教育研究業績の一覧

脇坂 真弥
A 教育業績
教育実践上の主な業績 年月日概要
1 教育内容・方法の工夫(授業評価等を含む)
1 双方向の授業の工夫 2003-04-08 ~ 大人数授業でも個別の質問を受け入れ、学生の関心や教員の説明不足をフォローできるように、授業後に自由な質疑応答の時間を約10分設けた。その場で学生の質問に答えるだけではなく、説明不足が判明した箇所については次回授業で補足資料を作成して全員に説明を行う。優れた質問については個人的に応答のレポートを返し、質問者とのやり取りを資料にして授業の流れに盛り込む場合もある(下の「2.作成した教科書、教材、参考書」の欄をご覧下さい)。
2 個人研究室の開放・学生相談 2007-10-01 ~ 学生相談室の相談員になると同時に、オフィスアワー以外にも面談できるように、そのつど時間を決めて研究室を開放した。「倫理」の授業を担当し、生命倫理や具体的な人間関係の問題に授業で触れる機会が多いためか、臓器移植のレシピエントとなった学生や交友関係に問題を抱える学生、学習障害や将来の進路で悩む学生などが多く訪れ、教員として可能な範囲でその相談に乗ってきた。
2 作成した教科書、教材、参考書
1 授業内容に関する質疑応答プリントの作成 2003-04-08 ~ 上記の「1.教育内容・方法の工夫」でも書いたように、優れた質問があった場合は公開して授業の流れの中に位置づけると共に、必ず詳細なレスポンスのプリントを作成している。学生のレベルはさまざまであるため、授業内に高度な内容を取り込むことには限界もある。しかし、このような質疑応答プリントの作成によって、より優れた学生の意欲を高め、授業に積極的に参加させることができた。
2 参考資料の作成 2003-04-08 ~ 授業では教科書は用いず、ほぼ毎回引用資料や「前回の補足プリント」を作成して教材として使用している。生命倫理、環境倫理などの授業では、現在話題となっている事柄をできるだけ多く授業内に取り込み、身近な事例から考えてもらえるように、インターネットなどからニュースを引用して資料を作成する。B4用紙1~2枚のかなり分量の多い資料だが、学生の理解力や進度に合わせて柔軟な授業を行うことができる。
3 教育方法・教育実践に関する発表、講演等
4 その他教育活動上特記すべき事項
1 国家公務員試験の問題解説(思想系)作成 2003-09-20
~2014-03-31
国家公務員試験の問題解説(思想系)作成を毎年行っている。
B 職務実績
C 学会等及び社会における主な活動
所属期間及び主な活動の期間 学会等及び社会における主な活動
1 1992-04-00~0000-00-00 宗教哲学会
2 1995-04-00~2004-03-00 日本シェリング協会
3 1995-04-00~0000-00-00 日本宗教学会
4 1999-04-00~0000-00-00 大谷大学哲学会(2004年3月~2014年3月までは退会)
5 2001-04-00~0000-00-00 宗教倫理学会
6 2006-04-00~0000-00-00 「依存症からの回復研究会」(アメリカのアルコホーリクス・アノニマスメンバーであるジョー・マキューが実践した『アルコホーリクス・アノニマス』の「12ステップ」のプレゼンテーションを伝え、依存症者の回復を手助けする研究会。横浜市内に「セレニティハウス」を設立)に参加し、『ビッグブックのスポンサーシップ』『回復の「ステップ」』『RD12ステップガイドブック』などの翻訳にボランティアとして積極的に関わっている。
7 2007-04-00~0000-00-00 日本倫理学会
8 2011-04-00~0000-00-00 日本宗教学会 評議員
9 2014-09-00~0000-00-00 宗教哲学会 編集委員
10 2014-09-00~2016-03-00 宗教倫理学会 評議員
11 2017-04-00~0000-00-00 宗教哲学会 理事
12 2019-04-00~0000-00-00 宗教哲学会事務局
D 研究活動
著書、学術論文等の名称単著、
共著の別
発行又は
発表の年月
発行所、発表雑誌等
又は
発表学会の名称
概要
Ⅰ著書
1 宗教の根源性と現代(第1巻)共著 2001-03-00晃洋書房 概要:依存症からの回復の特徴は、「なぜ私が」という苦しみと「この病は賜物である」という自覚とがいずれに解消されることもなく一人の人間の内に保たれる点にある。そこには自力的な意志の破綻と、どこまでも異物として残る苦しみに根ざした新たな自己肯定が見られる。本稿ではベイトソンの思想を手掛りに、依存症からの回復がこうした「どうにもならないこの私こそ真の私である」という自分自身に対する宗教的とも言いうる自覚に支えられていることを明らかにする。
[総頁数 294頁]
[本人担当 210頁~225頁、第三部第二章「意志の破綻と自己肯定―アルコール依存症からの回復を手掛りにして―」、編者:長谷正當・細谷昌志、分担執筆者:杉村靖彦、岩田文昭、氣多雅子、神尾和寿、長谷正當、棚次正和、松田美佳、北野裕道、中村生雄、松本直樹、荒井優、脇坂真弥、宮永泉、松岡由香子、佐藤幸治、谷口静浩]
2 「いのちの思想」を掘り起こす―生命倫理の再生に向けて共著 2011-10-00岩波書店 概要:本稿はウーマン・リブ運動の中心的存在だった田中美津の体験と思想から、彼女が自覚した「いのち」の意味を探る。この自覚は、私が私であることが根源的な偶然性に支配されていると知ることであり、このような知を他人は肩代わりできない。しかし他人もまたその人の偶然性を背負っているのであり、それに気づく瞬間、自他の現在を生み出している「いのち」への畏敬と、同じ「いのち」に支えられた他人との出会いを求める祈りが生じる。
[総頁数 243頁]
[本人担当:59頁~104頁、第二章「田中美津論―「私という真実」を生きるということ―」、編者:安藤泰至、共著者:安藤泰至、脇坂真弥、佐藤純一、高草木光一、香川知晶]
以上2点
Ⅱ学術論文
1 カントにおける意志の自由と自然の問題―道徳論から宗教論へ―単著 1995-04-00『宗教哲学研究』
第12号(京都宗教哲学会編)
概要:本稿では、カントの『実践理性批判』における意志の自律と『宗教論』における選択意志の自由の問題を比較することにより、カントの自由論の根底にある「自然」の問題を明らかにする。この「自然」概念は、カントが堅持しようとする自由(人間の自律的・理性的選択)の究極に、それを超える謎めいた働きが存在することを示唆している。
[総頁数   頁]
[本人担当 83頁~95頁]
2 カントとシェリング
―人間的自由の問題を巡って―
単著 1996-06-00『理想』第657号
「特集 シェリング・哲学と宗教」
(理想社編)
概要:自由な行為の底には明晰な理性によっては割り切れない不可思議な剰余としての「自然」の働きがある。カントは悪をも為すような人間の自由をこの自然に関連させる。他方、シェリングはこの自然を人間の自己意識の暗い出自、人間の生命の根源として探究する。人間が感じる「生そのものの不安」はこの暗い自然に由来しており、人間における悪の問題の解決は、最終的にはこのような不安を鎮めることによってしか可能にならない。
[総頁数  頁]
[本人担当 79頁~89頁]
3 シェリングにおける根底と無底―「根底」の二つの性質と「根底」の他者を巡って―単著 1996-07-00『シェリング年報』第4号 (日本シェリング協会編) 概要:本稿では、『人間的自由の本質』においてシェリングが示唆する「根底(自然)」と「無底」との関係を手掛りとして、人間精神の暗い我性と悪の問題について論じた。シェリングによれば、常に「自分だけ」で存在したいと望む「根底(自然)」の高ぶりは人間の意志にそのまま引き継がれており、このような高ぶりはある絶対的な否定(無底)を受けることによって初めて鎮まり、再生する可能性があるとされている。
[総頁数  頁]
[本人担当 73頁~82頁]
4 カントの自由論―二つの自由概念と自由の根拠を巡って―単著 1998-09-00『宗教研究』第317号(日本宗教学会) 概要:カントの思想には一貫して二つの自由概念が見られる。まず意志決定における知性的根拠の存在を通じて認識される自由がある。他方、このような意志自由の可能性の制約として想定される、絶対的に無制約な自由概念が存在する。本稿はカントの各時期の自由概念をこの二つの自由の関係に基づいて整理・考察する。その上で、後者の自由の無制約性がその必然的帰結としてもたらす自由の根拠の不可解さを明らかにする。
[総頁数  頁]
[本人担当 27頁~50頁]
5 人間的自由の深淵―カントの自由概念を中心にして
(博士論文)
単著 2000-01-00京都大学 概要:カント哲学はつねに一貫して二つのタイプの自由概念を含む。一つは自律の意識(道徳法則の自覚)であり、もう一つはこの意識の可能根拠となる絶対的無制約性である。直接に把握できない後者の自由を、カントは前者の自由の意識から間接的に把握する。「為すべきであるがゆえに為し得る」とはこのような二つの自由の関係として読み解くことができる。しかし後者の自由は人間の自覚的意識の範囲を超えており、明瞭な自己意識(光)が生じると共に闇となって隠れる。カントの自由論は単純な厳格主義ではなく、倫理的善の源はこのような闇であり、善はその出自を通じて生の不安や悪の問題につながっている。
6 行為と法則単著 2000-03-00『哲學論集』 第46号(大谷大学哲学会) 概要:感性に左右されることなく理性の法則に基づいて行為することが「善」であるとするカントの主張はあまりにも厳格主義的だと批判される。しかし、人間の行為にはこのように純粋な、感性から完全に独立したと言いうる倫理的規範が、それを守れるか否かは別としてたしかに存在する。本稿はこの規範を行為の有意味性を支える基盤、人間のあらゆる行為に内在する基盤として捉え、悪の問題はこの規範の確立があってはじめて把握可能であることを明らかにする。
[総頁数  頁]
[本人担当 44頁~55頁]
7 自由と法則―カントの道徳論を手掛りにして―単著 2001-04-00『哲學研究』第571号(京都哲学会編) 概要:カントは人間の自由をひとつの能力として、すなわち理性の事実たる道徳法則に人間が自律的に従う力として確立する。しかし、この自律が失敗し、法則に背いて自由を失う可能性もまたある。確実に自律し得るはずの理性がなぜ無能力に陥るのか。本稿は法則の生成と理性の生成とを表裏一体の出来事として捉え、理性の無能力をめぐるパラドックスを浮き彫りにする。さらに、このパラドックスが人間の自由に関する探究の限界をもたらしていることを考察する。
[総頁数  頁]
[本人担当 81頁~106頁]
8 セルフヘルプ・グループにおける「共感」の意味―アルコホリクス・アノニマスを手がかりにして―単著 2004-03-00『東京理科大学紀要(教養篇)』第36号 概要:本稿ではアルコール依存症者の自助グループ(AA)の共同設立者の間に見られる共感が、通常考えられるような「アル中同士の体験内容の一致」ではないことを明らかにする。Xの言葉がYに届いてYを変える時、両者は互いの体験の類似性を確認しているのではない。それはむしろYの体験が体験としてはじめて形をなし、Xに呼応してY自身の言葉が生成する瞬間である。この時、Yにはじめて「私はただの一人のアル中だ」という自覚が生まれ、それが依存症からの回復の入り口となる。
[総頁数  頁]
[本人担当 193頁~205頁]
9 カントの動機論―倫理的意志決定の内実をめぐって(一)単著 2005-03-00『東京理科大学紀要(教養篇)』第37号 概要:カントは「道徳法則の『意識』が道徳法則に従うための動機である」と主張する。法則を意識するということは、目の前にある石を石として認識することとは根本的に違う。それは法則が私に「直接に命令を下している」と意識すること、法則の威信を認知することである。本稿ではカントの動機論の分析を通じて、このような「法則の意識」の意味を明らかにする。
[総頁数   頁]
[本人担当 181頁~193頁]
10 カントの動機論―倫理的意志決定の内実をめぐって(二)単著 2007-03-00『東京理科大学紀要(教養篇)』第39号 概要:本稿では(一)に引き続き、「法則に対する服従の意識」である「尊敬の感情」を、A.リースの分析を手掛りに考察する。尊敬の感情においてカントは法則と人間のうぬぼれの対立を論じているが、この対立は意志に対する両者の直接的影響力の争いではなく、意志に対する両者の「権限の主張」として展開される。この考え方は『宗教論』における選択意志の自由に通じる重要なポイントである。
[総頁数   頁]
[本人担当 99頁~115頁]
11 表現としての飲酒―AA誕生時に見られる自覚の伝達を巡って単著 2008-03-00『宗教哲学研究』第25号(京都宗教哲学会編) 概要:AA(アルコール依存症者の代表的自助グループ)誕生のきっかけは、二人の依存症者(ビルとボブ)の出会いにあるが、そこで鍵となったのは「自分が飲まずにいるために他のアル中を助ける」というビルの奇妙な利己的態度だった。本稿ではこの態度の意味を考察し、アルコール依存症を「話し方の病」として理解する。その上で、彼らの回復を支える「霊性」がつねに限定的に「道具」として用いられている点を明らかにする。
[総頁数   頁]
[本人担当 54頁~70頁]
12 シモーヌ・ヴェイユの工場体験単著 2009-10-00『宗教と倫理』第9号(宗教倫理学会) 概要:ヴェイユは工場労働で「人間が物になる」という非人間的状況を体験するが、周囲はそれをあくまでも普遍性のない個人的体験と捉え、彼女は自分自身にさえこの体験の意味をうまく表現することができずにいるように見える。これはなぜか。本稿ではヴェイユの論述の分析を通じて、非人間的状況に陥った当事者が尊厳喪失の共犯者となる仕組を明らかにする。さらに、この状況の中で彼女が見出したもう一つの「尊厳」を考察する。
[総頁数   頁]
[本人担当 3頁~18頁]
13 シモーヌ・ヴェイユにおける人間の尊厳の問題単著 2013-03-00『東京理科大学紀要(教養篇)』第45号 概要:本稿ではヴェイユが工場労働を通じて失った尊厳と見出した尊厳を、その経緯を追って考察する。人間の自由はヴェイユが言う「盲目的メカニズム」によってあらかじめ形骸化されており、尊厳を失うか否かは当事者の努力を超えてある種の究極的な運に支配される。しかし、そのようにして尊厳が失われる時、人間に「物となって従順に生きる」という可能性が開かれる。ヴェイユはここに人間が人間である真の所以を、すなわち新しい尊厳を見る。
[総頁数  頁]
[本人担当 209頁~228頁]
14 知覚・労働・科学――シモーヌ・ヴェイユ「デカルトにおける科学と知覚」から――単著 2013-09-00『宗教研究』377号(日本宗教学会) 概要:本稿ではヴェイユの初期の科学論文を検討し、後の「盲目的メカニズム」としての世界観や神と人間の関係を読み解く準備とする。この論文で彼女は「力」を根源的現象とし、人間と事物を共に力の網の目に生じる結節点として捉える。しかし、同時に人間は想像力によってこの力を自覚的に用い(労働)、それによって自分を世界の一部として見出す。真の科学はこのような「知覚する労働」の延長線上にあると彼女は結論する。
[総頁数   頁]
[本人担当 155頁~182頁]
15 神秘の喪失――シモーヌ・ヴェイユの科学論から単著 2014-03-00『宗教哲学研究』第31号(宗教哲学会) [概要]:ヴェイユは科学を「無限の誤差と引き換えに数学を世界に適用し、その『無償の報酬』として手放したはずの世界をなぜか再び与えられるという神秘」として理解する。本稿は古典科学から現代科学への変化に対するヴェイユの考察を分析にすることにより、彼女が現代科学の問題をこうした「神秘(とそれに支えられた真理)の喪失」として捉えていたことを明らかにする。
[総頁数  頁]
[本人担当 61頁~79頁]
16 シモーヌ・ヴェイユにおける「無行為の行為」の概念単著 2017-02-28大谷大学哲学会『哲學論集』第63号 ヴェイユが晩年に重視した「無行為の行為」という概念は明らかに暴力や殺人に関わる問題を含んでいる。本論文ではこの問題を行為の無内容性という点から論じた。
[総頁数   頁]
[本人担当 1頁~15頁]
以上16点
Ⅲ 口頭発表・その他
1 シェリングとカント―自由の問題をめぐって―口頭発表(一般発表) 1995-07-00日本シェリング協会 
第4回大会
概要:カントが論じた人間の悪と自由の問題をさらに深く究明した哲学者としてシェリングを取り上げ、『人間的自由の本質』の論述を手掛りに、その思想をカントと比較考察した。カントが人間理性の奥底に見出した「自然」概念を、シェリングは世界と人間が生成する際のダイナミックな運動原理として捉えていることを示した。
[発表時間 30分]
2 カントの宗教哲学―道徳法則と幸福との関係を手掛りにして―口頭発表(一般発表) 1996-09-00日本宗教学会 
第55回学術大会
概要:カントはその倫理学において幸福と道徳を相容れないものとして理解していると、しばしば論じられる。本発表では、幸福に関わるカントの諸概念の分析を通じて、このような従来の解釈とは逆に両者が結びつく可能性を考察すると同時に、両者の媒介が堕罪や悪の問題へと展開する可能性を示した。
[発表時間 20分]
[要旨掲載雑誌名 『宗教研究』311号(日本宗教学会)、1997年3月、69頁~70頁]
3 カントの宗教哲学―超越論的自由と実践的自由の関係から―口頭発表(一般発表) 1997-09-00日本宗教学会 
第56回学術大会
概要:行為の自由を論じるということは、人間を焦点にして世界全体を問う一つの方法である。本発表では『純粋理性批判』における超越論的自由と実践的自由の関係を取り上げ、超越論的自由の完全な無制約性が倫理的悪として世界に現れている可能性を示し、そこに見られる奇妙な世界の歪みを考察する。
[発表時間 20分]
[要旨掲載雑誌名 『宗教研究』315号(日本宗教学会)、1998年3月、137頁~138頁]
4 書評『カント哲学とキリスト教』(氷見潔)書評 1997-12-00『宗教研究』314号(日本宗教学会) 概要:本書はカントの『たんなる理性の限界内における宗教』の全体像を、原罪論、キリスト論、教会論、教会批判という観点から詳細に検討する。この検討をもとに、筆者は、カント哲学にとって歴史的現実(既存のキリスト教教義学)の批判的吟味は必須の課題であったこと、またその遂行過程に近代の理性的主体としての人間の「敬虔さ」の優れたモデルを見出すことができることを主張している。
[総頁数 7頁]
[本人担当 206頁~212頁]
5 <私>の痛みの唯一性を巡って口頭発表(一般発表) 2001-11-00宗教倫理学会 
第2回学術大会
概要:この世に私と同じ体験を持つ人間は一人として存在しない。しかし、人間同士の「共感」は事実存在しており、それは類似の体験を全く共有しない者の間ですら可能である。本発表は、このような共感の原理的可能性を、他者を「理解できない」ということを「理解し続ける」という倫理的あり方の中に探り、他者に生じている出来事の内容ではなく、その生起そのものに耳を傾ける姿勢として考察した。
[発表時間 30分]
6 心理療法における共感と宗教口頭発表(一般発表) 2003-09-00日本宗教学会 
第62回学術大会
概要:アルコール依存症者の自助グループであるAAは、劇的な「霊的体験」を経て断酒に成功したビルがもう一人の依存症者ボブと出会ったことから始まる。本発表ではこの出会いの核心を表現したボブの発言―「彼[ビル]は私の言葉を語った」―に着目し、そこにそれまでは存在しなかったボブ自身の「私の言葉」の生成を見る。この「私の言葉」こそが彼の自覚を形成し、回復への入り口となるのである。
[発表時間 20分]
[要旨掲載雑誌名 『宗教研究』339号(日本宗教学会)、2004年3月、420頁~421頁]
7 AAにおける「語り」と「癒し」(テーマセッション「宗教と心理療法の相互内在性—宗教哲学的・思想史的視点から」)口頭発表(シンポジウムのパネル) 2005-06-00「宗教と社会」学会
第13回学術大会
概要:「当事者が語る」ということにはさまざまな形があるが、AAにおいては、アルコール依存症者がもう一人のアルコール依存症者に対して語るという形が基本である。このような当事者同士の対話がなぜ依存症からの回復につながるのかを、AA共同創設者の一人であるビルの「言行一致」に着目しながら考察する。
[発表時間 20分]
8 語ること/聞くこと―AAにおける「癒し」の形(企画パネル「問題のわかちあいから生み出されるもの—小集団の宗教性の研究」)口頭発表(シンポジウムのパネル) 2005-09-00日本宗教学会 
第64回学術大会
概要:AA成立に関わる出来事を手掛りに、共苦や共同体成立の基本にある「言葉が通じ合う」ということの意味、言葉が通じ合う時、要するにそこで何が理解されているのか、さらにはAAにおいてなぜ「霊性」という宗教的な言葉が用いられる必要があるのかを明らかにする。
[発表時間 20分]
9 ヴェイユとカント口頭発表(一般発表) 2007-09-00日本宗教学会 
第66回学術大会
概要:カントの「道徳法則による直接の意志規定」、「法則への自由な服従」、「法則への純粋な関心」を、ヴェイユの「注意」、「同意」、「絶対善への欲求」と比較し、そこに興味深い対応関係があることを明らかにする。
[発表時間 20分]
[要旨掲載雑誌名 『宗教研究』355号(日本宗教学会)、2008年3月、193頁~195頁]
10 シモーヌ・ヴェイユの宗教哲学口頭発表(一般発表) 2008-09-00日本宗教学会 
第67回学術大会
概要:ヴェイユの人格概念と「善への欲望」をとりあげ、この欲望への応答の可能性が、苦しみに意味を与える通常の応答とは全く異なるものであることを考察する。
[発表時間 20分]
[要旨掲載雑誌名 『宗教研究』第359号(日本宗教学会)、2009年3月、110頁~112頁]
11 シモーヌ・ヴェイユの工場体験口頭発表(一般発表) 2009-09-00日本宗教学会 
第68回学術大会
概要:ヴェイユが工場労働で経験した「人間が物になる」という状況を、彼女が繰り返し言及する「2つの尊厳」という観点から考察する。
[発表時間 20分]
[要旨掲載雑誌名 『宗教研究』363号(日本宗教学会)、2010年3月、250頁~251頁]
12 「私という真実」を生きる―田中美津の「とり乱し」論口頭発表(シンポジウムのパネル) 2009-11-00日本生命倫理学会
第21回年次大会
概要:田中美津はリブ運動の中心であった時代から鍼灸師となった現在に至るまで繰り返し「自分以外の何者でもない者」として「私という真実」を生きると語っている。しかし、それは単純な自己肯定ではない。彼女が言う「私という真実」は、自分がある偶然の歴史を背負った人間としてすでにこのように存在してしまっているという事実を指している。「とり乱し」とは、この事実に出会った驚きを言うのである。
[発表時間 20分]
13 宗教学事典共著 2010-10-00丸善出版 概要:狂気をめぐる複雑な歴史は、狂気がすぐれて関係的に成立する概念であることを示している。近代以降、狂気は正しい精神からの逸脱(異常)として「精神の医療」の対象となった。そして現代、狂気の概念は従来の精神的疾病の枠を超えて「正常」な人間の不安や苦しみにまで拡散している。かつて宗教や哲学が扱っていた人間の不安や苦しみが医学的治療対象になりつつある現代の状況は、宗教と「精神の医療」の双方に混乱と課題を突きつけている。
[総頁数 760頁]
[本人担当 426頁~427頁、担当項目 「狂気」、編者:星野英紀、池上良正、氣多雅子、島薗進、鶴岡賀雄 (分担執筆者は非常に多人数のため記入を省略しました)]
14 シモーヌ・ヴェイユにおける「動機」の問題口頭発表(一般発表) 2012-03-00宗教哲学会 
第4回学術大会
概要:ヴェイユは自らの工場体験に基づき、「奴隷状態に陥ることはあらゆる人間に起こりうる」と主張する。彼女がこのように考える理由は何か。本発表ではヴェイユが体験した「尊厳の喪失」を、カントが論じた「自由な動機選択」という観点からくわしく考察する。
[発表時間 30分]
[要旨掲載雑誌名 『宗教哲学研究』30号(宗教哲学会)、2013年3月、123頁~124頁]
15 宗教的「いのち」観の危機と課題口頭発表(シンポジウムのパネル) 2012-09-00日本宗教学会 
第71回学術大会
概要:これまで人間に自らの傲慢を自覚させ、生命の根源への回帰を促していた「人間の有限性」が、科学技術の発展と共に現在非常に不気味な形で消えつつあるように思われる。私たちがこれまでとは違う「いのち」の危機を感じる背景にはそのような漠然とした不安があるのではないか。「死生の文化の危機」がどこで、どのような仕方で生じているのかを、予断を持たずにもう一度はっきりと見極める必要がある。
[発表時間 15分]
[要旨掲載雑誌名 『宗教研究』375号(日本宗教学会)、2013年3月、91頁~97頁]
16 なぜ<私>なのか—カントからヴェイユへ口頭発表 2014-06-05大谷大学西洋哲学・倫理学会 春季公開講演会 概要:カント、アルコール依存症の自助グループ(アルコホーリクス・アノニマス)、田中美津、シモーヌ・ヴェイユといった一見まったく異なる思想家やグループに通底する問題意識を、「なぜ私なのか」「なぜ私だけが苦しむのか」という観点から掘り起こし、考察する。
[発表時間 1時間]
17 シモーヌ・ヴェイユの科学論口頭発表(一般発表) 2014-09-00日本宗教学会
第73回学術大会
概要:ヴェイユの思想は世界と人間のあり方すべてを包括する「全体」を希求している。本発表では、その一例として「外周円を決して越え出ない直角三角形の忠実さ」と「不正行為を控える人間の忠実さ」との類比関係を取り上げ、人間の悪の問題を彼女がどのように捉えていたかを明らかにする。
[発表時間 20分]
[要旨掲載雑誌名 『宗教研究』]
18 シモーヌ・ヴェイユにおける「無行為の行為」の概念口頭発表(一般発表) 2016-09-00日本宗教学会第75回学術大会 概要:ヴェイユが晩年に展開した「無行為の行為」という概念を、我意(je)の破壊に同意した人間の行為という観点から考察する。
[発表時間 20分]
[要旨掲載雑誌名 『宗教研究』90巻別冊(日本宗教学会)、2017年3月、199頁~200頁]
19 《私》という偶然をめぐって口頭発表 2017-05-00大谷学会 春季講演会 概要:私がこの《私》であることの根幹は、じつは「たまたま」でしかないのではないか。この偶然はいわば究極の「格差」であり、あらゆる苦しみと残酷の源であると同時に、何か途方もない豊穣の源でもあるように思える。この発表では、この偶然が何をもたらすかとともに、この偶然を共有するとはどういうことかを軸に考察を行う。
[発表時間 1時間]
20 シモーヌ・ヴェイユにおける「無行為の行為」の概念
口頭発表 2017-06-00第11回大阪市立大学哲学研究会 概要:ヴェイユの「無行為の行為」は、カント倫理学における「動機の純粋性(無内容性)」とも重なる興味深い概念である。また、私たちは通常の道徳においてもしばしば「無私」「私(心)のなさ」ということを語る。本発表ではヴェイユという思想家の紹介も兼ねつつ、彼女が晩年に展開したこの概念について、善悪との関係から考察を行う。
[発表時間 2時間]
21 シモーヌ・ヴェイユにおける「無行為の行為」の概念
口頭発表 2017-06-00大谷大学哲学会 春季研究会 概要:あらゆる私的な動機から離れて(=神に真に従って)行為するならば、人間は「どのようなことでもしてよいということになるか」。ヴェイユは晩年、このように自問している。本発表では、この問いをめぐって彼女の「無行為の行為」という概念を考察する。
[発表時間 1時間]
22 シモーヌ・ヴェイユの宗教哲学―「注意」の概念を手掛りにして―口頭発表(一般発表) 2017-09-00日本宗教学会第76回学術大会 概要:「意志」を肯定するアランの哲学に対して、その弟子であるヴェイユは人間の根本的な無力を自覚し、じっと見つめて待つ「注意」の能力に注目する。本発表では、ヴェイユの「注意」の概念の中でも、「知的な注意」というレベルに関して考察する。
[発表時間 20分]
23 《私》という偶然をめぐって(2017年度 春季公開講演会講演録)単著 2017-11-00大谷学報 第97巻 第1号 概要:2017年5月に行った講演を元に、私がこの《私》である偶然を、他人には決して代わることのできない私の尊厳の核心として明らかにする。さらに、このような決して共有できない《私》を背負いつつも、分断されることなく私たちが《共に》生きる可能性について考察する。
[総頁数  頁]
[本人担当 49頁~71頁]
24 「人間の尊厳」という概念について―最近の研究動向と今後の展望口頭発表 2019-03-00大谷大学哲学会春季研究会 本発表では、まず「人間の尊厳」概念が注目されている現状(この概念の多様化やそれに伴う問題点等)を確認し、これまで哲学においてこの概念がどのように捉えられてきたかを概観した。その上で、尊厳に関する新たな視点として、R.Stoeckerによって提示された「尊厳の社会的コンセプト」と、M.Sandeの「生の被贈与性の承認」という主張を確認した。最後に、「聾者」と聞こえる者との間にある根源的な不均衡をひとつの例としつつ、「人間の尊厳」をめぐる根本的問題を浮き彫りにすることを試みた。
以上24点

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