教育研究業績の一覧

三宅 伸一郎
A 教育業績
教育実践上の主な業績 年月日概要
1 教育内容・方法の工夫(授業評価等を含む)
1 実物を通じての文化理解/留学生との交流を通じての文化理解 2010-00-00
~2015-00-00
セット科目アジアを学ぶ「ヒマラヤの祈り」においてヒマラヤ、とくにチベットの宗教文化を実感できるよう、生活用品や仏具、古写本、民族衣装などの実物を見せ、触らせた。また、よりチベットを身近に感じてもらうため、学生と同世代にあたるチベット人留学生を授業に招き、現地の大学生の日常生活について話してもらった。
2 iPadを使ったプレゼンテーションの実習 2011-04-00 ~ 「人文情報演習II-1a」の授業において、iPadを持って学内を散策させ、気になる風景を撮影させ、iPadのプレゼンテーション用アプリ「Keynote」を使い、撮影した写真にコメントを付け「谷大の風景」と題するスライドを作成させ、1人ずつクラス全員の前でそれを披露してもらった。
3 チベット語入門の授業におけるSkypeを利用した学習 2015-04-00
~2016-01-00
「チベット語入門」の授業において、理解を深め、学習に対するモチベーションを高めることを目的として、後期に3回、当該授業で教授しているアムド・チベット語のネイティブ・スピーカー(中国・青海省西寧在住)とSkypeを通してアムド・チベット語を使って話す機会を作った。実施に際しては、こちらの学習内容や習熟度を伝えるなど、あらかじめ先方のネーティブ・スピーカーと打ち合わせを行い、学習効果を高めるように留意した。
4 「チベット語入門」におけるインターネットを使ったチベット人学生との交流授業 2016-04-00 ~ 受講生のモチベーションを高め、授業で教授しているアムド・チベット語を話す力を養うため、インスタントメッセンジャー・アプリ「微信(WeChat)」の動画通話機能を用い、青海民族大学で日本語を学ぶチベット人学生と交流を行なった。交流の中では受講生に自己紹介をさせるとともに、「私の故郷」「私の生活」などのテーマについてアムド・チベット語の作文か書いてもらい、写真を示しながらそれを読み上げさせた。
5 「表現文化演習」におけるチベット文字書道の実践 2016-09-00
~2018-01-00
チベット文字を書くためのペンを作成(本来は竹を使うのを割り箸で代用)させ、楷書に相当するウチェン体で30の基本文字と4つの母音記号を練習させ、最終的には、チベット文で「七仏通戒偈」を筆写させた。
2 作成した教科書、教材、参考書
1 動画教材「竹ペンの作り方」 2003-11-00 2003年9月に自身がラサで撮影した元チベット政府役人による伝統的な竹ペン作製法の解説を、チベット文化を紹介する講義に使用する教材として使用するために、テロップを付け編集したwmv形式の動画[6分40秒]。
2 動画教材「チベットの晦日」 2003-12-00 1997年に撮影したラサ近郊におけるチベット暦12月29日夜の「悪魔払い」や「グトゥク(具入りスープによる占い)」など一連の行事の様子の8ミリビデオ素材をPCに取り込みデジタル化し、チベット文化を紹介する講義で使用する教材として使用するために、テロップなどを付け、編集したwmv形式の動画[19分58秒]。
3 動画教材「チベット・オペラ「ラモ」『ドワサンモ』」 2004-01-00 2003年8月に自身がラサで撮影したチベット・オペラ「ラモ」の演目のうち『ドワサンモ』の前半部分のデジタルビデオ素材を、チベット文化を紹介する講義で使用する教材として使用するために、テロップなどを付け編集したwmv形式の動画[32分14秒]。
4 チベット語入門用テキストの作成 2007-04-00 「チベット語入門」授業に用いるため、チベット語文法の概略をまとめたもの。ごく短い文章から複雑な文章まで段階を追って読解できるよう、文法事項の配列に留意した。文字と発音、チベット語文和訳に関する練習問題を付す。[総36頁]

5 教科書『アムド・チベット語入門』の作成 2015-04-00 ~ 「チベット語入門」の授業で使用するためのテキストの作成。ネイティブ・スピーカーであるカンジョフチ氏、日本語教師でアムド・チベット語の学習者である松尾みゆき(ジャシ・ラモ)氏と共同で作成した。文法事項については、現地への旅行や留学の中で使用する可能性が高いと思われるものを優先的に取り扱い、それらを段階的に理解できるように構成した。例文にはネイティブの自然表現を採用し、図表を用いることによって、日本語との類似点に注意しながら、理解しやすいように工夫した。[2016年現在:総56頁]
6 人文情報学概論の教科書の一節を執筆 2019-02-00 ~ 人文情報学科の授業「人文情報学概論」の教科書として編集された当『人文情報学概論:情報化時代の人間社会を考える』(武田和哉、酒井恵光編、松香堂書店、2019、総114頁)のうち、高度情報化社会の抱える問題を解説するために、個人情報の管理、忘れられる権利、情報格差、災害への対応を取り上げた「高度情報化社会における諸課題」(62頁〜67頁)の執筆を担当した。
3 教育方法・教育実践に関する発表、講演等
4 その他教育活動上特記すべき事項
1 「チベット文学と映画制作の現在-作家がなぜ映画を撮るのか-」における司会と通訳 2013-12-05 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所、大谷大学国際文化学科共催のイベント「チベット文学と映画制作の現在-作家がなぜ映画を撮るのか-」にて、同イベントの司会と、チベット人映画監督ペマ・ツェテン氏による講演の通訳を担当した。
2 国際文化学科主催チベット映画『河』上映会における解説と当該作品監督ソンタルジャ氏へのインタビュー動画作成・公開 2016-07-13 チベットの文化はもちろん、広く現代アジア映像文化の最先端を知る機会として2016年7月13日に実施されたソンタルジャ氏監督作品・チベット映画『河』の上映会において、ソンタルジャ氏監督作品の特徴や、同氏の設立したガルーダ・フィルムの紹介など同作品の背景が理解できるよう解説を行なった。また、Skypeを通じて同監督にインタビューを行い、その時撮影した映像を編集し上映会の際に公開した。
3 大谷大学図書館主催ドキュメンタリー・チベット映画『英雄谷』上映会における解説と当該作品監督カシャムジャ氏インタビュー映像の編集と公開 2016-12-20 現代チベットの文化状況を知る機会として2016年12月20日に大谷大学図書館で実施されたカシャムジャ氏監督によるドキュメンタリー作品『英雄谷』の上映会において、作品の内容を理解しやすくするため、上映に先立ち東北チベット・アムド地方における言語状況について解説した。また、インターネットを通じてカシャムジャ監督にインタビューを行い、その時撮影した映像を編集し上映会の際に公開した。
4 国際文化学科主催チベット映画『陽に灼けた道』上映会における解説とソンタルジャ氏へのインタビュー通訳 2018-01-19 チベットの現代社会のありようを理解するために実施された、チベット人映画監督ソンタルジャのデビュー作『陽に灼けた道』の上映会において、同作品の背景が理解できるよう、簡単な解説を行なうと同時に、インターネットを通じて同監督にインタビューを行った。
B 職務実績
1 Otani Unicode Tibetan language Kit開発の補助 2003-04-01
~2010-03-31
2003年より2008年までの間、真宗総合研究所西蔵語文献研究班(2003年度のみ)/西蔵文献研究班の研究員として、Apple社に提供され2007年10月26日発表されたにMac OS X 10.5 Leopardに標準搭載されたOtani Unicode Tibetan language Kit開発のため、そのキーボード配列やフォントのチェックなど作業を行なった。Mac OS X 10.5以降もヴァージョンアップのための作業補助を行なった。
C 学会等及び社会における主な活動
所属期間及び主な活動の期間 学会等及び社会における主な活動
1 1996-08-01~0000-00-00 日本チベット学会
2 2009-08-01~0000-00-00 日本印度学仏教学会
D 研究活動
著書、学術論文等の名称単著、
共著の別
発行又は
発表の年月
発行所、発表雑誌等
又は
発表学会の名称
概要
Ⅰ著書
1 『天翔る祈りの舞:チベット歌舞劇アチェ・ラモ三話』共訳 2008-03-20臨川書店 チベットの歌舞劇「アチェ・ラモ」の代表的な八つの演目のうち『スーキ・ニマ(gZugs kyi nyi ma)』『ペマ・オンバル(Padma 'od 'bar)』『ドワ・サンモ('Gro ba bzang mo)』の「読み本」の翻訳。残り五つの演目の概要と、解説として「チベット歌舞劇アチェ・ラモ概観」(『仏教学セミナー』82号に掲載されたものを大幅に改稿したもの)を付す。
共訳者:石山奈津子、三宅伸一郎
総288頁。本人は『ドワ・サンモ』の翻訳(165頁〜223頁)と「チベット歌舞劇アチェ・ラモ概観」(239頁〜285頁)執筆を担当。
以上1点
Ⅱ学術論文
1 On the Date of the Original Manuscript of the Golden Manuscript Tenjur in Ganden Monastery単著 1995-03-31『大谷大学真宗総合研究所研究紀要』第13号 天津古書籍出版社から『丹殊爾』の書名で影印出版されたガンデン寺所蔵金写テンギュルの成立年代を、同テンギュル各册末尾に付けられた願文の記述から1733-1740の間とした。4頁(13頁〜16頁)
2 ガンデン寺所蔵金写テンギュールについて単著 1997-03-31『日本西蔵学会々報』第41-42号 ガンデン寺所蔵金写テンギュルの成立年代を1733-1740の間とするとともに、同テンギュルがガンデン寺に安置されることになった経緯をまとめ、また、同テンギュルには、テキストの配列について同じ施主によって作られたナルタン版との違いが見られることや、他の版本テンギュルとは異なって、各葉のマージンに収録論書の略称が記されるなど書誌上の特徴があることを指摘した。
12頁(33頁〜44頁)
3 ランリタンパの伝説:伝説と伝記の間単著 1998-12-01『大谷大学大学院研究紀要』第15号 カダム派の学僧ランリタンパ(1054-1123)にまつわる口頭伝承は、『カダム仏教史』など文献には見られない。同様のモチーフがラ訳経師の伝記に見られることを指摘した上で、なぜこのモチーフがランリタンパに帰せられたかを考察。
20頁(79頁〜98頁)
4 19世紀のボン教僧ダワ・ギェンツェンの2つの伝記について単著 2002-03-31『日本西蔵学会々報』第47号

ボン教教義学の本山となっているユンドゥンリン寺の創建者・ダワ・ギェンツェン(1796-1862)の新出伝記2本の内容を紹介し、その19世紀前半チベット史研究上での史料的重要性を指摘した。
15頁(53頁〜67頁)
5 シェーラプ・ギェンツェンの伝記『昔の教え』について単著 2002-11-30『大谷学報』第81巻第4号 シェーラプ・ギェンツェンの3種の伝記のうち、『昔の教え』の内容を他資料と比較しながら、その記述の特異性を指摘し、それが、19世紀のボン教再組織化の流れのなかで著わされたのではないかと推測した。またメンリ寺創建の契機とされる洪水によるエンサカ寺崩壊という言説は、後世の創作ではないかと指摘した。
15頁(1頁〜15頁)
6 Ō tha ni gtsug lag slob grwa chen mo'i bod yig zhib 'jug skor rags tsam brjod pa(大谷大学のチベット文献研究概説)単著 2009-00-00Hildegard Diemberger & Karma Phuntsho (eds.), Ancient Treasures, New Discoveries. Halle: International Institute for Tibetan and Buddhist Studies GmbH 大谷大学図書館に所蔵されるチベット語文献について、その収蔵経緯を能海寛や寺本婉雅の事績とともに紹介するとともに、所蔵文献のうち『インド・チベット仏教史』『目連救母経』『中辺分別論註』など貴重な写本をとりあげ、その価値を論じるとともに、チベット文献を研究するにあたっての将来の課題について述べた。
27頁(195頁〜221頁)
7 rTsa ba rTa mgrin (1867-1937) and Erdene-zuu単著 2011-09-00Takashi Matsukawa & Ayudai Ochir (eds.), The International Conference on "Erdene-Zuu: Past Present and Future". Ulaanbaatar 20世紀初頭の優れたモンゴル学者ツァワ・タムディン(rTsa ba rTa mgrin, 1867-1937)が1919年にチベット語で著した『黄金の歴史書(gSer gyi deb ther)』のエルデニゾー僧院の歴史に関する記述は、エルデニゾー僧院の起源をウイグル時代に求めている点で、他のチベット語によるモンゴル仏教史書の記述と比べ極めて特異である。彼がそうした記述をする根拠とした史料の一つ『エルデニゾー僧院の文書』には13世ダライ・ラマ(1876-1933)に献上するためにチベット語に翻訳されたものがあり、ツァワ・タムディンがそれをブリヤートのツェワン(Tshe dbang)なる者に送ったことを、ツァワ・タムディンの手紙の記述から明らかにした。
11頁(165頁〜175頁)
8 チベット文字の特徴からみた大谷大学博物館所蔵『西番譯語』の位置付け(Some Features of Otani University Museum's Xifan Yiyu 西番譯語 as seen from its Tibetan Handwriting Scripts)共著 2015-04-00『『華夷譯語(西番譯語四種猓玀譯語一種)』影印と研究』(大谷大学文献研究叢書1)(松香堂) 清代に編纂された漢語と外国語の対訳語彙集である『華夷訳語』のうち、大谷大学の神田文庫(神田喜一郎博士旧蔵資料)に収蔵される4種類の『西番訳語』に見られるチベット文字の表記を分析し、その誤りの多さから、この4種類の本は、チベット語の綴りにある程度の知識を持ったチベット人によって描かれたものでなく、チベット文字に親しんでいない者が別の本のチベット文字を真似て筆写したものであり、原本ではありえないと指摘した。
共著者:松川節、三宅伸一郎
11頁(1頁〜11頁、全ページにわたり共同での執筆)
9 ポン教僧ジャルワ・ツルティム(rGyal ba tshul khrims, 1795-1874)に対する「法主(chos rje)」号授与者に関する一考察単著 2016-03-08三友健容博士古稀記念論文集刊行会(編)『智慧のともしび:アビダルマ仏教の展開(三友健容博士古稀記念論文集)』(山喜房佛書林) バサル・パンディタ(1837-1904)の自伝に、甘粛省甘南州夏河県内にあるポン教寺院ツェウィ(rTse dbus)寺の寺主を勤めたジャルワ・ツルティム(rGyal ba tshul khrims, 1795-1874)が「法主(chos rje)」の地位を授けられたとの記述があるが、その授与者について、同時代の人物であること、名前の一部がバサル・パンディタの記述と一致すること、ニンマ派の教えを学んだという共通点から、黄河南親王ガワン・タルジ(Ngag dbang dar rgyas, 在位1772-1807)ではないかと推測した。
9頁(735頁〜743頁)
10 rJe tsong kha pa dang rje mnyam med shes rab rgyal mtshan gnyis dngos su mjal yod med skor la cung zad dpyad pa(尊者ツォンカパと無比なる尊者シェーラプ・ギェルツェンの2人が本当に会ったかどうかについて)単著 2016-07-00mTsho sngon mi rigs slob grwa chen mo'i rje tsong kha pa shin 'jug gling (ed.), sKabs dang po'i rje tsong kha pa'i rgyal spyi'i rig gzhung bgro gleng tshogs 'du'i dpyad rtsom phyogs bsgrigs. Kan su'u mi rigs dpe skrun khang ポン教の総本山メンリ寺の創建者シェーラプ・ギェルツェン(Shes rab rgyal mtshan, 1356-1415)が一旦帰郷し、再度中央チベットに出た際、ゲルク派の開祖ツォンカパ(Tsong kha pa, 1357-1419)と出会ったとの記述が、シェーラプ・ギェルツェンの孫弟子であるタクパ・ギェルツェン(Grags pa rgyal mtshan)により著わされたシェーラプ・ギェルツェンの伝記にある。その時期は15世紀の初頭であると考えられる。ツォンカパの伝記の記述を合わせて見ると、このタクパ・ギェルツェンの記述は合理的であり、シェーラプ・ギェルツェンとツォンカパは15世紀初頭に中央チベットで出会ったと結論した。
7頁(149頁〜155頁)チベット語による論文。g.Yung drung phun tshogsの名義で執筆。
11 寺本婉雅に関係する「宗林寺資料」「村岡家資料」に対する総合的評価共著 2017-03-31『真宗総合研究所研究紀要』第34号 宗林寺及び村岡家に所蔵されている寺本婉雅関係資料の内容を紹介しつつ、これらの資料からは、アジア全体に対する広い視野を持ちながら、チベット文化のあらゆる面に学問的関心を寄せる寺本婉雅の姿が浮かび上がる。すなわち、これらの資料は、彼に対する再評価を迫る貴重な資料群であることを述べた。
共著者:高本康子、三宅伸一郎
総19頁、本人担当は13頁(1頁〜13頁)
12 ポン教の美術単著 2018-01-00『アジア仏教美術論集:中央アジアII(チベット)』(中央公論美術出版) ポン教図像研究を概観し、ポン教における工芸学の位置を『無垢栄光経』に基づきながら確認した上で、ポン教の主な尊格の姿を、仏教のそれとの比較を交えて記述するとともに、キャントゥル=ナムカ・ギェルツェン(sKyang sprul Nam mkha' rgyal mtshan, )が関わる「カンド・サンチョー(mkha' 'gro gsang gcod)」「本尊皆集(yid dam kun 'dus)」という2つの行法を取り上げ、その行法に関わるタンカや仏画に現れる尊格の姿を文献と比較し、その間の差異を指摘した。また、ポン教美術研究の今後の課題として古い作品の収集と公開、基礎的文献の研究の必要性があると述べた。
33頁(445頁〜477頁)
13 A Brief Study on the Bon-po Sūtra, g.Yung drung tshe dpag tu med pa zhes bya ba theg pa chen po’i mdo単著 2018-10-00Journal of Tibetan and Himalayan Studies vol.3, no. 1 日本人初の入蔵者・能海寛(1868–1903?)の遺品中に、『卍無量寿大乗経(g.Yung drung tshe dpag tu med pa zhes bya ba theg pa chen po'i mdo)』というボン教経典の原文を筆写し、その試訳を示したノートがある。本論文では、長寿をもたらし不慮の死を防ぐ陀羅尼を説く本経の概要を示し、ボン教カンギュル中に同内容の経典が複数存在するものの、本経と完全に一致するものは見られないことを指摘した。『観無量寿経』の原本捜索を目指していた能海にとって「無量寿」の題名を有する経典は心惹かれるものであり、これが、彼の本経研究の理由だろうと推測した。Appendixとして同経のローマ字転写テキストを付した。
13頁(49頁〜61頁)
14 Nyi hong gi bon po zhib 'jug thog ma nas 'phros pa'i gtam(日本における初めてのボン教研究について)単著 2018-12-00sTong skor Tshe ring thar & Shar gzhon Tshe ring zla ba (eds.), mDo dbus mtho sgang gi gna' bo'i shes rig: pe cin royal spyi'i zhang zhung rig gnas zhib 'jug tshogs 'du skabs dang po'i dpyad rtsom phyogs bsgrigs. stod cha (青蔵高原的古代文明:北京首届国際象雄文化学術研討会論文集 1). mTso sngon mi rigs dpe skrun khang (青海民族出版社) 日本人初の入蔵者となった寺本婉雅や能海寛の2人がそれぞれポン教に対する関心を持っていたことは、それぞれの日記や記録から明らかである。またそれぞれ『十万百龍(Klu 'bum dkar po)』や『卍無量寿大乗経(g.Yung drung tshe dpag tu med pa zhes bya ba theg pa chen po'i mdo)』などのポン教経典の翻訳研究がある。これらは世界的に見ても、チベット語原典に基づいたポン教研究としては最初期のものであり、その意義は高いと指摘した。
16頁(364頁〜379頁)チベット語による論文。g.Yung drung phun tshogsの名義で執筆。
以上14点
Ⅲ 口頭発表・その他
1 ガンデン寺所蔵金写テンギュールについて

口頭発表(一般発表) 1994-11-07第42回日本西蔵学会大会 天津古籍出版社から『丹殊爾』の書名で影印出版されたガンデン寺所蔵金写テンギュルのおよびその書誌上の特徴について説明した。
発表時間25分
2 ツァンのボン教寺院ユンドゥンリン及びメンリの現状口頭発表(一般発表) 1995-11-04第43回日本西蔵学会大会 現在もボン教の本山となっているユンドゥンリンおよびメンリ寺の現状報告。
発表時間25分
3 チベット・ボン教の総本山メンリ寺(世界の遺産)単著 1998-01-26『AERA』No.4 ボン教の総本山メンリ寺の現状とその魅力を紹介した。
1頁(78頁)
4 チベット(特集アジアの正月:新年の祭りと民俗)単著 1999-01-01『月刊しにか』Vol.10-No.1 チベット人の年越しから正月にかけての一連の行事について、1997年にラサで実際に著者が体験した12月29日の悪魔払いや具入りスープによる占い、正月1日の焚香の様子に焦点をあてて紹介した。
4頁(24頁〜27頁)
5 中央チベットのポン教寺院およびアムド・シャルコク地方ポン教寺院の現状について単著(科研成果報告) 1999-03-00『チベット文化域におけるポン教文化の研究』(文部省科学研究費補助金 国際学術研究:学術調査 研究課題番号08041040 研究成果報告書 研究代表者 国立民族学博物館:長野泰彦) 中央チベットのボン教寺院ユンドゥンリン、メンリ、サンリ・メゥツァン、シェン・タルディン、キンカル・リシンの5箇寺の現状およびアムド・シャルコク(四川省北部)地方のボン教寺院およびボン教徒の経済活動の概況について報告したもの。特に、シェー・トンメン県内タルディン村キション集落内にあるシェン氏の邸宅跡内に残る壁画については、世界初の報告である。
29頁(71頁〜99頁)
6 g-Yung drung gling, sMan-ri and other Monasteries in Central Tibet口頭発表(一般発表) 1999-08-26文部省COEシンポジウム「チベット文化域におけるポン教文化」 中央チベットのボン教寺院ユンドゥンリン、メンリ、サンリ・メゥツァン、シェン・タルディン、キンカル・リシンの5箇寺の現状および、シェーラプ・ギェンツェン、ダワ・ギェンツェンの伝記について報告した。
発表時間30分

7 チベット族(特集・中国少数民族百科)単著 2000-01-01『月刊しにか』Vol.11-No.1 チベット語やチベット文字、宗教(とくにポン教)を中心にしてチベット人の文化を簡単に紹介した。
2頁(78頁〜79頁)
8 Comparative Table of the Manuscript Tenjur in dGa'-ldan Monastery with the Peking Edition of Tenjur目録 2000-03-31『大谷大学真宗総合研究所研究紀要』第17号 ガンデン寺所蔵金写テンギュルと北京版テンギュルの簡易対照目録。
65頁(1頁〜65頁)

9 中央チベット ボン教壁画の魅力:その貴重な美術遺産とは単著 2000-04-01『大法輪』第67巻第4号 チベット自治区ないに現存する1959年以前のボン教壁画として貴重な文化財といえる、シェー・トンメン県内タルディン村キション集落内にあるシェン氏の邸宅跡内に残る、ボン教開祖・トンバ・シェンラプ十二所行の壁画について紹介した。
5頁(180頁〜184頁)
10 19世紀のボン教僧・ダワギェンツェンの2つの伝記(rnam-thar)について口頭発表(一般発表) 2000-09-30第48回日本西蔵学会大会 ボン教教義学の本山となっているユンドゥンリン寺の創建者・ダワ・ギェンツェン(1796-1862)の新出伝記2本の内容を紹介し、その19世紀前半チベット史研究上での史料的重要性を指摘した。
発表時間:25分
11 ポトパの法話集『ベゥブム・ゴンポ』より「どのように善知識を探し、どのように師事すべきか」和訳共訳 2003-01-28『法談』第48号(大本山成田山新勝寺法談会発行) ツォンカパの『菩提道次第広論』にも多大な影響を与えた、カダム派・シュンパの学僧・ポトパ・リンチェンセー(1027-1105)の法話集『ベゥブム・ゴンポ』の本偈およびハプリガンパによる注釈のうち、「どのように善知識を探し、どのように師事すべきか」の部分の和訳。
共訳者:ツルティム・ケサン、三宅伸一郎
42頁(187頁〜228頁、全ページにわたり共同作業により訳出)。


12 今枝由郎著『ブータン中世史:ドゥク派政権の成立と変遷』書評・紹介 2003-10-30『仏教学セミナー』第78号 今枝由郎『ブータン中世史:ドゥク派政権の成立と変遷』(大東出版社、2003年)に対する書評・紹介。各章の内容を紹介しつつ、本書が13世紀以降のサキャ派、パクモドゥパ、ダライラマ政権という僧侶による政治機構の実態を研究する上で必読の書であるとした。
9頁(54頁〜62頁)
13 ポトパの法話集『ベゥブム・ゴンポ』より「善知識に対する信仰と尊敬をいかに瞑想すべきか」和訳共訳 2004-01-28『法談』第49号(大本山成田山新勝寺法談会発行) ツォンカパの『菩提道次第広論』にも多大な影響を与えた、カダム派・シュンパの学僧・ポトパ・リンチェンセー(1027-1105)の法話集『ベゥブム・ゴンポ』の本偈およびハプリガンパによる注釈のうち、「善知識に対する信仰と尊敬をいかに瞑想すべきか」の部分の和訳。
共訳者:ツルティム・ケサン、三宅伸一郎
15頁(115頁〜129頁、全頁にわたり共同作業により訳出)。
14 ラサ近郊のある農家の暮らしから:チベットの衣食住その他 2004-05-25石濱裕美子(編)『チベットを知るための50章』(明石書店) ラサ近郊の農家の暮らしを、食生活や年中行事、衣装、日常の中の祈りを通じて紹介した。
7頁(160頁〜166頁)
15 日傘の骨でペンを作るその他 2004-05-25石濱裕美子(編)『チベットを知るための50章』(明石書店) チベット語の文法的特徴を日本語との比較を通じて示すとともに、方言の多さを示した。またチベット語を表記するチベット文字には数多くの書体があることを、文房具とともに紹介した。
6頁(192頁〜197頁)
16 口承文学「ケサル王物語」とその担い手:チベットの文学その他 2004-05-25石濱裕美子(編)『チベットを知るための50章』(明石書店) チベット文学の代表作として「ケサル王物語」をとりあげ、その内容を概略紹介するとともに、この物語を語り継いで来た説唄芸人「ドゥンパ」のうちユメン(玉梅、1957年生)を紹介した。
6頁(198頁〜203頁)
17 仏教国で生き続けたマージナルな宗教その他 2004-05-25石濱裕美子(編)『チベットを知るための50章』(明石書店) ボン教という言葉は、仏教伝来以前の土着の宗教とユンドゥン・ボンを自称する組織化された宗教という2つのカテゴリーの宗教の相承であることを指摘し、後者が仏教とどのような関係を持ち続けてきたのかを紹介した。
6頁(230頁〜235頁)
18 貴重なチベット・ボン教のタンカ:中国・四川省シャンツァン寺に遺る祖師ニャムメーの伝記その他 2004-06-01『大法輪』第71巻6号 四川省北部松潘県シャンツァン寺(sKyang tshang dgon 川主寺)に現存する、ニャムメー・シェーラプ・ギェンツェン(mNyam med Shes rab rgyal mtshan, 1356-1415)の伝記を描いたタンカの写真を提示し、キャプションとして解説を加えた。
3頁(5頁〜7頁)
19 若き修行僧を見守る祖師の姿絵:ボン教のタンカ「ニャムメー・ゼーチョー」その他 2004-06-01『大法輪』第71巻6号 四川省北部松潘県シャンツァン寺(sKyang tshang dgon 川主寺)に現存する、ニャムメー・シェーラプ・ギェンツェン(mNyam med Shes rab rgyal mtshan, 1356-1415)の伝記を描いたタンカについての概要、その内容から、当該タンカは、3種のニャムメー・シェーラプ・ギェンツェンの伝記のうちメンリ寺第23代僧院長ニマ・テンジン(Nyi ma bstan 'dzin, 1784-?)が1848年に著した『略伝』をもとにしたものであることを指摘した。
4頁(202頁〜205頁)
20 天空の王宮その他 2005-02-00工藤元男編『中国世界遺産の旅3:四川・雲南・チベット』(講談社) 世界遺産であるチベットのポタラ宮、トゥルナン寺(大昭寺)、ノルブリンカの歴史について概観した。
8頁(14頁〜21頁)
21 ポタラ宮とボン教徒その他 2005-02-00工藤元男編『中国世界遺産の旅3:四川・雲南・チベット』(講談社) チベットにおける仏教とならぶもう一つの組織化された宗教ユンドゥン・ボンの19世紀の学僧ダワ・ギェンツェン(1796-1862)が、ポタラ宮を訪問した際、前世でダライ・ラマ五世であったことを思い出したというエピソードを紹介した。
1頁(32頁)
22 チベットを探検した日本人その他 2005-02-00工藤元男編『中国世界遺産の旅3:四川・雲南・チベット』(講談社) 明治時代にチベットを探検した日本人のうち、寺本婉雅(1872-1940)をとり上げ、彼が、仏典の収集と研究とともに「東亜仏教徒の連絡」をはかることを目的としていたことを紹介した。
1頁(40頁)
23 チベットの歌舞劇アチェ・ラモ概観:その舞台と歴史研究ノート 2005-10-30『仏教学セミナー』第82号 チベットの歌舞劇「アチェ・ラモ」について、その舞台の形式、伴奏楽器、歌唱される「ナムタル」という歌、仮面、衣装、歴史等を概観。アチェ・ラモは一般的に、タントン・ギェルボ(1361-1485)によって創始されたといわれているが、17世紀には、タントン・ギェルボの創始したものとアチェ・ラモが別個のものとして認識されていたことを指摘した。
31頁(51頁〜81頁)
24 dMyal gling rdzogs pa chen po dang a stag lha mo gnyis nas 'phrod pa'i gtam(『地獄・リン大究竟』と『アタク・ラモ』に関して)口頭発表(一般発表) 2006-07-28The Sixth International Symposium on Gesar Studies 「ケサル王物語」のうち地獄からの救済をテーマとした2作品『地獄・リン大究竟(dMyal gling rdzogs pa chen po)』『アタク・ラモ(A stag lha mo)』をとり上げ、両者内容を比較しつつ、両作品のチベット文学史上、とりわけ死後の世界を描いた作品群(たとえば、蘇生譚「デーロク」や目連救母説話)の中での位置を指摘するとともに、日本中世末期から近世初期にかけて成立した「地獄破り」の作品群との比較をおこない、閻魔に対する扱いから、チベットと日本の宗教観の違いを明らかにした。チベット語による発表。
発表時間30分
25 Ō tha ni gtsug lag slob grwa chen mo'i bod yig zhib 'jug skor rags tsam brjod pa"(大谷大学のチベット文献研究概説口頭発表 2006-08-2911th Seminar of International Association for Tibetan Studies 大谷大学図書館に所蔵されるチベット語文献について、その収蔵経緯を能海寛や寺本婉雅の事績とともに紹介するとともに、所蔵文献のうち『インド・チベット仏教史』『目連救母経』『中辺分別論註』など貴重な写本をとりあげ、その価値を論じるとともに、チベット文献を研究するにあたっての将来の課題について述べた。チベット語による発表。
発表時間30分
26 『ゲイェ・ツルティム・センゲ『インド・チベット仏教史』:校訂テキストおよび影印』共編 2007-03-00大谷大学真宗総合研究所 ゲイェ・ツルティム・センゲによって著された『インド・チベット仏教史』は、奥書の記述から1474年に著されたものであることが確認される。 全9章からなり、インドの仏教史から始めて、チベット仏教各宗派の祖師たちの生没年や事績、相承関係を極めて簡潔にまとめている。残念なことに、大谷大学図書館蔵の写本は、釈迦の事跡を記したと考えられる第1章を欠くものの、当該仏教史の唯一の伝存本である。解題、写本の影印ならびに内容細目、人名・地名索引を付す。
共編者:ケツン、井内真帆、目片祥子、三宅伸一郎
総xi+154頁(本人担当:i頁〜xi頁)。
27 日本人初の入蔵者・寺本婉雅に関する新出資料について口頭発表(一般発表) 2007-10-23大谷学会研究発表会 寺本婉雅(1872-1940)に関する新出資料として富山県南砺市城端・宗林寺および滋賀県竜王町・村岡家に所蔵されている資料の概要を示し、富山県城端・宗林寺所蔵の寺本婉雅旧蔵チベット語文献の一部が大谷大学図書館所蔵チベット語文献no.13983の欠落部分であることを指摘。また、村岡家所蔵の寺本婉雅の日記「新旧年月事記」をとり上げ、それが、すでに公表されている彼の日記『蔵蒙旅日記』(横地祥原編、芙蓉書房、1974年)には記されていない3ヶ月余(1899年11月29日〜1900年3月8日)にわたる重慶滞在期間中のものであり、そこから重慶滞在中(1899.11.29〜1900.3.8)の寺本がチベット行きの旅を続ける能海寛と本山との連絡役を果たしていたことが読み取れると指摘した。さらに、同日記は、帰国後の行動を示す資料としても極めて重要であることを指摘した。
発表時間45分。要旨を『大谷学報』第87巻第2号、2008年、41頁〜44頁に発表。
28 歴史上の人物その他 2009-04-10長野泰彦編『チベット ポン教の神がみ』(千里文化財団) ポン教の吐蕃王国時代の迫害から教えを守ったテンパ・ナムカ(Dran pa nam mkha')、数多くの経典を発見・発掘し復興の立役者となったシェンチェン・ルガ(gShen chen klu dga', 996-1035)、総本山メンリ寺を建立し「無比なる者」と讃えられるシェーラプ・ギェンツェン(Shes rab rgyal mtshan, 1356-1415)、新ポンの流れを受け継ぎ無宗派運動にも関与したシャルザワ(Shar rdza ba bKra shis rgyal mtshan, 1859-1934)の4人の業績を簡単に紹介した。2009年4月23日〜7月21日まで国立民族学博物館で開催された企画展「チベット ポン教の神がみ」の開催に合わせて発行された図録に掲載されたもの。
4頁(88頁〜91頁)
29 ポン教寺院その他 2009-04-10長野泰彦編『チベット ポン教の神がみ』(千里文化財団) ポン教寺院の歴史を、寺院の相続方法に焦点をあて、この宗教が一族による相続を重視し「化身ラマ」制度の採用に積極的でなかったことに触れつつ概観した。2009年4月23日〜7月21日まで国立民族学博物館で開催された企画展「チベット ポン教の神がみ」の開催に合わせて発行された図録に掲載されたもの。
5頁(100頁〜104頁)
30 ポン教の典籍その他 2009-04-10長野泰彦編『チベット ポン教の神がみ』(千里文化財団) ポン教典籍の分類を示し、仏説部に相当するカンギュル版行の歴史を簡単に紹介。2009年4月23日〜7月21日まで国立民族学博物館で開催された企画展「チベット ポン教の神がみ」の開催に合わせて発行された図録に掲載されたもの。
1頁(125頁)
31 Ri pin la bod rig pa'i byung tshul dang ō tha ni gtsug lag slob chen(日本におけるチベット学の誕生と大谷大学)講演 2009-08-07於:中国蔵学研究中心(中国・北京) 日本においてチベットに対する関心がどのようにして生まれ、それが学問としてどのように成立したのか、また、そこに大谷大学はどのように貢献し、今どのような役割を果たしているのかを、寺本婉雅を中心として山口益、稲葉正就といった人々の事績・業績を紹介しつつ述べた。チベット語による講演。
講演時間90分
32 'Jar pan bod rig pa byung tshul dang da lta'i gnas tshul(日本におけるチベット学の誕生と現状)講演 2010-03-10於:青海民族大学蔵学院(中国・青海省西寧) 日本におけるチベット学の歴史を、近藤重蔵『喇嘛考』、小栗栖香頂『喇嘛教沿革』、寺本婉雅など、初期の人物に焦点を当てて述べるとともに、その現状を紹介した。チベット語による講演。
講演時間90分
33 巡礼その他 2010-04-30『須弥山の仏教世界』(新アジア仏教史09チベット)(佼成出版社) チベットにおける巡礼の目的やその実態をカトク・シトゥ(1880-1923/25)の著作『上中下の巡礼者の区別』やカタク・ザムヤク(1896-1971)の「巡礼記」から紹介するとともに、シャラ・ブムバ、トンツェリ山という2つの聖地とその「聖地録」をとり上げ、巡礼が巡る聖地の特色を述べた。また、近年見られる巡礼の新たな諸相と、研究上の課題を示した。
21頁(359頁〜379頁)
34 Paṇ chen sku phreng lnga pa (1855-1882) ngos 'dzin byas tshul gtso byas dus rabs bcu dgu pa'i stod kyi bon po'i gnas tshul rags tsam brjod pa(パンチェン5世認定をはじめとする19世紀前半のポン教えの状況について)口頭発表(一般発表) 2010-08-1612th Seminar of International Association for Tibetan Studies ポン教の名門ドゥ(Bru)氏一族の出身であるパンチェン・ラマ5世(1855-1882)の認定をめぐり、ポン教僧カルル・ドゥプワン=テンジン・リンチェン(dKar ru grub dbang bsTan 'dzin rin chen, b. 1800)をはじめとするポン教僧が関与していたことを、パンチェン・ラマ5世の伝記やカルル・ドゥプワンの自伝、ニマ・テンジン(Nyi ma bstan 'dzin, b. 1813)の自伝など、仏教・ポン教双方の側からの史料をもとに論じた。その中で、パンチェン・ラマ5世の伝記ではその出身氏族がポン教徒であることが記述されていないという従来の説を批判するとともに、パンチェン・ラマ5世認定後も、彼や彼の出身氏族ドゥ氏とポン教との関わりは継続していたことを指摘した。
発表時間20分 チベット語による発表
35 ラグ・ヴィラ(Raghu Vira)博士の中国旅行記(試訳1)共訳 2012-03-00『真宗総合研究所研究紀要』 第31号 20世紀前半のインドを代表する東洋学者にして政治家でもあるラグ・ヴィラ(Raghu Vira)博士の1955年4月から3ヶ月に及ぶ中国旅行のヒンディー語による記録Prof. Raghuvira’s Expedition to China. (Śatapitaka Series Indo-Asian Literatures, vol. 76), Lokesh Chandra & S. D. Singhal (eds.), New Delhi: International Academy of Indian Culture, 1969の試訳。香港、広州を経て北京に到着する4月27日までの部分の翻訳。
共訳者:Dash Shobha Rani、三宅伸一郎
20頁(123頁〜142頁)
36 寺本婉雅日記『新旧年月事記』翻刻 共同での翻刻 2012-03-00『真宗総合研究所研究紀要』第31号 日本人として初めてチベットに足を踏み入れた寺本婉雅(1872-1940)による明治32年(1899)9月1日から明治33年(1900)7月27日までの日記の翻刻。
共同翻刻者:高本康子、三宅伸一郎
44頁(143頁〜186頁、全体にわたり共同で翻刻)
37 Life of sKyang spiral Nam mkha' rgyal mtshan and his chronological table of Bonpo口頭発表(一般発表) 2012-08-035th Beijing International Seminar on Tibetan Studies ポン教僧チャントゥル=ナムカ・ジェルツェン(sKyang sprul Nam mkha' rgyal mtshan, 1770-1832)の生涯を彼の弟子ニャクゴム=リンチェン・ルンドゥプ(Nyag sgom Rin chen lhun grub)によって著された『銀の鏡(dNgul gyi me long)』に基づき概観するとともに、彼の著作のうちポン教史年表(bstan rtsis)を取り上げ、そこには、彼以前の諸師の説に対する批判が数多く見られ、19世紀前半、ポン教内でその歴史、特に様々な年代の設定について議論があったことがうかがえるとした。また、仏教に関する記事の多さも彼のポン教史年表の特徴であるとした。
発表時間20分
38 Erdenezuu Muzyeid Khadgalagdaj bui Tüvd Survaljin (エルデニゾー博物館所蔵のチベット語文献リスト)目録 2013-00-00Orkhony Khöndiin Öv (Heritage of Orkhon Valley), Dugaar 2/2013 モンゴル国ウルブハンガイ県ハラホリンにあるエルデニゾー博物館所蔵の64包からなるチベット語文献のリスト。同博物館所蔵チベット語文献の中で、特に、一部モンゴル語訳付きの『喩法』、チベット・モンゴル語対照の難語集「トゥイミン(btus ming)」、『閻魔の手紙(gShin rje'i 'phrin yig)』などが、今後詳細な研究をすべき重要な文献であると指摘した。
25頁(42〜86頁)
39 A mdo mā yang don pa'i bla ma dang ye shu chos lugs spel mkhan bol hel bar gym chos rtsod skor(アムド・マーヤン寺のラマとキリスト教宣教師ポルヘルとの宗教議論について)口頭発表(一般発表) 2013-07-2213th Seminar of the International Association for Tibetan Studies 19〜20世紀のモンゴル仏教界を代表する学僧ツァワ・タムディン(rTsa ba rta mgrin, 1867-1937)の全集第2巻に収録されているキリスト教宣教師とチベット人僧との宗教議論の記録の内容を紹介し、この宗教議論の一方の当事者であるマーヤン・パンディタ(Mā yang paṇḍita)がクンブム寺第69代座主ギャヤク・ケンチェン=ケルサン・ツルティム/テンペー・ニマ(rGya yag mkhan chen sKal bzang tshul khrims bstan pa'i nyi ma, 1858-?)の師であること、もう一方の当事者であるキリスト教宣教師は、ケンブリッジ大学出身で中国布教を志願したいわゆるCambridge Sevenの1人Cecil Pholhill-Turner(1860-1938)であること、この記録が1899年にアムド地方東部にあるマーヤン寺で実際に行われた宗教議論の記録であることを、Cecil Pholhill-Turnerの妻の伝記や、『ツァワ・タムディン自伝』『クンブム寺誌』等のチベット語文献に基づきながら考証した。
発表時間20分 チベット語による発表
40 Diplomatic Edition of Two Biographies of sKyang sprul Nam mkha' rgyal mtshan (1770-1833) by Nyag sgom Rin chen lhun grub 単著 2014-06-00『大谷大学研究年報』第66集 ポン教僧チャントゥル=ナムカ・ジェルツェン(sKyang sprul Nam mkha' rgyal mtshan, 1770-1832)の伝記で弟子ニャクゴム=リンチェン・ルンドゥプ(Nyag sgom Rin chen lhun grub)によって著された『銀の鏡(dNgul gyi me long)』と題する2つの作品のウメー体(行書)で書かれた写本のテキストをウチェン体(楷書)に翻刻するとともに明らかな誤記については修正を施したテキスト。この作品に基づいたチャントゥル=ナムカ・ジェルツェンの生涯を概観した序文を付した。
79頁(51頁〜129頁)
41 『屍の物語 : チベットの昔話』翻訳監修 2015-01-00青海民族大学外国語学院日蔵漢"三語"研究小組 チベットの説話集『屍の物語(Mi ro rtse sgrung)』に収録されている物語のうち10話を選び、青海民族大学で日本語を学ぶチベット人学生と現地在住の日本人が共同で翻訳したものの全体を監修した。特に、チベット特有の文化背景を持った単語に対する注の作成と、『屍の物語』の成立に関する簡単な解説(160頁〜166頁)を執筆した。
総169頁
42 Nya hong gi bon po'i zhib 'jug thug ma nas 'phros pa'i gtam(日本における最初期のポン教研究について)口頭発表(一般発表) 2015-09-20China International Conference of Shang Chung Culture Studies 日本人として初めてチベット入りを果たした寺本婉雅と能海寛の2人がそれぞれポン教に対する関心を持っていたことは、それぞれの日記や記録から明らかである。またそれぞれ『十万百龍(Klu 'bum dkar po)』や『卍無量寿大乗経(g.Yung drung tshe dpag tu med pa zhes bya ba theg pa chen po'i mdo)』などのポン教経典の翻訳研究がある。これらは世界的に見ても、チベット語原典に基づいたポン教研究としては最初期のものであり、その意義は高いと指摘した。
発表時間25分
43 アムドのポン教高僧ウォンジャ=ヨンドン・プンツォク(Bon brgya g.Yung drung phun tshogs, 1874−1934)の事績について:その自伝を中心に口頭発表(一般発表) 2015-11-15第63回日本チベット学会大会 現在レプコン地方のポン教徒の指導者であるウォンジャ=ゲラク・ ルンドゥプ・ジャムツォ(Bon brgya dGe legs lhun grub rgya mtsho)師の先代の化身であるウォンジャ=ヨンドン・プンツォク(Bon brgya g.Yung drung phun tshogs, 1874−1934)の自伝『密教僧ヨンドン・プンツォク・キードゥプ・ジクメが毎年白き善行をおこなったありさま・随者行解脱道階梯(sNgags btsun g.yung drung phun tshogs mkhas grub 'jigs med kyis lo re bzhin rnam dkar dge ba bsgrubs tshul gyi lo rgyus rjes 'jug thar lam bgrod pa'i them skas)』(木版本、192 葉)の内容を紹介しながら、彼の事績のうち、(1)宗派の区別にとらわれない、さまざまな学者・行者との交流 (2)ポン教木版本開版事業を取り上げ、その意義を述べた。
発表時間:25分
44 『富山県南砺市宗林寺所蔵寺本婉雅旧蔵資料目録』共著 2016-02-24大谷大学真宗総合研究所 富山県南砺市城端の宗林寺に所蔵される寺本婉雅旧蔵資料の目録。当該資料は、主にチベット語文献と直筆原稿から構成されている。それら全てに対する「資料の形態と内訳・数量・保存状態」「資料の概要」「所見」を記述するとともに、資料の写真を提示したものである。2016年度大谷大学真宗総合研究所西蔵文献研究班の成果。武田和哉、藤田義孝、清水洋平、高本康子、トゥプテン・ガワ(松下賀和)、ラモジョマ、ボルマー、上田佳子、三宅伸一郎
総111頁(本人は全体の編集も担当)
45 『滋賀県竜王町村岡家所蔵寺本婉雅旧蔵資料目録』共著 2016-02-24大谷大学真宗総合研究所 滋賀県竜王町の村岡家に所蔵される寺本婉雅旧蔵資料の目録。当該資料は、主に日記、研究ノート、寺本宛の書簡から構成されている。それら全てに対する「資料の形態と内訳・数量・保存状態」「資料の概要」「所見」を記述するとともに、資料の写真を提示したものである。2016年度大谷大学真宗総合研究所西蔵文献研究班の成果。
共著者:武田和哉、藤田義孝、清水洋平、高本康子、トゥプテン・ガワ(松下賀和)、ラモジョマ、ボルマー、上田佳子、三宅伸一郎
総84頁(本人は全体の編集も担当)
46 sKyang sprul nam mkha' rgyal mtshan (1770-1832) gyis a mdo shar khog la bzhag pa'i mdzad rjes skor la dpyad pa(チャントゥル=ナムカ・ジェルツェンのアムド・シャルコクにおける業績)口頭発表(一般発表) 2016-06-2014th Seminar of International Association for Tibetan Studies ポン教僧チャントゥル=ナムカ・ジェルツェンが1828年にアムド・シャルコクのシャンツァン寺(sKyang tshang dgon pa)の寺主(dgon bdag)に就任したとされているが、彼の直弟子によって著された伝記には、そのような記述は見当たらない。では、彼のシャンツァン寺寺主就任は事実でなないと言い切れるであろうか。彼の著作の奥書を確認してみると、1828年を境としてそれ以降の著作は、シャルコク地方のガメ寺(dga' mal dgon)やシャドゥル・リトー(Bya dur ri khrod)で執筆されている。こうした執筆場所の変化から、彼が晩年、自身の活動の拠点をシャルコク地方に移したことが窺え、そのシャンツァン寺寺主就任を一概に否定することはできないのではないかと結論した。
発表時間30分
47 Bon gyi rnal 'byor pa skyang sprul nam mkha' rgyal mtshan gyi bon chos dbyer med kyi lta bar dpyad pa(ポン教の瑜伽行者チャントゥル=ナムカ・ジェルツェンのポン教・仏教無分別の思想について)口頭発表(一般発表) 2016-08-036th Beijing International Seminar on Tibetan Studies チャントゥル=ナムカ・ジェルツェンは、自身が著したポン教史年表に仏教に関する事項を数多く記述していることからわかる通り、ポン教と仏教を区別しない思想の持ち主であった。そうした彼の思想がよく表れているのが『ポン法無別を説く書・黄昏の現象(Bon chos dbyer med rnam bshad skya rengs snang ba)』という著作である。仏教とポン教の用語を対照して列挙したこの作品からは、仏教・ポン教は使用する用語に違いがあるだけで、本来同一のものであるとの彼の思想が顕著に見られるとした。
発表時間20分
48 物語・宗教歌・説法:道しるべとなったもの単著 2016-09-00Sangha Japan Vol.24 チベット歌舞劇「アチェ・ラモ」の演目の一つである『ドワ・サンモ('Gro ba bzang mo)』、ケサル王物語のうち『アタク・ラモ(A stag lha mo)』、ラプラン寺第21代座主グンタン=コンチョク・テンンペー・ドンメ(Gung thang dkon mchog bstan pa'i sgron me, 1762-1823)が口語で記した『ペルケ・サプチィ(Phal skad zaab chos)』をとり上げ、それぞれの作品がどのような目的を持って創作されたのかについて述べた。
8頁(309頁〜316頁)
49 日本のチベット研究の先駆者としての小栗栖香頂口頭発表(一般発表) 2017-07-09能海寛研究会第23回年次大会 小栗栖香頂(1831–1905)の北京滞在中(1873–74)のチベット仏教僧との交流を彼の日記である『北京紀遊』『八洲日暦』やその著作である『喇嘛教沿革』に基づきながら明らかにし、日本で初めてのチベット文字学習者として、また北京最大のチベット仏教寺院・雍和宮への日本人留学生送り出しを計画していた者として、彼を日本におけるチベット研究の祖とした。
発表時間20分
50 『シャクリン著『プラサンナパダー注・本釈合壁心髄』:校訂テキスト及び影印』共編 2018-03-00大谷大学真宗総合研究所 大谷大学図書館にしか所蔵が確認されていない稀覯チベット語写本シャクリンパ著『プラサンナパダー注・本釈合壁心髄』の校訂テキスト。刊行にあたっては、詳細な科文及び写本の影印を付した。その序文の中で、著者シャクリンパについての資料がないため、本テキストの成立年代は確定できないが、チャンドラキールティ著『プラサンナパダー』に対するチベット人による注釈書のうち最古の部類に属するものではないかと推測した。
共編者:松下賀和、三宅伸一郎
総158頁
51 ツァワ・タムディン(1867–1937)によるハン・ヘンティーの神がみに対するサン(bsang)供養の儀式に関する一小品について口頭発表 2018-09-22“World Heritage-Great Burkhan Khaldun Mountain and its Surrounding Sacred Landscape: Research, Preservation and Protection” International Conference 19世紀後半〜20世紀前半のモンゴルの偉大な学者であるツァワ・タムディン(rTsa ba rta mgrin, 1867–1937)が1918年に著した『クントゥ・ザンボと呼ばれる山と英雄の神・ナーガ・土地神たちにサンを捧げる方法「クンザンの喜宴」(Kun tu bzang po zhes grags pa’i sa ’dzin dang dpa’ po’i lha klu gzhi bdag rnams la bsangs mchos ‘bul tshul kun bzang dag’ ston)』は、チンギス・カンの生誕地ヘンティー・ハンの山脈に属するクントゥ・ザンボと呼ばれる山に住する神・ナーガ・土地神を祀る「サン(bsang, 浄化)」儀礼に関するものである。内容的には、チベットのサンの儀軌書の伝統をよく受け継いでいるものの、クントゥ・サンボなど神の姿が描写されていない点に注意が必要であるとした。
発表時間20分
52 A Brief Study on the Bon-po Sūtra, g.Yung drung tshe dpag tu med pa zhes bya ba theg pa chen po’i mdo口頭発表(基調講演) 2018-10-13The 2nd International Symposium on Tibetan and Himalayan Studies (第二届蔵学与喜馬拉雅研究国際学術討論会) 日本人初の入蔵者・能海寛(1868–1903)の遺品の中に、『卍無量寿大乗経(g.Yung drung tshe dpag tu med pa zhes bya ba theg pa chen po'i mdo)』と題するボン教文献の原文を筆写しその試訳を示したノートがある。長寿をもたらし不慮の死を防ぐ陀羅尼を説く本経と完全に一致する経典は他に見られず、貴重なものである。『観無量寿経』の原本捜索を目指していた彼は、本経の「無量寿」という題名に強く心惹かれた。これが、彼の本経研究の理由であろうとした。
発表時間20分
53 チベットの「ケサル王物語」とその文化的背景単著 2018-10-29福田晃・萩原眞子編『英雄叙事詩:アイヌ・日本からユーラシアへ』(伝承文学比較双書)(三弥井書店) まず、チベットに伝わる英雄叙事詩「ケサル王物語」全体の概要や起源、物語を伝えてきた語り手について概観した。その上で、数ある物語のうち『悪魔調伏』の物語をとりあげ、そのあらすじを紹介し、特に結末部の翻訳を示しつつ、定型句や繰り返しの多用が物語を紡ぎ出すた目の機能を果たしていたと指摘した。あわせて、物語に見られる信仰や習俗について紹介した。
33頁(258頁〜290頁)
54 『イェシェー・ペルデン著『モンゴル仏教史・宝の数珠』 : 寺本婉雅旧蔵』共編 2019-08-00大谷大学真宗総合研究所 1835年にケンチェン・パンディタ=イェシェー・ペルデンにより著されたチベット語によるモンゴルの王統史・仏教史の木版本のテキストを、明らかな綴りの誤りについては修正した上で翻刻するとともに、日本語・チベット語による解題を「序」として付した。
共編者:松川節、伴真一朗、アリルディー・ボルマー、更蔵切主、三宅伸一郎
総xiv+86頁。三宅は「序」(i頁〜xiv頁)を担当。
55 ラグ・ヴィラ(Raghu Vira)博士の中国旅行記(試訳2:内モンゴルおよび青海)共訳 2019-12-00『佛教学セミナー』第110号 20世紀前半のインドを代表する東洋学者にして政治家でもあるラグ・ヴィラ(Raghu Vira)博士の1955年4月から3ヶ月に及ぶ中国旅行のヒンディー語による記録Prof. Raghuvira’s Expedition to China. (Śatapitaka Series Indo-Asian Literatures, vol. 76), Lokesh Chandra & S. D. Singhal (eds.), New Delhi: International Academy of Indian Culture, 1969のうち、内モンゴルおよび青海訪問時の記録に対する試訳と注釈を行うともに、そこに、彼のアジア各地の文化への視点、すなわち「インド文化をアジア文化の師匠として位置づける」という独自の視点を見てとることができると指摘した。
共訳者:Dash Shobha Rani、三宅伸一郎
24頁(74頁〜97頁)
56 チベット『死者の書』単著(事典項目執筆) 2021-01-31日本仏教学会(編)『仏教事典』(丸善出版) 一般に『チベット死者の書』と呼ばれる『パルド・トードル(Bar do thos grol)』の輪廻思想を前提としたその内容は、チベット人の死に対する考え方の典型と考えられている。しかし、近年発見された9世紀中頃から11世紀ごろの写本に基づけば、『パルド・トードル』とは異なった土着の信仰におけるチベット人の死に対する考えを知ることができると述べた。1頁(213頁)
57 寺本婉雅旧蔵のモンゴル仏教史について単著 2021-03-00松川節・P.デルゲルジャルガル(編)『モンゴルにおける仏教の後期発展期(13世紀〜17世紀)の仏教寺院の考古学・歴史学・宗教学的研究 第1期(2013〜2015年)研究成果報告書』(大谷大学真宗総合研究所) 宗林寺(富山県南砺市城端)に所蔵されている寺本婉雅旧蔵チベット語文献の中にあるにある『ホルの地に王統と仏教・仏教の保持者・文字の創始・寺院などがいかに現れたのかを説く「宝の数珠」』と題するモンゴル仏教史の概要を紹介しつつ、特にその最後に記されている計54ヶ寺の名を挙げている「寺院リスト」が、19世紀前半のモンゴルにおける仏教の状況を知る上で極めて重要な資料であることを指摘した。寺院リストのローマ字転写テキストを付す。
15頁(77頁〜91頁)
58 「仏」の教えとしてのボン教単著 2021-03-31岩尾一史・池田巧(編)『チベットの歴史と社会 上 歴史篇・宗教篇』(臨川書店) まず、「ボン教」には、(1)土着の信仰、(2)仏教と同じく教団組織を持った「ユンドンン・ボン」、(3)敦煌出土文献に基づいて見出された仏教伝来以前の宗教の3種あることを指摘するとともに、本来「唱える」「念ずる」という意味であったのが、「ユンドンン・ボン」の段階では、仏教における「法(ダルマ)」と同じ意味で使われるようになったことを指摘した。また、ボン教徒は開祖シェンラプを「仏陀」とみなしている、それ故に彼らは、自らの信仰する教えを「仏陀の教え」と考えており、その意味においてボン教と仏教が本来同一なものであるとの認識を持っていることを指摘した。
27頁(306頁〜332頁)
59 ボン教の典籍 単著 2021-12-30『仏教学セミナー』第114号 2021年10月21日に実施した大谷大学仏教学会の新入生歓迎講演会の講演録。
まず、ボン教の特徴を、『無垢栄光経』の記述を引用しながら、仏教伝来以前の土着の信仰の要素を教義の中に明確に位置づけながら、「成仏」を目指すところであると指摘した。その上で、この宗教が有する膨大な典籍の概要を(1)僧院で受け継がれてきたものとしての「カンギュル」と「カテン」(2)民間で受け継がれてきたものの二つに区分し、どのような影印本が刊行されているかなどの概要を説明した。
23頁(26頁〜48頁)
60 ボン教の歴史 単著 2022-01-20熊谷誠慈(編著)『ボン教:弱者を生き抜くチベットの知恵』(創元社) まず、仏教側の資料が述べる「仏教伝来以前の土着の信仰」としてのボン教の変化・発展について提示した後、ボン教徒自身の描く彼らの歴史を概観した。その上で、土着の信仰要素を基盤としながらも仏教の教義や組織形態を取り入れて発展していったボン教徒の歴史からは「敵対する相手の主張を受け入れつつも完全に同化せず、自らのアイデンティティを鮮明にする」という、彼らの生き残るための強い姿勢が見られると述べた。また、ボン教徒たちは、強固な教団組織を持たず、ただ、開祖シェンラプの教えを奉ずる者という、緩やかな一体感のもとで歴史を歩んできたと指摘した。
44頁(11頁〜54頁)
61 イェシェー・ペルデン著 『モンゴル仏教史・宝の数珠』チベット・モンゴル語対照訳注(1) 共訳 2022-03-00『真宗総合研究所研究紀要』第39号 ケンチェン・パンディタ=イェシェー・ペルデン(mKhan chen paṇḍi ta Ye shes dpal ldan)により 1835 年に著された『モンゴル仏教史・宝の数珠』のチベット語版とモンゴル語版のテキストを対照した上で、訳注を施したもの。内容とし ては、古代インド・チベットの王統から始まり、チンギス・ハーンの没年までの 部分を扱っている。
共訳者:三宅伸一郎、松川節、伴真一朗
44頁(215頁〜271頁、「はじめに」の部分を執筆。全体にわたり共同で翻訳)
62 大谷大学のチベット研究ことはじめ:小栗栖香頂と寺本婉雅 講演録 2022-12-30『仏教学セミナー』第116号 小栗栖香頂(1831–1905)を、北京留学中チベット仏教(喇嘛教)に注目し、チベット語学習を試みるとともに、北京のチベット仏教寺院・雍和宮への留学生の派遣やチベット大蔵経の購入計画を企図した人物として、日本におけるチベット研究の祖であると紹介した。また、寺本婉雅(1872–1940)を大谷大学のチベット研究の祖とし、彼の研究の特徴について紹介した。
21頁(53頁〜73頁)
63 蟻に施す方法:十八・九世紀ボン教僧による慈悲の実践法 講演録 2023-12-30『仏教学セミナー』第118号 ポン教僧キャントゥル=ナムカ・ギャルツェン(sKyang sprul Nam mkha' rgyal mtshan, 1770-1832)の著作「蟻に対する施し」の内容を紹介し、本著作に述べられているこの「蟻に対する施し」の行法の2つの起源のうちの1つと同内容のものがモンゴルに伝えられていることを指摘した。また、テキストとの出会いによって視野が広がることも述べた。19頁(35頁〜53頁)
以上63点

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