教育研究業績の一覧

國中 治
A 教育業績
教育実践上の主な業績 年月日概要
1 教育内容・方法の工夫(授業評価等を含む)
1 レポートと試験答案の返却 2007-04-01 ~ 担当している全科目で、希望者には、レポートと試験答案を返却している。特にレポートについては、添削したうえでコメントを付して返すことを原則としている。そのコメントについて、あるいは返却後のレポート全般について、疑問点あるいは理解できない点がある場合は、個別相談に応じるので申し出るよう要請している。
2 卒業論文の指導 2008-04-01 ~ 冬期休暇中は、年末年始の数日を除いて、毎日午前10時から午後10時まで約12時間、研究室で卒論指導を行っている。
2 作成した教科書、教材、参考書
3 教育方法・教育実践に関する発表、講演等
4 その他教育活動上特記すべき事項
1 文学散歩・探訪・取材の実践 2009-02-00 ~ 学生たちに文学者と文学作品への理解と親しみを深めてもらうため、またテクストだけでは実感の難しい知見を獲得してもらうため、年に2~3回、文学散歩・探訪・取材を行っている。近隣では谷崎潤一郎、志賀直哉、堀辰雄、竹中郁、織田作之助らに縁のある神戸、芦屋、奈良、大阪等を、やや遠隔に属する地としては、萩原朔太郎、室生犀星、徳田秋声、中野重治、泉鏡花、井上靖、立原道造、三好達治、梶井基次郎、川端康成、谷崎潤一郎、井伏鱒二、太宰治、三島由紀夫、松本清張、夏目漱石、南方熊楠、尾崎紅葉、佐藤春夫らの文学を追って、金沢、伊豆、白浜、新宮等をゼミ所属の3、4年生とともに訪ねている。
B 職務実績
C 学会等及び社会における主な活動
所属期間及び主な活動の期間 学会等及び社会における主な活動
1 2006-04-00~0000-00-00 四季派学会の関西事務局担当。年2回の学会開催の他、会報の編集・発行、会計、会員への事務連絡等を行っている。
2 2013-01-00~0000-00-00 「日本現代詩歌研究」刊行委員 l北上市立「日本現代詩歌文学館」紀要のテーマ検討・設定と論文の査読
D 研究活動
著書、学術論文等の名称単著、
共著の別
発行又は
発表の年月
発行所、発表雑誌等
又は
発表学会の名称
概要
Ⅰ著書
1 初中級日本語文法問題集(1、2)共著 1997-11-00帝京大学冲永国際教育研究所 日本語教育の初級段階で導入される文法項目を体系的に網羅した問題集。項目ごとに、基礎的な問題から中級相当の応用問題や長文問題までをほぼ難易度の順に従って配列してある。項目の分類および問題の作成に当たっては類書を可能な限り参照し、わかりやすく親しみやすい実践的な問題提示を目指すとともに、欠落や重複を避けるように努めた。各問題は留学生を対象とする授業で1年間試行された後、さらに推敲を加えてまとめられた。共著者は石井宏子と梅村修。全222頁のうち、約100頁を担当。(本書はほとんど梅村と國中との共同作業によるが、同一頁中でも両者の手が加わっており、峻別は事実上不可能。)
2 三好達治と立原道造――感受性の森――単著 2005-12-00至文堂 三好達治と立原道造に関する拙論のうち、近年のものを中心にまとめた。従来の三好達治論は、対象が第1詩集『測量船』と戦争詩に集中している。また回想・鑑賞の類も多いが、それらに比して三好を「国民詩人」に押し上げた口語四行詩の解明や、小説の検討は、疎かになっていた。本書では、三好の詩法の限界を視野に入れつつ、口語四行詩の必然性と他の詩形との関わり方や、小説との相関性を考察した。立原道造については、詩を中心に据えるのではなく、創作的散文や書簡等を通じてその表現の構造解明を試み、作品に新たな解釈を施した。315頁。
3 書く場所への旅単著 2005-12-00れんが書房新社 韓国で1年間日本語教師を務めた経験に基づく日韓関係や日本語を巡る随想と、明治期以降の詩人たちを主な対象とする評論とを、2本の柱として編んだ。「書くために必要なもの」という章には、日本人が日本語で口語自由詩を書くということの原理的な矛盾を説いた評論や、筆者が日常生活の中でどのような姿勢で「書く」ことに対してきたかを語ったエッセイなども収録した。対象は統一されていないが、「書く」というテーマは貫き通したつもりである。275頁。
以上3点
Ⅱ学術論文
1 『路傍の花』の技法と構造単著 1988-09-00東京都立大学大学院人文科学研究科国文学専攻『論樹』第2号 個々の作品同士では隔たりの大きい川路柳虹の詩集『路傍の花』の中に、未熟なまま出現した口語自由詩が、安定した形態を獲得するに至るまでの道筋を辿った。32頁(68頁~99頁)
2 三好達治――往還の詩魂単著 1988-11-00火箭の会『火箭』第4号 詩としての形式上の保証を返上した場に成立する散文詩を中心に、堀口大学の『月下の一群』と『測量船』との緊密な関係を踏まえながら、主体と客体、現実と心象、生と死、といった幾つもの「往還」が、三好達治の詩の認識・発想の基底にあることを説いた。17頁(68頁~84頁)
3 蠢く結晶――立原道造の初期詩篇について単著 1989-03-00火箭の会『火箭』第5号 自らが不特定多数の主体によって構成された核のない存在であることに、危機感よりもむしろゲーム的な関心とスリルを抱いていた創造者立原道造の初期の特異な位相を、手書き詩集をはじめとする多くの未刊あるいは未発表の表現に即して追究した。22頁(43頁~64頁)
4 三行書きの効用――『一握の砂』における歌のカタチ単著 1989-09-00東京都立大学大学院人文科学研究科国文学専攻『論樹』第3号 石川啄木『一握の砂』収録の551首がどのような音数律によって三行に分かち書きされているかを分類・計量化し、それぞれの型が喚起するリズムの特性から、歌集全体が構成する情調の内実を解明しようと試みた。20頁(91頁~110頁)
5 啄木の青空単著 1989-11-00火箭の会『火箭』第6号 『一握の砂』所収の歌「秋の空廓寥として影もなし/あまりにさびし/烏など飛べ」に先行するヴァリアントを辿ると、1首に施された様々な改変が、単なる改良ではなく、啄木調演出のための変更であったことがわかる。また啄木の主要なモチーフの1つである「青空」を、萩原朔太郎『郷愁の詩人与謝蕪村』や啄木の新体詩「飛行機」などと対照させつつ検討した。9頁(81頁~89頁)
6 正岡子規『曼珠沙華』ノート単著 1991-09-00東京都立大学大学院人文科学研究科国文学専攻『論樹』第5号 語りの分析とともに、リレー式に交替で、ときには併走して作品展開を司る複数の「物語」の型を抽出し、この小説の文学史的位置を考察した。したがって論文名は、本来「正岡子規『曼珠沙華』における物語群」とすべきだった。12頁(1頁~12頁)
7 正岡子規『病の窓』を読む単著 1991-12-00火箭の会『火箭』第10号 子規最高の新体詩を、その展開に沿って分析した。死に沈みそうにな自分と、それを生の側に引き上げようとする自分との葛藤を対象化・客観化することが子規後半生の創作であり、生死の境界に位置する狂気は、子規を苦しめるとともに、その精神の活性化に寄与するものでもあった。15頁(133頁~147頁)
8 乱暴の豊饒さについて――三好達治・室生犀星・山村暮鳥・高橋新吉単著 1992-09-00火箭の会『火箭』第11号 三好達治の詩作は極めて意識的に、複合的になされていたから、三好には他者の多様な詩風の読解が可能であった。三好の犀星詩評を切口に、犀星と暮鳥の「乱暴」性の差違、高橋新吉の「乱暴」な作品の表現主体について考察した。13頁(98頁~110頁)
9 高見順の「草」単著 1994-02-00火箭の会『火箭』第14号 高見順が太平洋戦争末期に日記の中に書きつけた詩「われは草なり」の表現を分析した上で、これが主題を担うものとしてそのまま引用された小説「草のいのちを」と照合し、戦時下という社会的な条件を捨象しても、この詩が文学的喚起力を持つことを検証した。9頁(62頁~70頁)
10 春山行夫の詩の構成――『植物の断面』中の「一年」を中心に単著 1994-04-00日本現代詩研究者国際ネットワーク編『昭和詩人論』有精堂 モダニズムの旗手と目されている春山のフォルマリズムの詩が彼の批判した前代の象徴詩と内的連続性を持つものであり、作品構成の面では萩原朔太郎を踏襲し、語法の面では『海港』の詩人北村初雄や熊田精華らを継承していることを論証した。15頁(158頁~172頁)
11 丸山薫と竹中郁――リルケ、シュペルヴィエルと戦争詩の間で単著 1995-03-00四季派学会『四季派学会論集』第6集 元来リルケやシュペルヴィエルに通底する不可知の存在への志向性を持つ丸山薫と竹中郁が、なぜ、どのような経路を辿って戦争詩の圏内に巻き込まれていったのかを、『四季』誌上での彼らの変化を中心に考察した。16頁(35頁~50頁)
12 詩における〈単純〉ということ――木下夕爾と三好達治単著 1996-12-00火箭の会『火箭』第19号 平明な表現からも象徴的・寓意的な意味を看取するのをよしとする因習的読解法。そして特異な表現に耽溺する詩人の排他的傾向。これらが詩を社会の中で孤立させ、表現の衰微をもたらしていると考える三好達治は、明晰で単純な表現こそ詩語の理想であると述べ、それを実践した。本稿では特に「単純」に着目し、決して単純ではない三好の「単純」の生成過程とその機能を、三好自身の作品と、彼がやや皮肉な調子で称揚した木下夕爾の作品について見た。8頁(82頁~89頁)
13 三好達治における口語四行詩とその周圏単著 2000-03-00神戸松蔭女子学院大学学術研究会『研究紀要』第41号 三好達治の口語四行詩と同時期の散文作品を、小さな動植物に対する敬虔さを核とするモチーフの面から追究した。三好の心身の病気、ファーブル『昆虫記』の翻訳、梶井基次郎の死、父の死と息子の出生、などがいかに詩作に関与しているかも考察した。43頁(87頁~129頁)
14 立ちどまる旅――三好達治における口語四行詩の終焉単著 2000-03-00日本現代詩歌文学館『日本現代詩歌研究』第4号 三好達治が一時期集中的に制作した口語四行詩の特色を、あえて空白を多用する表記法を手がかりに検討した。この表記法の変容過程の調査結果から、技法の変容が、作風の変化や四行詩の行き詰まりの誘因になったことを検証した。21頁(65頁~85頁)
15 三好達治詩への通路――四行詩における指示語を中心に単著 2000-10-00『現代詩手帖』10月号
思潮社
三好達治が自らの詩法とする「写生」を、三好が称揚した正岡子規の「写生」と比較検討し、読者の参画によって詩的世界が完結するメカニズムに両者の親近性が認められる、と指摘した。このメカニズムを支えるのが指示語の機能であることも論証した。7頁(61頁~67頁)
16 立原道造とソログープ単著 2001-03-00神戸松蔭女子学院大学学術研究会『研究紀要』第42号 立原道造とドイツ文学、フランス文学との関係はよく知られているが、ロシア文学との接点は、ドストエフスキー『未成年』以外は看過されがちである。本稿では、書簡に見られる立原のソログープへの執着に着目し、立原の20篇しかない詩集収録作の1つ「小譚詩」が、ソログープの短篇小説を下敷きにしていることを突きとめた。30頁(119頁~148頁)
17 〈ぼく〉と〈僕〉と貝殻細工――立原道造「緑蔭倶楽部」単著 2001-05-00『国文学 解釈と鑑賞 別冊 立原道造』
至文堂
未発表に終わった立原道造の散文作品「緑蔭倶楽部」は、作者と堀辰雄両者の本質的な問題を内包すると指摘し、作中人物同士の対立という従来の解釈に対し、彼らが生きる「物語」と、作品内の「詩」との対立という新しい解釈を提示した。8頁(191頁~198頁)
18 立原道造「オメガぶみ」を読む――フーガの適用単著 2002-03-00神戸松蔭女子学院大学学術研究会『研究紀要』第43号 立原道造の物語「オメガぶみ」は、制作時期や他ジャンルとの関係から、立原の散文作品中、1つの到達点ともいえる。この作品のイメージやストーリーの源泉を探り、表現の生成過程で交渉を持った多様なテクストを検証した。さらにこの作品を、立原が別の物語の中でその希望を開陳していた「フーガ形式」による物語の実践と位置づけ、この観点による構造解釈を提示した。59頁(61頁~119頁)
19 立原道造の椅子・萩原朔太郎の椅子単著 2002-03-00日本詩人クラブ『詩界』第240号 立原道造の詩に登場する椅子は即物的な存在か平凡な比喩であるが、彼の散文作品の中に登場する椅子にはしばしば象徴的・寓意的意味が込められている。この点に注目することから、立原道造における椅子が詩と結びつく必然性を逆に照射し、公共の椅子を偏重する萩原朔太郎の孤高の位相と対比させた。椅子が中心的イメージとなる萩原の詩作品から立原がいかに大きな影響を受けているかも、立原の実作品に即して指摘した。8頁(66頁~73頁)
20 小山正孝における立原道造と詩と小説単著 2004-12-00小山正孝著・坂口昌明編『詩人薄命』潮流社 小山正孝は立原道造の年少の詩友であり、第二次『四季』の後半期には編集の実務に携わった詩人である。まず小山と立原の詩法上の類似点と相違点を検討した。次に小山の詩と、初期に制作した小説とを比較検討し、小説から詩へと向かう小山の内的必然性を探った。20頁(324頁~343頁)
21 戦争詩への道――『屋上の鶏』から見た三好達治単著 2005-03-00神戸松蔭女子学院大学学術研究会『研究紀要』第46号 三好達治が太平洋戦争下に多くの「戦争詩」を制作したことはよく知られている。四行詩制作との繋がりを射程に入れながら、戦時中の随筆集『屋上の鶏』を視座として、三好の詩の変容の内実を考察した。33頁(97頁~129頁)
22 平戸廉吉論――力への有機的凝集単著 2005-05-00和田博文編『日本のアヴァンギャルド』世界思想社 通常『平戸廉吉詩集』一巻のみによって判断される平戸の詩篇と詩観を、初期と最晩年の作品も視野に入れて考察した。平戸は西洋の未来派とは異なり、人工物を讃美するばかりでなく、自然物の有機的凝集も重視している。また人工物と自然物との融合を図ったり、夢想と現実との止揚を試みたりするなど、未来派の詩学から脱却しようとする文学者でもあった、と指摘した。16頁(243頁~258頁)
23 『四季』の最後の詩人(一)――杉山平一の詩と小説単著 2008-10-00大谷大学文藝学会『文藝論叢』第71号 昭和前期の抒情詩を代表する詩誌『四季』。そこにまず投稿者として関わりやがて同人となった杉山平一は、戦後も半世紀以上にわたって日本の抒情詩を牽引しつづけた。杉山は三好達治の直系の後継者としても知られるが、彼の文学は師事した三好や母体となった『四季』の圏内に収束するものではなく、同一主題で詩と小説を書き分けるなど、小説への取り組みも意識的かつ意欲的である。機械を礼賛する杉山が同じ志向性をもつ未来派に接近しつつもそれとは一線を画した理由の探索や、杉山作品における機械と人間との相乗作用の検討によって、杉山平一文学の全体像の把握を目指した。20頁(19頁~38頁)
24 『四季』の最後の詩人(二)――杉山平一の詩と小説単著 2009-03-00大谷大学文藝学会『文藝論叢』第72号 前稿(一)に続き、杉山平一の文学を詩と小説との有機的関連を軸に総体的に考察しようとした。杉山の代名詞ともいえる鉄道詩の中に、機械より人間への関心に重点が置かれたものが多いことから、観察者の視点が杉山詩の特色の一つであるとし、それが小説に適用されると自らは探偵役を担わない「私」が語る探偵小説になることを検証した。この特性をもつ「私」は写生文の語り手にも適合するが、「私」が窮地に追い込まれるという定型をもつ杉山の自伝的小説には適合しなかった。小説と写生文とをどう関係づけるかという問題に、杉山は散文詩と叙事詩との境界を見定めるという課題を通して逢着したわけだが、これは杉山平一が近代文学の王道を辿ってきたことの証左である。21頁(196頁~216頁)
25 鉄道詩から見る杉山平一単著 2009-03-00日本詩人クラブ『詩界』第254号 杉山平一の数多い鉄道詩を、梶井基次郎など他の文学者の同素材の作品と比較検討し、そこから杉山の詩の特徴を析出させようと試みた。モダニズムの言語の実験と『四季』の抒情とを自己の詩作の規範とする杉山だが、鉄道詩の倫理的・人道的側面からは、大正時代の民衆詩派や白樺派の杉山詩への大きな関与を指摘し得る。芸術至上主義的創作への違和や、言語の審美的追究を突き詰めずに踏みとどまる姿勢は、自己表出を常にコントロールせずにはいられない自意識から発すると考えられる。杉山が太宰治に共感を示したのは、この自意識のありように相通じるものがあったからである。10頁(53頁~62頁)
26 詩教育観から見た三好達治単著 2009-11-00大谷大学大谷学会『大谷学報』第89巻第1号(第331号) 三好達治は、詩人にしては珍しく、児童教育における詩教育を全否定したと見なされてきた。だが、三好の詩教育批判は国語教育全体への批判でもあり、それは戦後の国語問題や日本語の詩の原理的問題から発していた。それゆえ三好の詩教育批判を綿密に読みほどくことは、彼の詩観や言語観の探究に自ずから重なることになる。三好達治にとって詩(俳句を含む)は世間智のアンチ・テーゼである。子供に脱俗・風狂の美学や人生観を教えるということは、子供たちを日常的生活感覚や社会的良識から遠ざけることを意味する。文学性・芸術性・抒情性は児童対象の国語教育にはむしろ有害だと三好は考える。風狂を標榜する三好であるから、こういう考えが自己を狭隘な位置に封じ込めることは覚悟していたはずである。三好はあえて国語教育には実用性を求め、その強制力に逆らって密かに育まれる個別の詩才を期待したのだと考える。27頁(19頁~45頁)
27 恋愛詩人が作る物語と現実――小山常子『主人は留守、しかし…』を読んで単著 2011-11-00小山正孝の会『感泣亭秋報』第6号 『四季』の系譜に連なる小山正孝は、立原道造譲りのソネット形式を得意とする詩人であり、恋愛詩が多いことでも知られている。失恋との思い込みによって自暴自棄になる若者から相手の女に殺意を抱く伊達男まで、小山の詩の語り手は多様な恋愛シーンを演じるが、もちろん、すべて架空の自画像の形象化である。夫人による回想記には、若き日の詩人と結婚前の夫人が許されぬ恋にのめり込む姿が詳述されている。周囲の反対によって一層燃焼度が高まる二人の関係は、偶然にしては出来すぎと思われるような出会いから始まったという。現実の恋物語も、やはり詩人自身によって周到に演出されていたにちがいない。8頁(4頁~11頁)
28 「犯しもせぬ罪を――宮崎譲『竹槍隊』序」――聖句をめぐる競闘と共闘単著 2012-05-00『太宰治研究』第20輯
和泉書院
太宰治はその中期に未知の詩人宮崎譲の詩集『竹槍隊』のために奇妙な序文を書いた。中原中也との関係や語りの特徴から太宰と詩との接点が前景化することはあるが、太宰自身は詩作品を残さなかったし、宮崎譲との個人的な交流もない。では、この高揚感に満ちた不思議な文章はなぜ書かれたのか。新約聖書マタイ伝の「己のごとく汝の隣を愛すべし」が、その理由である。夥しい聖句を自作の中にちりばめた太宰だが、中でもこの聖句は彼が最も心酔し、執着し、それゆえ苦しめられてもいたものである。宮崎は『竹槍隊』に「汝の隣人を愛せ」を敷衍した世界を構築していた。それを目の当たりにした太宰は、宮崎への礼賛・共感から宮崎との一体化、さらに自己正当化にまで突き進んでいく。ごく短い序文の中に太宰のアイデンティティに関わるほどの真摯な劇が内包されていたのである。6頁(177頁~182頁)
29 杉山平一という複合体――〈近代〉を体現する方法単著 2012-09-00『現代詩手帖』9月号
思潮社
杉山平一の詩がなぜ長期にわたって詩界のオーソドックスの地位を維持し続けたのかを考察した。杉山は近代詩を体現していると見なされたりするが、彼の詩風は一見彼独自のもののようでいて実は他の詩風を精妙に混淆させたもので、それゆえ個人では不可能なほどの容量の大きなものとなっている。不特定多数の他者(の感性や思想)を統括するのが表現者杉山の役どころである。作品の背後に読者が看取する作者の人格の異様なほどの深みと厚みも、この詩風の構造と無関係ではない。むろん、現実の杉山平一が人格者であることを否定するつもりはないが。5頁(81頁~85頁)
30 『希望』と命令――杉山平一の詩に普遍化を強いるもの単著 2012-10-00大谷大学文藝学会『文藝論叢』第79号 杉山平一の作品はその人道主義的な〈正しさ〉によってしばしば普遍的と評されるが、一方、同じ理由で没個性的・非芸術的・教条的と批判されることもある。実際、杉山の詩には諺のように作品同士が相反する内容である場合が多く、また格言のように命令口調が使われることも多い。これらの理由を突きとめるため、最初期から最晩年までの杉山の詩を辿り、命令を発する語り手の位相の検討と、作者の創作意識の探究を行った。19頁(1頁~19頁)
31 木洩れ日のなかの写真と鹿―小山正孝と中村真一郎単著 2016-04-23『中村真一郎手帖』第11号(水声社) 小山正孝と中村真一郎は青年時代から晩年まで長く交友を続けた文学者であり、研究と創作をその文学活動の両輪とした点でも共通する。一般には小山は詩人として、中村は小説家として知られるが、本稿では両者の若き日の文章や後年の回想記なども視野に入れ、主に小説に焦点を合わせて2人の相互関係を探ろうと試みた。
p53~60
32 能美九末夫と『四季』―たゆみない挑戦単著 2016-11-13『感泣亭秋報』第11号 戦時下に発行されていた第二次『四季』の主要な投稿者であった能美九末夫は、その限られた時間と場所だけに自らの創作活動を集中させたという意味で、『四季』の純粋培養のような詩人であり、十分な成熟を待たずに詩界から去ったという意味では、紛れもなくマイナー・ポエットである。だが投稿詩の選者・三好達治には恐らく最も嘱望された詩人であり、能美の側も三好の期待に応えようと鋭意努めたかに見える。論じられることの少ないこの詩人の再評価を祈念して、当時の抒情詩が負わされた課題も勘案しながら考察した。p24~40
33 三好達治の<影>―驢馬と旅する詩人 単著 2019-03-00『文藝論叢』第92号(大谷大学文藝學會) 三好達治の詩にしばしば登場する「驢馬」のイメージを追跡した。三好詩における「驢馬」は不様で不器用な漂泊者の象徴であり、表現主体の自嘲的な投影である場合が多いが、それゆえ(あるいは、それにもかかわらず)愛着と憐憫の対象ともなっている。このイメージは、「旅」を枢要なモチーフとする三好の創作の根幹に位置するといえる。
p55~76
34 三好達治の二行―『測量船』収録詩篇を中心に―単著 2019-04-15『大谷大学研究年報』第71集
多種多様な技法・形式によって膨大な詩を創作した三好達治には批判・賛辞ともに多い。この詩人の本質をどこに見定めればいいのか。この課題には様々なアプローチでの取り組みが可能と思われるが、本稿では三好詩の「二行」に着目した。二行詩や四行詩に限らず、長篇詩であろうと散文詩であろうと、三好の詩想の根源には「二行」があると考えるからである。「二行」から始まるイメージや展開を見届ければ、三好詩の全体像を把握することができるのではないか、という本稿の目論見はほぼ叶ったように思う。三好の全詩篇を検討した他、同時代の詩人たちの諸作や梶井基次郎との関連なども探った。
p79~176
35 押韻定型詩をめぐる覚書―三好達治、中村真一郎、九鬼周造を中心に単著 2020-03-14『文藝論叢』第94号(大谷大学文藝學會) 日本の近現代詩史においては幾度も押韻定型詩の研究や実践的試作がなされてきた。中でもとりわけ反響が大きかったのは終戦直後の「マチネ・ポエティク」運動である。政治的・社会的な一大転換期に提出された西洋と日本語との融合を目指す文学運動は、しかし運動の担い手たちが期待したようには一般読者にも専門家にも受け入れられなかった。詩形を殊更重視しているはずの三好達治も、彼らの問題意識を認めながら、彼らが成果とする詩篇自体は認めなかった。この運動の基底には九鬼周造の文藝理論も関わっているため、三好の批判の矛先は九鬼の理論や実作にも及んでいる。現代まで決着のついていないこの問題を、諸家の論考を参照しつつ検討した。p61~80
36 中村真一郎が見た三好達治(Ⅰ) 単著 2020-04-30『中村真一郎手帖』第15号 小説家兼フランス文学者兼江戸漢詩研究者である中村真一郎はまた、日本語による押韻定型詩を完成させようと奮闘努力した詩人でもある。が、中村のこの試みは当時の詩界の大御所三好達治の批判を受けて挫折を余儀なくされる。とはいえ、中村は東大仏文科の先輩である三好との関わりを断つことはなく、三好達治をその詩法の特徴によって捉えた中村の言<大いなる谺>は今もなお、その的確な把握によってよく知られている。中村にとって三好はどのような存在だったのか。本稿では中村の十代の日記を主な素材として、両者の文学的関係を探究した。
p44~50
37 「四季」派の遺伝子―〈鳥のいない鳥籠〉を巡るささやかな追跡
式」
単著 2020-11-00『詩と思想』11月号 堀辰雄・三好達治・丸山薫・津村信夫・立原道造らが象徴する『四季』派は、昭和十年代の日本の抒情詩の代名詞ともなっているが、戦後はその時局との距離の取り方や対応の仕方が彼らの抒情の在り方の反映だとして批判され、現在に至るまで排撃の機運が絶えたことはない。しかしその批判は憧憬の裏返しのような側面もあり、『四季』派の系譜は様々な変容を伴いつつ戦後も脈々と続いている。ジュール・ルナールに由来する<鳥のいない鳥籠>のイメージの継投状況を跡付けることで、『四季』派の遺伝子の存在感の大きさを証明した。
p50~59
38 中村真一郎が見た三好達治(Ⅱ)―『雲のゆき来』の内と外 単著 2022-05-15『中村真一郎手帖』第17号 (Ⅰ)につづき、中村真一郎と三好達治の文学的関係を探究した。中村の小説『雲のゆき来』と三好の日本詩歌論集『諷詠十二月』が共に江戸時代の僧元政の文学に重要な意味づけをしていることから、中村と三好の文学観の類似点と相違点を指摘し、また学問的探索と恋愛物語との強引な取り合わせと批判されることもある『雲のゆき来』について、小説の語り手「私」と登場人物の女性と僧元政との三角関係の物語である、という新しい解釈を提示した。
p70~82
39 中村真一郎が見た三好達治(Ⅲ)
 —―短篇小説のなかの作家と詩人―—
単著 2023-05-15『中村真一郎手帖』第18号(水声社) 中村真一郎の小説家としての業績は最初期の五部作と晩年の四部作の検討によって量られるのが通例だが、これらの大河小説は方法の一貫性が作者の問題意識の自由な展開を抑制する傾きがないとはいえない。その点、中村が残した夥しい短篇小説は、彼が日本近代文学に対して抱いていた問題意識―とりわけ〈私小説〉に対して―に対応すべく多種多様な方法を創作に適用してみせた成果であり、中村文学における長篇小説と文学理論の交差点としての意味も担っている。本稿では中村の問題意識を明確化したうえで、初期の短篇群の中にその意識の投影が認められる表現上の特徴を探った。p57~72
以上39点
Ⅲ 口頭発表・その他
1 詩集『出来事風』詩集 1983-10-00近代文藝社 詩30篇収録。初出誌は、『ユリイカ』『海燕』『詩学』『詩芸術』『抒情文芸』である。105頁。帯文安西均。
2 山本かずこ小論評論 1985-12-00開花期の会『開花期』第37集 現代詩人山本かずこの詩法は、語りの流麗さを意識的に避けることによって、日常語に詩語に拮抗し得る強靭さを与え、通常は詩の純度を低め作品空間を限定しがちな固有名詞の多用によって、読者の記憶と想像力を触発・解放し、むしろ作品空間を拡大することである、と述べた。23頁(73頁~95頁)
3 正岡子規と赤の女神評論 1988-08-00『詩と思想』9月号
土曜美術社
子規の写生文、随筆、小説の中から、赤のイメージと、自死した従弟藤野古白に関する認識を抽出し、子規の自然観と狂気への対応の仕方を考察した。4頁(90頁~93頁)
4 「新しき文章語」を求めて評論 1989-07-00『詩学』8月号
詩学社
日本の詩の真の具現化・近代化は、文語定型が口語自由に転換することではなく、日常口語とは別の規範性を持つ「新しき文章語」(萩原朔太郎の言葉)が成立することだろう。だが詩において、韻律は内容を盛る器であると同時に内容そのものでもあり、日本人には伝統的な音数律が内在しているため、多くの詩人たちは、歌句と行分け詩との間を否応なく揺れ動いてきた。以上のように、日本固有の詩の問題を考えた。3頁(56頁~58頁)
5 昭和前期の詩――抒情と「私」をめぐって評論 1989-11-00『詩と思想』11月号
土曜美術社
大正末期から昭和十年代にかけての詩史を、「亜」「赤と黒」「驢馬」「戦旗」「詩と詩論」「詩・現実」「四季」「コギト」など、当時の代表的な雑誌と、各詩誌、各派の代表的な詩人の消長を軸に、「私」性の稀薄化と戦時下の対照的な2種の抒情を検討しつつ、概観した。8頁(48頁~55頁)
6 詩集『海の家』詩集 1991-08-00土曜美術社 詩26篇収録。初出誌は、『海燕』『詩学』『詩芸術』『ハリー』『愛虫たち』である。79頁。挟み込み栞高橋順子。
7 燈火の領分――大木実の人と作品評論 1992-06-00『詩学』6月号
詩学社
大木実の詩集『柴の折戸』が、第10回現代詩人賞を受賞したのを機に書いたもの。大木の作品に初期から一貫して登場する「燈火(あかり)」に焦点を合わせ、大木の詩の世界では、これが人生と出会う場の指標であると指摘した。4頁(71頁~74頁)
8 韓国の若い詩を読む翻訳・評論 1992-08-00『詩と思想』9月号
土曜美術社
政治的主張の明確な、いわばプロレタリア風の詩。韓国現代詩に対する日本での従来の一般的イメージはそのようなものだったので、あえて抒情性にポイントを置いた作品を選んで訳出、紹介した。「若い詩」とは、若い世代による最近の詩という意味である。7頁(43頁~49頁)
9 三つの問題・三つの葛藤――中村不二夫詩論集『詩のプライオリティ』書評 1994-05-00『交野が原』第36号
交野が原発行所
社会の多数派である日常のみを生きる人々、詩界での異なる詩観や詩風、与えられた時代と境遇の中で信念を試される自分自身。詩人にはこれら3者との葛藤があり、そこから生じる問題との対峙は避け難い。この評論集は、そういう問題意識をもって対象にしなやかに肉薄している、と述べた。4頁(106頁~109頁)
10 子規の小説――写生文の前と後評論 1994-08-00むさしの文学会『むさしの文学会会報』第23号 写生文の試みが行われる前に子規が書いた小説は、彼の感受性が生まのまま表出されたものではなかったか。こういう想定のもとに、日清戦争と悪疾が子規の創作に及ぼした影響も考慮しつつ、写生文興隆後の作品「我が病」を中心に、子規の小説の変容を考えてみた。2頁(4頁~5頁)
11 正岡子規と新体詩口頭発表 1994-10-00日本現代詩研究者国際ネットワーク第6回研究会 子規が突然新体詩を盛んに作り始め、可能性の乏しさを知悉しつつも厳格な押韻を導入し、にもかかわらず間もなく新体詩制作を断念し、短歌と写生文の改革に仕事の重点を移してしまうのはなぜか。この問題を、詩作と小説創作との関わりから考えてみた。60分。
12 「四季」とモダニズム――海港から海洋へ口頭発表 1994-12-00四季派学会秋季大会 『海港』の詩人北村初雄らにとって、欧米文化は純粋に憧憬の対象であった。しかし、同時代的に前衛を実践する「モダニズム」を経た後、時代の流れに促されて、日本の詩人たちは母国の讃美や神聖視へと反転していく。社会的状況とも密接に関わりながら、それでもやはり各詩人内部の問題として捉えなければならないこの詩史のメカニズムを、特に『四季』の詩人たちに即して考察した。45分。
13 〈別を夢みた〉詩人の全容――『永塚幸司全詩集』書評 1996-05-00『交野が原』第40号
交野が原発行所
詩壇の芥川賞といわれるH氏賞を受賞し、比喩と屈折と飛躍を駆使する修辞の達人として嘱望されながら39歳で自殺した詩人の全詩集を評した。未発表103篇を含む全263篇には、現実に対する違和感や疎外感、自己嫌悪などが表出され、それゆえ帰属や他界への希求は切実である。永塚幸司の詩は芸術至上主義的な「現代詩」の典型のように見えるが、それは彼自身の実感に裏打ちされた、個人の生理・心理に忠実な作品なのである。4頁(132頁~135頁)
14 正岡子規における多感な客観評論 1996-09-00むさしの文学会『むさしの文学会会報』第31号 子規の「写生」は、理論的には絵画からの転用であるが、冷静な観察や克明な描写といった技法的な把握では括りきれないものである。写生文「死後」で語られる死に対する客観的な感覚を手がかりに、「写生」を支える感情的要素の内実を探った。「写生」を貫く健全さは、「見る」ことと同時に、同志的な共感を寄せる動植物や、憧憬と畏怖をともに抱く精霊に「見られる」(と意識する)ことによって生じており、それは死に対峙する孤独と表裏の関係にあった、と述べた。4頁(1頁~3頁)
15 中原中也・初期短歌からの水脈評論 1997-03-00『詩と思想』3月号
土曜美術社
中原中也はダダイスムに衝撃を受けて詩人を志したが、その前は啄木調の短歌を作っていた。詩作開始後、短歌は形式としては跡絶えてしまうが、その語彙、語感、発想は、伏流となって中原の詩に伴走する。第1詩集『山羊の歌』ではダダの陰で目立たないが、次の『在りし日の歌』には初期短歌との顕著な類似がある。中原の用語では「在りし日」=過去、である。回想の姿勢が、自ずから初期の作歌の姿勢を喚起し、そこに寄り添い、重なっていく機微を、短歌と詩篇との比較検討によって考察した。5頁(48頁~52頁)
16 三好達治と「海の記念日」評論 1997-04-00四季派学会『四季派学会会報』春号 「海の日」7月20日は、戦前も明治天皇の航海に基づく「海の記念日」であった。昭和16年、太平洋戦争直前の制定であり、海洋民族・海洋思想の鼓吹による国威発揚が企図されていた。三好達治はこの記念日にちなむ評論「海の詩歌」の中で、佐藤惣之助の『琉球諸島風物詩集』を称揚する。空の高みから海と陸とを俯瞰的かつ幻想的に眺望するこの詩集の視線は、神話や伝説が混入した当時の日本の歴史観に正しく対応するものであった。1頁(10頁)
17 谷川俊太郎――地上と雲と評論 1997-07-00日本詩人クラブ編『《現代詩》の50年』邑書房 神や天使が飛び交う雲上と人間が這い回る地上、という対比的な構図から、一見変幻自在な谷川俊太郎の詩に通底するものを抽出しようと試みた。垂直性と決定的な懸隔を軸とするこのイメージは、第1詩集に収録されなかったデビュー前の作品から作者60代の近作まで一貫している。初期の詩に顕著だった問いの姿勢と、近年の詩に頻出する問い自体に意味を見出そうとする姿勢とを架橋するものとしても、このイメージは頗る有効である。4頁(158頁~161頁)
18 「櫂」「貘」「麒麟」解題詩誌解説 1997-07-00日本詩人クラブ編『《現代詩》の50年』邑書房 川崎洋、茨木のり子、谷川俊太郎、吉野弘、大岡信らによる「櫂」、嶋岡晨、大野順一、片岡文雄、阿部弘一らによる「貘」は、ともに1953年に創刊された現代詩史上屈指の詩誌。戦争体験を核とする「荒地」「列島」の後を受け、それらに対する一種のアンチテーゼとして個人の感性に全面的な信頼を置き、現代詩への道を開示した。「麒麟」は松浦寿輝、吉田文憲、朝吹亮二ら気鋭の詩人たちによる1980年代のポストモダンを代表する詩誌。これら3誌を解説した。
19 米倉巖論文集『『四季』派詩人の詩想と様式』書評 1997-09-00日本現代詩研究者国際ネットワーク『日本現代詩研究者国際ネットワーク会報』第11号 本書は四半世紀にわたって書かれた論考11本を収録しており、米倉巖の『四季』研究集成の観がある。批評精神の精度と濃度の追究という方法が、どの詩人の分析にも適用されている。長年、萩原朔太郎と伊東静雄を中心に研究を進めてきた米倉だけに、三好達治や中原中也を論じながらも、萩原や伊東を融通無碍に介入させる点がユニークである。阪本越郎の「抵抗詩人」性を指摘するなど、随処に新鮮な問題提起を含んでいる。
20 黒い強靭な老境――瀬沼卓朗詩集『トルソ無明変』書評 1998-03-00『詩と思想』3月号
土曜美術社
安部公房らと交流を持ち20代には小説を書いていた作者は、その後長く編集者として勤め、60歳を過ぎてから詩集を出版する。これはその第2作。人生のなまなましい時期を通過した後の詩の世界に、我々は、枯淡・飄逸・閑寂といった趣を求めがちだが、この詩集はその対極にある。安直な希望ならば絶望の方がまし、という強靭な認識に貫かれた「修羅」の世界は、洗練を指向せず、観念の暗闇が執拗に展開される。異色の老境を具現化した詩集である。
21 小林高寿『詩七十顆』について書評 1998-06-00むさしの文学会『むさしの文学会会報』第35号 正岡子規を専門とするベテラン研究者であると同時に、手練れの俳人でも詩人でもある小林高寿の、24年に及ぶ詩作の成果。戦争や都市文明に対する批判、生の孤独などを主軸とする重厚な内容だが、学者らしい知的な企みも頻出するので、その探索に主眼を置いて接するなら、お洒落でペダンティックな独特の愉楽も与えてくれる。
22 高橋渡論文集『詩人 その生の軌跡』書評 1999-03-00日本現代詩研究者国際ネットワーク『日本現代詩研究者国際ネットワーク会報』第14号 高村光太郎と伊東静雄を2本の柱とし、そこに釈迢空、浅野晃、西垣脩、という研究者としても大きな業績を残した3詩人を加えたこの論集は、詩の転位と変容を詩人の実人生の軌跡と照合し、両者の連関を精緻に解明している、と評した。
23 文芸時評評論 1999-08-00『詩と思想』8月号~12月号 土曜美術社 「夏目漱石・鈴木三重吉+川端康成=芥川龍之介=詩?」、「太宰治と老大家」(「老大家」は志賀直哉)、「阿波野青畝の「物語」とその一瞬」、「松浦寿輝の小説」、「人生を肯定する方法――辻邦生の創作態度」の5編。小説と詩との境界あるいは相互浸潤、作歌における文学観と現実の人生とのズレ、物語性に支えられた俳句の妙味、詩的属性を持つ小説、創作者の条件、などについて述べた。
24 三好達治と辻征夫評論 2000-05-00四季派学会『四季派学会会報』関西版第1号 テーマや技法といった面では特に親近性があるとはいえない三好達治と辻征夫が、詩人としての生を全うするための忍耐の必要性とその認識の切実さにおいては通い合うことを、両者の言説や創作の変遷から導き出した。
25 「吉原幸子」解説解説 2000-06-00『新研究資料 現代日本文学⑦詩』
明治書院
生い立ち、人間関係、影響関係などから吉原幸子の詩が成立する諸条件と内実を整理し、代表詩集を解説、代表詩を鑑賞するとともに、現在までの吉原の著作と吉原に関する文献を網羅して、研究の動向と今後の課題を示した。3頁(430頁~432頁)
26 〈定型〉と新しい〈かたち〉――詩の動向:平成評論 2000-08-00日本詩人クラブ編『日本の詩100年』土曜美術社出版販売 「定型」論争から始まった平成10年間の詩界を、「かたち」の多様性に着目して概観した。ボーダーレス社会を反映する作者の稀薄化、他ジャンルとの融合、他者の導入など、時代の特質がそのまま詩表現の特徴ともなっている、と指摘した。6頁(39頁~44頁)
27 『二十億光年の孤独』「詩行動(1935年)」「詩行動」「今日」「果樹園」解題解説 2000-08-00日本詩人クラブ編『日本の詩100年』土曜美術社出版販売 『二十億光年の孤独』は谷川俊太郎の第1詩集。「詩行動(1935年)」はアナーキズム末期の詩誌。多彩な若手詩人が結集した「詩行動」を、継承したのが「今日」。「果樹園」は「四季」と「コギト」の後継誌の1つ。
28 萩原朔太郎詩の編集と解説編集・解説 2000-09-00平居謙、田井英輝編『近代文学入門』
双文社出版
萩原朔太郎の特徴が顕著であり、しかも完成度の高い詩篇を選択し、作風の変遷が明らかになるように、それらを詩集の発行順ではなく、作品の発表順に配列した。各作品について、通説や有力な解釈、異説、問題点、研究の課題などを提示した。主な利用対象者は大学生を想定している。13頁(123頁~135頁)
29 立原道造「緑蔭倶楽部」の意図と背景口頭発表 2000-12-00日本現代詩研究者国際ネットワーク第18回研究会 立原道造の創作的散文には破綻の危うさとそれゆえの緊迫感があるが、「緑蔭倶楽部」の失敗後は軽みと安定感のある散文に移行する。散文の書き手としての立原が、完成度と引き換えに喪失したものに焦点を合わせ、この作品の新たな位置づけを探った。60分。
30 立原道造とイベール、ザイツェフ評論 2001-03-00立原道造記念館『立原道造記念館館報』第17号 立原道造の散文とイベールの組曲というジャンルの異なる作品の共通点を、当時の演奏会の記録やCDにより調査・検討した。また表題と構成の面からも、両者の関係を考察した。立原の散文作品のイメージが、ザイツェフのイメージに依拠することも指摘した。4頁(3頁~6頁)
31 詩集『金色の青い魚』詩集 2001-03-00土曜美術社出版販売 詩32篇収録。初出誌は、『詩学』『詩芸術』『日本現代詩選』『詩と思想詩人集』『青娥』『交野が原』『coal.sack』『HOTEL』『ハリー』『愛虫たち』である。93頁。解説一色真理。装幀司修。
32 純粋培養された〈四季派〉――能美九末夫評論 2001-07-00『詩と思想』7月号
土曜美術社
詩誌「四季」の投稿は三好達治の選の厳格さで知られるが、杉山平一ら多くの逸材を詩界に送り出しもした。常連投稿者の1人能美九末夫の作風や技法の考察を通して、三好の詩観と「四季」派の内実への肉薄を試みた。
33 知的な陶酔――松浦成友詩集『空のマチエール』書評 2002-06-00鮫の会『鮫』第90号 松浦の前2著を踏まえ、ひらがな表記の多用、身体感覚の異化、散文詩形の活用などによって独自の清新な官能性を展開する一方、そこに耽溺するにはあまりにも明晰な知性の作用も認められ、ときに作品統括上のブレが生じる、と本書の特性を指摘した。
34 北川冬彦と身体感覚評論 2003-03-00『詩と思想』3月号
土曜美術社
モダニズムの代表的詩人である北川冬彦は、身体感覚の形象化にかけては卓抜な発想と技量を持っている。が、それは長続きせず、やがて北川は平板な作風に移行してしまう。その理由を、北川の詩の属性と構造から読み解こうとしたのが本稿である。まず安西冬衛との対照によって北川詩の身体感覚表現の瞬間性と固定性を確認し、そこに「物語」を組み込もうとすれば必然的に「悲劇」になると指摘し、この「悲劇」が効果的な転換や結末を具現するための装置となり、詩の立体感を損ね、展開の形骸化を招来した、と考えた。4頁(34頁~37頁)
35 青年立原道造の晩年評論 2003-03-00立原道造記念館『立原道造記念館館報』第25号 独自の作風を早々と確立した立原道造は、大学卒業後、創作の新たな展開と、社会への適応という2つの課題に直面する。抽象的・空想的・構成的な詩作を自己存在の基底とも規範ともする立原にとって、この2つの課題は不可分の関係にあり、一方の未解決は他方の破綻を意味した。自己存立の根拠を獲得しようと小説制作や恋愛や旅に賭ける青年立原が、それを得られずに不可避的に倒れていく様相を、彼の追悼文を手がかりに考察した。5頁(3頁~7頁)
36 以倉紘平、石川道雄、村田春海の項目解説 2005-05-00日本近代文学会関西支部編『大阪近代文学事典』和泉書院 日本の古典文学を専攻した現代詩人の以倉紘平。ホフマンを中心とする翻訳・研究を行ったドイツ文学者でもある詩人石川道雄。ゴーリキー『母』などの翻訳があるロシア文学者兼詩人の村田春海。これら3者の項目を担当した。
37 第二次『四季』時代の丸山薫――『一日集』と『蝙蝠館』口頭発表 2005-12-00日本現代詩研究者国際ネットワーク第28回研究会 丸山薫の作風の一番大きな変化を彼の詩歴のどの段階に見出すかは、社会的な変動の激しい時代を生きた詩人だけに、研究者個々の詩観に直結する判断の難しい問題である。だが、第4詩集『一日集』が、モダニズムのエスプリとウイットを多分に残していたそれまでの詩集と一線を画することは(特に語法とイメージの提示の仕方において)、疑い得ない。この詩集が志向する世界の特質を、ほぼ同時期の丸山の小説「蝙蝠館」の表現を通じて捉え直し、併せて『一日集』を酷評した三好達治の詩作上の限界も指摘した。60分。
38 第二次『四季』の構想――堀辰雄・一九三七年二月(前篇)評論 2005-12-00立原道造記念館『立原道造記念館館報』第36号 三好達治、丸山薫、堀辰雄。第二次『四季』はこの3者の共同編集という形で創刊されたが、誌面作成の中心的役割を担っていたのは堀である。編集の実務が若手の同人に移ってからも、それは変わらなかった。本稿では、堀の志向性が『四季』という雑誌にどのような性質をもたらしたかを、堀のリルケ観、堀が執筆した「編輯後記」、『四季』誌上の論争や座談会などから考察した。特に、萩原朔太郎、三好達治、丸山薫、立原道造らの『四季』における位置を、堀辰雄との相互関係において検討した。4頁(1頁~4頁)
39 第二次『四季』の構想――堀辰雄・一九三七年二月(後篇)評論 2006-03-00立原道造記念館『立原道造記念館館報』第37号 堀辰雄が神保光太郎に送った1937年2月11日付の長文の書簡がある。ここで堀は『四季』の現状分析を行い、それを踏まえて『四季』のあるべき姿について詳細に語っている。萩原朔太郎を論客としては尊重しながら編集の中心からは遠ざける、三好達治には編集作業よりも外部の執筆者を勧誘するのに動いてもらう、若手に活躍の場を与える、外国文学研究者を大いに活用する、といった興味深い言説が、この書簡には充満している。そうした堀の構想が彼のどのような意識に基づいているかを考察するとともに、現実の誌面が堀の意図をどこまで実現したかを検討した。4頁(1頁~4頁)
40 文芸時評評論 2006-03-00『詩と思想』3月号~7月号
土曜美術社
「〈思わずにやりと〉する最期」、「語り部の孤独――饗庭孝男『故郷の廃家』」、「文学を旅する汽車」、「小山正孝の小説――デカダンスとそこからの脱出」、「清の本質――夏目漱石『坊つちやん』」の5篇。新刊書を中心に、古今東西の詩人の最期を網羅した浩瀚な書物の読み方、精緻な自伝を支える孤独な思索、文学と汽車を連結する評論の楽しさ、詩人として知られる文学者が取り組んだ小説の意義と限界、人口に膾炙した小説の読み替え(「坊つちやん」を人生の現実から目を背けるように育て上げた清は稀代の悪女である)などを述べた。
41 杉山平一『詩と生きるかたち』を読んで書評 2006-09-00四季派学会『四季派学会会報』(関西事務局第1年秋号)
映画評論家としても知られる詩人杉山平一氏の講演・評論集を評した。高浜虚子と竹中郁、織田作之助と三好達治、といった文学史の定説に囚われない独創的な見解に注目。特に重要なのは、「戦争詩」を、戦時下という時代の空気や感触と関わらせつつ、捉え直そうとしている点である。「戦争詩」は、平和に浸りきっている時代には荒唐無稽なものとしか見なされない。だが、「戦争=悪」という命題が自明であるのは例外的な時代なのかもしれないと、本書は静かに警告している。
42 風景画の窓小説集 2007-05-00れんが書房新社 1989年8月から1990年8月まで、私は韓国大田市の大学に日本語講師として勤務した。その折の体験から材を得て書いた小説がある。本書はそれ以降の作品から18篇を選んで編んだ。小説集である。韓国に行く前に書いた作品は作風が異なるため収めなかった。また長すぎて全体のバランスを崩す恐れがあるため収録を見合わせた作品もある。すべてフィクションだが、ここには、谷崎潤一郎や村上春樹の技法を適用した作品などもあり、私の関心・問題意識の在処は正確に刻印されているように思う。(288頁)
43 新現代詩文庫44『森常治詩集』書評書評 2007-05-00『詩と思想』5月号
土曜美術社
記号学の泰斗であり早稲田大学教授を務める森常治の、主要な詩113篇を集成した『森常治詩集』を評した。祖父森鷗外譲りの語彙やスタイルの豊富さを特色とする森常治は、他者の詩篇から主題や詩句をとりこんで自らの作品を仕立てる方法によって知られている。森にとってはそれが、現代思想のエピステーメと共振する領域での創作を実践する方法なのだと思われる。
44 鈴木亨の三位一体――詩人・学者の文学と処世評論 2007-06-00立原道造記念館『立原道造記念館館報』第42号 2006年12月9日に亡くなった近現代詩研究の泰斗鈴木亨氏の業績と、文学史的位置を検討した。氏の主な研究対象は、近世キリシタン文学の流れを汲む新体詩と、昭和初年代の詩誌「四季」を中心とする近代日本の抒情詩である。また氏自身、青年期には「四季」編集に参加した詩人であり、折口信夫、堀辰雄、伊東静雄に親しく教示を受けたことは、氏のその後の研究・創作に良くも悪くも多大な影響を与えている。氏が憧憬した三好達治の詩境、天皇制と神道に対する考え、氏が独力で開拓した歴史叙事詩、等も視野に入れ、文学者鈴木亨の全体像把握を試みた。4頁(4頁~7頁)
45 三好達治、四季、詩と思想、片山敏彦、西垣脩、杉山平一、加藤愛夫、浜田知章、桑原圭介、橋爪健、以上10項目解説 2008-02-00『現代詩大事典』三省堂 詩人と詩誌の解説。「三好達治」、「片山敏彦」、「四季」、「詩と思想」の4項目は長文である。
46 鈴木亨の詩作と研究シンポジウムのパネル 2008-06-21四季派学会2008年度夏季大会(大妻女子大学) 影山恒男氏、川田靖子氏とともに鈴木亨の文学を対象とするシンポジウムに臨み、鈴木亨の創作(詩)と研究(新体詩および近代抒情詩)との相関関係について口頭発表。30分。
47 芝田子寛と司馬遼太郎の項目解説 2008-11-00日本近代文学会関西支部編『滋賀近代文学事典』和泉書院 芝田子寛は川柳作家。司馬遼太郎は小説家。
48 『新小説』について解説 2009-03-00大谷大学図書館・博物館報『書香』第26号 明治から大正にかけて、博文館の『文藝倶楽部』と並んで日本の文学界を導いた春陽堂の文芸雑誌『新小説』の意義と概略を解説した(図書館へのマイクロフィルム収蔵に際して)。
49 北条常久著『詩友 国境を越えて』紹介書評 2009-11-00日本近代文学会『日本近代文学』第81集 草野心平の戦後から晩年に至る膨大な日記は、7巻に分けてすべて思潮社から出版されているので、草野の後半生は比較的辿りやすい。しかし草野を詩に目覚めさせ、彼の詩人としての方向性を決定づけた前半生は、草野自身が戦時中の自己の政治的行動を隠蔽しようと企図したせいもあって、従来一般には知られていなかった。そこに照明を当てたのが本書である。草野心平前半生の評伝として今後必読の文献となりそうな本書には、高村光太郎、宮沢賢治、黄瀛ら、同時代の詩人たちの運命的な瞬間も、十年越しの周到な調査によって正確かつ鮮烈に描出されている。
50 人生のやわらかな重み――杉山平一『巡航船』書評 2010-04-00『交野が原』第68号
交野が原発行所
杉山平一の散文集『巡航船』を評した。長短合わせて39編の散文と巻末の長篇詩一篇からなる本書は、親しい人々や馴染み深い風土への作者の愛着が独特の率直さで語られており、杉山晩年を代表する著作である。特に注目すべき作品は杉山が86歳のときに書いた「かくも長き」である。第二次世界大戦中、中国の戦場で行方不明になった弟晃二氏の生存の可能性が戦後幾度も浮上し、その度に作者をはじめとする遺族が一喜一憂する物語である。重い主題と悲痛な情緒があくまで軽やかにユーモアをもって綴られる年代記は、杉山平一の小説の総決算の様相を呈している。2頁(96頁~97頁)
51 二冊の四人書評 2010-06-00四季派学会『四季派学会会報』平成22年夏号 「二冊」とは、兼子蘭子の全作品集『躑躅の丘の少女』と安水稔和の評論・講演・対談を編んだ『杉山平一 青をめざして』であり、「四人」とは、これら2著の著者2人、前者に序文を寄せている堀辰雄夫人多恵子、後者の対象となっている杉山平一である。第二次『四季』に3本の文章を寄稿した兼子蘭子は他にも多くの作品を残したが、いずれも未刊のままであった。この作品集によって、『四季』と堀辰雄の研究領域の中に新たな未開拓の分野が見出された。『杉山平一 青をめざして』は、安水と杉山による、日本近現代の詩史を書き換える画期的な共同作業である。3頁(1頁~3頁)
52 安水稔和『杉山平一 青をめざして』書評書評 2010-08-01『神戸新聞』書評欄 関西詩壇の重鎮杉山平一と安水稔和との対談、杉山についての安水の論考と講演、これら3種の文献を集成し、杉山の第五詩集の名を冠した本書は、日本近代の抒情詩を代表する『四季』と関西の詩人たちの動向を中心に論じられているが、杉山のマチネ・ポエティク論や安水の津村信夫論など、意外な興味深い論点や証言も含まれている。詩界の見過ごされやすい潮流を丹念に記録している点でも貴重である。13面
53 「立原道造特集」に寄せて解説 2010-10-00四季派学会『四季派学会会報』平成22年冬号 2010年9月30日、筑摩書房から刊行中であった立原道造の五度目の全集が完結した。また同年9月26日には、東京大学の門前にあった立原道造記念館の最後の展覧会が終了し、館は事実上廃館となった。所蔵品は長野の信濃デッサン館・無言館に委託されることとなり、その前触れとして、デッサン館ゆかりの東京のアネックス・ギャラリーで「立原道造展――パステルはやはらかし」が7月10日から9月3日まで開催された。こうした状況を踏まえ、立原道造も主要なメンバーであった『四季』を研究対象とする「四季派学会」でも立原の特集を組むことにした。2頁(3頁~4頁)
54 杉山平一の「詩的小説」を読む評論 2010-11-00四季派学会『四季派学会会報』平成22年冬号 杉山平一はかなり多くの小説を書いているが、それらはいずれも「詩的小説」あるいは「長篇散文詩」と呼ばれることが多い。杉山が映画評論家として出発し、次に詩人として業績を上げ、しかるのちに小説を書き始めたから、そのように見なされるのである。が、映画評論家と詩人との両立は認められるのに、詩人と小説家とを等分に兼ね備えた表現者が自然に認められないのはなぜか。これは日本の文学界特有の考え方なのだろうか。杉山自身は「つねに詩的なものは二流である。」と述べているが、そういう文学者の具体例として、泉鏡花、永井荷風、太宰治、小林秀雄、ヘッセ、リルケ、ポー、メルヴィル、その他の錚々たる顔ぶれを挙げ、一方、「詩的」でないため一流である作家としては丹羽文雄ひとりしか挙げていない。「詩的」は二流だが一流を凌駕する二流である、という逆説的な自負が杉山にはある。それゆえ彼は、終生、自作のジャンル規定を明確にせずに事実上の小説を書き続けた。1頁(12頁)
55 杉山平一を読むシンポジウムのパネル 2010-11-27四季派学会2010年度冬季大会(大谷大学) 安智史氏、佐古祐二氏、桜井節氏とともに、杉山平一の文学を対象とするシンポジウムに臨み、これまであまり論議されてこなかった杉山の小説を中心に口頭発表を行った。杉山の小説を詩人の片手間仕事と軽んじる考えを批判し、杉山の小説には詩とは異なる価値と意義があることを主張した。30分。
56 三好達治、津村信夫、以倉紘平、大西隆志、向井孝、山村順の項目解説 2011-10-00日本近代文学会関西支部編『兵庫近代文学事典』和泉書院 5名、いずれも詩人である。
57 杉山平一という複合体―〈近代〉を体現する方法 単著 2012-09-00『現代詩手帖』9月号(思潮社) 杉山平一は昭和十年代に詩誌『四季』から登場した詩人だが、戦後も長く活躍し、最晩年に発行した詩集『希望』は詩界で高く評価された。杉山が戦前から最晩年まで作風を一貫させつつ充実した創作活動を維持し得たのはなぜか。一見八方美人になりかねないようでありながら、多角的な方法の集積をその内実としていた杉山の詩法を考究した。
p81~85
58 草野心平、楠田敏郎、太宰施門、花田明子の項目解説 2012-11-00日本近代文学会関西支部編『京都近代文学事典』和泉書院 草野心平は詩人、楠田敏郎は歌人、太宰施門はフランス文学研究者(京都大学教授)、花田明子は劇作家(劇団主宰)。
59 西郷竹彦『啄木名歌の美学――歌として詠み、詩として読む三行書き形式の文芸学的考察』書評単著 2013-04-13「図書新聞」第3106号 石川啄木が近現代短歌史において最も読者の多い歌人であり、その人気が三行書きという形式と不可分であることは、既に多くの論者によって指摘・検証されている。だが定型音数律の句が一行から三行に書き換えられただけで、なぜ独特の魅力を発揮するようになるのか。この問題への対応は従来必ずしも諸家の一致を見ていない。そのような研究状況のなかへ、西郷氏は本書によって大胆な新説を提示した。啄木は独特の「短歌」を詠んだのではなく、「歌詩」という新たな文芸ジャンルを創出したのだ、と西郷氏はいう。短歌のもつ伝統的抒情性と行分け詩のもつ近代的批評性とが融合した地点に成立するのが「歌詩」だとする西郷氏の考えは、啄木短歌の独創性に見事な説明を与えるばかりでなく、七五調への執着と新規な感覚への憧憬をともに内包する日本人の心性までも鮮やかに解き明かしている。
60 国際的感性と日本語詩―草野心平の中国体験 単著 2014-08-00『詩と思想』8月号 大学時代と日中戦争時代の中国体験は、人間的・政治的に草野心平にとって重要な体験であった。文学的にもそれは草野の詩法に大きく作用した。自作の詩を日本語より先に中国語で発表する機会が多かったため、あらかじめ中国語に訳された日本語詩の表現効果を、彼は考えなくてはならなかったはずなのだ。
p24~27
61 永塚幸司―<きれい>になりたかった男単著 2015-11-01『詩と思想』11月号 特集「現代の夭折」の1篇として執筆。現代詩の最前線に立ち前衛的な創作に邁進しているかのように思われていたH氏賞詩人永塚幸司は、実子の誕生を見ずに服毒自殺した。飛躍が多く大胆なイメージが奔出する永塚の詩は現代詩の典型のように思われがちだが、実は作者の日常的感覚やコンプレックスに根差した発想が大きく関与していたのではないか、と指摘した。p55~57
62 野村英夫小論―生者と死者と単著 2015-11-01『詩と思想』11月号 特集「近代の夭折」中の1篇として執筆。堀辰雄の愛弟子として知られる野村英夫は、文学青年時代には軽井沢文化圏の主要な一員であったが、堀譲りの肺結核を患ったこともあり、詩人としては十分に成熟することなく世を去った。作品数も多くない、だが野村がキリスト教徒であったためにその信仰に直結する読みばかりを作品に求めるのでは、この詩人の正当な評価には繋がらない。注目されることの少ない詩篇をあえて掘り起こし、彼の詩業の全貌を把捉しようと試みた。遠藤周作との交友についても言及した。p65~67
63 『山の奥』の詩法―今あらためて立原道造と小山正孝の接点を問う 単著 2015-11-13『感泣亭秋報』第10号 小山正孝が先輩・立原道造の影響下に自分自身の詩法を確立したことはよく知られているが、従来この問題はほぼ専ら素材や語彙を対象に論じられるものであった。本稿では行を単位として(改行の方法など)両者の親近性を検証した。
p22~24
64 『四季』の語法の一側面―三好達治と立原道造単著 2016-08-01『詩と思想』8月号 『四季』派の代表と目される三好達治と立原道造の口語自由詩ならではの表現方法を検討した。三好の散文詩と立原のソネットという形式的に隔たりのある2作品を対象とし、打ち消し・指示語・リフレインなどに共通点や類似点が認められることを指摘した。
65 「祖母」単著 2017-10-14『三好達治展』(福井県ふるさと文学館) 「私の好きな一篇」として、三好達治の初期作品「祖母」についての思い出と考えを記した。初期の三好は母と祖母を2大モチーフとしていたが、第一詩集『測量船』では一本としての統一を図るべく、祖母のイメージを割愛して編纂した。そのため祖母をモチーフとする初期の名作の数篇が読者の目に触れることはいまだに少ない。これは読者にとっても作者三好にとっても残念なことだと思う。p53
66 正岡子規と藤の花房―物語の成立をめぐって単著 2019-04-26『子規研究』第80号 正岡子規が藤の花を詠んだ短歌はつとに有名だが、「瓶にさす藤の花房みぢかければ……」という冒頭の一首のみが人口に膾炙し、そのため子規の提唱した「写生」との関連ばかりが喧伝されているように見える。藤の花の連作十首を通して読むと、メタフィクションの方法も組み込みながら詠み手が自己の存在様態を物語化しようとしていることが明らかになる。p14~18
67 武井和人詩集『さくら』書評単著 2019-05-01『詩と思想』5月号 歌句をはじめとする日本文学の伝統的表現を巧緻に活用することによって、私的な記憶や感懐を一気に普遍的な光景や情緒に転化させてしまう作者の力量が圧巻であり、随所に古典が隠見するので本書の読者には謎解きの面白さもある、と指摘した。p166
68 名詩集発掘 足立巻一詩集『雑歌』 単著 2020-05-00『詩と思想』5月号 評伝や小説、文化史研究など多彩な業績で知られる足立巻一は、また関西屈指の詩人でもあった。足立の代表詩集といえる『雑歌』を対象として、彼の詩の特徴から文学的業績全貌の展望を試みた。
p94~97
69 高祖保式詩作装置単著 2022-07-01『詩と思想』7月号 高祖保は戦前・戦中に精力的な活動を展開しながら終戦間際にビルマ(現ミャンマー)で戦病死した詩人である。この詩人の特徴的な創作方法として、既存の作品の自分流の書き換えがあることを指摘し、それが単なるパロディーではなく、詩人の意識的な詩作のメカニズムであったことを、三好達治や丸山薫の作品との比較によって検討した。p28~32
以上69点

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