教育研究業績の一覧

釆睪 晃
A 教育業績
教育実践上の主な業績 年月日概要
1 教育内容・方法の工夫(授業評価等を含む)
1 携帯電話番号及びメールアドレスの周知 2004-00-00 ~ 自らが指導教員となった学生には、個人の携帯電話の番号と携帯電話及びパソコンのメールアドレスを知らせ、いつでも相談・質問等ができるようにしている。
2 粘葉装の指導 2007-00-00
~2011-00-00
『大正新脩大蔵経』のコピーをテキスト乃至資料に用いる授業では、これを粘葉装にするよう受講生に勧め、授業時間外に個別にその方法を指導している。
3 学生にブログを開設させる 2008-00-00
~2014-03-00
定期試験毎に多くのレポートをこなすとはいえ、多くの学生は文章を作ることに慣れていない。自己満足的な独白ではなく、他者に読んでもらう文章を書く練習として、ゼミの学生には3回生時にブログを開設して、様々なもののレビュー(紹介と評価)を書くように求めている。また、その継続の励みとなるよう、投稿されている記事にはなるべくコメントするようにしている。
4 月例レポート 2009-00-00 ~ 「人間学Ⅰ」の授業において、なるべく様々なものに興味を持ってもらうために、「月例レポート」を課している。これは、映画・コンサート・舞台や建築などに直に触れ、その内容を毎月1本レポートしてもらうというものである。自宅内で鑑賞できるDVDやCDは認めていない。なお、このレポートの提出は授業時のみにしか認めておらず、出席を促す効果も狙っている。
5 ツイッターによる互評会 2010-00-00
~2013-00-00
「人文情報学演習Ⅱ」において、各班のプレゼンについて、Twitter上でリアルタイムで互評し合う場を設けた。その場で発された学生らのツイートをTogetter上に公開した。これによって、教室外からは勿論のこと、学外からも反応が来るようになり、学生のクラス内発表への姿勢が積極化した。
6 月例レポートの互評 2011-00-00
~2013-00-00
人文情報学演習Ⅱでは、本学図書館に所蔵されている新書を、毎月1冊取り上げて、その書評をPDFで学内LANの共有フォルダに提出させている。さらに、それをクラスの受講生に互評させている。これによって、図書館の利用に親しむとともに、読書への動機づけともなっている。
2 作成した教科書、教材、参考書
1 『経典を読む』 2006-04-00 ~ 仏教学科2回生の必修科目である「仏教学演習Ⅱ」に使用するテキスト『経典を読む』を編集した。以後、毎年改訂を続けている。
2 「人文情報学演習Ⅱ」の資料 2006-04-00 ~ 学生の手元に示す資料は、学内LANの共有フォルダ上に置き、受講生各自が自由にダウンロードして参照できるようにしている。
3 「法華経を読む2」の資料 2010-00-00 ~ この授業では、敦煌壁画に見られる法華経変相図を取り扱ったため、言葉では明確に示しづらい。PowerPointで壁画の画像を示すと共に、それをプリントして配布した。なお、プリントはどうしても白黒になってしまうため、カラーのデータファイルを学内LANの共有フォルダに置き、受講生が随意にダウンロードできるようにした。当該科目を担当するたびに改訂を行っている。
3 教育方法・教育実践に関する発表、講演等
1 大谷大学における「メディア・リテラシー(入門)」の取組 2008-12-14 ~ 多様化する学生に対する情報教育では様々な困難がある。特に、様々なスキルレベルを持った学生が同一の授業を受ける場合には、受講者のモチベーションの維持が難しい。この問題を巡るディスカッションの中で、本学の取組として、「メディア・リテラシー(入門)1」ではレポートや卒業論文に使えるテンプレートを作成させているという授業内容を紹介した。[漢字文献情報処理研究会第11回大会]
4 その他教育活動上特記すべき事項
1 学術懇談会 2004-00-00 ~ 最新の仏教学の動向に触れるための講演会。また、大学院生を交えての懇親会を学内で開催し、学生が様々な刺激を受けるよう促している。2004年以降、随時開催している。
庶務委員として、セッティングや学生への情宣などを行っている。
2 研究発表例会 2004-00-00 ~ 教員の研究成果を共有するために開催している伝統行事。
庶務委員として、セッティングや学生への情宣などを行っている。
3 新入生歓迎講演会 2004-04-00 ~ これから仏教学を学ぶ新入生のために導入となる講演会を新入生歓迎講演会として、毎年度開催している。
庶務委員として、セッティング及び情宣などを行っている。
4 仏教学科第2学年一泊研修 2004-07-00 ~ 湖西キャンパスセミナーハウスでの仏教学科2年生を対象にした一泊研修。年によって、史跡踏査を行ったりレクレーションを企画するなどしている。
庶務委員として、学生スタッフの指導及び全体のセッティングや学生への情宣を行っている。
5 修士論文中間発表会 2004-10-00
~2009-00-00
修士論文提出予定者に対して、教員がそれぞれの立場からアドバイスを与えることができるよう、教員が共同して中間発表会を開催している。
庶務委員として、セッティング及び学生への情宣などを行った。
6 史跡踏査 2004-11-00 ~ 仏教にかかわる史跡踏査を開催している。
また、学生指導の一環として、パンフレットの作成を学生にさせ、その指導に当たっている。
庶務委員として、下見を含めた全体のセッティングと情宣、パンフレットを作成する学生の指導を行った。
7 卒業論文梗概発表会並びに送別懇談会 2005-01-00 ~ 提出されたばかりの卒業論文の内容を発表し合う会を毎年度開催している。また、その後は懇談会を設定している。
庶務委員として、各種手配及び全体のセッティングと学生への情宣を行っている。
8 「人文情報学演習Ⅰ」のコーディネイト 2006-00-00
~2007-00-00
「人文情報学演習Ⅰa」では、学内の様々な分野の教員に講義を担当してもらい、様々な学問分野の言説に触れるようにする。2006~2007年度にコーディネイトを担当した。
9 「人文情報学演習Ⅱ」の成果プレゼンテーション 2006-00-00
~2013-00-00
「人文情報学演習Ⅱ」ではプレゼンテーションを作成しているが、一年間の成果として4クラス合同でコンペティションを開催している。さらに、上位2チームには次年度オリエンテーション期間中に新2回生に対してデモンストレーションをさせ、新2回生への動機づけを行っている。
10 SNSによる連絡網の構築 2011-00-00 ~ mixi、Twitter、facebook、LINEなどといった、学生に人気があるSNSを用いて連絡網を構築した。これによって、学生が気楽に相談できる環境を作り上げた。
B 職務実績
C 学会等及び社会における主な活動
所属期間及び主な活動の期間 学会等及び社会における主な活動
1 1996-00-00~0000-00-00 日本印度学仏教学会
2 1996-00-00~0000-00-00 日本宗教学会
3 2001-00-00~0000-00-00 日本佛教学会
4 2003-00-00~0000-00-00 漢字文献情報処理研究会
5 2005-00-00~0000-00-00 真宗教学学会
6 2005-00-00~2014-00-00 大谷学会 委員
7 2008-00-00~0000-00-00 真宗教学学会 委員
8 2011-00-00~0000-00-00 日本印度学仏教学会 学術情報委員
9 2016-00-00~0000-00-00 日本印度学仏教学会 評議員
10 2020-00-00~2020-00-00 日本佛教学会 理事
11 2023-04-00~0000-00-00 『東方』編集委員
D 研究活動
著書、学術論文等の名称単著、
共著の別
発行又は
発表の年月
発行所、発表雑誌等
又は
発表学会の名称
概要
Ⅰ著書
1 新アジア仏教史06 中国Ⅰ 南北朝 仏教の東伝と受容共著 2010-12-20佼成出版社 「第2章 仏教伝来」を担当。
中国に仏教が伝えられた状況を、さほど信頼できる資料がない中で、伝説を通して考察した。また、仏教の中国での展開において道教が果たした役割にも注目すべきことを指摘した。
編集委員:沖本克己、編集協力:菅野博史。
執筆:木村清孝、釆睪晃、菅野博史、河野訓、船山徹、沖本克己、横井克信、他7名。
[総頁数407頁][本人担当41頁 pp.71-111]
以上1点
Ⅱ学術論文
1 慧思の禅思想の背景単著 1997-12-00『印度學佛教學研究』第46巻第1号
(日本印度学仏教学会)
南岳慧思が移動した跡を辿ってみると、当時新興道教が盛んであった地域を選んでいるかのように見受けられる。逆に、仏教的見地からは、慧思がなぜそれらの地域を選んだのか、説明できないのである。当時それらの地域に至るためには、政治的軍事的な混乱をくぐり抜けなければならなかった。ここには明確な慧思の意志が働いていた筈であり、著作中に見られる禅思想の中に道教思想の痕跡を求めた。
3頁[pp.212-214]
2 北朝における『智度論』受容 ―慧思を手がかりとして―単著 1998-12-00『大谷大学大学院研究紀要』第15号
(大谷大学大学院)
南北朝時代末期になると多くの『智度論』研究者が現われる。それはどのような観点から『智度論』を見ようとしたのであるかを考察した。当時の『智度論』研究者の著作の殆どは失われているので、先ず南岳慧思の著作から『智度論』をどのように見ていたかを確認し、北朝における他研究者との共通項を探っていった。その結果、多くの『智度論』研究者は、戒律や禅定・階位といった実践的な関心から『智度論』を参照することが多いことを明らかにした。
17頁[pp.71-87]
3 中国における大乗思想の受容単著 2001-03-00『印度學佛教學研究』第49巻第2号
(日本印度学仏教学会)
大乗思想を受容する際、『法華経』が説く阿羅漢成仏説をどのように受け取るかが大きな問題となった。『大乗大義章』において、慧遠は遍学について執拗に問を繰り返す。これは、声聞道で成仏できるのならば何故菩薩道が必要なのかという問でもあり、まさしく『法華経』の阿羅漢成仏説をどのように位置づけるかという問題意識から発したものであった。これに対して鳩摩羅什は、『法華経』は「秘蔵」の説であり、仏が最後の清浄衆に対して説かれたものであることに注意を促し、結論のみを先取りすることがないように戒めている。
3頁[pp.244-246]
4 『大乗大義章』中における『法華経』観単著 2001-05-00『佛教學セミナー』第73号
(大谷大学仏教学会)
『法華経』において非常に重要な意味を持つ「一乗」もしくは「一仏乗」という語を、『法華経』をしきりに参照する『大乗大義章』中に一度も見出すことができない。それは、鳩摩羅什は、①阿羅漢もやはり仏道修行は菩薩道によるべきである、②法華経のみにこだわって他の教説をおろそかにしてはならない、③阿羅漢も菩薩道に心を発すべきである、といったことに重点を置いて説いており、一方、慧遠は、自らが長い間実践してきた声聞道によって仏に成ることができるのか、できるとすればどのようにか、という立場から問いを発しているからであった。
21頁[pp.44-64]
5 金石文献による中国華厳宗の研究(一)共著 2002-03-00『大谷大学真宗総合研究所研究紀要』第19号
(大谷大学真宗総合研究所)
真宗総合研究所の一般研究「金石文献による中国華厳宗の研究」(代表者・織田顕祐)の報告。「大周新翻三蔵聖教序」「大唐中興三蔵聖教序」の項を担当した。
編著:織田顕祐
執筆:織田顕祐、福井敏、石川彰彦、長谷川慎、米田健志、釆睪晃、松浦典弘、島津京淳
総頁数120頁[本人担当 25頁(pp.81-105)]
6 初期中国仏教における大乗思想の受容 ―鳩摩羅什を中心として―
(博士論文)
単著 2002-03-00大谷大学 鳩摩羅什は、単に重要な仏典を翻訳した者としてだけではなく、中国に大乗思想を伝え、定着させた人物としても、一大メルクマールとされるべきである。その鳩摩羅什の事績にはいまだ不明確な点が数多くあるが、それらについて丹念に確認するとともに、鳩摩羅什の重要な業績の一つとして中国人に対する教育を挙げ、中国人に対してその思想を伝えるべく奮闘する様子を描き出した。
176頁(pp.1-176)[審査要旨『大谷学報』第82巻第4号 10頁(pp.25-34)]
7 鳩摩羅什の『法華経』観単著 2002-09-00『大谷學報』第81巻第3号
(大谷大学大谷学会)
鳩摩羅什は『法華経』をどのように捉えていたのか。『大乗大義章』中でも『法華経』への関説が最も多い第十問答を中心にして考察した。鳩摩羅什は、『智度論』の思想を背景として『法華経』を『般若経』の立場から捉えようとしている。阿羅漢作仏を説くという特徴を認めるものの、般若波羅蜜の立場に立てば、一乗すらも空ぜられるものであり、一乗三乗を云々することは『法華経』の特徴としては捉えられていない。その上で、仏道修行の中心は菩薩道にありとする見解を繰り返し説く。
21頁[pp.28-48]
8 金石文献による中国華厳宗の研究(二)共著 2003-09-00『大谷大学真宗総合研究所研究紀要』第20号
(大谷大学真宗総合研究所)
真宗総合研究所の一般研究「金石文献による中国華厳宗の研究」(代表者・織田顕祐)の報告。「清涼国師妙覚塔記」の項を担当した。
編著:織田顕祐
執筆:浦山あゆみ、釆睪晃、長谷川慎、福井敏、今場正美、米田健志、坂井祐円
総頁数98頁[本人担当 14頁(pp.11-24)]
9 僧叡「関中出禅経序」における『首楞厳経』について単著 2004-03-00『印度學佛教學研究』第52巻第2号
(日本印度学仏教学会)
『首楞厳経』を引用する僧叡「関中出禅経序」が二重の構成になっていることを確認し、そこから鳩摩羅什訳『首楞厳経』が涼州で訳された可能性を探った。『首楞厳経』は、涼州においては非常に流行した経典であり、鳩摩羅什がこの経典を翻訳したのもまた涼州においてであったと考えられる。また、『首楞厳経』は『般若経』・『維摩経』・『法華経』との思想的連続性が既に指摘されているが、鳩摩羅什はそれらの経典ばかりではなく、それらを有機的に結びつける『智度論』をも訳している。これらの経論の訳出以後に改めて『首楞厳経』を訳出する思想的必然性は乏しいと考えられる。
4頁[pp.140-143]
10 竺法護訳『首楞厳経』と『勇伏定経』単著 2004-12-00『印度學佛教學研究』第53巻1号
(日本印度学仏教学会)
竺法護が訳出した経典群の中には、『首楞厳経』と『勇伏定経』という、同じく「シューランガマ・サマーディ・スートラ」を原題とすると考えられる2種類の経題が伝えられている。従来、これは記録者の錯誤か別個の経典なのか決着がついていなかった。これを諸経録の割注の比較などを通して、別個の経典であると結論づけた。更に、竺法護訳『首楞厳経』は、現在は散逸してしまっているが、阿難が非常に重要な役割を果たす内容であったことを論証した。 7頁[pp.198-204]
11 『首楞厳経』の漢訳とその受容単著 2006-06-00『真宗教学研究』第27号
(真宗教学学会)
鳩摩羅什が『首楞厳三昧経』を訳出したのは、涼州幽閉時代であったことを諸資料から推測した。加えて、首楞厳三昧への注目がましていくのに対して、専論たる『首楞厳三昧経』が徐々に参照されなくなっていることを指摘し、首楞厳三昧の位置づけの遷移を探った。15頁[pp.50-64]
12 十住思想と『首楞厳三昧経』単著 2006-07-00『大谷學報』第85巻第3号
(大谷大学大谷学会)
『出三蔵記集』所収の「漸備経十住胡名并書叙」によって、『首楞厳三昧経』が菩薩の階位という視点から読まれていたことを明らかにした。次いで、鳩摩羅什訳『首楞厳三昧経』もまた同様の関心から翻訳された可能性を示唆した。20頁[pp.1-20]
13 五世紀初頭における中国仏教の戒律観単著 2009-07-00『日本佛教学会年報』第74号
(日本佛教学会)
広律の中国伝来が鳩摩羅什とその周辺で為されていることを手がかりにして、破戒僧でもあった鳩摩羅什の戒律観を確認し、当時の長安に見られた「傲岸出群」という鳩摩羅什への評価の背景を探った。 14頁[pp.133-146]
14 五世紀初頭における中国仏教の戒律観単著 2009-07-20『戒律と倫理』日本佛教学会編・平楽寺書店 『日本佛教学会年報』第74号掲載論文(Ⅱ学術論文 no.13)の再録。14頁[pp.133-146]
15 慧思における末法と『法華経』単著 2010-06-00『佛教學セミナー』第91号
(大谷大学仏教学会)
南岳慧思は、中国仏教において最も早い段階で末法思想を表明した人物として知られる。それと同時に、『法華経』至上主義を最初に提唱した人物としても知られる。その両思想がどのような点で繋がるのかについて考察し、その結節点として実践行という視座を提供した。11頁[pp.18-28]
16 廬山慧遠と二禅経単著 2012-06-00『佛教學セミナー』第95号
(大谷大学仏教学会)
鳩摩羅什を尊崇していた廬山慧遠は、鳩摩羅什訳『坐禅三昧経』を差し措いて仏陀跋陀羅訳『達摩多羅禅経』の方を重視したように見受けられる。その理由を考察するには、『般舟三昧経』によって白蓮社の般舟三昧行を組織していたということが手がかりになることを指摘した。その上で、般舟三昧行を組織する上での不浄観の位置付けが重要な契機となったであろうことを指摘した。
17頁[pp.1-17]
17 中国における仏伝受容 ―漢訳仏伝の変容を通して―単著 2015-06-30『佛教學セミナー』第101号
(大谷大学仏教学会)
康孟詳訳『中本起経』は、訳出事情などが明らかな経典としては、現存する中でも最も古いものである。「本起」というタイトルからは釈尊の前生譚が主題となっている筈だが、現在伝わるものには無い。このような「編集」には中国人自身の意図が働いていたことを牟子「理惑論」所収の仏伝と構成が一致することを以て示した。
17頁[pp.1-17]
18 南嶽慧思の末法説の源流(南岳慧思的末法思想的源流)単著 2016-11-16中国佛教协会・中华宗教文化交流协会編
『汉传佛教祖庭文化国际学术研讨会文集』下册
(宗教文化出版社)
慧思の末法思想は那連提耶舎に起源を持つ「であろう」と推測されている。では、2人の思想は同様のものであったのであろうか。先行研究では、正法・像法・末法がそれぞれ何年であるかという点以外、共通点も相違点もほとんど顧みられてこなかった。両者の共通点と相違点との確認を通じて、慧思の末法思想は那連提耶舎のそれとは異質であることを明らかにした。11頁[pp.644-654]
19 「闘諍堅固」とは何か ―南嶽慧思の思想を参照して―単著 2019-03-15『大谷學報』第98巻第2号(大谷大学大谷学会) 『大集経月蔵分』には、仏法が仏滅後徐々に衰退する様子を説いている。仏教が衰退していく中でも、仏法を護持するきっかけとなるものが挙げられている。「禅定堅固」や「多聞堅固」といった項目は仏法護持のために有効であることは納得しやすい。しかし、最後に「闘諍堅固」という項目が挙げられている。しかしながら、闘諍がどのように仏法護持に積極的意味を持つのか、にわかに理解しがたい。しかるに、経典にはその説明はほとんど為されていない。これを、ほぼ同時代の南嶽慧思の思想を参照しながら、その積極的意義を探った。18頁[pp.27-44]
20 鳩摩羅什と姚興との往復書簡単著 2019-03-30坂本廣博博士喜寿記念論文集刊行会編
『坂本廣博博士喜寿記念論文集 佛教の心と文化』
(山喜房仏書林)
後秦の皇帝であった姚興の「通三世論」とそれに対する鳩摩羅什の答書とを取り挙げ、鳩摩羅什の直接の言葉を伝える文献として重要であると指摘した。その上で、両者の内容から鳩摩羅什が姚興に奉った『実相論』が現在伝わっていない理由を推測した。[17頁 pp.45-61]
21 【研究ノート】姚興「通三世論」と鳩摩羅什からの答書単著 2020-06-30『仏教学セミナー』第111号(大谷大学佛教学会) 学術論文20「鳩摩羅什と姚興との往復書簡」に、いくつかの文献を検討対象に加えて考察した。[46頁 pp.60-105]
22 末法思想の日本への流伝と臨池伽藍 単著 2022-03-00『佛教學セミナー』第114号(大谷大学仏教学会) 口頭発表no.19を再構成したもの。[総頁数27頁 pp.1-27]
23 慧思の「衆生妙」について 単著 2023-08-31『日本佛教学会年報』第87号(日本佛教学会) 口頭発表 no.22を論文化したもの。18頁[pp.27-44]
以上23点
Ⅲ 口頭発表・その他
1 慧思の禅思想の背景口頭発表 1997-06-00日本印度学仏教学会第48回学術大会 [Ⅱ学術論文 no.1に同じ][15分]
2 中国仏教における『智度論』受容についての一考察口頭発表 1998-07-00大谷大学仏教学会例会 北魏末に道場が出て以来、多くの『智度論』研究者が出たが、『智度論』のみを研究対象とした一学派が形成されたわけではなかった。では、彼らは『智度論』と同時にどのような研究をし、その中で『智度論』はどのような役割を果たしていたのであろうか。主に僧伝に依りながら、大まかな分類を試み、北朝の実践的な関心と南朝の義学的な関心との相違を確認し得た。[15分]
3 中国仏教における鳩摩羅什 ―小乗に対する態度を中心に―口頭発表 1999-12-00大谷大学特別研修員研究発表会 鳩摩羅什は中国に本格的な大乗思想を伝えた、と評される。では、鳩摩羅什が伝えようとした思想と中国人が受け取った思想とは合致していたのであろうか。小乗・阿毘曇に対する態度に着目して考察した。中国人では、廬山慧遠と僧叡、竺道生を取りあげ、鳩摩羅什の小乗観と比較した。結果、鳩摩羅什の意図とは異なり、中国においては小乗が必ずしも否定されるべきものとしては捉えられていなかったことを示した。[30分]
4 中国仏教における鳩摩羅什口頭発表 2000-07-02真宗教学学会教学大会
中国における鳩摩羅什の第一の課題は、小乗阿毘曇に依存した中国仏教の状況を正すことにあったと考えられる。そのために、鳩摩羅什はやや極端な表現をとることも辞さなかった。これが最もよく表われているのは、『成実論』に対する態度であろう。鳩摩羅什が『成実論』を翻訳したのはこの論が「毘曇を破」しているからであって、阿毘曇に偏する中国人を対治するに最適と考えたからであった。
[15分][発表要旨『真宗教学研究』第22号 2頁(pp.169-170)]
5 初期中国仏教における鳩摩羅什―「大乗」の概念を中心に―口頭発表 2000-09-00日本宗教学会第59回学術大会 『大乗大義章』『注維摩詰経』によると、鳩摩羅什は、中国の仏教者達が大乗をも小乗阿毘達磨で解釈しようとしていることに対し、警告を発しようとしたのだと考えられる。小乗から大乗へのドラスティックな転回を自ら経験した鳩摩羅什の目には、中国の大乗と小乗を十分にわきまえない状態は、大変な混乱と映ったであろう。鳩摩羅什は、中国人の求めに応じて新たな経論を翻訳するとともに、先ずそのような混乱状況の改善を図るべきだと考えたのであった。
[15分][発表要旨『宗教研究』第74巻第4号 2頁(pp.174-175)]
6 中国における大乗思想の受容口頭発表 2000-09-00日本印度学仏教学会第51回学術大会 [Ⅱ学術論文 no.3に同じ][15分]
7 中国に於ける大乗思想受容の一様相 ―法華経を中心に―口頭発表 2000-12-00大谷大学特別研修員研究発表会 『大乗大義章』によると、鳩摩羅什は、自らが翻訳までしている『法華経』に対して一種奇妙な態度を取っている。第十問答において、まるで『法華経』を留保するよう慧遠に勧めているかのように読めるのである。例えば、鳩摩羅什が『法華経』を「秘蔵」と言う時、妄りに採ってはならぬ教説といったニュアンスが強い。これに対して、中国人の仏教者は『法華経』を最高の教説として積極的に捉えようとしていた。その温度差を描出した。[30分]
8 仏典入門事典分担執筆 2001-06-00永田文昌堂 『聖一国師語録』の項を分担執筆。[p.425]
A5版 589頁
9 僧叡「関中出禅経序」における『首楞厳経』について口頭発表 2003-09-00日本印度学仏教学会第54回学術大会 [Ⅱ学術論文 no.9に同じ][15分]
10 竺法護訳『首楞厳経』と『勇伏定経』口頭発表 2004-07-25日本印度学仏教学会第55回学術大会 [Ⅱ学術論文 no.10に同じ][15分]
11 『首楞厳経』の漢訳とその受容口頭発表 2005-07-10第12回真宗大谷派教学大会 鳩摩羅什が『首楞厳三昧経』を訳出したのは、涼州幽閉時代であったことを諸資料から推測した。加えて、首楞厳三昧への注目がましていくのに対して、専論たる『首楞厳三昧経』が徐々に参照されなくなっていることを指摘し、中国における首楞厳三昧の位置づけの遷移を探った。[15分]
12 五世紀初頭における中国仏教の戒律観口頭発表 2008-09-12日本佛教学会 学術大会 [Ⅱ学術論文 no.13に同じ]
[20分]
13 南岳慧思と『法華経』―慧思後身説の背景―口頭発表 2008-09-15日本宗教学会 第67回学術大会 同学術大会におけるパネル「平安~鎌倉期における宗教心の転換―法華・太子・観音信仰―」(代表:織田顕祐)での発表。慧思が「衆生」に注目し続けていることを手がかりとして、どのように慧思が「慈行」に優れた人物として見られるようになるのかを、思想的な側面から考察した。
[20分][要旨『宗教研究』第82巻第4号 2頁(pp.121-122)]
14 慧思の末法観口頭発表 2009-10-22大谷学会研究発表会 従来、南岳慧思『立誓願文』が現存する文献では最も早くに末法思想を提唱したと考えられてきた。近年、慧思よりも早くに末法思想を中国に伝えた人物として、那連提耶舎が注目されている。那連提耶舎の末法思想と比較することを通して、慧思の末法観を描出した。[20分]
15 『坐禅三昧経』と『達摩多羅禅経』口頭発表 2012-11-08大谷大学仏教学会研究発表例会 廬山慧遠が、鳩摩羅什が訳出した『坐禅三昧経』よりも、仏陀跋陀羅によって訳出された『達摩多羅禅経』を重視した形跡が見えることを、『大乗大義章』の読解を通じて指摘した。その上で、その理由を廬山慧遠の般舟三昧重視の姿勢に求めた。併せて、廬山慧遠の『般舟三昧経』解釈が独自なものであり、インドや西域の伝統とは必ずしも一致しないことを指摘した。[30分]
16 仏伝受容の物語論的視座からの一考察 ─漢訳仏伝を素材として─口頭発表 2015-09-05日本宗教学会第74回学術大会 『中本起経』や『理惑論』に見られる仏伝の構成から、中国では、本生譚を仏伝から外した形で受容されていたことを示した。[20分]
17 南岳慧思的末法思想的源流(南嶽慧思の末法説の源流)口頭発表 2016-11-18汉传佛教祖庭文化国际学术研讨会(漢伝仏教祖庭文化国際学術シンポジウム) [Ⅱ学術論文No.17に同じ][30分]
「汉传佛教祖庭与中国实践」部会において発表した。チーフの聖凱法師に、閉会式の統括で取り挙げられた。
18 鳩摩羅什と姚興との往復書簡口頭発表 2017-11-20仏教学会研究発表例会 Ⅱ学術論文No.19に、姚興と姚嵩との遣り取りの文を加え、それらの現代語訳を提示した。また、その内容から、鳩摩羅什の『阿弥陀経』訳出事情について推測が成り立つことを提示した。[30分]
19 天台頓覚思想の源流と玄覚口頭発表 2018-11-24永嘉大师圆寂1305周年国际学术研讨会(永嘉大師入寂1305周年国際学術シンポジウム) 永嘉玄覚はもと天台僧として慧威のもとで出家したが、禅宗の系譜に挙げられる。『証道歌』を見るに、玄覚が頓覚を重視していたことは明らかである。これに対して、頓覚を重視する思想は、南嶽慧思に見出すことが出来る。玄覚が天台で出家したのは、頓覚を求めるが故だったとも言える。しかし、智顗になると、頓悟に関説しても、頓覚に対しては淡泊なものになっていく。この傾向は智顗没後の慧威においても継続したと考えられる。玄覚が、天台を離れて禅宗の慧能のもとへ赴いたのは、むしろ、天台に由来する頓覚思想を重視したためと考えられるのである。[発表時間8分] 発表内容の詳細は、予稿集『永嘉大師圓寂1305週年國際學術研討會論文匯編』pp.196-206(悟灯訳「天台頓覺思想的源流與玄覺」pp.207-214)に収められている。
20 末法思想の日本への流伝と臨池伽藍口頭発表 2019-12-08國際天台學大會(北京大学) 那連提耶舎から慧思を経て日本に伝わった末法思想は、臨池伽藍と呼ばれる形式を生み出した。それらの中でも、平等院鳳凰堂に着目すると、そこから末法思想の内面化を看取することができる。特に、法成寺無量寿院との比較を通して検討した。[15分]
(予稿集pp.520-532)
21 仏教事典分担執筆 2021-01-31丸善出版 編集委員及び「仏典漢訳史」「護法と廃仏」の項を分担執筆。
[本人担当4頁]
22 慧思の「衆生妙」について 口頭発表 2022-10-02日本佛教学会第91回学術大会 道宣は、慧思の実践の特徴の一つに「慈行」を挙げる。しかしながら、慧思の伝記を確認しても「慈行」という言葉にふさわしいような事績を見出せない。むしろ、慧思は自らの著作の中で衆生に対する不信感を表明している。このような相反する姿勢をどのように会通すべきであろうか。本発表では、それを「衆生妙」という態度に求めた。[20分]
23 慧思像の根底にあるもの 口頭発表 2022-10-30第二届国际天台学
天台与东亚世界学术研讨会
慧思は様々な属性を付して伝えられている。殊に、日本の一乗寺に伝えられている慧思像、須磨寺に伝えられている慧思像は、中国の仏教僧侶としては異形とも言うべき姿で伝えられている。そもそも、伝記中に伝えられている諸エピソードも慧思を統一的なイメージで捉えることを難しくしている。このような中で、慧思という人物を統一的にとらえる補助線として、末法思想を取り上げた。[15分][予稿集上冊 pp.315-346]
以上23点

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