教育研究業績の一覧

佐藤 愛弓
A 教育業績
教育実践上の主な業績 年月日概要
1 教育内容・方法の工夫(授業評価等を含む)
2 作成した教科書、教材、参考書
1 『日本古典文学を読む』(和泉書院) 2003-03-00 ~ 日本古典文学史における重要事項についてわかりやすく解説した大学生向けの教科書である。解説を理解するための補助事項を欄外で説明し、古文の本文の一部を下段に示すなど、わかりやすく、古典文学に親しめる内容になるよう工夫している。(p32~p33、p74~p75、p148~p149、p194~p195を佐藤が担当)三村晃功、寺川眞知夫、廣田哲通、本間洋一、佐藤愛弓、柴田芳成、中前正志、中村理恵、橋本正俊、牧野和夫、本井牧子、吉本眞紀子
2 本の装丁見本 2005-09-00 ~ 文化財学の授業で、和本の装丁を学生たちに作らせる授業を行い、説明のために見本を制作した。制作段階の説明のため制作途中の見本も作り、和本の作り方や扱い方がわかるように工夫した。
3 共同歌集『初音』1号~7号 2007-04-00
~2014-03-00
学生が1年間の授業で作った短歌から、テーマにそって1人30首選びグループ歌集を作成した。授業に参加した学生全員に配布した。
3 教育方法・教育実践に関する発表、講演等
4 その他教育活動上特記すべき事項
B 職務実績
C 学会等及び社会における主な活動
所属期間及び主な活動の期間 学会等及び社会における主な活動
1 1994-04-00~0000-00-00 仏教文学会会員 2022年より委員
2 1994-04-00~0000-00-00 説話文学会会員
3 1994-04-00~0000-00-00 中世文学会会員
4 2018-04-00~0000-00-00 説話伝承学会委員
D 研究活動
著書、学術論文等の名称単著、
共著の別
発行又は
発表の年月
発行所、発表雑誌等
又は
発表学会の名称
概要
Ⅰ著書
1 中世真言僧の言説と歴史認識 単著 2013-02-00勉誠出版 鎌倉時代末期から南北朝期という変革の時代に、後醍醐天皇や室町幕府といった世俗権力と積極的に関わりつつ、自らの法流を守り伝えた真言僧栄海。その政治的・宗教的活動を支えたのは、連綿と伝えられる「知」の宝庫たる文庫であった。栄海が編纂した説話集『真言伝』を中心に、栄海の活動を時代や社会との関わりのなかで検討し、当時の歴史認識と歴史を物語ることの意味を明らかにした。
(全720頁)
以上1点
Ⅱ学術論文
1 『真言伝』における往生ということ 単著 1995-03-00『仏教文学』(仏教文学会)第19号
説話集『真言伝』は『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』との共通話が多く、従来は院政期の散逸説話集との関係で論じられることが多かった。だが『真言伝』は鎌倉時代末期に真言僧栄海が編纂したものであり、そこには鎌倉時代末期なりの編纂動機があったと考えられる。そこで『真言伝』とその典拠資料を比較してゆくと、典拠となった資料とは、明らかに異なる世界像をめざしていることが判明する。
12p(pp.76~87)
2 『釈門三十六人歌仙絵』の構想について 単著 1997-03-00『女子大文学』国文篇(大阪女子大学国語国文学会)第48号 『真言伝』の編纂者として知られる栄海が晩年、絵巻『釈門三十六人歌仙絵』を編纂したことはあまり論じられてこなかった。『釈門三十六人歌仙絵』は三十六人の高僧の詠歌と肖像を描いた珍しい歌仙絵である。本稿では、序文の分析をとおして、この歌仙絵を栄海の編纂意図について考察した。序文からは、栄海が三十六人の高僧を大日如来の化身と考え、和歌を真言と捉えていることがわかる。
13p(pp.15~27)
3 栄海の著作活動としての『真言伝』 単著 1997-06-00『説話文学研究』(説話文学会)第32号
栄海の生涯についてはこれまで全く不明とされていた。本稿では、東寺観智院聖教に記された栄海の識語を集め、年代順に並べることによって栄海の生涯をさぐった。この作業によって、栄海が三十代で鎌倉に下向していることや、四十代で後醍醐天皇の師となり、後醍醐天皇の命によって護摩を行じていることが判明した。『真言伝』の内容はそのような栄海の活動と密接に繋がっていることがわかった。
10p(pp.59~68)
4 『真言伝』における仏法と王法―その宣揚の文脈について― 単著 1999-02-00『唱導文学研究』第2集(三弥井書店)
『真言伝』には、どのような意図で、配置されているのかわからない説話がある。貞崇が巨大な亀に出会い、その亀が空に飛び去ったとする説話もその一つである。本稿では年号に注目し、前後の説話との関連を考証することによって、その亀が北野天神の化身として記されており、道真の怨霊による内裏落雷事件の予告として布置されていることを明らかにした。そして『真言伝』巻五には、道真の怨霊と対決する密教僧の姿を宣揚する文脈があることが判明した。
19p(pp.110~128)
5 『真言伝』における相応伝の形成 単著 2001-02-00『唱導文学研究』第3集(三弥井書店)
平安時代の僧相応は、世間に出て加持祈祷をすることを嫌った僧として知られている。『真言伝』は僧伝資料『相応伝』を典拠として記事を構成しているが、よく記事を比較すると、世間に出ることを厭う場面を削除し、逆に貴族のために加持祈祷をして名声を得る場面のみを採用していることがわかった。『真言伝』は、相応を貴族や国家のために祈る高僧として描こうとしているのである。
12p(pp.112~133)
6 中世の高僧伝(僧伝から高僧伝へ)―『真言伝』と『元亨釈書』―(シンポジウム「僧伝の系譜」) 単著 2001-03-00『仏教文学』(仏教文学会)第25号
高僧伝というジャンルは中国では多く編纂されたが、日本では三作品しか作られなかった。その内の二つ『真言伝』と『元亨釈書』は、ほぼ同時期に編纂されている。調べてゆくと『真言伝』を編纂した栄海と、『元亨釈書』を編纂した虎閑師練はいずれも、後醍醐天皇と深い関わりを持つことが判明した。これらのことからは、中世における高僧伝の編纂には、この時代の国家や天皇の存在が大きく作用していたことが判明した。
10p(pp.9~18)
7 (博士論文)真言僧栄海における文学―『真言伝』を中心として―
単著 2001-03-00名古屋大学 『真言伝』の読解を中心に、栄海の生涯に関する情報や、『釈教二十六人歌仙絵』の編纂について、多角的に考察した博士論文。
第一章『真言伝』の文献学的研究
第二章『真言伝』の本文の特徴について
第三章慈尊院栄海の活動
栄海の作品世界が、彼の生きた激動の時代と深く関わっていることを論じた。
(全146頁)
8 『真言伝』における浄蔵伝の形成について 単著 2002-07-00『名古屋大学国語国文学』(名古屋大学国語国文学会)第90号
浄蔵は説話文学の世界には多くの逸話で知られる僧である。身分の隔たりなく多くの庶民を救ったとされている。しかし『真言伝』の記事を分析していくと、『真言伝』が典拠資料である往生伝にあった、貧者救済の場面を一切取り入れていないで記事を構成していることがわかった。これによって『真言伝』は浄蔵を、往生伝とは全く異なる人物として描いていることが判明した。
16p(pp.31~46)
9 真言僧栄海における天狗像―『杲宝入壇記』を中心として― 単著 2003-06-00『説話文学研究』(説話文学会)第38号
東寺観智院所蔵の『杲宝入壇記』には栄海の見た夢が記されている。その記事からは、栄海の夢に天狗が現れ、栄海がその頭を七つに砕いて退治したと書かれている。本稿では「頭を七つに砕く」という特異な表現に注目し、栄海における「天狗」のイメージについて考察した。調べてゆくと「頭を七つに砕く」という表現が密教経典の中で、邪鬼を払う時に使われていることが判明した。そこから天狗は、密教修法で払われる邪鬼と重ねられていたことがわかった。
10p(pp.34~43)
10 灌頂と夢想―『杲宝入壇紀』を中心に― 単著 2003-10-00『SITES 統合テクスト科学研究』(名古屋大学大学院文学研究科COE)VOL.1、NO.2
COEのテーマである「統合テクスト科学の構築」の一環として、伝法灌頂という密教儀礼を記録した『杲宝入壇記』の、テクストとしての性質について論じた。真言密教にとって、伝法の儀式は非常に重要なものであり、「入壇記」、「灌頂記」は、その流派の正統性を保証する書であった。またそこに記されていた栄海の夢の記述は、この伝法の正統性を保証するものとして僧坊の中で機能したと考えられる。
22p(pp.137~158)
11 真言僧における夢の機能について―灌頂の場を中心に― 単著 2004-03-00『説話・伝承学』(説話・伝承学会)第12号
夢は、古代中世社会において、神秘世界からのメッセージであると信じられてきた。真言僧のテクストには、明恵などをはじめ、しばしば夢の記がみられる。調べてゆくと、密教の灌頂の場においては、夢を見る作法があり、そのようにして見た夢を占って、伝法灌頂に値する人物かどうかを決める儀礼があったことがわかった。このような伝統のもとに夢を記すという行為が真言僧の間で行われたと考えられる。
13p(pp.28~40)
12 栄海作題未詳講式について 単著 2004-03-00『勧修寺論輯』(勧修寺聖教文書調査団)第1号
京都市山科区にある勧修寺は、栄海が長年住んだ寺である。この勧修寺を調査したところ、これまで学会未発表の栄海の文献が多数あることが判明した。本稿では、その一つ「題未詳講式」を翻刻紹介した。この「題未詳講式」は栄海の自筆の草稿であり、栄海の作文の推敲過程が生々しく残されている。また聖徳太子や八幡宮に対する賛嘆が記されており、読解していくと、彼の説話の世界と通じるものであることが判明した。
6p(pp.71~76)
13 『伝法灌頂師資相承血脈』と『血脈類集記』 単著 2004-03-00『名古屋大学比較人文年報』(名古屋大学文学研究科比較人文研究室)第4集
血脈の基準作と著名な『血脈類集記』と、新出資料仁和寺蔵『傳法灌頂師資相承血脈』の本文を比較分析した。文献学的に分析してゆくと、この二つの資料の本文は、深い関係を持つことが判明した。この二つの資料は、共通の祖本を利用して制作されたと考えられる。また同時に仁和寺蔵『傳法灌頂師資相承血脈』のみに見られる独自部分も発見され、この資料が貴重な情報を伝えていることが判明した。
18p(pp.95~112)
14 頭を打ち砕かれる天狗―真言僧栄海における天狗像を中心に―
単著 2004-05-00『日本文化学報』(韓国日本文化学会)第21輯
天狗は日本の説話や軍記によく描かれる妖怪である。本稿では『真言伝』において、天狗がどのように描かれているかを考察した。『真言伝』における天狗説話を分析していくと、天狗が頭を隠して逃げる場面や、頭を打ちつけられて降参している場面が描かれており、天狗にとって頭を殴られることが弱点であったことがわかる。それらのことから天狗の原点のイメージには、密教経典における邪鬼が重ねられていたことが判明した。
18p(pp.115~132)
15 慈尊院栄海の活動と言説―『真言伝』の編纂まで― 単著 2005-03-00『勧修寺論輯』(勧修寺聖教文書調査団)第2号
栄海の評伝。本稿はその前半部分である。これまで文献調査を続けた結果、若い頃北条貞時に庇護されたことや、後宇多院仙洞に出入りしたこと、さらに後醍醐天皇に灌頂を授けたことが判明した。特に俗体の後醍醐天皇に灌頂を授けたことは異例であり、北朝の世となった晩年、栄海はこの事を弁明する言葉を弟子に語っている。晩年の栄海は足利幕府にも仕えており、激動の世を生き抜いた様子が明かとなった。
20p(pp.5~24)
16 慈尊院栄海における宗教と文学 単著 2006-06-00『中世文学』(中世文学会)第51号
栄海における文学が、どのような時代背景のもとで生み出されたのか、宗教活動と文学はどのように連動していたのかを考察した。東寺観智院や勧修寺には、栄海の著した聖教が多く所蔵されており、そこからは、栄海の社会的活動が窺える。晩年の栄海の著作には、戦乱で失われたものを嘆く文言が多く書かれていた。激動の時代ゆえの理想の追求と、戦乱による喪失感が、栄海の著作活動の動機の一つであったと考えられる。
11p(pp.50~60)
17 栄海作『滅罪講式』について―その本文の特徴と背景― 単著 2007-03-00『唱導文学研究』第5集(三弥井書店) 栄海が晩年に作文した『滅罪講式』の制作意図を探った。跋文の分析からは、この講式が南北朝の騒乱で死んでいった者たちの魂を救済し、怨霊になることを避けようとするものであることがわかる。これまで考察してきたように栄海は後醍醐天皇の側近く仕えていた。この講式には、後醍醐天皇とその周辺人物への鎮魂の願いがこめられていたと考えられる。
21p(pp.88~108)
18 『応長元年具支日記』について 単著 2007-03-00科学研究費基盤研究(B)「中世寺院の知的体系の研究」報告書 これまでの調査から栄海は後醍醐天皇との関わりが深い僧であったことが判明している。しかし真福寺大須文庫蔵『応長元年具支日記』からは、若き日の栄海が鎌倉幕府執権北条貞時の庇護を受けていることが判明する。この書は関東での栄海の灌頂の記録であるが、その灌頂を援助したのが北条貞時であった。また貞時に仕える関東武士や鶴岡八幡宮寺供僧たちが、活動している姿も窺うことができる。
7p(pp.146~152)
19 聖教に記された夢―慈尊院栄海の夢想記述― 単著 2007-07-00『説話文学研究』(説話文学会)第42号
東寺観智院や勧修寺には栄海の文献が多く伝えられているが、その中には彼の見た夢がたびたび記されている。それらの夢には、弘法大師や善女龍王や天狗が登場し、中世の説話世界との密接な繋がりを感じさせる。本稿では、これらの記事を紹介して、栄海の夢年譜を作成した。そしてそれらの夢想記を灌頂の夢想、修法の夢想、口伝の夢想などの要素にわけて、それぞれの夢の担っていた機能を検討した。
12p(pp.42~53)
20 慈尊院栄海の活動と言説―『真言伝』の編纂から入滅まで― 単著 2007-07-00『勧修寺論輯』(勧修寺聖教文書調査団)第3・4合併号 栄海の評伝の後半。これまで文献調査を続けた結果、これまで後醍醐天皇との関わりが多かった栄海であったが、建武の新政崩壊の後に、後醍醐天皇と行動をともにすることはなかった。およそ四年の空白期間の後、栄海は北朝のために宗教的奉仕を行う僧としての姿を現す。また「武家護持僧」とも称されており、足利幕府との関係を深めてゆく。本稿では栄海の生涯の後半の活動と、著作について考察した。
20p(pp.25~44)
21 『釈教三十六人歌仙図』の編纂について―栄海における和歌と国家― 単著 2008-03-00『仏教文学』(仏教文学会)第32号
南北朝時代に真言僧栄海によって編纂された絵巻『釈教三十六人歌仙図』について、序文に記された思想と当時の時代状況との関係を考察した。編纂当時栄海は室町幕府に仕えつつ、南北朝の騒乱で傷ついた国家の再生を祈る役割を担っていたと考えられる。また中世には和歌を、日本固有の言語として神聖視する思想があった。この歌仙絵は一種の和歌曼荼羅として意図されており、国家の安泰を祈って作られたものであることが判明した。
13p(pp.13~25)
22 『真言伝』の冒頭話について

単著 2009-03-00『文藝論叢』(大谷大学国文学会)第72号
『真言伝』の冒頭の説話は、真言密教の祖龍猛が出家前に外術を使って自分の姿を隠し、後宮に入って后を犯したとするものである。少年僧の教育にも使われ、全体に真言密教の功徳を語ることの多い『真言伝』の冒頭話が、なにゆえこのような一見不謹慎なものなのかその真意を検討した。その結果『真言伝』においてはそのような話ですら、龍猛のすぐれた資質、人並みはずれた智恵や能力を示すものとして記されていることが判明した。
14p(pp.13~26)
23 『真言伝』における仏法と王法―摂関家関係説話を中心として― 単著 2009-05-00『唱導文学研究』第7集(三弥井書店)
『真言伝』には、摂関家貴族に関する説話が多く載せられている。なかでも藤原道長は突出した存在として登場し、本来密教の力を称揚するはずの『真言伝』が、その枠組を逸脱して道長個人を賞賛している場面もみられる。それは『真言伝』が、失われた理想の時代を記そうとしているためだと考えられる。この傾向には、編者栄海が止住した勧修寺が九条家出身僧の寺であり、栄海の師信忠が九条道家の曾孫に当たる人物であることが関わっていたと考えられる。
30p(pp.107~136)
24 鳥羽宝蔵と勧修寺流 単著 2009-07-00『勧修寺論輯』(勧修寺聖教文書調査団)第5号
鳥羽宝蔵は鳥羽離宮にあった宝蔵であり、院の王権を支える宝蔵としてさまざまに論じられている。その起点となったのが『真言伝』の鳥羽宝蔵記述であるが、新史料により『真言伝』を編纂した栄海自身が後宇多法皇とともに鳥羽宝蔵を訪問していることが判明した。その栄海の主張によれば、鳥羽宝蔵の宝物は、院と勧修寺との共有物であった。本稿では発見された勧修寺側の史料を紹介しつつ、勧修寺にとって鳥羽宝蔵がどのような存在であったのかを論じた。
22p(pp.5~26)
25 大谷大学図書館蔵『小野六帖事』について―付翻刻― 単著 2010-03-00『大谷大学真宗総合研究所紀要』(真宗総合研究所)第27号 院政期から鎌倉時代にかけて、寺院では伝授に際してさまざまな口伝がなされていたと考えられる。その一部は書き留められ現在みることができるが、それらの口伝には白河院や鳥羽院に関わる説話的内容を含むものも少なくない。現在大谷大学図書館に所蔵されている『小野六帖事』は、鎌倉中期に書かれた口伝集であり、白河院や鳥羽院と近臣僧との間の逸話を伝えている。本稿では未発表のこの資料を翻刻し、仁和寺本との校合を示して、その内容を紹介した。
17p(pp.51~67)
26 袈裟と女人―真福寺大須文庫蔵『袈裟表相』を中心として―

単著 2010-07-00『説話文学研究』(説話文学会)第45号
真福寺大須文庫蔵『袈裟表相』は、従来未紹介の資料であるが、冒頭には、中国風の衣裳を着た多くの女性を、袈裟の枠内に描くという特異な図が付けられている。本文によれば、それは僧侶に袈裟を寄進した女性達の姿であるとされる。七つの袈裟功徳説話が記されており、遊女でも牛でも虫でも袈裟に触れるだけで救われる事を説く。また袈裟を寄進すれば、端正の容貌などの十の功徳を得るとしており、女性に袈裟寄進を勧めるものあることが判明した。
12p(pp.114~125)
27 真言僧における政治と文学―慈尊院栄海を中心として― 単著 2010-10-00『中世文学と寺院資料・聖教』〈中世文学と隣接諸学2〉(竹林舍) 本稿では『真言伝』の説話が同時代的にどのような意味、社会的機能を持っていたのかを考察した。鎌倉末期から南北朝時代という混乱の時代の中で、編者栄海は後宇多法皇や後醍醐天皇の側近く仕えることによって、その立場を強くしていったが、そのような場面で、故事や説話の知識を披露していることが判明する。『真言伝』の故事や説話は、同時代を乗り切るために有効な知識であったと考えられる。
18p(pp.576~593)
28 『真言伝』における神仏習合-山中で出会う美女- 単著 2016-12-00『説話の中の僧たち』(新典社選書) 従来、神仏習合の成立過程の一つとして、「神が神の身を厭い仏教によって解脱する」とする神身離脱が定説とされてきた。だが説話の世界には、神が僧と出会いながらもの、神のまま存続するとする話がみられる。『真言伝』の行信伝はその典型であり、僧行信は、山で女神(穢食を食べ、大蛇を夫とする)と出会い、女神は法楽を求め、神宮寺の建立を約束するが、女神のまま山に存続し続ける。本稿では、日本の実態に即した、あらたな神仏習合の展開について考察した。
36p(pp.125~160)
29 学僧たちの説話―三修魔往生譚について―

単著 2017-02-00『山辺道』第57号 信心深い行者が、魔にだまされ、偽の来迎にあって懲らしめられたとされる説話は『今昔物語集』などの各種の説話集に乗せられており、仏教には行だけではなく、学が必要だということを説くものと解される。だがこの説話の主人公である三修を、歴史資料を使って調べていくと、じつは高い見識を持つ学僧であったことが判明する。山林修行者であり、学僧であった三修が無学の僧とおとしめられてしまう過程について、時代状況の変化から考察した。
33p(pp.1~33)
30 主体的に読ませる古典-謎解きとしての説話文学- 単著 2017-10-00『国語教育の現在と未来』創刊号(天理大学国語科教育研究会) 高校生のなかには、古典というだけで苦手意識を持ってしまう生徒が多い。しかし授業のなかに、多くの謎を設定し、謎解きとして授業を進めることで、古典に関する先入観を払拭することができる。どのように興味を持たせ、どのように受講生に主体的に授業に参加させるか、授業における実践例を元に述べた国語教育に関する論文。
9p(pp.21~29)
31 験者の肖像-余慶とその弟子たち- 単著 2018-02-00『山辺道』第58号 平安時代前期に活躍した余慶は、山門寺門の分裂の起点となった僧として知られ、説話の世界では、強力な験力を発揮する姿が繰り返し描かれる。だが、歴史資料を調べていくと、余慶もその弟子たちも論義僧としての経歴を持ち、皇女の葬送に関わるなど、多彩な活動を行っていることが判明する。このように説話は偏ったイメージを流布したことがわかるが、その背景には、分裂後の寺門が、密教修法を中心に展開したことが、関わっていたものと考えられる。
33p(pp.45~77)
32 比叡山内論義と大衆 単著 2019-11-00『唱導文学研究』第11集(三弥井書店)
寺院説話の中には、論義の場を舞台にした説話や、論義の論理を前提とした話が多くみられる。論義は立場のちがう僧侶達が顔あわせ、学識を競う社会的な場であったと考えられる。この論文では、従来、実態が不明であった比叡山内論義の歴史を史料に基づいて明らかにし、それが学僧たちに共有される社会的な場であったからこそ、多くの説話を生み出した土壌となりえたことを述べた。
23p(pp.15~37)
33 『扶桑略記』の史的意義 単著 2021-08-00『『扶桑略記』の研究』(新典社) 歴史的事実のピックアップの仕方や、説話的記事を描写するときの傾向、仏滅年代、中国暦と対照する時間の記載方法など、さまざまな角度から『扶桑略記』本文を分析した。その結果、僧侶、貴族に共通する史書編纂の技術があったことが明らかになったが、その背景としては、膨大な書物を並列的に通覧できる文庫の登場があったと考えられる。
45p(pp.87~132)
34 『扶桑略記』の他国観」―隋、唐、宋の記事を中心として―単著 2022-03-00『文藝論叢』(大谷大学国文学会)第98号 『扶桑略記』が自国史だけではなく、他国との交渉記事においても豊富な逸話をもっていることから、その他国観について考察した。仏教を通じた交流だけでなく、多くの文物の輸入など、現実的な記事が多く採用されており、『扶桑略記』における国家像が決して孤立的ではなかったことが判明した。
22p(pp.22~43)
以上34点
Ⅲ 口頭発表・その他
1 『真言伝』の定位 口頭発表 1994-06-00仏教文学会春季大会(於大谷大学) 説話集『真言伝』は従来は院政期の散逸説話集との関係で論じられることが多かった。だが『真言伝』は鎌倉時代末期の真言僧栄海が編纂したものであり、鎌倉時代末期には鎌倉時代末期なりの編纂動機があったと考えられる。そこで『真言伝』とその材料となった典拠資料を比較してゆくと、明らかに異なる世界像をめざしていることが判明する。このような作業によって『真言伝』が、中世真言密教の立場に立脚した作品であることを証明した。
(20分)
2 栄海の著作活動と『真言伝』 口頭発表 1996-06-00説話文学会春季大会 
(於國學院短期大学)

『真言伝』を編纂した栄海の生涯については、不明な点が多かった。本稿ではこれまでの伝記研究の不備を補うべく、東寺観智院所蔵の文献を調査し、栄海の識語を年代順に調べてその生涯をさぐった。その結果、栄海が三十代で鎌倉に下向していることや、四十代で後醍醐天皇の師となり、後醍醐天皇のために多くの修法を行っていることなど、多くの新しい事実が判明した。これらの活動は『真言伝』の内容にも、深く関わるものであった。
(25分)
3 シンポジウム【高僧伝の系譜】中世の高僧伝―僧伝から高僧伝へ―
口頭発表 1999-11-00仏教文学会例会(於大阪女子大学)
高僧伝は中国では多数編纂されたが、日本では三作品しか作られなかった。その内の二つ『真言伝』と『元亨釈書』は、ほぼ同時期に編纂されている。調べてゆくと『真言伝』を編纂した栄海と、『元亨釈書』を編纂した虎閑師練はいずれも、後醍醐天皇と深い関わりを持つことが判明した。この時代に二つの高僧伝が編纂されたことには、後醍醐天皇の存在が大きく作用したと考えられる。
(30分)
4 真言僧栄海における天狗説話―『真言伝』と『杲宝入壇記』をめぐって― 口頭発表 2001-12-00説話文学会例会(於愛知淑徳大学)
東寺観智院所蔵の『杲宝入壇記』には栄海の見た夢が記されている。その記事からは、栄海の夢に天狗が現れ、栄海がその頭を七つに砕いて退治したと書かれている。本稿では「頭を七つに砕く」という特異な表現に注目し、栄海における「天狗」のイメージについて考察した。「頭を七つに砕く」という表現が密教経典の中で、邪鬼を払う場面で使われていることが判明した。栄海における天狗は、密教修法で払われる邪鬼と重ねられていたと考えられる。
(25分)
5 〔翻刻〕
天理図書館蔵「鶴林寺本太子伝」
共著 2002-07-00『磯馴帖』伊藤正義先生古稀記念古典研究資料集〔村雨篇〕(和泉書院) 聖徳太子伝は、中世に多数制作され、いろいろなバリエーションの伝説が生まれた。その一つ天理図書館蔵『鶴林寺本太子伝』は、善光寺縁起を中に含むという特色を持ち、中世の太子伝の展開の実態を伝える貴重な資料である。この資料共同で翻刻し、解題を加え、文学史上重要な資料を厳選して紹介する古典研究資料集『磯馴帖』において紹介した。
69p(pp.239~307 牧野和夫・川崎剛志・藤井奈都子・佐藤愛弓)
6 中世真言僧における文学 口頭発表 2002-10-00韓国日本文化学会(於大田大学校、韓国大田広域市)
天狗は日本の説話や軍記にしばしば現れる妖怪の一つである。本発表では、栄海の編纂した『真言伝』の中で天狗がどのように描かれているか考察した。『真言伝』の天狗説話を見てゆくと、天狗が頭を隠して逃げる場面や、頭を打たれて降参している場面がいくつか見つかる。天狗の弱点は頭なのであった。それらのことから『真言伝』の天狗像にも、密教経典の邪鬼のイメージが重ねられていたことが判明した。
(30分)
7 灌頂と夢想 口頭発表 2003-09-00説話・伝承学会(於キャンパスプラザ京都)
夢は、古代中世社会において、神秘世界からのメッセージであると信じられてきた。真言僧のテクストには、明恵などをはじめ、しばしば夢の記がみられる。調べてゆくと、密教の灌頂の場においては、夢を見る作法があり、そのようにして見た夢を占って、伝法灌頂に値する人物かどうかを決める儀礼があったことがわかった。このような伝統のもとに夢を記すという行為が真言僧の間で行われたと考えられる。
(30分)
8 〔翻刻・索引〕
『伝法灌頂師資相承血脈』
共著 2004-03-00『名古屋大学比較人文年報』(名古屋大学文学研究科比較人文研究室)第4集
京都市の仁和寺に所蔵される『伝法灌頂師資相承血脈』は、これまで学会未紹介の新出資料である。そこでこの資料を日本史の横山和弘氏とともに、全文翻刻し、索引を作成した。この資料は鎌倉時代の血脈として、類例の少ない貴重なものである。
67p(pp.1~67 横山和弘・佐藤愛弓)
9 栄海作『弘法大師講式』について―付翻刻― 2004-10-00『唱道文学研究』第4集(三弥井書店)
栄海の伝記については、従来まったく不明とされていた。本稿で紹介した『弘法大師講式』もこれまで未発表の資料であった。『弘法大師講式』は栄海が死の床で、往生を願って草した講式であり、自らの人生を回顧する内容である。さらにこの講式は死に臨む栄海を囲んで弟子たちによって唱和されたこものであった。これにより栄海の生涯の一端が明らかとなった。
20p(pp.47~66)
10 〔解題・翻刻〕
『伊呂波略釈』解題ならびに翻刻
2005-03-00『豊田史料叢書』(第18回配本)猿投神社聖教典籍目録(豊田市教育委員会)
愛知県の猿投神社に所蔵される『伊呂波略釈』を翻刻し、その内容と資料的価値について述べた。この資料は猿投神社調査において発見された新出資料であり、その内容は「いろは歌は『涅槃経』の偈を日本の言葉で表現したものである」と主張するものであることから、和歌と陀羅尼を同一とする和歌陀羅尼思想を示すものと知られる。中世の僧侶の世界では、和歌やいろは歌を、仏教と結びつける思想が展開したが、この資料にもそのような思想のもと成立したものと考えられる。
8p(pp.222~229)
11 慈尊院栄海における宗教と文学
口頭発表 2005-11-00中世文学会秋季大会(於琉球大学)
真言宗の開祖空海が、多くの優れた漢詩を書いた一流の文学者でもあったことはよく知られている。しかし空海の文学活動が、密教の言語観と強く結びついており、その思想が多くの和歌僧を生み、さまざまな真言の伝記伝説を育んだことを、一連の動きとして捉える研究はこれまでにはない。本発表では、密教僧栄海について、宗教、文芸の両面の著作を調査し、密教僧において思想と文学がどのように連動していたのかを明らかにした。
(25分)
12 聖教に記された夢 口頭発表 2006-06-00説話文学会大会(於佛教大学)
東寺観智院や勧修寺には栄海関係の聖教が多く伝えられているが、その中には彼の見た夢がたびたび記されている。それらの夢には、弘法大師や善女龍王や天狗が登場し、中世の説話世界との密接な繋がりを感じさせる。本発表では、これらの夢想記述を紹介して、栄海の夢年譜を発表した。そしてそれらの夢想記を灌頂の夢想、修法の夢想、口伝の夢想などの要素にわけて、それぞれの夢の担っていた機能を検討した。
(25分)
13 栄海における和歌と国家――『釈教三十六人歌仙絵』の編纂を中心に』―― 口頭発表 2006-09-00仏教文学会(於京都女子大学)
栄海の編纂した『釈教三十六人歌仙絵』は、三十六人の高僧の肖像と詠歌を記した異例の三十六歌仙絵である本発表では和歌の選択基準について論じ、必ずしも釈教歌が選択される訳ではないことを明らかにした。また序文の分析から僧侶の三十六歌仙が金剛界曼荼羅の三十七尊に重ねられていることや、和歌を日本国の言説として、真言とみなしていることなど、『釈教歌仙』の編纂意図について発表した。
(20分)
14 〔目録〕
真福寺大須文庫基幹聖教抄出目録
単著 2007-03-00『科学研究費基盤研究(B)「中世寺院の知的体系の研究」報告書』 長年に亘って行われてきた真福寺大須文庫の調査記録の中から、その中心となる聖教の目録を作成した。書誌・奥書の他に、丁合に隠された識語や、表紙伝領識語も詳細に載せており、真福寺聖教の形成過程を考える上で、重要な内容が多く含まれている。
54p(pp.218~271)
15 『真言伝』における仏法と王法――摂関家関係説話を中心に―― 口頭発表 2008-01-00仏教文学会(於大谷大学) 『真言伝』は高僧伝の体裁を取っているため一見公平で客観的な仏教史を描いているようにみえる。しかしそれぞれを詳細にみてゆくと、摂関家の関係者を助ける話が多く載せられていることがわかる。これらの記事を分析していくことによって、『真言伝』において、摂関家一族が王法と仏法をつなぐ存在として大きな役割を担っていることが判明した。
(20分)
16 〔書評〕
清水眞澄著『音声表現思想史の基礎的研究―信仰・学問・支配構造の連関―』
単著 2009-01-00『日本文学』(日本文学協会)第58巻、第1号

「清水眞澄著『音声表現思想史の基礎的研究―信仰・学問・支配構造の連関―』の書評を記した。
3p(pp.66~68)
17 〔資料紹介〕
儼避羅抄
釈門三十六人歌合
古今和歌相伝灌頂次第
太平記理尽抄
単著 2009-03-00『近世仏教文化文献の基礎的研究』(大谷大学真宗総合研究所)

大谷大学図書館に所蔵されている四つの資料について、その内容や資料的価値を解説する解題を記した。大谷大学には、和歌秘伝や兵法書など多彩な注釈書が所蔵されており、学術的価値の高いものであることが判明した。
4p(p20、p21、p42、p43)
18 〔報告書〕
調査経緯報告ならびに調査目録
単著 2009-03-00『近世仏教文化文献の基礎的研究』(大谷大学真宗総合研究所)
2008年度大谷大学図書館所蔵資料調査について、調査期間や調査経過について報告し、調査目録を作成した。
19p(pp.47~65)
19 袈裟と女人―真福寺大須文庫所蔵『袈裟表相』について―
口頭発表 2009-06-00説話文学会(於奈良女子大学)
『袈裟表相』は、院政期頃女性に袈裟寄進を勧めるために、記されたものと推測される。袈裟の福田のそれぞれに諸尊と寄進者の絵姿を描いた一種の曼荼羅図であるが、それにその由来を説明する本文が付せられている。本文によれば、この図は三国伝来を標榜している。これまで学会に紹介されたことのない資料であるが、女人救済、三国観の両面で注目すべき資料である。さらに真福寺大須文庫本では、袈裟寄進の具体的な功徳を示す七つの説話が加えられており、説話文学としても注目される。
(20分)
20 口伝・記録と説話―寺院資料を中心に―
口頭発表 2010-06-00全国国語国文学会(於同志社女子大学) 寺院で文献調査をしていると、「師の御物語に云はく」として師匠の口伝を記した中世の資料をみつけることがある。これは法の伝授の際に、師から弟子に伝えられたものと思われる。一方説話文学研究においては、すでに『富家語』や『江談抄』といった言談と説話との関係が証明されている。寺院における口伝についても、同様のことがいえる可能性があり、口伝から記録へ、そして伝記へと繋がる構造を検討する必要があることを主張した。
(30分)
21 〔翻刻〕
真福寺大須文庫蔵『袈裟表相』
単著 2014-03-00『山辺道』第55号 真福寺大須文庫蔵『袈裟表相』の全文を翻刻した。
10p(pp.31~40)
以上21点

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