教育研究業績の一覧

松川 節
A 教育業績
教育実践上の主な業績 年月日概要
1 教育内容・方法の工夫(授業評価等を含む)
1 コミュニティサイト“MATSUKAWAism”の開設 2006-02-06 ~ インターネット上に独自ドメインにてXoopsによるコミュニティサイト“MATSUKAWAism”を立ち上げ,1)学術情報の配信,2)ブログ形式の授業ノートによる学生への情報提供,3)ゼミ生の相互連絡用会議室の提供などを継続して行っている。(http://www.qutug.com/qutugxoops/)
2 文化財映像作品『祗園祭』の制作指導 2006-04-01
~2007-03-31
人文情報学演習IVの授業の一環として,2006年7月の祗園祭における菊水鉾のお囃子を取材し,記録映像としてDVDパッケージ『日本・京都三大祭・祗園祭~菊水鉾の囃子手・岡川知史~』(16分)を制作した。
3 ゼミクラス用SNSの開設 2007-04-01
~2011-03-31
ゼミクラス用にOpenPneによるSNSサイト“QUTUGSNS”をインターネット上に立ち上げ,1)ゼミ生の学習日記,2)担当教員の指導日記,3)ゼミ内容に関わるコミュニティの開設,4)毎回の演習内容の記録,5)ゼミ卒業生のためのコミュニティサイトなどとして活用した。(http://qutug.la.coocan.jp/qutugsns/)
4 e-learning:京都美山高校インターネット通信制課程でライブ授業を実施 2007-06-21
~2007-07-19
e-learning実践のための試行例として,京都美山高校インターネット通信制課程におけるライブ授業を実施した。第1回(2007年6月21日)「モンゴルの遊牧世界~モンゴルとはどんなところ?~」は京都市内の美山高校サテライトスタジオにて実施,第2回(2007年7月19日)「モンゴルの遊牧世界~遊牧のしくみ~」は大谷大学個人研究室のパソコンに小型カメラとマイクを設置し,ブロードバンド回線を介してライブ授業を実施した。
5 大学コンソーシアム京都・大学地域連携モデル創造支援事業「紫明プロジェクト」を指導 2007-07-01
~2008-03-31
人文情報学演習IIIの授業の一環として,大学コンソーシアム京都2007年度「大学地域連携モデル創造支援事業」の助成金を受け,「紫明まちづくりプロジェクト~マルチメディアによる情報配信~」を実施し,1)オープンキャンパスにおけるフリーペーパの配布,2)地域との交流座談会の開催(2007年10月22日),3)大学学園祭における地域との交流講演会の開催(2007年11月11日)並びに教室展示の実施,4)地域の歴史・文化情報のWEBでの発信,5)「紫明ブログ」の開設などの諸活動を行った。
http://qutug.la.coocan.jp/shimei/index.html
成果は,2007年11月8日付け京都新聞,2008年1月15日付け読売新聞でそれぞれ紹介された。
6 デジタルミュージアム「法隆寺一切経と聖徳太子信仰」の制作指導 2007-09-22
~2007-12-15
人文情報学演習IVの授業の一環として,大谷大学博物館で2007年10月~11月に開催された特別展「法隆寺一切経と聖徳太子信仰」の電子博物館立ち上げを指導した。http://qutug.la.coocan.jp/otanimuseum/index.html
作品は,2007年11月28日付け京都新聞,2007年12月7日付け朝日新聞においてそれぞれ紹介された。
7 「JINGEN100プロジェクト」の指導 2012-10-01
~2013-12-23
大谷大学尋源館竣工100周年を記念して,尋源館をデジタル化して表現するプロジェクトにおいて,人文情報学科アドバイザーの伴宙氏の指導の下にゼミ生ととともに取り組み,映像作品「One Hundred - The Shades of Jingen-kan」の制作を指導した。
8 「学生目線による大谷大学紹介動画制作プロジェクト」の指導 2013-10-01
~2014-06-15
大谷大学生による大谷大学紹介動画制作プロジェクトを立ち上げ,ゼミ生によるプロジェクトの組織・運営を指導した。その成果は,映像作品として動画共有サイトにアップロードされるとともに,2014年3月22日,2014年6月15日の大谷大学オープンキャンパスにおいて,高校生向け「学科の学び紹介」においてゼミ生によってプレゼンされた。
2 作成した教科書、教材、参考書
3 教育方法・教育実践に関する発表、講演等
4 その他教育活動上特記すべき事項
B 職務実績
1 大谷大学真宗総合研究所指定研究「西蔵文献研究」班研究員 2013-04-01
~2014-03-31
2 大谷大学真宗総合研究所指定研究「西蔵文献研究」班研究員 2017-04-01 ~
C 学会等及び社会における主な活動
所属期間及び主な活動の期間 学会等及び社会における主な活動
1 2001-04-01~2008-03-31 日本モンゴル学会理事・紀要編集委員
2 2006-04-01~2008-03-31 京都学術共同研究機構21世紀学研究推進部会委員
3 2008-04-01~2010-03-31 日本モンゴル学会理事・紀要編集委員長
4 2010-04-01~2012-03-31 日本モンゴル学会理事・紀要編集委員
5 2012-04-01~2014-03-31 大学コンソーシアム京都高大連携事業部長
6 2013-04-01~2014-03-31 日本モンゴル学会理事・紀要編集委員長
7 2014-04-01~2016-03-31 大学コンソーシアム京都高大連携・インターンシップ事業部長
8 2014-04-01~2016-03-31 日本モンゴル学会理事・紀要編集委員
9 2016-04-01~0000-00-00 日本モンゴル学会理事
10 2020-04-01~0000-00-00 日本モンゴル学会紀要編集委員長
D 研究活動
著書、学術論文等の名称単著、
共著の別
発行又は
発表の年月
発行所、発表雑誌等
又は
発表学会の名称
概要
Ⅰ著書
1 『図説 モンゴル歴史紀行』単著 1998-11-00河出書房新社 東京 モンゴル高原に存在する様々な歴史遺物を取りあげ、写真と文章を使って解説を加える。筆者が1996年~98年に参加した「突厥・ウイグル・モンゴル帝国時代の碑文および遺跡に関する歴史学・文献学的調査」、1997年に行なった「モンゴルの都市化と伝統文化の変容(現地調査)」の成果を、一般向けに発表したものである。目次  モンゴルへの招待    諸民族の興亡    ウランバートル都市史    モンゴルの暦と占い    モンゴルの文字総頁数112頁
2 『《誕化世傳》研究』(モンゴル文)共著 2002-04-00内蒙古教育出版社(中華人民共和国) 本書は、内モンゴルで新たに発見された、アーリヤシューラ著ジャータカマーラー Jātakamālā(三十四章・本生鬘)のモンゴル語訳写本の訳註である。構成は、序論(異本同士の関係;成立が元朝期に遡る証拠;写本における古文書学的特徴)、1.現代モンゴル語による再構、2.テキストのローマ字転写、3.訳註となっており、最後にテキストの写真版が附される。写本の特徴を分析することにより、モンゴル語訳が、13~14世紀のモンゴル仏典成立の最初期に遡ることなどを明らかにした。517頁。双福氏との共著。A5判 総頁数517頁
3 『『西藏歴史檔案薈粋』所収パスパ文字文書』共著 2015-03-00東北大学東北アジア研究センター
4 イェシェー・ペルデン著『モンゴル仏教史・宝の数珠』─寺本婉雅旧蔵─共編 2019-00-00大谷大学真宗総合研究所 松川節, 伴真一朗, アリルディー・ボルマー, 更藏切主, 三宅伸一郎(共編)
以上4点
Ⅱ学術論文
1 モンゴルにおける北斗信仰-「七人の老人経」の紹介-単著 1985-00-00『モンゴリカ』創刊号 モンゴルでは北斗七星のことを「七人の老人」と呼び、それを献祭することによって長寿や福徳を祈願する。その根本テキストたる『七人の老人経』という仏典は実は偽経であり、仏典の形式をとりながらもその内容は北アジアに広範に分布するシャマニズム的星辰信仰を反映したものであることを明らかにした。4頁(P32~P35)
2 モンゴル文暦学書『ソリブツァン・バリホ・ボドロル・ビチグ』-時憲暦暦学書のモンゴル語訳-について単著 1988-00-00『日本モンゴル学会紀要』第19号 表題のモンゴル文暦学書は3000頁を越す大著でありながら、中国、モンゴル、ロシアにしか所蔵されていないために文献学的研究はほとんどされてこなかった。筆者はこの暦学書を初めて日本及び西洋の学界に紹介し、詳細な解題を付した。さらに成立事情を分析することによってモンゴル暦学史の一系統を明らかにした。23頁(P40~P62)
3 モンゴル文『仏説北斗七星延命経』の研究-元朝期モンゴル仏典訳経史の一側面-単著 1992-01-00平成3年度大阪大学大学院文学研究科修士学位論文 中国で成立した偽経『仏説北斗七星延命經』は14世紀のモンゴル支配時代に漢文からウイグル語に翻訳され、さらにモンゴル語、チベット語に翻訳された。モンゴル語訳に際して付け加えられた奥付を解析した結果、モンゴル語訳の出版はモンゴル皇帝の即位に対する記念事業であったことが判明し、さらに元朝期モンゴル宮廷における仏典翻訳事情が色濃く反映されていることが指摘された。162頁
4 新発現の蒙漢合璧少林寺聖旨碑共著 1993-07-00『内陸アジア言語の研究』第8号(中央ユーラシア学研究会) 1987年、中国・河南省の少林寺より13~14世紀のモンゴル語・漢語対訳碑文が新たに発見された。筆者らは1992年に現地調査を行ない、その成果を踏まえてこの碑文の解読を世界に先駆けて発表し、さらに本碑文がもつ文献学的・歴史学的価値について論じた。92頁(P1~P92)
5 On the Uighur Origin of the Mongolian Translation of the Sutra of the Great Bear.単著 1994-00-00Mongolica. An International Annual of Mongol Studies. vol.5 (26) モンゴル文『佛説北斗七星延命經』は14世紀初頭にモンゴル皇帝の即位を記念して出版されたが、翻訳を行なったのは当時の仏教界で勢力を持っていたウイグル人仏僧であった。本発表は、モンゴル文とウイグル文の『佛説北斗七星延命經』を比較対照することにより、14世紀という最初期のモンゴル仏典の産みの親がウイグル仏教であった可能性を指摘したものである。8頁(P181~P188)
6 大元ウルス命令文の書式単著 1995-12-00『待兼山論叢(史学篇)』第29号 13~14世紀のモンゴル支配時代における「モンゴル的統治形態」を分析する上で、モンゴル支配の中核を担った大元ウルス(元朝)の大カーン及び支配者層がモンゴル語で発令した命令文は最も根本史料となるものである。本稿では現存する36件のモンゴル語命令文の書誌情報を列挙し、それらが極めて厳密な書式に則っていることを指摘しつつ、そこには「とこしえの天」を最上とするモンゴル的権威の序列が貫かれていることを明らかにした。28頁(P25~P52)
7 マルチメディア民族誌の研究共著 1996-03-00『重点領域「人文科学とコンピュータ」1995年度研究成果報告書』 従来、民族誌はもっぱら文字情報を主体としてきたが、これに音声や映像を付加して、マルチメディアによって実現することによって、ある民族の生活世界に関して「複合的な情報の提供」が可能になり、同時にマルチメディアが持つ「双方向性」を活かして、「重層的な情報の提供」も可能になる。本研究では、マルチメディア民族誌を実現するために、WWWによるアプローチと、マルチメディア・オーサリングツールによるアプローチという2つの方法を用い、「モンゴルの春」というコンテンツを作成した。8頁(P565~P572)
8 観世音菩薩と活仏-モンゴル仏教その他 (分担執筆) 1997-00-00小長谷有紀(編)『アジア読本 モンゴル』 モンゴル仏教の歴史を概観しつつ、現在のモンゴル国で仏教界の最高権威である活仏が空位のままである事情を探求し、モンゴルが仏教国でありながら、その独自性がきわめて希薄なのは、歴史上、好むと好まざるとにかかわらず、チベット仏教の外護者として位置づけに終始しているためであると結論づける。7頁(P217~P223)
9 カラコルム出土1348年漢蒙碑文-嶺北省右丞郎中収糧記単著 1997-00-00『内陸アジア言語の研究』第12号 モンゴル帝国の首都カラコルム遺跡に現存する表題の碑文を解読し、訳注をつけたもの。特に、碑陰に刻された4行のウイグル文字モンゴル文は、世界で初めてその解読に成功した。解読の結果、通説とは異なり、1340年代のカラコルムは大いに発展していたことが判明した。16頁(P83~P93)
10 画像処理:マルチメディア民族誌の研究共著 1997-03-00『人文科学とコンピューターイメージ処理』平成8年度科学研究費補助金(重点領域研究(1)研究成果報告書 本研究では、モンゴルの伝統的住居である天幕(ゲル)を素材にマルチメディア民族誌を作成した。ゲルの内部およびゲル内の調度品を3次元仮想空間としてコンピュータ内に再現し、重要事物に民族学的な情報を付加した。仮想3次元空間の再現には、Quick Time VRの技術を用い、パーソナルコンピュータMacintosh上に実現した。本稿では、マルチメディアで再現したゲルの構成、および、これまでの研究経過について述べる。
11 移動と定住のはざまで-モンゴル・北アジア草原地帯の遊牧民単著 1998-00-00佐藤浩司(編)『住まいをつむぐ』(シリーズ建築人類学「世界の住まいを読む」1) モンゴルの遊牧民は、遊牧に従事するにしても、環境によって異なる様式の家屋を利用し、移動式の天幕住居ゲルだけでなく定住家屋をつくってきた。移動と定住のはざまでモンゴルの人々が住空間をいかに認識しているのか、住まいの変遷を歴史的に位置づけることによって明らかにし、結論として、彼らの住空間は、移動と定住という2つの形態のいずれにおいても、遊牧を前提とした空間に内包されていることを明らかにした。20頁(P195~P214)
12 モンゴル仏教に生きるその他 (分担執筆) 1998-00-00小長谷有紀・楊海英(編著)『草原の遊牧文明-大モンゴル展によせて』 20世紀初頭のモンゴルの画家シャラブの著わした絵画「モンゴルの一日」には、モンゴル仏教の葬送儀礼が描かれている。伝統的な葬送儀礼がいかにして行なわれていたかを文献を援用しつつ解説し、あわせて、『モンゴルの死者の書』について本邦で初めて言及した。5頁(P68~P72)
13 13~14世紀モンゴル語命令文書の書式に関する文献学的研究単著 1998-03-00大阪大学大学院文学研究科博士(文学)学位論文 モンゴル時代に皇帝や諸王たちによって発令された命令文は、ユーラシア各地で用いられた様々な言語・文字で残されている。しかしながらそのなかで、統治者の母語であるモンゴル語で記された命令文が占める位置については、従来、過小評価されてきた。本稿はこのモンゴル語命令文を中心に据え、その徹底した文献学的研究を行なったうえで歴史学的考察に及び、「モンゴル的統治理念」や「モンゴル的支配システム」がいかなるものであるかを明らかにしようとするものである。本文は「はじめに」、第1~4章、「おわりに」からなり、枚数は約500枚(400字詰め換算)である。179頁
14 カラコルム関係碑文所在状況その他 (分担執筆) 1999-03-00森安孝夫・オチル(共編)『突厥・ウイグル・モンゴル帝国時代の碑文及び遺蹟に関する歴史学・文献学的調査』中央ユーラシア学研究会 13世紀のモンゴル帝国の首都カラコルムに残されている碑文資料について調査史、研究史を概述し、さらに1996年から1998年に行なった現地調査の成果を踏まえつつ、現存状況を報告した。総頁数378頁中2頁(pp.232-233)
15 釈迦院碑記その他 (分担執筆) 1999-03-00森安孝夫・オチル(共編)『突厥・ウイグル・モンゴル帝国時代の碑文及び遺蹟に関する歴史学・文献学的調査』中央ユーラシア学研究会 1257年、モンゴル高原北部に「釈迦院」が建立されたことを記念した碑文(現・モンゴル歴史博物館所蔵)を調査し、そのモンゴル文3行について解読と訳註を付した。宇野伸浩氏・中村淳氏との共著。総頁数378頁中7頁(pp.254-260)
16 新発表のモンゴル語命令文碑3件単著 2002-03-00松田孝一(編)『碑刻等史料の総合的分析によるモンゴル帝国・元朝の政治 ・経済システムの基礎的研究』(平成12~13年度科学研究費補助金 ・基礎研究(B)(1)報告書) ここ数年のあいだに中国で新たに発表された3件のモンゴル語命令文碑(1. 1277年ウイグル字モンゴル文・直訳体漢文合璧ジビグ=テムル大王令旨碑、2. 1282年パスパ字モンゴル文・直訳体漢文合璧アナンダ秦王令旨碑、3. 1309年パスパ字モンゴル語・直訳体漢文合璧ハイシャン聖旨碑)について、解題とテキスト転写・訳註を付した。また2のテキスト写真の不鮮明部分について、デジタル画像処理を応用した解読を試みた。総頁数219頁中13頁(pp.55-67)
17 文学部における情報処理教育単著 2003-10-00漢字文献情報処理研究会(編)『漢字文献情報処理研究』第4号好文出版 大谷大学文学部人文情報学科を例にして、文学部における情報処理教育の課題と展望について論じ、教える側が現代社会における「知」のあり方の変遷にいかに対応してゆくかという課題を提示した。すなわち、ユビキタス社会において人文情報がいつでも取り出し可能な分散型「知」の総体として捉えられた時、教える側の責務は情報の「切り売り」から、情報をいかに「処理」するかへと移行せざるを得ない。人文系教員のFDが求められる所以はそこにある。総頁数184頁中6頁(pp.22-27)
18 Some Uighur Elements Surviving in the Mongolian Buddhist Sūtra of the Great Bear.単著 2004-00-00D. Durkin-Meisterernst et al. (eds.), Turfan Revisited - the First Century of Research into the Arts and Cultures of the Silk Road, Berlin, pp. 224-229. 本論文では、ユーラシアに広く普及した中国起源の偽経『佛説北斗七星延命經』のモンゴル語版に生き続けているウイグル的要素を扱い、この経典がウイグル語からモンゴル語に翻訳されたという証拠を示した。6頁。
19 チベット自治区博物館蔵五言語合璧『如來大寶法王建普度大齋長巻画』(1407年)のモンゴル語テキストについて単著 2004-03-00『大谷学報』第82巻第:4号大谷学会 表題の長巻画は、チベット・カルマ派の活仏が明の永楽帝の招聘に応じて南京郊外の霊谷寺にて普度大齋を行なった様子を描画したもので、漢文・チベット語・モンゴル語・チャガタイ語・ビルマ語による解説が付されている。このうちモンゴル語の部分を世界で初めて解読し、訳註を付し、合わせて、本長巻画が持つ様々な史料価値を論じた。15頁(pp.001-015)
20 モンゴル語訳『佛説北斗七星延命經』に残存するウイグル的要素単著 2004-03-00森安孝夫(編)『中央アジア出土文物論叢』朋友書店 13~14世紀の資料から成るトゥルファン出土モンゴル語文献には2つの文化的要素 ── モンゴリズムとウイグリズム ── の混淆形態が見られる。しかし、不審なことにウイグル語版を翻訳原典であると明記したモンゴル語仏典はひとつも見つかっていない。本論文では、ユーラシアに広く普及した中国起源の偽経『佛説北斗七星延命經』のモンゴル語版に生き続けているウイグル的要素を扱い、この経典がウイグル語からモンゴル語に翻訳されたという証拠を示した。8頁。
21 サンクトペテルブルク大学図書館所蔵モンゴル語写本大蔵経の『佛説北斗七星延命經』訳註単著 2004-03-00『真宗総合研究所研究紀要』第21巻 大谷大学 いくつかのモンゴル仏典は、その跋文において、翻訳が元朝期の14世紀前半に行なわれたことを伝えている。そうした仏典のひとつに『佛説北斗七星延命經』(Taisho 1307)のモンゴル語訳がある。14世紀のモンゴル語テキストじたいは見つかっていないが、筆者は、伝存するモンゴル語訳テキストのうち、14世紀の最初の翻訳の要素を最も色濃く残している、ロシア、サンクトペテルブルク国立大学東方部図書館に所蔵される未発表のモンゴル語写本大蔵経カンジュル(仏説)部所収テキストを調査する機会をもった。本論文はその訳註を試み、基礎的研究としたものである。33頁。
22 新発現の漢モ対訳『勅賜興元閣碑』碑片単著 2006-03-00『中世北東アジア考古遺蹟データベースの作成を基盤とする考古学・歴史学の融合』(文部科学省科学研究費補助金特定領域研究「中世考古学の総合的研究──学融合を目指した新領域創生──」平成16・17年度公募研究研究成果報告書 代表:龍谷大学助教授村岡倫)2006, pp.74-81. 1346年,大元ウルス皇帝トゴンテムルの勅命によってカラコルムに建てられた漢文・モンゴル文対訳『勅賜興元閣碑』は,いくつかの断片のかたちでしか伝存していないが,2003年8月,ドイツ・モンゴル共同「カラコルム宮殿」プロジェクト隊によって新たな一碑片が発見され,2005年6月にボンで開催された「チンギスハンとその継承者たち」展で公開された。本論文は,同展の図録に掲載された拓影と解説文に基づき,この新発現の碑片を紹介しつつ,世界に先駆けて解読を試みたものである。8頁。
23 ヘンティ県アラシャン・ハダの墨書について共著 2006-05-00『日本モンゴル学会紀要』36, pp.77-82. モンゴル国ヘンティ県のアラシャン・ハダ岩壁に書かれたアラビア文字ペルシア語と漢文による墨書を解読し,その内容は,明の皇帝の勅命によって現地に派遣された使臣が書き残したものであることを明らかにした。6頁。
24 13~14世紀モンゴル文碑刻目録(増補版)単著 2007-03-00『13、14世紀東アジア諸言語史料の総合的研究──元朝史料学の構築のために』(文部科学省科学研究費補助金基盤研究(B)平成16~18年度研究成果報告書 代表:奈良大学教授森田憲司)pp. 139-153. 13・14世紀のいわゆるモンゴル支配時代に,統治者の母語であるモンゴル語で記された碑刻史料計47件と岩壁銘文計6件について,成立年,内容,所在地,先行研究などの書誌情報をまとめ,基礎資料とした。15頁。
25 移動体メディアへの仏教関連コンテンツの配信に関わる学際的・学融合的研究共著 2007-11-00『京都学術共同機構共同研究プロジェクト2006年度中間報告集』(pp.73-92) 今日の情報化社会において,仏教に関する基礎知識をどのようなメディアを利用して配信していけば最も効果的であるかを,①いかなる移動体メディアがふさわしいか。②いかなるコンテンツが効果的か。この2点から追究した。①においては「ユビキタス環境」の構築に向けて,様々な移動体メディアを試用し,携帯情報端末(PDA)がタッチスクリーンによる入力,無線LAN通信機能,動画・音声・Flashを使ったコンテンツへの対応,ポッドキャスト再生環境を容易に構築できるなど,広い拡張性を有していることがわかった。②においては,「仏教に関する正しい基礎知識の学びと配信」をテーマにコンテンツを制作し,システム全体の検証実験までを行った。内容は,ユーザのプレゼンス情報にもとづきナビゲーションができるFlash版とHTML版の学習シナリオ,RFIDを利用した仏壇や仏具などの展示品ガイド,ポッドキャスティングのための仏教用語,仏典童話,法話・正信念仏偈などの解説音声ファイル,焼香の作法などをまとめた動画ファイルなどから構成される。実証実験の結果,学習者の意欲の向上や一定の成果が認められた。また,活動状況をはじめ学習の到達度などの行動履歴を取得できるため,コンテンツの難易度を容易に把握できることがわかった。20頁。
26 In Regards to Aldaγ-situ on the Sino-Mongolian Inscription of 1240.単著 2008-00-00『西域歴史語言研究集刊』1, 北京, pp.290-295. 1240年に成立した漢文碑文「也可合敦大皇后懿旨并妃子懿旨」の末尾に刻まれた3行のウイグル文字モンゴル文テキストの2行目に書かれているAldaγ-situというモンゴル語は,通説に反してAldang-qituと読むべきであることを,1)古文字学的観点から''LD'X-SYTWではなく,''LD'NK-XYTWと読むべきであること,2)音韻学的に,漢字表記「按答奚」はan da χiと再構されるため,やはり''LD'NK-XYTWが支持されること,3)後世ではあるが,17世紀のモンゴル語文献『白樺法典』にaldang-qituという単語が在証されること,以上三点から論証した。6頁。
27 『勅賜興元閣碑』漢文面・モンゴル文面の再構単著 2008-03-30『内陸アジア諸言語資料の解読によるモンゴルにおける都市発展と交通についての総合研究』』(文部科学省科学研究費補助金基盤研究(B)平成18~20年度研究成果報告書 代表:大阪国際大学教授松田孝一) 1346年,大元ウルス皇帝トゴンテムルの勅命を受け,許有壬の撰文によってカラコルムに建てられた漢文・モンゴル文対訳『勅賜興元閣碑』は,断片でしか伝存していない。許有壬『至正集』収録の『勅賜興元閣碑』全1023字と比べ,伝存する4断片からは計192字が読み取れるにすぎないが,4断片の配置から,もとの碑形を再構することが可能である。同様の方法でモンゴル文面をも再構し,内容解読のための基礎資料を提出した。
28 モンゴル国における契丹文字資料と研究状況(1)単著 2008-04-25荒川慎太郎・高井康典行・渡辺健哉編『遼金西夏研究の現在(1)』東京:東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所 近年,中国で発現した契丹文字資料の研究はさかんに為されているが,モンゴル国に所在する契丹文字資料の状況についてはほとんど報告されていない。筆者は現地調査によって現認したモンゴル国所在の契丹文字岩壁銘文3件(サルバルオール岩壁銘文,エルデニオール岩壁銘文,アラシャン=ハダ岩壁銘文)について,先行研究とともに拓本・写真によって紹介しつつ,今後の研究展望を行った。pp.101-112, -5 pls.
29 『勅賜興元閣碑』モンゴル文面訳註単著 2008-07-00『内陸アジア言語の研究』23号,pp.35-54, +4pls. 1346年,大元ウルス皇帝トゴンテムルの勅命を受け,許有壬の撰文によってカラコルムに建てられた漢文・モンゴル文対訳『勅賜興元閣碑』のモンゴル文面は,断片でしか伝存していない。本稿では,伝存する4断片について転写と訳註を附し,その配置を明らかにしてもとの碑形を再構し,内容解読のための基礎資料を提出した。
30 Шанси мужийн Тай-юань хотын Дөү-Да-Фу-гийн тахилын сүмийн 1348 оны нэгэн мөр монгол бичэээс ба нүүдэлчин монголчуудын “титэм буюу татал бичиг”-ийн уламжлал単著 2010-00-00Nomadic Studies Bulletin Vol.17. International Institute for the Study of Nomadic Civilizations, Ulaanbaatar. pp.122-126."On the Mongolian One-line Inscription of 1348 from Dou-Dafu Shrine, Taiyuan, Shanxi Province, and the Practices of Adscript of Nomadic Mongols." (in Mongolian)
31 Mongolian Manuscripts from Khara-khoto(黒水城出土的蒙古文写本)単著 2010-05-00『中国多文字時代的歴史文献研究』(社会科学文献出版社) 中国・内モンゴル・エチナ旗のハラホト都城址から出土した13・14世紀モンゴル語資料の全体像と,その中で年代比定ができる資料について考察をおこなった。pp.340-345.
32 世界遺産エルデニゾー寺院(モンゴル国)で再発見された漢モ対訳『勅賜興元閣碑』断片単著 2010-07-15『大谷學報』89:2 2009年9月,科学研究費助成事業による現地調査によって発現した『勅賜興元閣碑』断片について,研究史をまとめたうえで,テキスト転写と訳注をほどこし,拓影を掲載した。pp.01-18, -4 pls.
33 哈喇和林再發現的漢蒙文對譯≪敕賜興元閣碑≫斷片(中文)単著 2010-09-00『西域歴史語言研究集刊』4, 北京。 2009年9月,科学研究費助成事業による現地調査によって発現した『勅賜興元閣碑』断片について,研究史をまとめたうえで,テキスト転写と訳注をほどこし,拓影を掲載した。学術論文31の中文版である。pp.135-138.
34 “Дэлхийн өв Эрдэнэзуугаас шинээр олдсон хятад-монгол “Зарлигаар байгуулсан юан улсыг мандуулах асарын бичээс”-ийн хэсэг” (モンゴル文)Түүхийн Судлал (Studia Historica)単著 2011-00-00Түүхийн Судлал (Studia Historica) 15. 2009年9月,科学研究費助成事業による現地調査によって発現した『勅賜興元閣碑』断片について,研究史をまとめたうえで,テキスト転写と訳注をほどこし,拓影を掲載した。学術論文31のモンゴル文版である。pp.343-354.
35 “Historical Aspects of Mongolian Buddhism: The Erdene Zuu Monastery”単著 2011-00-00The International Conference on “Erdene-Zuu: Past, Present and Future.” モンゴル仏教史の通時的展開を位置づける際に,エルデニゾー寺院に注目することの意義を述べ,エルデニゾーに関する近年の歴史学・仏教学・考古学的新知見によって,モンゴル仏教史を再構築する可能性が高いことを示した。pp.27-34.
36 “Kotwicz’s Contribution to Mongolian History: the Rediscovered
1347 Sino-Mongolian Inscription.”
単著 2012-00-00In The Heart of Mongolia : 100th Anniversary of W. Kotwicz’s
Expedition to Mongolia in 1912.
2009年9月,科学研究費助成事業による現地調査によって発現した『勅賜興元閣碑』断片について,研究史をまとめたうえで,テキスト転写と訳注をほどこし,拓影を掲載した。さらに,ポーランドのコトヴィチが1912年に本資料を最初に発見した事情と解読を引用し,検討した。pp.191-205.
37 「漢文・モンゴル文対訳「達魯花赤竹君之碑」(1338年)訳註稿」共著 2012-00-00『真宗総合研究所紀要』29. 数少ない14世紀のモンゴル語資料のひとつである「漢文・モンゴル文対訳「達魯花赤竹君之碑」」の転写・訳注を行い,巻末に東洋文庫所蔵拓本の写真を付した。pp.107-238.
38 “Монголын бурхны шашны түүхэн дэхь Эрдэнэ зуу хийд.”単著 2012-00-00Орхоны хѳнндийн ѳв (Heritage of Orkhon Valley) 1. 論題(モンゴル語)は「モンゴル仏教史におけるエルデニゾー寺院」の意。pp.26-33.
39 国清寺パスパ字モンゴル文聖旨碑単著 2012-06-00『13、14世紀東アジア史料通信』17 中国浙江省天台山国清寺に現存するパスパ文字モンゴル語碑文断片について,世界に先駆けて解読成果を発表した。pp.1-10.
40 「勅賜興元閣碑」単著 2013-00-00『モンゴル国碑文研究』 1347年に建てられた漢文・モンゴル文対訳「勅賜興元閣碑」の訳注を行った。pp.161-174.
41 "A Reconstruction of 13th to 14th Century North Asian History Based on a Synthesis of Newly Unearthed Buddhist Artifacts and Textual Historical Sources.” 単著 2014-09-01The proceeding of International Scientific Conference on the Ten Years of World Heritage : Orkhon Valley Cultural Landscape. pp.13-17.
42 "Сүүлийн үед шинээр олдсон дөрвөлжин үсгээрх монгол хэлний дурсгалын тухай.”単著 2015-00-00Хувилай сэцэн Хаан ба монголын Юань улс. Улаанбаатар. 「近年新発現の方形文字モンゴル語資料について」(モンゴル語)。『フビライ・セツェン・ハーンとモンゴル・ユアン・ウルス』(514pp.) pp.254-257.
近年,モンゴル国で新たに発現した方形文字モンゴル岩壁銘文1.スフバータル県モンフハーン郡ハブツァリィン・アダグ。2.オヴォルハンガイ県ズーンバヤン郡ビチグト・ハド 以上二件についてローマ字転写を提示し,解読結果と,これらが13後半~14世紀の大元モンゴルウルス時代のものであることを明らかにした。
43 “Монгол бичиг түүхэн дэх Занабазарын соёмбо, хэвтээ дөрвөлжин үсгийн эзлэх байр суурь.”単著 2015-07-15Өндөр гэгээн Занабазар: Амьдрал, өв. Улаанбаатаp. pp.330-333.【「モンゴル文字史におけるザナバザルのソヨンボ文字・横書き方形文字の占める位置」『ウンドゥル・ゲゲーン・ザナバザル:生涯と遺産』ウランバートル
。(モンゴル文)】
44 「チンギス・カン時代の文字利用」単著 2015-09-15白石典之[編]『チンギス・カンとその時代』,勉誠出版。 pp.103-118.
45 "Хархорумын 1347 оны хятад-монгол "Зарлигаар байгуулсан Юань улсыг мандуулах асрын бичээс"-ийг сэргээж байгаа нь.”単著 2015-12-20MONGOLICA. An International Jounal of Mongol Studies, vol.48, Ulaanbaatar. pp.13-18. 【「カラコルムの1347年漢語・モンゴル語対訳「勅賜興元閣碑」の再構」(モンゴル文)】
46 On the Oirad Tod Script Stone Sutra Preserved in the Otani University Museum単著 2016-05-20Oyirad Studies vol.2, Budapest. (170pp.) 大谷大学博物館所蔵「蒙古古石梵経硯」の来歴・内容について研究した。7pp. (pp.4-9)
47 Монгол-Япон хамтарсан БИЧЭЭС төсөл, ЭРДЭНЭ-ЗУУ төслийн судалгааны үр дүн, хэтийн төлөв.単著 2017-03-31Орхоны Хөндийн Өв (Heritage of Orkhon Valley) pp.6-15. K. Matsuda, Kh. Muraoka, A. Ochir, Yu. Nakata との共著。「モンゴル日本共同「ビチェース」プロジェクト,「エルデニゾー」プロジェクトの成果と展望」(モンゴル文)。
48 ЯПОНД ХАДГАЛАГ ДАЖ БУЙ МОНГОЛ ГАНЖУУР, ДАНЖУУРЫН ТУХАЙ ТОВЧ МЭДЭЭ単著 2017-12-00МОНГОЛ ГАНЖУУР. Олон улсын судалгаа 論文名(モンゴル語)「日本所蔵のモンゴル・ガンジョール,ダンジョール簡報」掲載誌名「モンゴル・ガンジョル:国際研究」ウランバートル。353pp. 7p.(pp.151-157.)
49 Зүүн монголын нутагт буй Кидан үсгийн хөшөө бичиг, хадны бичээсийн тухай単著 2017-12-20Монголын зүүн бүс нутгийн археологийн судалгаа, хадгалалт, хамгаалалт pp.161-164. 論文名(モンゴル語)「モンゴル東部所在契丹文字碑文・岩壁銘文について」収録誌名(モンゴル語)『モンゴル東部地域の考古学研究・保存・保護』ウランバートル市。
50 チンギス・ハーンの東北(嶺北)長城──その歴史学・考古学的研究の現状と課題──単著 2021-03-30『モンゴルと東北アジア研究』Vol.6 pp.25-31. いわゆる「チンギス・ハーンの嶺北長城」については,その築城時期について史料に明確な記載がないため,遼代(916~1125)築城説と金代(1115~1234)築城説とが唱えられており,モンゴル国ではオゴデイ時代(1228~1241年)の築城とする説が提出されている。この長城がわずか1m程度の高さで築かれている理由は,「哨戒線と南方の辺防城の迎撃準備が整うまでの時間稼ぎを主な役割としており、究極的には破られることを前提にして造られたもの」(今野2005)と説明されてきた。これに対して,2020年6月にAntiquity誌の論文で提唱されたモンゴル・イスラエル共同調査隊による「中国とユーラシア平原の長城は,攻撃的な遊牧部族に対する防御施設と見なされてきたが,この長城は軍事的なものではなく,おそらく税を課すために,遊牧する人々と家畜の移動を監視するか阻止する目的があった」という新説は,新しい視点からを捉えるものであり,興味深い。今後の課題は,契丹と烏古・敵烈の間の収税・通商関係をいかに歴史的に位置付けるかという点にあるだろう。
51 New Perspectives on the Historical Evidence and Archaeological Findings from Erdene-Zuu Monastery 単著 2021-03-31『モンゴルにおける仏教の後期発展期(13 世紀~17世紀)の仏教寺院の考古学・歴史学・宗教学的研究 第1期(2013〜2015年)研究成果報告書』 pp.111-120.
 19~20世紀のモンゴル仏教界を代表するラマ学匠ザワー・ダムディン rTsa ba rTa mgrin (1867-1937) は,その著書『金冊』において,モンゴルに仏教が伝播・弘通した時代区分として三区分,すなわち,インド,リ=ユル(コータン)を経由して弘通した前期(匈奴~モンゴル帝国期の前まで),モンゴルの大ハーン,チンギス,オゴデイ,フビライたちが弘通せしめた中期(13~14世紀),そしてアルタン=ハーンの時代から始まるチベット仏教のゲルク派が弘通せしめた後期(16世紀以降)を提唱した。そして,ちょうどこの三区分に対応するように,「エルデネ=ゾーはまず8世紀のウイグル時代に建立され,13世紀にオゴデイ=ハーンによって再建され,さらに16世紀になってアバダイ=ハンによってさらに再建された」とした。
 歴史学的・考古学的研究に基づけば,エルデネ=ゾーは16世紀後半に建立されたのであり,それ以前に建立されたという証拠は見つかっていない。では,ザワー・ダムディンは何を根拠としてエルデネ=ゾーの建立を8世紀に遡らせたのであろうか。筆者は,ここにモンゴル仏教史研究方法の伝統的特徴があると考え,近年,モンゴル・ドイツ共同調査隊がエルデネ=ゾーの城壁の下にモンゴル帝国時代の古い城壁が存在することを発見したこと,さらに,日本・モンゴル共同エルデネ=ゾー・プロジェクト隊がエルデネ=ゾー院内における考古学的試掘によってウイグル時代の文化層を発見したことを勘案し,エルデネ=ゾーの立地点は8・9世紀のウイグル時代から現在に至るまで,連続して利用されてきた可能性があることを指摘した。
52 コズロフ蒐集ハラホト出土モンゴル語印刷文献断簡 G110r について-『大元通制』ウイグル字モンゴル語訳の発見- 共著 2021-03-31『日本モンゴル学会紀要』 51号。 牛根靖裕・古松崇志・小野浩・齊藤茂雄・髙井龍・伴真一朗・毛利英介との共著。pp.41-63.
西夏~元朝期の黒水城(イスィナ路)跡であるハラホト遺跡および黒河流域から出土した諸言語文献は、コズロフ、スタイン、内蒙古文物考古研究所などの調査によって収集・公表されてきた。コズロフが1908年と1909年の2回におよぶハラホト調査によって、大量の漢語および西夏語の文献、少数のモンゴル語、チベット語、ウイグル語の文献をロシアに将来したなかで、1909年の調査で収集されたモンゴル語文献はロシア科学アカデミー東洋古文献研究所(サンクトペテルブルク)に所蔵され、計17点18件ある。ほとんどが断片的な文書である。その中で、文書として首尾の整った契約文書1点が1955年にクリーヴス F. W. Cleaves によって研究・発表され、また、2点の印刷断片(法律関連文献と仏教文献)がムンクエフ N. Ts. Munkuyev によって1970年に研究・発表され、さらに2003年、カラ G. Kara によって16点17件の文献のローマ字転写と訳註と白黒写真が公表された。
 本論文では、ムンクエフが研究し、「法律文書」と位置付けたウイグル字モンゴル語印刷断片G110rを改めて取り上げる。ムンクエフは、この文献のウイグル式モンゴル文字の行間に「推官」という漢字ルビが印刷されていることなどから、漢語文献からの翻訳である可能性を示唆したが、原典の比定には至らなかった。一方、我々は本文献に書かれた内容に対応する漢語の記述を元代の漢籍中に見いだし、この文献がモンゴル語訳『大元通制』の木版印刷本の断片であること発見した。本発表では、本文献が『大元通制』のモンゴル語訳であることを明らかにし、その意義を概述したうえで、対応する漢籍史料(『至正条格』)の記述内容を紹介した。
53 ЯПОНД ХАДГАЛАГДАЖ БУЙ
“ЧИНГИС ХААНЫ АЛТАН ГЭРЭГЭ”-НИЙ ТУХАЙ
単著 2022-00-00“Чингис хааны ертөнц ба Монгол судлал” Олон улсын эрдэм шинжилгээний хурлын эмхэтгэл. Vol. 1, Улаанбаатар. 「日本所蔵「成吉思皇帝聖旨牌子」について」(モンゴル語)『チンギス・ハーンの世界とモンゴル研究』国際学術会議報告集。第1巻。ウランバートル。
 2022年,モンゴル国ウランバートル市にチンギス・ハーン博物館が新たに開館された。その展示の一室として,世界各地に所蔵されるモンゴル帝国時代の遺物の模刻品を一同に集めて展示し,日本からは「成吉思皇帝聖旨牌子」のレプリカが展示された。この「成吉思皇帝聖旨牌子」は天理大学附属参考館に所蔵されるもので,表面に漢字10文字,裏面に契丹大字(?)2文字が刻される素金牌であるが,一部のソーシャル・メディアで,これとは全く異なるウイグル文字モンゴル語が刻された金牌が,日本所蔵の「チンギス・ハーンの金牌(Чингис хааны алтан гэрэгэ)」として誤って紹介されていることは,極めて遺憾である。本稿ではこの誤報を糺し,日本所蔵「成吉思皇帝聖旨牌子」についての正しい情報を伝えるとともに,「チンギス・ハーンの金牌」テキストの特徴と,そこから生じる疑義について言及した。
pp. 231-235.
以上53点
Ⅲ 口頭発表・その他
1 Cerensodnom, D.& M. Taube, Die Mongolica der Berliner Turfansammlung.書評論文 1995-00-00『東洋史研究』 本書は13~14世紀に中央アジアのトゥルファン盆地から出土したモンゴル語文書のうちベルリンに保存されているものの史料解題、テキストの転写と訳注である。書評の前半では内容を紹介し、後半では、1.言語文献学的視点、2.歴史学的視点、に分けて注釈者の見解を批評し、さらに評者独自の見解を公表した。18頁(P105~P122)
2 モンゴル文『佛説北斗七星延命經』の跋文と初期モンゴル仏教口頭発表要旨 1995-11-00佛教史學会第46回学術大会東洋部会(1995年11月4日;於:大谷大学) 本発表の目的は、14世紀モンゴル支配時代の中国で、『佛説北斗七星延命經』という漢文の仏典がウイグル語、モンゴル語、チベット語にそれぞれ翻訳されたということの分析を通して、初期モンゴル仏教の実態を探ってみようとするものである。この『佛説北斗七星延命經』は中国撰述仏典、いわゆる偽経であるためか、モンゴル仏教史、特に訳経史の文脈で位置づけた研究はほとんどない。発表者は、この経典の成立事情と、翻訳経路、テキストの伝存過程を探ることが、14世紀以来18世紀に到るまでのモンゴル仏典訳経史を読み解くカギになり、同時に元朝期のモンゴル仏典成立事情を探るための糸口になるのではないかと考え、各言語テキストの収集と比較研究を行なってきた。今回は跋文を分析するためにどのテキストを選べばよいかということと、跋文の解釈を中心に発表した。8頁
3 モンゴル仏教に生きる 1998-07-28小長谷有紀・楊海英(編著)『草原の遊牧文明─大モンゴル展に寄せて─』千里文化財団 pp.68-72.
4 モンゴル仏典研究の新展開(基調報告)口頭発表 2001-10-00シンポジウム「モンゴル仏典研究の新展開」(2001年度文部科学省科学研究費特定領域研究(A)「東アジア出版文化の研究」)(2001年10月20日;於:大谷大学) モンゴル仏典の研究は、19世紀中葉にシュミット、コワレフスキーらによって始められて以来150年以上の歴史をもつ.20世紀にはリゲティ、ハイシッヒらが精力的に研究を行なったが、日本でも金岡秀友氏による仏教学的研究を嚆矢とし、庄垣内正弘氏、樋口康一氏による言語学・文献学的研究が行なわれた結果、世界でも高い研究水準を誇っている。これに加えて、近年、ロシア、ドイツ、日本に将来されたモンゴル仏典の整理と研究が徐々に進められ、また、モンゴル国と中国各地の図書館に所蔵される文献も整理・公表されはじめたため、新たな資料状況が現出されたといっても過言ではない。この中で特に注目に値するのは、今までほとんど現物が確認されなかった「古風な」、いいかえればその成立が元朝期に遡ると見なし得る仏典が、立て続けに出現したことである。そのような新出テキストとして、モンゴル語訳ジャータカ写本3種、パスパ文字ルビ入りモンゴル語訳『五護呪』刊本断片を例として取り上げ、モンゴル仏典研究の現状と課題を論じた。(報告時間30分)
5 パッド型携帯端末を利用したダイナミックな総合学習分散協調システムの開発口頭発表要旨 2002-00-00日本教育工学会第18回大会講演論文集(pp.781-782) 分散協調が可能な総合的な学習環境を提供するために,高度情報通信技術と,タッチパネルを入力デバイスにした携帯端末とを用いたシステムの開発を行った。このシステムは他者との協調性と自律的学習を支援すると同時に,抽象的データを具体的世界で利用できる能力の効果的な育成が可能である。これらの効果とシステムの機能の評価を報告した。
6 On the Mongolian Part of The Great Scroll granted by Ming emperor Yong le to Karma pa De bzhin gshegs pa in 1407.口頭発表 2002-08-00The 8th Internatiional Congress of Mongolists(2002年8月5~12日;於:ウランバートル) The Great Scrollは、チベット・カルマ派の活仏De bzhin gshegs paが明の永楽Yong le帝の招聘に応じて南京郊外の霊谷寺にて普度大齋を行なった様子を描画したもので、漢文・チベット語・モンゴル語・チャガタイ語・ビルマ語による解説が付されている。このうちモンゴル語の部分を世界で初めて解読し、訳註を付し、合わせて、本長巻画が持つ様々な史料価値に言及した。(発表時間25分)
7 Some Uighur Elements Surviving in the Mongolian Buddhist Sūtra of the Great Bear.口頭発表 2002-09-00Turfan Revisited - The First Century of Research into the Arts and Cultures of the Silk Road.(2002年9月5~12日;於:ベルリン) 13~14世紀の資料から成るトゥルファン出土モンゴル語文献には2つの文化的要素 ── モンゴリズムとウイグリズム ── の混淆形態が見られる。しかし、不審なことにウイグル語版を翻訳原典であると明記したモンゴル語仏典はひとつも見つかっていない。本発表では、ユーラシアに広く普及した中国起源の偽経『佛説北斗七星延命經』のモンゴル語版に生き続けているウイグル的要素(1. 漢文の「驚恐」に対応する表現、2. 五行の各要素を表現するウイグル語qutとそのモンゴル語形qutuG)を扱い、この経典がウイグル語からモンゴル語に翻訳されたという証拠を示した。(発表時間30分)
8 「体験知」と「理論知」を融合するメディア教育システムの開発~シーケンスチャートと携帯端末を用いたシティワークの制作事例~口頭発表要旨 2003-10-00日本教育工学会第19回大会講演論文集(pp.643-646)
「体験知」と「理論知」の融合を目指した携帯端末を利用したメディア教育システム構築という応用研究開発を進める過程で,本年度は応用フェーズである「シティワーク」を制作した。このコンテンツは教員支援用ツールである「シーケンスチャート」を利用することで,教員が設定する学習シナリオから教育成果を生成することが可能である。本研究では,実社会で有効な「体験知」と学校教育が得意とする「理論知」を融合させた能力の効果的な育成を可能とするのと同時に,他者との自律的学習を支援するメディア教育システムの実現を目指した。4頁。
9 ウランバートルの都市史研究史口頭発表 2004-02-25日本学術振興会・人社振興プロジェクト「千年持続学・都市の持続性に関する学融合的研究」(代表:東京大学生産技術研究所助手村松伸)「遊牧、定住、そして、都市-モンゴル的都市の未来を探る~都市の持続性研究フォーラム(1)~」(招待講演) ウランバートルという遊牧都市がモンゴルの都市史研究者によってどのように認識され,研究されてきたかを跡付けつつ,活仏の移動寺院を起源とするウランバートルが,その規模を拡大させた結果,移動の自由を失い,19世紀半ばから現在の地に定着した歴史的経緯を説明した。(発表時間40分)
10 《Burqan-u nomlaGsan doloGan ebugen-u nasun qutuG urtudqaqu sudur》-un mongGol orciGulG-a daki uyiGur soyol-un uledegdel. (《仏説北斗七星延命経》のモンゴル語訳におけるウイグル文化の残存要素)口頭発表(モンゴル語) 2004-05-02中国・中央民族大学蒙古文文献国際研討会 ユーラシアに広く普及した中国起源の偽経『佛説北斗七星延命經』のモンゴル語版に生き続けているウイグル的要素(1. 漢文の「驚恐」に対応する表現、2. 五行の各要素を表現するウイグル語qutとそのモンゴル語形qutuG)を扱い、この経典がウイグル語からモンゴル語に翻訳されたという証拠を示した。(発表時間20分)
11 近十年来モンゴル関係碑文・遺蹟調査の成果と展望口頭発表 2004-11-132004年度内陸アジア史学会大会(於:京都外国語大学)講演 1992年以来,発表者が継続して行なっている13~14世紀のモンゴル語の碑文の調査成果を回顧し,その中で新たな知見として示しうるものとして,1)『1240年濟源十方大紫微宮懿旨碑』のモンゴル文の解読に関する新見解。2)漢文碑文へのモンゴル語「添え書き」について。3)モンゴル国における未発表の岩壁銘文について,それぞれ言及した上で,今後の展望として,継続中の碑文・遺跡調査がもたらすであろう効果と意義について述べた。(発表時間40分)
12 Mongolyn burkhany sgashinij ontslog -- IX bogdyg todruulakh asuudal --.(モンゴル仏教の独自性──第9世ボグド・ゲゲーンの認定をめぐって──)口頭発表(モンゴル語) 2005-06-24国際シンポジウム「チベット・モンゴル仏教文化圏におけるモンゴル仏教の独自性──伝承の現場からの考察──」(於:大谷大学) モンゴルの仏教史は,早い時代からチベット仏教の外護者としての歴史であり,モンゴルの仏教徒たちは常にチベット人を宗教上の最高指導者として戴くことを余儀なくされてきた。その中で,清朝の崩壊と中華民国の成立を受け,1911年,ボグド・ハーン8世は独立を宣言し,政教双方をあわせ持つボグド・ハーン政権はが誕生した。8世はチベット人であったが、モンゴルが単独で政治と宗教をあわせ持ったのはこの時代が最初で最後であった。人民革命後のモンゴルでは宗教が禁止され,人民共和国政府は8世ボグドの転生者を認定しなかった。結局,8世ボグドの転生者は再びチベット人のなかから認定され,民主化後のモンゴルでは,それが受け入れられている。モンゴル仏教において,9世ボグドがいかなる役割を果たすかという問題は,この仏教の今後を決定づける重要な意義をもつと思われる。(発表時間30分)
13 日本モンゴル共同調査「ビチェースII」2001年度・2004年度調査記録DVDDVD編集 2005-08-00『日本モンゴル共同調査「ビチェースII」2004年度研究成果報告書』 日本・モンゴル共同碑文調査プロジェクト「ビチェースII」の2001年度調査(モンゴル国西部,ゴビアルタイ県シャルガ郡のハルザンシレグ遺蹟が,チンギスハン中央アジア遠征時の兵站基地チンハイ城であることを世界に先駆けて明らかにした調査)と2004年度調査(モンゴル国中央部,ヘンティ県における契丹・女真・モンゴル帝国時代の岩壁銘文調査)の映像記録(本人撮影)をパソコン上で編集したもの。30分。
14 中世北東アジア考古遺蹟データベースの構築単著 2006-03-00『中世北東アジア考古遺蹟データベースの作成を基盤とする考古学・歴史学の融合』(文部科学省科学研究費補助金特定領域研究「中世考古学の総合的研究──学融合を目指した新領域創生──」平成16・17年度公募研究研究成果報告書 代表:龍谷大学助教授村岡倫)p.94. 10世紀から14世紀の北東アジア地域に関する考古・歴史・地理研究情報については,個々の研究者による情報の蓄積は見られるものの,それら相互の有機的な関連付けは未だ十分になされてこなかった。このような状況に鑑み,本研究は,今まで個別の学問分野であった考古学・歴史学・地理学の研究情報を,リレーショナルなデータベースというかたちで統合することを通じて,諸学の融合と,今後の研究の基盤を形成することを目指した。最大の成果は,今まで情報を集めにくかったモンゴル国における考古・歴史・地理学関連の研究文献情報を収集できたことであった。こうして得られた情報を含め,東北アジア・モンゴル地域の都市遺跡に関わる発掘報告書・研究文献などを網羅した目録型データベースを構築した。データベースはLinuxサーバ上で稼動するSQLサーバ(PostgreSQL)上に構築し,そのデータベースへユニコードに変換した書誌データを蓄積した。書誌データは,日本語以外に,キリル文字モンゴル語及びロシア語,簡体字・繁体字中国語,ヨーロッパ諸言語によっているため,それらを統一的に処理するためにもユニコードへの変換が必須である。検索語句入力画面はHTML,検索プログラムはPHPで作成した。
15 The Recently Discovered Stone Inscription and the Rock Writing Related to Chinggis Qan口頭発表要旨 2006-06-04中国社会科学院蒙古学研究中心(編)『成吉思汗與蒙古汗國建立國際研討會』handbook(pp.57-58) 最近,新たに発見・公表されたモンゴル語碑文・岩壁銘文について,チンギスハンとの関わりという点から紹介した。2003年8月,ドイツ・モンゴル共同調査隊によって『勅賜興元閣碑』の新たな一碑片が発見された。漢文面の「太祖聖武皇帝之十五年歳在庚辰定都和林」に対して,モンゴル語訳は「[チンギスハンが大位に就いて]遍きウル[スを統一した15年,]庚タツ[年に]【カラ】コルムに定住する都城を定めたのであった」となっており,漢文原文と比べると,モンゴル語テキストの訳者はチンギスハンの功績をより強調して撰文したことが窺われた。2頁。
16 1240 ony Khyatad-Mongol bichees dekh' aldag-situ-gijn tukhajd.(1240年漢モ碑文におけるaldag-situについて)口頭発表(モンゴル語) 2006-08-10第9回国際モンゴル学者会議(於:ウランバートル) 1240年に成立した漢文碑文「也可合敦大皇后懿旨并妃子懿旨」の末尾に刻まれた3行のウイグル文字モンゴル文テキストの2行目に書かれているAldaγ-situというモンゴル語は,通説に反してAldang-qituと読むべきであることを,1)古文字学的観点から''LD'X-SYTWではなく,''LD'NK-XYTWと読むべきであること,2)音韻学的に,漢字表記「按答奚」はan da χiと再構されるため,やはり''LD'NK-XYTWが支持されること,3)後世ではあるが,17世紀のモンゴル語文献『白樺法典』にaldang-qituという単語が在証されること,以上三点から論証した。(発表時間20分)
17 コズロフ蒐集カラホト出土モンゴル語文献について口頭発表 2006-09-19カラホトの環境と歴史に関する国際シンポジウム(於:中華人民共和国・内蒙古自治区・額済納旗) コズロフが1908年と1909年の2回におよぶカラホト調査によって,大量の漢語および西夏語の文献,少数のモンゴル語,チベット語,ウイグル語の文献をロシアに将来したなかで,1909年の調査で収集されたモンゴル語文献を概観し,あわせて研究の可能性を展望した。中でも未発表の一件は,我々の研究によって,道教の占いの書『玉匣記』のモンゴル語版である可能性が高いことが明らかになった。知られている『玉匣記』のモンゴル語訳は,19世紀にアラシャーのグーシガというモンゴル人によって漢語およびチベット語から翻訳されたものだけである。本写本の出現によって,我々は,道教起源の『玉匣記』に基づく暦算・占いの体系が,元朝末期のカラホトのモンゴル人のあいだで利用されていたという新たな知見を得たことになる。発表時間30分。
18 哈剌和林出土的1348年漢蒙合璧碑文-《嶺北省右丞郎中総管收粮記》中国語訳 2006-11-01宮海峰(訳)『元史及民族与辺疆研究集刊』vol.18, pp.159-168. 学術論文9「カラコルム出土1348年漢蒙碑文-嶺北省右丞郎中収糧記」の中国語訳。
19 プレゼンス情報とポッドキャスティングを利用した仏事ナビゲーションシステムの検討口頭発表要旨 2006-11-05日本教育工学会第22回全国大会講演論文集(pp.935-936) 近年,小型情報端末の進化と通信技術の発展・浸透に伴い,ユビキタスコンピューティングが注目されている。その典型例として挙げられるナビゲーションを,物流・鉄道業界で導入実績のあるRFID(Radio Frequency IDentification)やプレゼンス連動の位置情報取得システムなどの高度無線通信技術を用いて構築した。このシステムを仏教という身近な宗教の仏事に適用するために,ポッドキャスティングを導入したWEBコンテンツの制作を行い,実証実験をした上で,取得できるデータからいかなる分析が行えるかを検討し,今後の可能性を示した。2頁。
20 オロンスムを訪ねて口頭発表 2006-12-02横浜ユーラシア文化館主催シンポジウム「オロンスム文書-モンゴル高原オロンスム遺跡が語るシルクロードの東側-」講演 内モンゴル,陰山山脈の北側に位置するオロンスム遺跡は,元朝時代にオングート族の拠点として築城され,ネストリウス派キリスト教(景教)教会堂や仏教寺院が造られ,東西文化交流の諸相を示してきた。報告者は現地調査によって明らかにしたこの遺跡の現状を報告し,その上で,モンゴル史におけるこの遺跡の位置づけに言及し,さらに,横浜ユーラシア文化館に所蔵される江上波夫氏将来のオロンスム出土モンゴル語文書(計134点)の概要を報告した。発表時間30分。
21 Ligeti式ローマ字転写とウイグル式翻字について-前古典期モンゴル文語の転写と翻字-口頭発表 2007-07-07東北アジア研究センター東北アジア民族文字・言語情報処理研究ユニット第1回研究会・ワークショップ 777(07年7月7日)「モンゴル語のローマ字転写と翻字に関する諸問題」 13~15世紀にウイグル式モンゴル文字で書かれたモンゴル語資料は,古文字学的特徴と正書法の双方において17~18世紀に成立した古典期モンゴル文語の規範から逸脱する点を有するため,ポッペ式ローマ字転写法では元の字形を完全には再現できない。そこで考案されたのがリゲティLigeti式転写法である。その特徴は,古典期モンゴル文語の正書法が基準とされ,そこから逸脱する表記があれば識別符号付きのローマ字で翻字(TRANSLITERATION)として表すという精密なものである。しかしながら,古典期モンゴル文語正書法の理解が前提とされるため,専門研究者以外には使いづらいという面があった。報告者は,13世紀のウイグル式モンゴル文字資料「少林寺聖旨碑」を解読した際に,リゲティ式転写とともにウイグル式翻字を付し,元の字形を一目で再現できるようにしたことがある。ウイグル式翻字はアラム文字の翻字法に遡るもので,ソグド文字やウイグル文字の翻字に使われてきた。モンゴル研究者のあいだでは普及していないが,同じ系統のウイグル式モンゴル文字の翻字に利用しても齟齬は生じない。本報告では,リゲティ式転写とウイグル式翻字を紹介するとともに,それらの有用性を再検討した。発表時間30分。
22 蒙古语译《佛说北斗七星延命经》中残存的回鹘语因素中国語訳 2007-07-11杨富学・秦才郎加(译)『甘肃民族研究』2007年第2期,第75~80页。 学術論文20「モンゴル語訳『佛説北斗七星延命經』に残存するウイグル的要素」の中国語訳。
23 博物館で利用可能なIndoor Navigationシステムの検討口頭発表要旨 2007-09-23日本教育工学会第23回大会講演論文集(pp.529-530) 近年,小型情報端末の進化と通信技術の発展・浸透に伴い,ユビキタスコンピューティングが注目されている。本研究では,RFIDタグを利用したナビゲーションシステムによるユビキタス環境の構築とポッドキャスティングが利用可能な仏教関連コンテンツを制作した上で,実証実験を行った。取得できるデータから,実際に開催される博物館での仏教関連のイベントに,どのようにすれば本システムの効果的な導入が可能であるかを検討し,今後の可能性を示した。2頁。
24 遊牧民の文献・碑文研究口頭発表 2007-09-27第3回モンゴル日本文化フォーラム「有形及び無形文化遺産の保存・保護」(於:ウランバートル)招待講演 日本とモンゴルの二国間協力の成果として,モンゴルにおける有形文化遺産,特に文献・碑文研究の面でいかなる業績がなされてきたかを回顧したうえで,モンゴルにおける有形文化遺産を保存・保護していく上でいかなる問題点があるかを,1)日本人から見た問題点・問題意識の提示,2)文化遺産保護に関するモンゴル独特の問題点,それぞれについて指摘し,今後の展望・協力の可能性を述べた。発表時間30分。
25 ウランバートルの起源と展開口頭発表 2007-12-15超域モンゴル文化フォーラム(於:新潟市朱鷺フォーラム)「ウランバートル ~その過去・現在・未来~」招待講演 モンゴルの近現代を代表する「文化遺産」であるウランバートルの歴史的起源と展開について,1)モンゴル帝国の遊牧軍事単位「クリエン」形態が基本となり,その中心に居た軍事指導者が,チベット・モンゴル仏教の指導者(化身)にとって代わられた結果,遊牧的移動寺院が誕生し,ウランバートルの礎となったこと。2)ウランバートルの礎となった宗教都市は,早くも19世紀中葉に,環境汚染などの都市問題を抱えていたこと,3)現在のウランバートルが抱える環境問題を解決するためには,「移動する遊牧都市」を復活させる必要があること,などに言及した。発表時間40分。
26 13, 14-duger jaGun-u mongGol-un uy-e-deki mongGol kelen-u kosiy-e bicig-un sudulG-a.(13・14世紀モンゴル時代モンゴル文碑刻の研究)口頭発表(モンゴル語) 2007-12-20中国第3回草原文化百家論壇(於:内蒙古自治区,呼和浩特市)「草原文化と世界文明」招待発表 世界文明に対してモンゴルの草原文化がいかに寄与しているかというフォーラムの趣旨に則り,13・14世紀のモンゴル支配時代の史料を例にとり,漢文文書の末尾に漢字漢文以外の文字と言語で添書する形式が,オゴデイ政権以降,元末に至るまで,草原における書写文化を特徴づける独特の形式として伝存していることを指摘した。発表時間25分。
27 カレンダー文化・モンゴル単著 2008-02-10『特集カレンダー文化』(アジア遊学106) モンゴル国の旧暦には,インド=チベット系統の時輪暦が採用されてきたが,近年,「チンギスのモンゴル・シャルゾルハイ暦」という新たな旧暦が現れ、旧正月の日付が中国暦とずれることなどをめぐって暦学論争がわきおこった。こうした論争の歴史的背景を踏まえつつ,モンゴル暦の第一人者とのインタヴューを織り交ぜ,チンギスハーン時代から今に至るまでのモンゴルのカレンダー文化を概観した。12頁。
28 『ヘンティ県遺跡状況調査 報告書』(文化遺産国際協力コンソーシアム 協力相手国調査(モンゴル))共著 2009-03-00文化遺産国際協力コンソーシアム 本報告書は,モンゴルにおける2ヶ所の遺跡の保存修復の協力要請をうけて実施された調査成果である。このうち,アラシャーン・ハダ遺跡およびエルデネ・オール遺跡の執筆を担当した。【総頁数90頁】【本人担当13,21,24-65,72-77頁】
29 付論 モンゴル仏教単著 2010-04-00『須弥山の仏教世界』(新アジア仏教史09チベット) pp.99-119.
30 世界遺産エルデニゾー寺院(モンゴル国)で新たに確認された2つの文字資料単著(彙報記事) 2010-05-00『日本モンゴル学会紀要』40 pp.79-80
31 イリンチン(亦隣真)先生没後十周年記念国際モンゴル史学術会議 彙報記事 2010-05-00『日本モンゴル学会紀要』40 pp.87-88.
32 モンゴル国における碑文調査の経験から口頭発表 2010-06-26海外学術調査総括班フォーラム東アジア分科会(於:東京外国語大学アジアアフリカ言語文化研究所) モンゴル国における現地調査の概況について:
0.モンゴルという国と地域(基本情報)
1.調査履歴
2.調査に関連して
 ・地域の治安状況
 ・調査手続き,ビザなどについて
 ・地域問題と対処方法(カウンターパート情報)
 ・健康管理や病気について
 ・会計関係(予算のやりくり等)
 ・科研制度の改定とその問題点・個別の事情
 ・資料の持ち出し
 ・人権・倫理問題について(個人情報の問題)
という内容で報告した。(報告時間40分)
33 ブレーニィ・オボー契丹大字碑文(モンゴル国)の発現単著 2012-00-00『遼金西夏史研究会 News Letter』4. pp.40-43.
34 契丹文字はどこにある? 契丹大字碑文の新発見 単著 2012-00-00『Field+』(フィールドプラス)8, 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所。 pp.4-5.
35 2010 年度ハルボハ城址遺蹟における白樺文書の発掘調査単著 2012-00-00『「新出土契丹文字資料・モンゴル文字資料に基づくモンゴル史の再構成」2011 年度研究活動報告書』 pp.4-5.
36 iPad博物館ガイドシステムの構築と評価共著 2012-00-00日本教育工学会論文誌36(Suppl.), pp.89-92. 総頁数4頁。
37 国際学術会議「エルデニゾー──過去・現在・未来──」 The International Conference on "Erdene Zuu: Past, Present and Future" 彙報記事 2012-03-31『日本モンゴル学会紀要』42 pp.93-94.
38 On the Oirad Tod Script Stone Sūtra Preserved in the Otani University Museum.口頭発表 2012-09-12Second International Symposium: New Horizon of Oirad-Mongol Studies. (Held in Ulaanbaatar, Mongolia)
39 Хятадын Гуочинсү сүмээс шинээр олдсон монгол дөрвөлжин үсгийн зарлиг хөшөө бичиг口頭発表 2012-11-15Chinggis Khaan and Globalization Session B: Chinggis Khaan and Mongolian Empire (Held at Ulaanbaatar, Mongolia)
40 契丹大字碑文の新発見単著 2013-00-00『契丹[遼]と10~12世紀の東部ユーラシア』 pp.188-193.
41 国際学術会議「オイラド・モンゴルの歴史学・民族学・言語文化研究における新地平」 Second International Symposium: New Horizon of Oyirad-Mongol Studies 彙報記事 2013-03-31『日本モンゴル学会紀要』43 pp.62-64.
42 少数民族言語石刻資料研究的意義和方法招待講演 2013-05-28中国社会科学院民族学與人類学研究所
43 大谷大学博物館所蔵托忒文石经介绍口頭発表 2013-06-14中国人民大学
44 New Perspectives on the Historical Evidence and Archaeological Findings from Monastery Erdene-Zuu口頭発表 2013-07-2713th Seminar of the International Association for Tibetan Studies, Ulaanbaatar, Mongolia.
45 Эрдэнэ-Зуугаас олдож буй уйгуржин монгол үсгийн хөшөө бичгүүд招待講演 2013-12-26内蒙古大学蒙古学学院
46 國清寺八思巴字蒙文聖旨碑招待講演 2013-12-27内蒙古大学蒙古学学院
47 ジャルサン教授の訃報 彙報記事 2014-03-31『日本モンゴル学会紀要』44 2013年4月28日に逝去されたジャルサン・内モンゴル大学教授の履歴について略述し,また,研究業績について,1)文献研究,2)文字学研究,3)モンゴル諸語・諸方言研究の3分野から回顧した。
48 第13回国際チベット学会報告 彙報記事 2014-03-31『日本モンゴル学会紀要』44 2013年7月21日~27日にモンゴル国ウランバートル市にて開催された第13回国際チベット学会について報告した。岩尾一史氏,橘誠氏との共著,pp.98-100(本人担当 p.100)。
49 モンゴル草原の記憶・7世紀墳墓 : 白虎・青龍極彩色壁画単著 2015-04-00『大法輪』82(4) pp.5-11.
50 Монгол-Япон хамтарсан БИЧЭЭС төсөл, ЭРДЭНЭ-ЗУУ төслийн судалгааны үр дүн, хэтийн төлөв.口頭発表 2016-09-10“ЭРДЭНЭ ЗУУ-430” ЭРДЭМ ШИНЖИЛГЭЭНИЙ БАГА ХУРAЛ. 松田孝一,A.オチル,村岡倫,中田裕子との共同発表。「モンゴル日本共同「ビチェース」計画,「エルデネゾー」計画の研究成果と展望」(モンゴル語) 「エルデネゾー430」学術小会議。2016年9月10日,ウランバートル市。【発表時間15分】
51 寺本婉雅旧蔵のモンゴル仏教史について口頭発表 2016-11-26日本モンゴル学会2016年度秋季大会(於:大谷大学) 三宅伸一郎との共同発表。発表時間20分。
 1899 年、日本人として初めてチベットに足を踏み入れた寺本婉雅(1872-1940)に関し、近年、宗 林寺(富山県南砺市城端)より新たな資料が発見されたが、その中に、『ホルの地に王統と仏教・仏 教の保持者・文字の創始・寺院などがいかに現れたのかを説く「宝の数珠」(Hor gyi yul du rgyal rabs dang rgyal bstan bstan ’dzin yig gzos dgon sde sogs ji ltar byung tshul bshad pa rin chen ’phreng ba)』と題 するチベット語によるモンゴル仏教史(木版本)が存在する。
 本仏教史は、その奥書の記述から、ケンチェン・パンディタ=イェシェー・ペルデン(mKhan chen paṇḍi ta Ye shes dpal ldan)により1835年に著されたものである。著者イェシェー・ペルデンについては、道光帝の時代(1821-1850)に成立した五台山の聖地案内『明瞭な鏡(’Phags pa ’jam dpal gyi sprul pa’i gnas mchog rgya nag ri bo rtse lnga’i dkar chag rab gsal me long)』の著者ジュニャーナ・ シュリーマン(Dznyāna shrīman)と同一人物の可能性があるということを指摘した。本仏教史は、「北方ホルの地における王統」(2a2–22b5)と「仏教などがいかに広まったかを説く」 (22b5-35b6)という 2つの部分から構成されている。最も興味深いのは、「寺院リスト」(31b5-35b6)である。ここには54ヶ寺が挙げられている。ダルマタラ=タムチョー・ギャムツォ(Dharma ta la Dam chos rgya mtsho)『白蓮華鬘』(Chen po hor gyi yul du dam pa’i chos ji ltar dar ba’i tshul gsal bar brjod pa padma dkar po’i phreng ba. 1889年)や、ツァワ・タムディン(rTsa ba rTa mgrin, 1867-1937)『黄金の書』(’Dzam gling byang phyogs chen po hor gyi rgyal khams kyi rtogs pa brjod pa’i bstan bcos chen po dpyod ldan mgu byed ngo mtshar gser gyi deb ther. 1931年)にも同様の寺院リストが見受けられる。三者の内容を比較することによって、19世紀前半から20世紀前半に至るまで約100年間のモンゴルにおける仏教弘通の様子をより鮮明にすることができよう。
52 A brief introduction to the volumes of the Mongolian Kanjur and Tanjur preserved in Japanese collections口頭発表 2017-07-21The Buddha’s Words: International Conference on the Study of the Mongolian Kanjur, Ulaanbaatar, Mongolia 発表時間20分。
53 Монголын бурхан шашны түүх судлалын арга зүй: Төвд сурвалж бичиг, нутгийнхны домог яриа, өрнөдийн эрдэмтдийн судалгаа口頭発表 2017-09-22МОНГОЛЫН ТҮҮХ БИЧЛЭГ ШИНЭ ЗУУНЫ ЭХЭНД: АСУУДАЛ, ЧИГ ХАНДЛАГА
олон улсын эрдэм шинжилгээний хурал
21-22, September, 2017, Ulaanbaatar, Mongolia
モンゴル仏教史の研究方法:チベット語文献,現地伝承,西欧学者の研究。
「新世紀初頭におけるモンゴル歴史文献:課題と方向性」国際学術会議。モンゴル国立大学。ウランバートル市。
発表時間:20分。
54 18~19世紀にモンゴルに招聘されたチベット僧の著作について口頭発表 2017-11-25第65回(2017年度)日本チベット学会学術大会(於:佛教大学) N. アムガランとの共同発表。発表時間:25分。
55 モンゴル国分担執筆 2017-12-01中牧弘允(編著)『世界の暦文化事典』
56 東部モンゴルにおける契丹文字碑文の調査現況について口頭発表 2017-12-10モンゴル考古学のいま:東部モンゴルの古代テュルク王侯遺跡〈ドンゴインシレー碑文遺跡〉の調査研究 発表時間:30分。
57 日本所蔵蒙藏木刻本的概述口頭発表 2018-04-14海春生先生所蔵民族古籍学術研討会。中央民族大学,北京市。 【発表時間:20分】
58 モンゴルにおける化身ラマの歴史──ジェプツンダンバ・ホトクトを中心として──単著 2018-04-25『季刊民族学』vol.164,千里文化財団。 pp.21-30.
59 Монгол-Японы хамтарсан “Хан Хэнтий” төслийн үр дүн, цаашдын зорилт.(モンゴル日本共同ハンヘンティ・プロジェクトの成果と展望;モンゴル語)口頭発表 2018-09-22国際会議「世界遺産「大ブルカン・カルドゥン山と周辺の聖なる景観」―研究と保存保護―」2018年9月22日~23日,於:ウランバートル市 発表時間:20分。
60 平成30年度コンソーシアム協力相手国調査(モンゴル)報告口頭発表 2019-02-14文化遺産国際協力コンソーシアム・第28回東アジア・中央アジア分科会 上野邦一(奈良女子大学 国際親善教授)との共同発表。【発表時間30分】
61 モンゴル国調査報告書(文化遺産国際協力コンソーシアム平成30年度協力相手国調査)監修・分担執筆 2019-03-00文化遺産国際協力コンソーシアム(東京文化財研究所) 64pp. 全体監修および「第3章 調査報告」(pp.13-28)分担執筆。

文化遺産国際協力コンソーシアムが平成30年度に実施したモンゴル国を対象とする協力相手国調査事業の内容をまとめたもの。
62 Бурхан Халдун хайрхны тахилга. Бариммтын эмхэтгэл.校勘 2019-03-25Жиком пресс B. Tsogtbaatar, B. Khashmargad(編),S. Chuluun(総監修),『ブルカン・カルドゥン山祭祀:資料集成』(モンゴル文)ウランバートル,2019年。
63 ふたつの旧暦をめぐる論争──モンゴル国単著 2019-04-25『季刊民族学』Vol.168, 千里文化財団。 pp.53-55.
64 Дөрвөлжин үсгийн хэрэглээний бодит байдлын зарим асуудал口頭発表 2019-05-30"Дөрвөлжин үсэг-750" Улаанбаатар-2019 олон улсын эрдэм шинжилгээний хурал 「方形(=パスパ)文字使用の実態についての諸問題」「方形文字750周年」ウランバートル2019年 国際学術会議。於:モンゴル国立大学。発表時間20分(モンゴル語)。
65 Монголчуудын үйсэн ном.監修 2019-09-05Мөнхийн Үсэг ХХК, Улаанбаатар. A. Ochir, O. Inoue, L. Altanzaya(著),T. Matsukawa(監修)『モンゴル人の白樺文書』(モンゴル文).2019年,ウランバートル市。
66 Ю.Наката, Х.Мураока. Алтайгаас олдсон монголын эзэнт гүрний үеийн бурхан, түүний ач холбогдол.監修 2019-09-05Эрдэнэзул ХХК, Улаанбаатар 中田裕子・村岡倫(著),A. オユーンジャルガル(訳),松川節(監修)『アルタイ出土モンゴル帝国時代の仏像とその意義』(モンゴル文)56pp. 中田裕子・村岡倫(共著)「アルタイ地方におけるモンゴル帝国時代の仏像の発見とその意義 : 2016年現地調査の報告をかねて」『東洋史苑』90, pp.1-37, 2018-10 のモンゴル語訳。
67 On the Reconstruction of Replica of Sino-Mongolian Inscription (1347) from Kharakhorum.口頭発表 2019-11-09The 3rd Asian Conference (Seoul) 2019. The International Association for Mongol Studies. Heritage and Culture of the Mongols: Archaeological and Literary Monuments
68 国際学術会議「方形文字─750」 彙報記事 2020-03-31『日本モンゴル学会紀要』50 2019年5月30日~31日にモンゴル国ウランバートル市にて開催された国際学術会議について報告した。pp.57-59。
69 国際モンゴル学会・第3回アジア大会(ソウル) 彙報記事 2020-03-31『日本モンゴル学会紀要』50 2019年11月8日~9日に大韓民国ソウル市の韓国国立中央博物館にて開催された国際モンゴル学会・第3回アジア大会(ソウル)「モンゴルの遺産と文化:考古遺物と文字遺物」について報告した。井上治氏,笹田朋孝氏との共著,pp.83-88。
70 チンギス・ハーンの東北(嶺北)長城──その歴史学・考古学的研究の現状と課題──口頭発表 2020-12-24第13回ウランバートル国際シンポジウム「チンギス・ハーンの長城――歴史、現状と遺産」(於:昭和女子大学) いわゆる「チンギス・ハーンの嶺北長城」については,その築城時期について史料に明確な記載がないため,遼代(916~1125)築城説と金代(1115~1234)築城説とが唱えられており,モンゴル国ではオゴデイ時代(1228~1241年)の築城とする説が提出されている。本報告では,従来の諸説を整理しつつ,加えて近年の考古学的調査に基づく新説をを紹介し,今後の研究の課題と方向性を,(1)築城時期,(2)築城の目的,(3)防御構造の各面から考察した。合わせて,関連する文字資料の解読と考古遺物の調査の必要性を指摘した。
71 Дөрвөлжин үсгийн хэрэглээний бодит байдлын зарим асуудал.単著 2021-02-05Их монголын дөрвөлжин үсэг: Дөрвөлжин үсгийн 750 жилийн ойд зориулсан олон улсын эрдэм шинжилгээний хурлын эмхэтгэл.Улаанбаатар, 2019.05.30-31. pp.34-41. 「方形(=パスパ)文字使用の実態についての諸問題」『大モンゴル国の方形文字:方形文字750周年記念国際学術会議論文集(ウランバートル,2019.05.30-31)』ウランバートル。(モンゴル語)
72 Дөрвөлжин үсгийн хэрэглээний бодит байдлын зарим асуудал. 単著 2021-02-05Их монголын дөрвөлжин үсэг: Дөрвөлжин үсгийн 750 жилийн ойд зориулсан олон улсын эрдэм шинжилгээний хурлын эмхэтгэл. pp.34-41. 「方形(=パスパ)文字使用の実態についての諸問題」『大モンゴルの方形文字:方形文字750周年記念国際学術会議論文集』(モンゴル語)。

73 "Чингис хааны зүүн хойт далан:Түүх археологийн судлалын судалгааны өнөөгийн байдал ба тулгарч буй
асуудлууд"
単著 2021-03-30『モンゴルと東北アジア研究』Vol.6 pp.32-40. 論文50のモンゴル語訳。
74 「イェシェー・ペルデン著『モンゴル仏教史・宝の数珠─寺本婉雅旧蔵─』刊行に寄せて訳補 2021-03-31『真宗総合研究所紀要』38号 pp.13-23. R. オトゴンバータル(著)、松川節(訳補)、三宅伸一郎(解説)
 本稿は、真宗総合研究所西蔵文献研究班が2019年11月21日に開催した公開講演会における講演原稿の翻訳であり、本研究班が2019年度に刊行した『イェシェー・ペルデン著『モンゴル仏教史・宝の数珠』:寺本婉雅旧蔵』に対するコメントをその内容としている。この仏教史は、1835年にイェシェー・ペルデンにより著されたもので、チベット語版とモンゴル語版が伝わっている(モンゴル語版の題名は『エルデニーン・エリヘ(Erdeni-yin Erike)』)。本研究班が刊行したものは、そのチベット語版のテキストであり、寺本婉雅(1872–1940)が所蔵していた36フォーリオからなる木版本を原本としたものである。本稿は、本研究班の研究では十分に得られなかった本仏教史の著者イェシェー・ペルデンに関する情報や、モンゴル語版の諸写本に関する情報、さらにはチベット語版とモンゴル語版との対照がなされている。
75 ヘルレン・バルスホトⅠ城址とチンギス・ハーン嶺北長城に関する覚え書き口頭発表 2021-09-04第14回ウランバートル国際シンポジウム
「日本・モンゴル関係の百年 ― 歴史、現状と展望」(於:ウランバートル市モンゴル国立大学)
モンゴル・日本共同「チンギス・ハーン嶺北長城」プロジェクト(日本側研究代表:B. フスレ昭和女子大学教授)が2020年度に開始され,2021年9月に最初の現地調査が行われようとしている。本プロジェクトは,チンギス・ハーンの嶺北長城における歴史的・社会的・文化的空間を,歴史学,文献学,考古学と博物館学によって解明し,再構築することを目指しており,研究分担者の松川は歴史学的研究を担当する。本報告では,初年度の調査候補遺跡であるモンゴル国ドルノド県ツァガーンオボー郡の(ヘルレン・)バルスホトⅠ城址とチンギス・ハーン嶺北長城のNo.15〜17防塁の関係について,予備的な考察を試みた。発表時間25分(オンライン発表)。
76 モンゴルにおける仏教の後期発展期に属する「ドブジョー」という遺跡について口頭発表 2021-11-13日本モンゴル学会2021年度秋季大会 U.エルデネバト,Ch.アマルトゥブシン, B.バトダライとの共同発表。発表時間20分。モンゴル国スフバータル県トゥブシンシレー郡デルゲルハーン山付近で「ドブジョー1」という遺跡を初めて発掘調査し,彩色の仏像片,蓮華祭壇の一部が得られたことより,本構造物は仏教の祭祀遺址か寺院と関連することが明らかになった。出土した木材(白檀)破片からC14年代測定を行ったところ,後16〜17世紀の年代を得た。これは,ハルハのアバダイ・サイン・ハン(1534〜1586)が第3世ダライ・ラマに謁見し,その後,北モンゴルの地にエルデネ・ゾー寺院を建立した時代と並行し,この年代の東部モンゴルにおける仏教趨勢を示す最初の寺院となる可能性が拓けた。
77 日本におけるオロン・スム遺跡出土モンゴル語文書の近年の研究状況について共著 2022-02-28加藤直人、中見立夫、広川佐保(共編)『「帝国」の秩序と再編:モンゴルの文書と史跡の探求』加藤直人研究代表「科研基盤(B)(一般)」研究会 井上治氏との共著。pp.9-16. 筆者らは、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所の教授であった中見立夫氏、横浜ユーラシア文化館の職員であった畠山禎氏とともに、江上波夫(1906-2002)が戦中に調査したオロン・スム遺跡から日本に伝わってきた遺物のうち、横浜ユーラシア文化館の所蔵になるオロン・スム遺跡出土モンゴル語文書 の研究にたずさわった。筆者らが参加したオロン・スム文書研究の主たる部分は、横浜ユーラシア文化館が平成14(2002)年度から平成19(2007)年度まで実施した調査研究活動「オロンスム出土資料の研究」全体のうち、平成16(2004)年度から平成19(2007)年度にかけて行われた。筆者らとしては、オロン・スム文書の調査研究の最終成果を、「オロンスム文書データベース」のホームページへの公開とその安定運用としていたため、データベース以外の調査研究にかかる成果を文字にして公表する機会を逸していた。この機会に、オロン・スム文書の研究にとって興味深くかつ有益であろうと思われる情報と知見を得られた平成16年度から平成19年度の成果を中心にまとめたのが本稿である。
78 ヘルレン・バルスホトⅠ城址とチンギス・ハーン嶺北長城に関する覚え書き 単著 2022-03-30『モンゴルと東北アジア研究』Vol.7 pp.5-12. ヘルレン河流域に展開する契丹時代の3城址のうち,ズーン城とバローン城は,防御性の高い防御拠点として築城されていることが見て取れるが,バルスホトⅠ城は,防御性の低い植民集落としての性格が強い。それゆえ,チンギス・ハーン嶺北長城とバルスホトⅠ城との関係については,哨戒線としての長城ラインと補給防御拠点としての辺防諸城という視点とともに,モンゴル・アメリカ・イスラエル隊が提唱したような,平時における人や家畜の流れを監視・抑制するための「ランドマーク」としての長城ラインと,家畜の集積地・植民集落としての城郭都市という視点による分析も有効になるであろう。その解明のために,No.15〜17防塁付近の長城とバルスホトⅠ城址における考古学的発掘調査が必要とされるのである。
79 イェシェー・ペルデン著『モンゴル仏教史・宝の数珠』
チベット・モンゴル語対照訳注(1)
共著 2022-03-30『大谷大学真宗総合研究所紀要』39号 pp.215-271. 三宅伸一郎,伴真一朗との共著。本稿は2021年度真宗総合研究所・西蔵文献研究班の研究成果の一つであり,今までに行われてきた一連の『モンゴル仏教史・宝の数珠』に対する研究の延長上にある。チベット語・モンゴル語のテキストを対照して行なった訳注研究として,本稿は世界初の試みである。分量としては、チベット語版の6 b 5、モンゴル語版の6 r 4 までの研究であり、全体の6 分の1 に相当する。内容としては、古代インド・チベットの王統から始まり、チンギス・ハーンの没年までの部分を扱っている。
80 モンゴルの文化遺産保護の現状 口頭発表 2022-06-14文化遺産国際協力コンソーシアム第35回東・中央アジア分科会(オンライン開催)  文化遺産国際協力コンソーシアムの協力相手国調査は,モンゴル国に対して2008年度と2018年度に実施された。2018年度の調査(2019年1月)には松川も参加し,報告書作成に協力した(『文化遺産国際協力コンソーシアム 平成30年度協力相手国調査 モンゴル国調査報告書』)。今回は,その後3年の間にどのような変化があったかを中心に報告した。第一に機関と法制が変化した。2020年7月,教育科学文化スポーツ省から文化省が分立し,文化遺産保護のための政策の立案・企画は「文化遺産政策実施調整局」(B. ダワーツェレン局長)が担当することになり,その管轄下,全県に「文化芸術局」が設置された。法制面では2021年1月に「博物館法」が施行され,2021年7月には「(改正)文化法」が施行された。政府の重点方針は,文化遺産保存保護のための①環境整備と②人材確保・育成に向けられている。第二に具体的な保存保護政策として,新たに3件(カザフ族のナウリズ,モンゴル遊牧,モンゴルの伝統医学)のユネスコ無形文化遺産の登録を目指すこと,有形文化遺産保存保護のための国民の正しい理解と罰則の強化,ユネスコ世界遺産への登録(鹿石,アルタイ地方の高山,匈奴の貴人墓,ゴビの岩絵…),登録済世界遺産のマネジメント強化が挙げられる。第三にコロナ禍で中断していた諸外国との国際協力が再開し,日本の文化無償への要望も寄せられている。こうした新局面を象徴する建造物として,「国立文化遺産センター」の新棟(2021年6月1日オープン)と「チンギス・ハーン博物館」(2022年7月3日プレオープン予定)を紹介した。(発表時間30分)
81 ЯПОНД ХАДГАЛАГДАЖ БУЙ
“ЧИНГИС ХААНЫ АЛТАН ГЭРЭГЭ”-НИЙ ТУХАЙ
口頭発表 2022-08-06The International Scientific Conference
“CHINGGIS KHAAN’S WORLD AND MONGOLIAN STUDIES” 5-10, August, 2022, Ulaanbaatar, Mongolia .
発表時間 15分。発表言語:モンゴル語。
「日本所蔵「成吉思皇帝聖旨牌子」について」
2022年,モンゴル国ウランバートル市にチンギス・ハーン博物館が新たに開館される。その展示の一室として,世界各地に所蔵されるモンゴル帝国時代の遺物の模刻品を一同に集めて展示し,日本からは「成吉思皇帝聖旨牌子」のレプリカが展示されるとのことである。この「成吉思皇帝聖旨牌子」は天理大学附属参考館に所蔵されるもので,表面に漢字10文字,裏面に契丹大字(?)2文字が刻される素金牌であるが,一部のソーシャル・メディアで,これとは全く異なるウイグル文字モンゴル語が刻された金牌が,日本所蔵の「チンギス・ハーンの金牌(Чингис хааны алтан гэрэгэ)」として誤って紹介されていることは,極めて遺憾である。本報告ではこの誤報を糺し,日本所蔵「成吉思皇帝聖旨牌子」についての正しい情報を伝えるとともに,「チンギス・ハーンの金牌」テキストの特徴と,そこから生じる疑義について言及した。
※学術論文53はこの発表を論文化したものである。
82 Хэнтий аймгийн Рашаан хадны хадны бичээсийн талаарх сүүлийн үеийн зарим судалгаа.口頭発表 2022-09-04“Mongolia and Japan: From the Dynamism of Eurasia”
3-4, September, 2022, Ulaanbaatar.
発表時間:15分。発表言語:モンゴル語。
「ヘンティ県アラシャーン・ハダ岩壁銘文の研究概況」
ヘンティ県バトシレート郡にあるビンデル山系の東端部にビンデル・オボー(=積石塚)があり,その東側の山嘴にアラシャーン・ハダと呼ばれる巨岩がある。この岩壁には様々な文字による銘文があり,現認できているものだけでも,突厥文字,契丹文字,モンゴル文字,パスパ文字,漢字,アラビア文字,チベット文字による銘文があり,7世紀~現在に至るまで,この地を往来する様々な人々が注目し続けていることを物語っている。日本がモンゴルと共同で行った最初の学術的大型共同プロジェクトは,民主化直後の1990年から四年間,ヘンティ県で行われた日本・モンゴル共同調査「ゴルバン・ゴル計画」であり,この共同調査において,アラシャーン・ハダ岩壁銘文(RH04a)の一部が解読された。日本とモンゴルの外交関係50周年という節目の年に,アラシャーン・ハダ遺跡というモンゴルの国宝級文化遺産の研究において日本が深く関わってきていることを回顧するとともに,今後の課題として,遺跡の保存保護と観光開発をいかにバランスよく両立させるかという問題があることを指摘した。
83 Бурхан Халдун уулыг хүрээлсэн тахилгат бүс нутаг дахь хадны бичээсний тухай.口頭発表 2022-09-16“ДЭЛХИЙН СОЁЛЫН ӨВ - БУРХАН ХАЛДУН УУЛ СУДАЛГАА, МЕНЕЖМЕНТИЙН ЗАРИМ АСУУДАЛ” сэдэвт эрдэм шинжилгээний хурал. 16, September, 2022, Ulaanbaatar. 発表時間:15分。発表言語:モンゴル語。
「ブルカン・カルドゥン山周辺の岩壁文字資料について」『「世界文化遺産ブルカン・カルドゥン山:研究・マネージメントの諸問題」学術会議』
 モンゴル・日本共同「ハン・ヘンティー計画」は,第一段階として2016年より三年計画で実施され,「大ブルカン=カルドゥン山及び周辺の祭祀景観」遺産に関わるチベット語とモンゴル語の山岳祭祀文書の分析を通してこの遺産をモンゴル宗教文化史上に位置付け,新たな知見を得た。2019年より2022年に至る第二段階においては,第一段階の成果をさらに発展させ,①大ブルカン・カルドゥン山とチンギス・ハーンを結びつける歴史資料及び現地伝承を博捜する。②大ブルカン・カルドゥン山の保存・保護,観光マネジメントに関して文化遺産学的研究を行う。③この貴重な遺産を過去から未来へといかに継承していくかを共同研究によって明らかにすることを目的としている。本報告は,このうち①に関わるもので,ヘンティー県バトシレート郡のアラシャーン・ハダ大岩壁に記されたチンギス・ハーンに関わるモンゴル文字銘文を分析した。大ブルカン・カルドゥン山周辺において,チンギス・ハーンの時代にさかのぼるモンゴル語の文字資料として現地に残されているものは,残念ながら現状では極めて少ない。今後の課題として,アラシャーン・ハダ岩壁に記される契丹文字銘文7点(11世紀前後),パスパ文字銘文1点(13〜14世紀),アラビア文字銘文1点(13〜14世紀),漢字銘文1点(13〜17世紀)の解読を進め,チンギス・ハーンの時代に関わる情報を得ることが重要である。

84 Монгол-Япон хамтарсан БИЧЭЭС төслөөр Монгол улсад хийгдэж буй дөрвөлжин үсгийн дурсгалуудын судалгаа, түүний үр дүнгийн тухай口頭発表 2022-09-29“八思巴字文献与蒙、汉、藏语接触”国际学术研讨会 発表言語:モンゴル語,発表時間:30分。
「モンゴル日本共同「ビチェース」プロジェクトによるモンゴル国方形文字資料研究の成果について」

1990年代以来,報告者はユーラシア東方に所在する13・14世紀のモンゴル語資料の現地調査を継続してきた。本報告ではその中で方形文字で書かれたものを扱う。モンゴル国内に現存する方形文字岩壁銘文は,1. Хэнтий県Батширээт郡のРашаан хад,2. Дархан-Уул県のХүйтэн гол,3. Архангай県Их Тамир郡のТайхар чулуу,4. Сүхбаатар県 Мөнх Хаан郡の Хавцалын адаг,以上の4件が知られている。モンゴル日本共同「ビチェース」プロジェクトは上記4件のうち1, 2, 4 を解読したが,3については確認できておらず,今後の課題である。さらにこの他に 5. Өвөр Хангай県Зүүн баян улаан郡のБичигт хадの方形文字岩壁銘文,6. Сүхбаатар県Түвшин ширээ郡Адгийн голの方形文字岩壁銘文が新たに見つかっており,その内容について報告した。
85 モンゴル帝国時代の匈奴観─チンギス・ハーンの長春真人宛て「詔書」をめぐって─口頭発表 2022-12-10国際シンポジウム「遊牧帝国の文明と現代社会」於:昭和女子大学 日本・モンゴル共同研究プロジェクト“匈奴帝国の単于庭と龍城に関する国際共同研究”において,報告者は匈奴に関する歴史学的課題の明確化を担当している。この機会に,現代のモンゴル国における匈奴観,すなわちチンギス・ハーンのモンゴル帝国は匈奴帝国の継承国家であるという認識について,その根拠とされるチンギス・ハーンの長春真人宛て書簡を検討した結果,本「詔書」はチンギス・ハーンの聖旨そのものではなく,後代になって全真教側が創作した可能性が高いことが判明した。(発表時間18分)
86 チョナン派とチョナン・ハンチェン・ゲゲーン口頭発表 2022-12-18国際シンポジウム「現代モンゴルにおける仏教実践と化身ラマ」於:国立民族学博物館 (チョナン・ハンチェン・ゲゲーンとの共同発表)
ハルハ地方における最初のモンゴル人化身仏であるジェブツンダンバ・ホトクト一世(ザナバザル)は,チベット仏教チョナン派の高僧ターラナータ(1575〜1634)の化身として1635年に誕生した(とされる)。ところがチベットで1650年にゲルク派のダライ・ラマ政権が成立した際,チョナン派は禁教となり,ジェブツンダンバ・ホトクト一世もゲルク派に改宗したとされる。その後,ザナバザルは康熙帝からハルハ部の筆頭化身ラマの地位を与えられ,ハルハ・モンゴルは名実ともにダライ・ラマを頂点とするゲルク派の影響下に入り,現在に至っている。それでは,禁教になったチョナン派はその後どうなったのだろうか。本発表では,モンゴル国におけるチョナン派の化身仏チョナン・ハンチェン・ゲゲーンの来日に因み,この宗派の趨勢について知り得たことを紹介した。(発表時間60分)
87 ブルカン・カルドゥン山周辺の岩壁文字資料について単著 2023-03-31ДЭЛХИЙН СОЁЛЫН ӨВ - БУРХАН ХАЛДУН УУЛ:
СУДАЛГАА, МЕНЕЖМЕНТИЙН ЗАРИМ АСУУДАЛ
Эрдэм шинжилгээний хурлын эмхэтгэл(モンゴル文;世界文化遺産ブルカン・カルドゥン山:研究,マネージメントの諸問題。国際学術会議論文集)ウランバートル。
pp.126-128. ブルカン・カルドゥン山周辺のヘンティー山系には様々な岩壁文字銘文が残されており,最も豊富に残されているのは,ヘンティー県バトシレート郡のアラシャーン・ハダ岩壁である。ここには現認できているものだけでも,突厥文字,契丹文字,モンゴル文字,方形(パスパ)文字,漢字,アラビア文字,チベット文字による銘文があり,7世紀~現在に至るまで,この地を往来する様々な人々が注目し続けていることを物語っている。
 アラシャーン・ハダ岩壁の(ウイグル式)モンゴル文字銘文は17点(RH04a-UM01~RH04a-UM17)が知られており,全て墨書である。書体,墨の濃淡及び内容より3つに分類できる。第一は13~14世紀のものと推定されるUM09である。第二は15~16世紀のものと推定され,UM04, UM05, UM14 が含まれる。第三は16世紀後半以降のものであり,内容は「オム・マニ・パドメ・フーン」といったチベット語のダラニ(真言)をモンゴル文字で転写したものである。
 この中で特に注目に値するのはUM09であり, 「チンギス」の名が記されている。
88 モンゴル国スフバータル県所在岩壁墨書について単著 2023-03-31『真宗総合研究所紀要』40, pp.77-85 モンゴル国東部に位置するスフバータル県所在の岩壁墨書について,その研究概要と,アダギーン・ゴル岩壁銘文の最新の解読成果を提示した。アダギーン・ゴル岩壁銘文には,ウイグル文字系統の銘文1箇所,方形文字銘文1箇所,漢字系統文字銘文2箇所が認められた。この岩壁は元の都・大都と嶺北を往復する使臣・行政官の通り道に面した「奇岩」であり,その南面した岩肌は墨書を認めるのに最適であったのだろう。また,アダギーン・ゴル岩壁に記されたまとまった量の契丹大字銘文は,ここから南南東2,600メートル地点に位置する突厥時代の大規模な祭祀遺跡ドンゴイーン・シレーから出土した契丹小字墨書/刻文の解読と年代比定に寄与するだろう。
89 Мацүкава Такаши: Чингис хааны алтан гэрэгэг япончууд 80 жил хадгалсны эцэст олны хүртээл болгосон. インタビュー記事 2023-04-00Чингис Хаан музейн мэдээлэл No.3 (チンギスハーン博物館報) pp. 19-22. 「松川節:チンギス・ハーンの金牌を日本人は80年保管した末に一般公開した」(モンゴル語)
 チンギスハーン博物館に所蔵される「成吉思皇帝聖旨牌子」のレプリカについてインタビューに応じて解説した記事(J. Bayarkhvv 編)。この「成吉思皇帝聖旨牌子」のオリジナルは天理大学附属参考館に所蔵されるもので,表面に漢字10文字,裏面に契丹大字(?)2文字が刻される素金牌である。一部のソーシャル・メディアで,これとは全く異なるウイグル文字モンゴル語が刻された金牌が,日本所蔵の「チンギス・ハーンの金牌(Чингис хааны алтан гэрэгэ)」として誤って紹介されている誤報を糺し,日本所蔵「成吉思皇帝聖旨牌子」についての正しい情報を伝えた。
90 コラム モンゴル高原のメトロポリスとしてのカラコルム単著 2023-04-27『岩波講座世界歴史10 モンゴル帝国と海域世界 12〜14世紀』岩波書店 pp.105-106.
 モンゴル帝国の首都カラコルムに関する研究は,歴史資料と考古学的調査を通じて進展してきた。20世紀半ばにオゴデイ・ハーンの万安宮が発見されたことが最大の成果とされたが,21世紀に入り,実際には仏教寺院であることが判明し,新たな知見が得られた。モンゴル日本共同「ビチェース」プロジェクトによる石刻資料や発掘調査を通じて,カラコルムの宗教施設や歴史が明らかになりつつある。オゴデイの宮殿がどこにあったのかは未だ解明されていないが,エルデネ・ゾー寺院の敷地内にある可能性が高まっている。しかしエルデネ・ゾー寺院は現在も活動中の宗教施設であり,民意を慮って発掘調査が行われていないため,今後の研究が俟たれる。
91 Чингис хааны Монголын эзэнт гүрнийг
Хүннү гүрний шууд залгамжлагч хэмээн үзэх үзлийн тухай
口頭発表 2023-08-10XII International Congress of Mongolists / 第12回国際モンゴル学者会議 チンギス・ハーンのモンゴル帝国は匈奴帝国の継承国家であるという認識について(モンゴル語)
 現代のモンゴル国において,チンギス・ハーンのモンゴル帝国は匈奴帝国の継承国家であるという認識,ひいては「我々モンゴルは匈奴の子孫である」という認識が大勢を占めている。これは,2010年10月15日付モンゴル国大統領令216号「モンゴル独立国家2220年を記念することについて」をうけ,同年12月1日付モンゴル国政府決定により,匈奴国家独立2220年にあたる2011年にモンゴル国が国家式典を開催することが決定されたこと,すなわち,国をあげて匈奴建国2220年を記念することにしたことからも了解される。それでは,その歴史学的な根拠はどこにあるのか。
 『モンゴル秘史』を始めとする13〜14世紀に成立したモンゴル語資料には,匈奴や単于に関わる記述は見出し得ない。同じくペルシア語史料やチベット語史料にも,匈奴がモンゴルにつながるとする記述は見られない。漢文史料に散見されるのみである。その中で,モンゴル国のある研究者は,チンギス・ハーンが中国道教の道士である長春真人を招聘するために1218年夏に送った漢文の「詔書」に書かれた「我が単于國…」という表現に注目し,「チンギス・ハーン時代の我々は,古代の偉大な民族たる匈奴の子孫であると確固と表明した」と解釈した。
 しかし,この漢文の「詔書」はチンギス・ハーンが作成したものではなく,中国側(道教の全真教団側)で作成された可能性が高いと見なさざるを得ない。その理由は本発表で詳しく検討するが,本「詔書」に記される「我が単于國…」という表現だけを根拠にして,モンゴル帝国時代の匈奴観について議論することは,いささか勇み足の感を禁じえないのである。[発表時間:20分]
92 Монгол-Японы хамтарсан Бичээс төслөөр судалсан 1257 оны Шагжа сүмийн хөшөө бичиг (Мөнх хааны гэрэлт хөшөө)-ний монгол хэлний хэсгийн тухай口頭発表 2023-09-13ИХ ХААДЫН ЕРТӨНЦ: МӨНХ ХААН-815
Эрдэм шинжилгээний хурал (大ハーンの世界:モンケ・ハーン815周年記念学術会議)
モンゴル日本共同ビチェース・プロジェクトにて研究した1257年釈迦院碑文(モンケハーン碑文)のモンゴル語部分について(モンゴル語)

Deciphering the Mongolian text of the 1257 Shakya Monastery Inscription (Möngke Khan Inscription) by Mongolia-Japanese Joint Bichees Project.

Discovered in 1953, the Shakya Monastery inscription drew attention due to its three lines of Mongolian text. The initial study was published by Namnandorj in 1956. Subsequently, researchers such as Damdinsuren (1957), Rinčen (1959), Poppe (1961), Ligeti (1972), and others have published their decipherments.
Following Namnandorj’s work, the inscription's erection date has been identified as 1257, the year ‘Dingsi 丁巳’ during Möngke Khaan’s reign. This is based on the Chinese text’s mention of the year ‘Dingsi’ and a prayer for Möngke Khaan’s longevity in the Mongol text’s second line. All prior studies concur with this date. Therefore, this is one of the few Mongolian sources of the 13th century.
In July 1998, the Mongolia-Japanese Joint “Bichees” Project inspected the inscription at the National Museum of Mongolia and carried out a field survey in Ar Bulag soum, Khuvsgul Province, the following month. The results of the decipherment of the inscription were published in 2000.
In this report, we analyze the content of the Mongolian text we deciphered from the viewpoint of “epigraphic literature studies” and obtained the following findings.
1) The composition of the inscription indicates that the Mongolian part is a digest of the content of the Chinese inscription. The content of the Mongolian and Chinese texts in this inscription are closely related to each other, and therefore, it is essential to cross-reference and compare the content of the two language texts when deciphering.
2) The three lines of the Mongolian text, if read from left to right, do not easily connect the meaning of the text, so it is most reasonable to read the middle line first, followed by the first line, and then the third line.
This inscription offers a previously unknown historical fact: the families of Chinggis Khan and Oirad intermarried in what is now Khuvsgul Province. Additionally, Kürgen, the Oirad tribe’s son-in-law, constructed a Buddhist temple praying for Möngke Khaan’s longevity.
With the recent rapid development of Mongolian archaeology, new Buddhist monuments related to the 13th century Mongol Empire have emerged one after another, and there is no doubt that the findings of this inscription and the Shakya Monastery site will bring new knowledge to the study of the history of Buddhism during the Mongol Empire.
[発表時間: 15分]
以上92点

前のページに戻る