第12号(日独文化研究所) レヴィナスとヴェイユとカミュには思想的に互いに親近性があるだけでなく、反ナチスという共通項がある。三者がどのように「悪」に対峙したのかを見ていくことで、レヴィナスとカミュが殺人を許容する論理を有しているのに対し、ある部分のヴェイユにはそれが見られないことを明らかにする。それによって、イスラエル政府による暴力を肯定してしまいかねないレヴィナス哲学を、パレスチナによる抵抗運動の支えになるものとして捉え直そうとした。
12頁(184~195頁)
10 ポストコロニアルの神義論―希望なき抵抗単著 2021-11-00『龍谷大学社会学部紀要』第59号(龍谷大学社会学部学会) アウシュヴィッツ以後「弱い神」を提示してきたユダヤ・キリスト教の潮流は「大きな物語の失効」を宣言したポストモダニズムと重なり合うが、アウシュヴィッツの範例化はポストコロニアル的視点を欠如させうる。「希望」を強調するジョン・D・カプートのポストモダン的「神詩学」は「希望」を語れない被占領地の人々の苦しみを捨象してしまうと指摘し、「希望」のないまま神に抗議するタイプの神義論を構想できないかと問うた。
11頁(75~85頁)
査読あり。
11 レヴィナスのヨブ記解釈単著 2022-02-00『哲學論集』第68号(大谷大学哲学会) レヴィナスは広い意味でのアウシュヴィッツの生き残りであるにもかかわらず、「ヨブ記」を表立って論じることがほとんどない。しかし、レヴィナス哲学自体がむしろ「神義論」であり、それが「他者の苦しみ」と「主体の苦しみ」の区別に基づいた二通りの「弱い神の神義論」として提示されている点を明らかにした上で、非西洋圏の私たちはレヴィナスの考え方をそのまま受け取ることができないのではないかと問うた。
19頁(30~48頁)
査読あり。
12 希望なき祈りとカントの「信」―『純粋理性批判』「規準論」から単著 2022-12-00『龍谷大学社会学部紀要』第62号(龍谷大学社会学部学会) カントは「信憑」に関して、「信」は客観的には不十分だが主観的には十分だとする。しかし、客観的不十分さの意識は主観的十分さを巻き込んでいないか。この信は必然的な知に基づく神の要請という実践的信だとされ、臆見に基づく実用的信と区別されるが、現実には両者は区別不可能である。ここで浮かび上がるのが「臆見であると承知で確信する」という構造であり、これこそが「信=祈り」の構造であることを明らかにしようとした。
14頁(140~153頁)
査読あり。
13 「自己への嘘」としての祈り―カントにおける「信」と「反省的判断力」単著 2023-07-00『哲學研究』第610号(京都哲學會) デリダによれば、祈りや信には希望はない。希望があるなら、その祈りは「計算」でしかないからである。それゆえ、祈りは、希望がないということを自分が知っていながら祈るという「自己への嘘」というアポリア的構造をしている。嘘と祈りを厳しく批判したカント哲学体系を通して祈りのこの構造を明らかにし、その当のカントとともに祈りを私たち偽善者たちの手に取り戻す論理を提示しようとした。
48頁(51~98頁)
査読あり。
以上13点
Ⅲ 口頭発表・その他
1 レヴィナスとSSの「顔」口頭発表(一般発表) 2013-03-00宗教哲学会第5回学術大会(於京都大学、京都市) 「Ⅱ.学術論文(6)」のもとになった発表。論文では削除したが、パレスチナに対して否定的態度を取り続けたレヴィナスがそのパレスチナに対する「責任」をも語っているのではないかとも論じた。
発表時間40分
2 ニコラ・モンスウ「文化と主体の生―フッサール思想を手がかりに」講演原稿翻訳 2013-03-00フランス語哲学会連合中間大会、兼、日仏哲学会春季研究大会(於京都大学、京都市) シンポジウム「Michel Henry et la phénoménologie de la culture(ミシェル・アンリと文化の現象学)」におけるニコラ・モンスウ氏の講演原稿の翻訳。
講演時間50分(4079単語)
3 松原詩乃著『シモーヌ・ヴェイユのキリスト教―善なる神への信仰』教友社、2012年書評 2014-03-00『宗教哲学研究』第31号(宗教哲学会) ヴェイユ思想のキリスト教神秘主義的側面に焦点を合わせた研究書の書評。著者によれば、ヴェイユのキリスト教理解の独自性は、ヴェイユが神の恩寵は受洗者だけに限定されない普遍的なものだと考えていたことにある。それについて、「ヴェイユのキリスト教」はキリスト教の正統からすると「異端」的であること、ただし日本のキリスト教思想とは親近性があるという指摘を行った。
5頁(152~156頁)
4 まなざしなき他者?口頭発表(一般発表) 2014-11-00レヴィナス研究会第6回関西例会(於同志社大学、京都市) 「Ⅱ.学術論文(8)」のもとになった発表。質疑応答の中で、レヴィナス哲学についての基本的な理解に関する応募者のミスリーディングについての指摘があり、その点を修正した上で、全面的に推敲したものが「Ⅱ.学術論文(8)」になった。
発表時間90分
5 臆病さは悪を招くか―レヴィナスとヴェイユ口頭発表(一般発表) 2017-09-00日仏哲学会秋季研究大会(於明治大学、千代田区) 「Ⅱ.学術論文(9)」のもとになった発表。「責任」というレヴィナス哲学の中心概念に由来する「正義」概念が恣意的な暴力装置として機能してしまう様子に光をあてるために、主にレヴィナスのパレスチナやアラブに対する言及を丹念に見ていく部分を、論文では文字数の都合で大幅に削除した。
発表時間40分
発表要旨『フランス哲学・思想研究』第23号(日仏哲学会、2018年9月、97頁に、「学会ホームページ上で掲載」とされているが、現在未更新)
6 学生のためのガクモン講座「討論会」コメントと質問 2017-12-00大谷大学助教主催シンポジウム(於大谷大学、京都市) 第1部での今野晴貴氏の講演「ブラック企業・ブラック奨学金に立ち向かう」を受けた第2部での討論会に登壇した。「ブラック」に立ち向かうためには権利を主張しなければならないという今野氏の主張に対する応答として、「ブラック」に食いものにされる人たちの声を上げない優しい性格を変えることは競争社会を前提にした発想ではないか、そういう優しい人たちをすくい取る社会構造を考えることが必要ではないかと問うた。
質問時間15分
7 臆病な盲目さ―レヴィナス、ヴェイユ、カミュ口頭発表(一般発表) 2018-03-00大谷大学哲学会春季研究会(於大谷大学、京都市) 「Ⅱ.学術論文(9)」のもとになった発表。「責任」というレヴィナスの中心概念に由来するにもかかわらず恣意的な暴力装置として機能してしまう「正義」概念から別の可能性を引き出すために、補助線としてヴェイユとカミュの思想について細かな読解を行った部分を、論文では文字数の都合で圧縮した。
発表時間60分
8 「ブラック」と人間その他(エッセイ) 2018-03-00『響流(大谷大学任期制助教教育研究報告書)』第5号(大谷大学総合研究室) (6)に加筆して文章化したもの。「ブラック」に立ち向かうためには権利を主張しなければならず、そうしないことには権利がないのと同じであるという今野氏の主張に対する哲学的応答として、ヴェイユのテキストを参照しながら、権利を主張することそれ自体に「ブラック」性がつきまとう原理的可能性があるのではないかと問う部分を加筆した。
3頁(6~8頁)
9 レヴィナスと幽霊口頭発表(合評のための論文補足発表及び質疑へのレスポンス) 2018-06-00大谷大学哲学会『哲學論集』第64号合評会(於大谷大学、京都市) 「Ⅱ.学術論文(8)」の合評会であるため質疑応答が中心となったが、執筆者として強調したのは、レヴィナス哲学においてほとんど注目されることのない「幽霊」という形象に光をあてて、レヴィナス哲学に埋蔵されたポテンシャルを掘り起こすことである。
発表時間40分
10 現代における神の知合評会での発表及び質問 2018-06-00学習院大学哲学科・科研費補助金基盤研究(C)、根無一信『ライプニッツの創世記:自発と依存の形而上学』合評会(於学習院大学、豊島区) 世俗化した現代世界においていかにして神を語ることができるのかという問いをテーマに据えた上で、ライプニッツの神義論をレヴィナスやデリダらを用いながら批判的に捉え直そうと試みた。神義論が現代でもありえるとしたらそれは自分自身が善へと向けて振舞う時にのみであり、神の知に関してもそういうパフォーマティヴな知としてなお可能ではないかと論じた。
発表時間30分
11 ライプニッツ:需要と実践―根無一信『ライプニッツの創世記』合評会から書評 2019-03-00『帝京大学学習・研究支援センター論集』第8号(帝京大学学習・研究支援センター) (10)の発表をもとにしたもの。書評としての文字数の都合上、とりわけレヴィナスを中心とする現代神義論に関連する部分を圧縮した。
総頁数13頁。
本人担当:第2章第2節「有限性と神義論―レヴィナスとライプニッツ」
4頁(121~124頁)
編者:稲岡大志、共評者・応答者:町田一、長綱啓典、根無一行、根無一信
12 緑樹の哲学その他(写真集解説) 2019-07-00tento
(※応募者註:アート・デザイン系出版社)
佐々木知子『Ground』(写真集)の解説。
被爆地長崎をテーマにした難解なこの写真集について、デリダやベンヤミン、そして原民喜らを参照しながら、視界に入ってこない死者たちの記憶について論じた。
約5000字
13 写真家・佐々木知子氏との対談その他(対談) 2019-09-00写真集『Ground』発刊記念トークイベント(於恵文社一乗寺店、京都市) 写真を撮るという行為を通して被災地長崎の現在から過去の記憶に向かおうとするカメラマン・佐々木が、どれだけ現地に足を運んで見つめても「リアル」を掴み切ることができないという宿命を引き受けるところにこの写真集の魅力があるということについて、対談を通して、(12)を踏まえつつ強調した。
対談時間2時間
14 ポストモダンの神義論(パネル「宗教哲学研究から見た宗教概念批判の意義」(代表者:下田和宣))口頭発表(パネリスト) 2021-09-00日本宗教学会第80回学術大会(於関西大学、吹田市、オンライン開催) 「Ⅱ.学術論文(10)」のもとになった発表。「ポストコロニアル」を強調した論文と異なり、「ポストモダン」という角度を全面に押し出すことで、論者は必ず何らかの立場性を帯びてしまわざるをえないことを強調し、「ポストモダン神学」を名乗るカプートに残存する西洋的立場についての無自覚性を批判した。
発表時間20分
発表要旨『宗教研究』第95巻別冊(日本宗教学会、2022年3月、2頁(33~34頁))
15 納富信留教授・藤原聖子教授・加藤和哉教授へのコメントコメント 2021-11-00東京大学東アジア藝文書院、連続シンポジウム「世界哲学・世界哲学史を再考する」第6回「世界哲学と宗教」(オンライン開催) 納富信留他編『世界哲学史』全9巻(筑摩書房)の刊行を受けて開催されているシンポジウムでコメンテーターとして問題提起を行った。「世界」という仕方での「俯瞰」の欲望は自己を「中心」に位置づけて「辺境」を抑圧することになると指摘した上で、「辺境」を視野にいれようとするのであれば、世界哲学の試みは自己を「辺境」として現実に(政治・経済的に)受け入れていく必要があるのではないかと論じた。
コメント時間15分
16 カント『純粋理性批判』における〈Glauben〉と〈pragmatisch〉(パネル「虚実性の宗教哲学―宗教概念の死後の生」(代表者:根無一行))口頭発表(パネリスト) 2022-09-00日本宗教学会第81回学術大会(於愛知学院大学、名古屋市、オンライン開催) 「Ⅱ.学術論文(12)(13)」のもとになった発表。「信」や「祈り」というものの宗教哲学的思索にとって、カント『純粋理性批判』「規準論」における〈Glauben〉と〈pragmatisch〉という概念が手がかりになるという点を強調した。
発表時間20分
発表要旨『宗教研究』第96巻別冊(日本宗教学会、2023年3月、2頁(33~34頁))
17 フランス現象学と「宗教哲学」―ポストコロニアル的視点からの再考口頭発表 2023-03-00龍谷大学国際社会文化研究所研究プロジェクト(「宗教概念批判以降の宗教研究に基づく人間性の探究」(研究代表者:古荘匡義))研究会(於龍谷大学響都ホール校友会館、京都市) 宗教哲学が手にする「宗教」概念とは西洋近代知の覇権によるものだという自覚は宗教哲学を「ポストコロニアル」に向き合わせる。この問題意識のもと、宗教哲学のいわば「ポストコロニアル的転回」を描いていくためにジャン・ジュネのテキストに注目し、サルトル『聖ジュネ』を「主体化」のではなく「脱主体化」の物語として読み替えながら、パレスチナの無名の死者たちの固有性をジュネがパフォーマティヴに語っていることを論じた。
発表時間55分
18 置き去りにされたパレスチナ人たち―ポストコロニアルの宗教哲学へ 口頭発表 2024-03-00宗教哲学会第16回学術大会(於京都大学、京都市) 現代宗教哲学はアウシュヴィッツを特権的参照項にしてきたが、それは欧米諸国が「パレスチナ」を置き去りにしてきた歴史と重なる。ところで究極的思索たろうとしてきた宗教哲学は「真」の境地に至れない者を「置き去り」にしてきた部分がある。宗教哲学におけるその事態を「宗教概念論」を参照してポストコロニアル的周縁として捉えるならば、「パレスチナ」という固有名が浮かび上がるのではないかと論じた。
発表時間45分
以上18点

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