教育研究業績の一覧

藤枝 真
A 教育業績
教育実践上の主な業績 年月日概要
1 教育内容・方法の工夫(授業評価等を含む)
1 「文学部について」(高校生向け) 2005-11-12 大谷高校において、文学部の学びについて説明。文学部の学問は、古代・中世の学問機関や大学の原型ができたころからある非常に歴史のある学問であり、ひろく人間について学ぶことがその目的であると説明。
2 人文情報学科「人文情報学演習1」でのゲスト講義「哲学とはなにか」 2006-06-12 人文情報学科「人文情報学演習1」に招かれ、「哲学とはなにか」と題して講義。哲学ということばの語源から、哲学が目指すところや、20世紀になって哲学は「言語」に注目して伝統的真理観を転回させたことなどを述べた。(当該授業は、人文情報学科の学生に他分野の研究内容を紹介して、見聞を広げることを企図するもの)
3 カール・ドライヤーからラース・フォン・トリアーへ至る、デンマーク映画における救済の系譜 2006-09-12 近畿大学文芸学部「現代文化特講B」(夏期集中)での講義。スクリーンにカール・ドライヤー『奇跡』(1955)、ラース・フォン・トリアー『奇跡の海』(1996)、同『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000)を映しながら、デンマーク映画における救済の系譜を講義。北欧キリスト教の福音主義的な影響が色濃く見えるドライヤーの救済の描写から、スコットランド、アメリカと舞台を移しつつも一貫した救済のビジョンを描き出すトリアーを比較。
4 ミニ講義 哲学科講義 「哲学のことば -ことばを話すと世界が現れる?-」 2006-10-05 来学した伊那西高校の生徒に向けての講義。高校生にとってあまりなじみのない「哲学」ということばとそれが扱う領域について、日常の「ことば」を研究対象として捉えることから開けてくる新しい世界観について論じた。
5 卒論計画発表会と卒論中間発表会 2007-10-04 ~ 卒業論文執筆に出来るだけ早期に取りかかり、また他者の意見を聞く機会を確保するため、卒論の発表を2回に増やした。計画発表会は夏休み直後に行い、そこで出された質問・意見などをふまえて資料の読み込み・論文構成をし、11月の中間発表会で改善したものを発表。
6 3回生ゼミグループ発表および論文執筆(論文集作成) 2008-00-00 ~ 3回生を2グループに分け、幾つかのテーマの中から選び出したテーマについて、口頭発表をし、年度末に論文化(卒論と同程度の枚数)し、製本・配布する。ある程度の長さの論文を執筆することによって、文献の調べ方、文章の組み立て方など、次年度の卒論執筆に役立てるねらい。
7 オープンキャンパスミニ講義(宗教学)「スピリチュアリティとケーキ -宗教ってなに?-」 2008-08-05 「宗教」や「宗教学」という言葉を縁遠く感じる生徒は少なくないと思われるが、そう感じる人でも、明確な宗派や教義を必ずしも伴わない宗教性(スピリチュアリティ)に関しては興味がある場合が多い。普段乗っている電車、普段読んでいる新聞、普段行っている行事を具体的事例として取り上げながら、「宗教とはなにか」について論じた。(パワーポイント使用)
8 卒論計画発表会と卒論中間発表会(卒業論文集作成) 2008-09-00 ~ 卒業論文執筆に出来るだけ早期に取りかかり、また他者の意見を聞く機会を確保するため、卒論の発表を2回に増やした。計画発表会は夏休み直後に行い、そこで出された質問・意見などをふまえて資料の読み込み・論文構成をし、11月の中間発表会で改善したものを発表。
口頭試問終了後、誤字脱字などを修正し、全員分の卒論を集め、3回生のグループ研究論文と併せて製本・配布)
9 (高校模擬授業)わたしと世界の関係を考える
―「死生学」という新しい学問分野から―
2008-10-24 京都府立洛北高校における模擬授業。哲学分野の学問紹介。
日常生活のなかで何となく遠ざけてしまいがちな、しかし誰にとってもいつかは必ず訪れる「死」を研究対象とする「死生学」という新しい学問分野について紹介する。そしてその学問を通じて、"わたし"と"世界"がどのような関係にあるかを考えてみる。教材は書籍に限らず、新聞、映画、小説、音楽、ひととの対話など、日常的に触れているものが多いということを強調する。
10 紫明講座 カフェで哲学④ 死生学の現在 2013-12-00
~2014-01-00
哲学や宗教のことば、そして日々の生活に表れてくる多様な死生観に注目し、死と生を表裏一体のものとしてとらえる死生学について、市民に開放された3回連続講義で明らかにしていく。
最終回の最後には、学内のカフェに場所を移して、自由なディスカッションをした。
11 いのちの「始まり」を決められますか? 生命の倫理学 2014-04-00 伊那西高校(長野県)との高大連携の一環として、リレー講義を担当した。
高校2年生対象の授業で、哲学・倫理学の予備知識がほぼ無い状態からスタートしたが、パワーポイントのスライドや、ワークシートによる学習を盛り込み、また、哲学ゲームと呼ばれる身体運用の学習方法を実践することによって、一方的だけではない倫理学の学びを実現した。
12 京都明徳高校スカラシップ授業(大学訪問の際の体験型授業)の実施 2014-10-29 「あなたは「聞く耳」をもっていますか?
哲学ゲームで「自転車+ヘッドホン問題」を考えよう」と題して、身体を動かして自分の思考の位置づけを図る「哲学ゲーム」を中心として、現実社会で起こってくる問題を考えた。
以前にも取り組んだ授業形態であるが、今回は90分と授業時間が長かったので、哲学ゲームを追加したり、班作業の時間をゆったりと取り、より徹底して問題を考えられるよう工夫した。
13 卒論題目発表会 2021-04-00 ~ 卒論の題目を決定し登録した時期に、研究の内容についてゼミで発表する機会を設定している。前期のうちからできるだけ具体的な研究をスタートさせるという意図をもっている。
2 作成した教科書、教材、参考書
1 アメリカABC制作NIGHTLINEの翻訳配布・上映 2007-06-28 宗教学演習III-2a, IV-2aにおいて、多文化社会において宗教が有する役割と、宗教的信念がその一つの特徴として持つ排他性を示す教材として、ABCのニュース番組Nightline"Rock Star Christian Movement"を上映。情報源がPodcast配信であり字幕や吹き替えがないため、翻訳したものを印刷配布して、より十分な理解の助けとした。
2 卒業論文・グループ発表論文集の作成、配付 2009-03-00 ~ 2008年度から、卒業論文およびグループ発表論文(これは、ゼミ内の取り組みであり、第3学年の学生が4,5名のグループを組み、質・量ともに卒論に相当する論文を執筆するもの)を印刷製本し、ゼミ生に配付している。
自分たちの研究の成果を共有するとともに、次の年度の学生たちへ、研究の態度を示すことを目的としている。
3 教育方法・教育実践に関する発表、講演等
1 2009年度 第15回FDフォーラム
分科会 『2年次以降につながる初年次教育』コーディネータ
2010-03-06
~2010-03-07
 2009年度 第15回FDフォーラム分科会 『2年次以降につながる初年次教育』を企画し、コーディネータを務めた。
 初年次教育について盛んに研究・実践がされ、新入生の大学教育への定着が図られるようになったが、大学全体のカリキュラムの中で初年次教育が有機的に位置づけられているかについても同時に検討する必要があると考えられる。
 単なる「イベント」的な性質から脱却し、継続性・発展性を持つ初年次教育の姿を探るべく、分科会をコーディネートした。
4 その他教育活動上特記すべき事項
1 哲学教育研究会設立準備(於京都女子大学現代社会科学部) 2008-02-25
~2008-03-31
高等教育機関における哲学教育の方法などについて意見交換や教材開発を目的として、哲学教育研究会の立ち上げを検討・準備。主に若手・中堅教員(常勤・非常勤を問わず)をメンバーとし、研究会を開催、webで情報発信をする計画。
2 進学対策 小論文講座 2018-02-00 京都明徳高校において、小論文講座を行った。作文や感想部と小論文との違い、要約の仕方、原稿用紙の使い方などを、スライドを利用したり哲学ゲームを実践したりしながら、2週にわたって講義をした。2週目に実際に執筆した生徒の小論文に朱を入れて後日返却した。
3 京都明徳高校道徳講座「自分の「終わり」を決められますか? ——いのちの倫理と安楽死問題」 2020-02-27 「いのちは大切だ」ということがどこでもよく言われるが、その大切ないのちを自分で「終えなければならない」ような状況を迎えることも決してないとはいえない。例えば、末期ガンに苦しむアメリカの若者が、法律に基づいたかたちで自らの死期を決めて亡くなっていったケースが最近あった。この若者は、自分で自分の死期を決定したことをインターネットで発信し、世界中に大きな反響をよんだ。
 自分の死期を自分で決めることは許されるのだろうか。資料を参考にしながら、この問題について考えて、合理的な答えを出すのがこの講座の目指すところである。
4 人間教育プログラム(NP)
だれかを犠牲にして、ほかのだれかを助けることは正しい?—哲学で考える「究極の選択」—
2020-08-19  「多くの人を命の危機から救うために、私が犠牲になる」。一見したところ英雄的に思えるような行動は、小説や映画などでくりかえし取り上げられているおなじみのものである。しかし、たとえばこの行動を自分ではなく他の人に強いることは許されるだろうか。また、誰からの命令なら正当化されるだろうか。この難問について、筋道をたてて考えて合理的な答えを探っていく。
 上記の問題提起を元にして、グループでテーマ別に合理的な討論をする哲学ゲームや、それぞれの主張をディベート形式で主張する哲学ゲームをして、哲学の問題を考えるための様々な仕掛けを実践した。最後に、講義やディベートの結果を踏まえて、レポート執筆をして、クラスの中から発表してもらった。
5 貫練学寮寮内講演会「エンハンスメントとは何か:生命倫理の「線引き問題」」 2021-07-09 大谷大学貫練学寮の寮内講演会で、「生命倫理」の諸問題の一つとしてエンハンスメントを取り上げ、一見明白に思えるその可否の線を引くのが、実は込み入った問題であるということを論じた。
6 NPプログラム小論文講座: 「小論文的思考」で考える  2021-08-19 小論文を書く際に、課題文を読んでそれを要約した上で自らの考えを述べるタイプの出題に対応するために、まず課題文の中の「接続表現」に注目して、その文章の論理的構造を見極める必要がある。この点について事例を挙げつつ講義し、出席者には練習問題を解いてもらった。
7 自灯学寮寮内講演会での講演 2023-07-07 ~ エンハンスメントとは何か:生命倫理の「線引き問題」と題した昨年の貫練学寮での講演を、今年は自灯学寮で行った。生命倫理という学問の概要から始めて、身体の補強・強化と医療生命技術との関係から生まれる新しい問題についてどこで妥当な線引きをすることができるかについて講演した。
B 職務実績
1 哲学科主任 2017-04-00
~2018-03-00
哲学科主任を務める。
2 学寮長 2018-04-00
~2020-03-00
貫練学寮および自灯学寮の学寮長を務める。
3 学長補佐 2020-04-00
~2022-03-00
学長補佐(高大連携担当)を務める。
4 哲学科主任 2020-04-00
~2021-03-00
哲学科主任を務める。
5 学生部長 2022-04-00 ~ 学生部長を務める
C 学会等及び社会における主な活動
所属期間及び主な活動の期間 学会等及び社会における主な活動
1 1998-05-00~0000-00-00 日本宗教学会
2 1998-05-00~0000-00-00 関西倫理学会
3 2000-05-00~0000-00-00 キェルケゴール協会 (2004年から幹事)
(2012年から理事)
(2014年から理事・編集委員兼任)
(2017年より理事・編集委員長兼任)
4 2001-05-00~0000-00-00 日本哲学会
5 2001-05-00~2011-00-00 関西哲学会
6 2001-06-00~0000-00-00 実存思想協会
7 2003-04-00~0000-00-00 「社会と臨床」研究会
8 2005-12-00~0000-00-00 The 1st International Conference of the Kierkegaard Society of Japan第1回キェルケゴール協会国際学術大会(2 -5 December 2005 at Ormond College, University of Melbourne, Australia)の開催事務局担当


9 2016-09-00~0000-00-00 American Society for Bioethics and Humanities
10 2016-10-00~0000-00-00 American Academy of Religion
11 2018-04-00~0000-00-00 日本生命倫理学会
12 2023-09-14~2023-09-14 大谷大学公開講演会(同窓会深川支部) での講演 (講題:学び、続けるー鈴木大拙『日本的霊性』と人口減少社会の宗教ー)
D 研究活動
著書、学術論文等の名称単著、
共著の別
発行又は
発表の年月
発行所、発表雑誌等
又は
発表学会の名称
概要
Ⅰ著書
1 Religioner i Japan, ed. and written by Esben Andreasen共著 2004-00-00Systime Et eksistentielt møde med den danske tænker in Religioner i Japan, ed. and written by Esben Andreasen。研究のきっかけとなったキェルケゴールの主体性の概念について、仏教及び信仰一般への関心という点から描き出す。併せて、キェルケゴールが現在の日本の読者にどのように受け入れられているか、大学教育でどのように扱われているかについて記している。[総頁214頁のうち118頁~121頁]]※Religionslærer-Foreiningen for Gymnasiet og HF(ed.), Religion, nr. 4, 2001, および2002年2月13日付 Kristeligt Dagblad紙に掲載。
(英語で執筆したものをE.Andreasen氏がデンマーク語に翻訳)
2 現代文化テクスチュア 共著 2004-02-00晃洋書房 脳死と臓器移植を巡る問題について、宗教者の立場から発言をして、社会的合意を形成することを目指す向きもあるが、多様な信念を持つ人々が共生する現代の社会において、そのような特定の宗教的信念に基づいた合意形成は困難である。宗教者は、公的な合意形成に働きかけるのではなく、むしろ、ホスピスやビハーラにおけるカウンセリングなど、個々人の心のケアに関わることによって脳死・臓器移植問題に貢献すべきである。
[総頁数202頁][本人担当第1章第4節「宗教と脳死・臓器移植-社会的合意形成と精神的ケア-」52~66頁][編著:大越愛子、清眞人、山下雅之、分担執筆:白水士郎、藤枝真、熊本理沙、江口聡、前田益尚、玉置育子、町口哲生)
3 揺れ動く死と生 -宗教と合理性のはざまで- 共著 2009-03-00晃洋書房 宗教と医療が現代の日本において関係・協力する可能性を探る。まず、この両者の関係が十分にはうまく機能していない現状を分析する。医療を合理性のみが支配する分野と捉えること、無宗教性を自認する日本人の宗教性、既成宗教への不信感、死をめぐる言説の個人化、これらが絡み合いながら医療と宗教の関係を阻害している。そして、宗教が医療に関わる可能性として、古来担ってきたはずである「ケア」の役割を改めて指摘する。
[総頁数251頁][本人担当第2章-2「現代日本の終末期医療における宗教と医療の関係」68-88頁][編著:ジャン・ボベロ、門脇健、分担執筆者:マイケル・パイ、木場明志、セヴリーヌ・マテュウ、藤枝真、村山保史、番場寛、ハルトムート・ロータモント、井上尚実、木越康、ジャン=ポール・ヴィレーム、阿部利洋、田辺繁治、杉村靖彦)
4 Interreligiöse Verständigung zu Glaubensverbreitung und Religionswechsel 共著 2010-00-00EB Verlag Shin Fujieda, "Reiner-Land-Buddhismus und "Nembutsu"als eine gegenwärtige Form inoffizieller Spiritualität"

2008年に開催された第6回Rudolf Otto Symposionでの口頭発表を論文化したものである。„Interreligiöse Verständigung zu Glaubensverbreitung und Religionswechsel“(信仰の広まりと宗教の変化(改宗)についての宗教間の相互理解)と題したシンポジウムにおいて、「浄土教と現代のスピリチュアリティの一形態としての「念仏」」というテーマで発表を行った。念仏は浄土教において非常に重要な役割を担い、浄土教が凝縮された精華である一方、時代の流れと共にさまざまな意味が賦与されていった経緯もある。念仏について、その意義を規範的に論じるのではなく、記述的に論じることによって、それが人々の「不安」によって広く受容され、また人々の「不安」によって変容していったことを明らかにする。[総頁数397頁][本人担当206頁〜217頁]Christoph Elsas
Edith Franke, Volkhard Krech, Peter Antes, Andreas Feldtkeller, Hans-Martin Barth, Michael Sievernich, Richard E. Waldrop, Dieter Becker, Walter Homolka, Monika Bunk, Servet Armagan, Peter Schalk, Martin Mittwede, SHIN FUJIEDA, Adelheid Herrmann-Pfandt, Peter Amsler, Edmund Weber, Ursula Spuler-Stegemann, Ömer Özsoy, Katja Triplett, Stefan Jäger, Christian Troll S.J., Tharwat Kades, Bhikkhu Pasadika, Martin Kraatz, Angela Standhartinger, Daniel Rathnakara Sadananda, Michael Utsch, Klaus Otte, Wilhelm Richebächer, Wolf D. Ahmed Aries, Mark Münzel, Adrian Loretan-Saladin, Peter Steinacker, Klaus Jork, Ulrike Wagner-Rau, Wilhelm Richebächer, Jutta Kretschmer, Monika Bunk, Asmah El-Zayat, Hans-Peter Diebel / Saba Hadad / Kelly Herndorn, Christine Lienemann-Perrin
以上4点
Ⅱ学術論文
1 「キェルケゴールの教会批判における敬虔主義の意義-シュペーナーとの比較から-」単著 2000-03-00大谷大学哲学会『哲學論集』第46号 キェルケゴールと敬虔主義、特にシュペーナーとの比較対照をする。敬虔主義とはドイツの福音主義教会の信徒の内に起こった信仰覚醒の運動であり、個人の信仰の自覚と、信仰に基づいた生活実践をその旨としていた。キェルケゴールは個人の信仰を重視する点では敬虔主義に賛同するが、信仰を単なる生活の道徳規範と変質させた敬虔主義を一方で批判している。[総頁数102頁のうち81~89頁]
2 「生成と存立-キェルケゴールの教会観の二様相」単著 2000-12-00大谷大学大学院『大谷大学大学院研究紀要』第17号 キェルケゴールが批判する教会とは、形式そのものが信仰であり、既に存立してある教えを直接に伝達することが真理である、という教会である。教会は本来「生成」を表さなければならないが、同時にそれは歴史的に存立している枠組みでもある。キェルケゴールは個人の内面性が信仰に対して持つ意義を明らかにし、外面的枠組みに過ぎない筈の教会が信仰そのものであるというような錯覚に陥っているキリスト教世界全体を問う。[総頁数349頁のうち75-92頁]
3 「信仰と理性-キェルケゴールにおける理性の限界と逆説への信仰-」単著 2001-03-00関西倫理学会『倫理学研究』第31集 キェルケゴールの哲学における信仰と理性の関係を、『おそれとおののき』と『哲学的断片』の二書から読み解く。『おそれとおののき』においては倫理的なものが信仰のために停止されているという、直観的に特異な状況設定において信仰と理性(倫理)の関係が明らかにされていると言える。『哲学的断片』ではキリスト教の信仰内容を理性で判断することの無効性が示されている。逆説への信仰という前提に留意しつつ、キェルケゴールが信仰と理性を如何に捉えていたかを、倫理と信仰、理性と信仰という対照を為すことによって明らかにする。[総頁数165頁のうち39-49頁]
4 「信仰の説明責任-アブラハムのイサク奉献を巡って-」単著 2002-03-00大谷大学哲学会『哲學論集』第48号 信仰の内容が直観的に誤謬であると感じられるとき、我々はなんらかの仕方でその内容を正当化しようとする。信仰の内容が他者の存在に関与するような場合はなおさらその正当化は遂行されねばならない。他者に対しては信仰の内容を説明する責任が生じ、他者と関係する以上、信仰の行為は他者によって容認されなくてはならない。本論では責任を、他者の語りかけに対する応答としてとらえ、またその応答する責任があらゆる場面において常に遂行出来るとは限らないということを、ウィトゲンシュタイニアン・フィデイズム、キェルケゴール、デリダの思想を比較しつつ明らかにする。[総頁数72頁のうち43-59頁]
5 「〈知られざるもの〉について語ることは可能か―キェルケゴールと宗教の基礎づけ主義」単著 2002-11-00キェルケゴール協会『新キェルケゴール研究』第2号 神を「知られざるもの」と表したキェルケゴールは、神の存在証明の無効性を「信仰の全内容を概念の形式に翻訳することができたところで、信仰を把握したということにはならない」と指摘する。これと併せて、プランティンガに代表される現代の宗教の基礎づけ主義を検討し、その論点と問題点を明らかにする。さらにキェルケゴールの『哲学的断片』や『後書』を参照することで、神への信仰を基礎づけることに関するキェルケゴールの見解を確認する。キェルケゴールが「知られざるもの」とした神への信仰と、信仰は基礎づけを必要としておりまたそれが可能であるという宗教の基礎づけ主義とを比較するのが主旨である。[総頁数147頁のうち19-37頁]
6 「キェルケゴールにおける信仰と理性 -宗教の公共性に関する研究-」(博士論文)単著 2004-03-18 キェルケゴールが規定した信仰と理性の両者が、倫理的な局面において如何なる権能を持ち、また如何なる制限を受けるべきなのかについて考察する。換言するなら、宗教的信念及び合理的信念の性質を明らかにした上で、両者のそれぞれを行為規範として採用することが可能であるか、また、これらの信念を公共領域においてどう用いるべきかを見定めることが主な課題となる。本論文は4章から構成され、前半2章では、キェルケゴールにおける信仰の逆説性について、信仰の基礎づけの不可能性、そして宗教的信念の体系はそれ自体で独立している言語ゲームの如きものである、ということを述べる。後半2章においては、キェルケゴールの公共理解をめぐって、宗教的信念をもつ信仰者と、そのような信念を持たない人間が共生している世界について考察する。さらに信仰に基づいた暴力が如何なる性質をもち、また如何にしてそれを防止することが出来るかをデリダの他者概念を参照しながら検討する。[総頁数90頁(1頁あたり1200字)]
7 浄土教と非公式的なスピリチュアリティの一形態としての念仏 単著 2008-00-00大谷大学哲学会『哲學論集』第55号 2008年に開催された第6回Rudolf Otto Symposionでの口頭発表
Shin Fujieda, "Reiner-Land-Buddhismus und "Nembutsu"als eine gegenwärtige Form inoffizieller Spiritualität" を日本語で論文化したものである。(ドイツ語原稿は、Interreligiöse Verständigung zu Glaubensverbreitung und Religionswechselに所収)
[総頁数91頁][本人担当1頁-14頁]
8 スピリチュアルだが、宗教的ではない -「無宗教」というスピリチュアリティ-(「スピリチュアリティと臨床哲学」所収
共著 2008-03-00大阪大学大学院文学研究科 臨床哲学研究室 『臨床哲学』第9号 大阪大学大学院文学研究科臨床哲学研究室および関西の研究者が中心となって結成された「社会と臨床」研究会のメンバーが、長年続けてきた臨床とスピリチュアリティの関係を考える研究会の成果として執筆した論文。臨床での宗教性を考える時に昨今多用されている「スピリチュアリティ」という概念を、批判的に検討するのが主旨である。
「スピリチュアルだが、宗教的ではない -「無宗教」というスピリチュアリティ-」と題した担当部分では、宗教という概念を反動的・固定的ととらえたうえで「スピリチュアリティ」の概念を説明しようとする一般的傾向を批判する。「宗教」ということばが指すものも非常に流動的であり、その流動性によって様々な時代の要請に応えてきたことを、橋本治・森岡正博・阿満利麿の言説を分析しながら指摘する。)[総頁数182頁][本論文107-172頁][本人担当123-128頁]〈社会と臨床〉研究会編(西村高宏、川口茂雄、藤枝真、佐藤啓介、渡邉美千代、藤本啓子、大谷智加子、佐藤伸彦)
9 ゲルハルト・マルセル・マルティン「キリスト教における肉体的存在、社会的・精神的身体」 その他 (単訳) 2016-03-15大谷大学宗教学会『宗教学会報』第20号 「私を超え出ていくこと」と題した大学院セミナーの一環として開催されたG.M.マルティン客員教授の公開講演会の原稿を翻訳したものである。
 宗教の超越性だけでなく、私の住まう場所としての身体にも注目し、キリスト教における身体の意義をイエスの身体理解を軸として考察している。
 訳者が記した解題においては、大学院セミナーで実施された「仏典劇(Sutradrama)」に言及した。これはマルティン教授がキリスト教研究における身体性を重視して実践する「聖書劇(Bibliodrama)」の方法を仏典に応用した試みであった。仏典に登場する人物や背景の関係を演じることで、宗教的世界を生きるということが単に観念的なものではなく、生の身体を伴っていることを確認することをねらった。また、論文末には訳注を付した。
[総頁数67頁][本人担当1頁〜33頁]
10 地域社会と寺院の抱える問題点の研究 –課題と分析視角– 共著 2018-03-31大谷大学真宗総合研究所研究紀要 執筆担当箇所のタイトルは「2-2 宗教学に基づいたアプローチ ー「宗教離れ」、「宗教」の二義性、そして伝統宗教の可能性ー」である。かつては地域コミュニティに暮らす人々を結びつける紐帯として機能していた寺院は、人々のライフスタイルの変化や思考の世俗化などの影響により、近年の人口減少社会のなかでその重要性を減じつつあるように見える。その一方で、様々な取り組みによって寺院の役割を再び捉え直す試みがあることも注目すべきである。[総頁数289頁][本共著論文頁数21頁][本人担当11頁〜14頁](共同執筆者:木越康・東舘紹見・山下憲昭・徳田剛・藤枝真・藤元雅文)
11 アメリカの生命倫理事情―生命倫理言説の非宗教化をめぐって― 単著 2018-07-02真宗大谷派教学研究所『教化研究』第162号 アメリカでの生命倫理学研究の展開は、組織的な研究が始まった1970年代初頭から「非宗教的」な基本的姿勢を伴うものであった。そこにおける研究スタイルは、生命観を非宗教的な見地からとらえることによって、新しい医療技術の取り扱い方や臓器移植・生殖医療・安楽死など生死に直接に関わる決定に関して、主に自律の概念を中心にしてアプローチ出来るようにしたものであった。しかし他方では、人間の生死の問題に直結する生命倫理の諸問題を語るための語彙が、非宗教化されることによって、内実を伴わない形式的な倫理に陥っているという指摘も出てきた。公共的合意形成と実存的問題とのバランスを図って生命倫理問題を考えていく必要がある。(2017年6月の真宗大谷派教学研究所「生老病死と現代」研究班研究会における発表を原稿化したものである。)[総頁数:218頁][本人担当135−158頁]
12 「宗教なき時代」の単独者:キェルケゴールにおける「超越」と倫理学 単著 2019-06-30関西倫理学会『倫理学研究』第49号 現代のような価値多元社会における倫理学は、「超越」的なものに基づかないことが常識的となっている。そうすることによって、社会成因の間での倫理の共有を目指しているからである。キェルケゴールは人間観の倫理を保持しつつも、実存のより高次の段階として超越を含み入れている。本発表では、現代のキェルケゴールの読解として、ハーバーマスとエンゲルハートを引き合いに出し、超越なき後の時代にキェルケゴールを読む可能性を「自己自身となりうること」の中に見出す。
(関西倫理学会2018年度大会におけるシンポジウム発表「「宗教なき時代」の単独者:キェルケゴールにおける「超越」と倫理学」の発表を原稿化したものである)[総頁数:160頁 本人担当4−19頁 シンポのディスカッション要録:54−70頁]
以上12点
Ⅲ 口頭発表・その他
1 「キェルケゴールにおける信の知からの乖離」口頭発表 1998-11-00第49回関西倫理学会 聖書の神話的性格を批判し信仰を合理化するD.シュトラウスに代表される思想の趨勢とは異なり、『哲学的断片』においてキェルケゴールは「信仰は認識ではない」とし、時間の中の永遠という逆説は合理性の埒外にあるとする。信と知という二つの働きは、その及ぶ範囲を厳密に限定されなければならない。キェルケゴールはこの点から、信仰に対する悟性及び理性の越権行為に警鐘を鳴らす。[発表30分質疑10分]
2 「信仰と理性」口頭発表 1999-05-00第9回キェルケゴール研究会 息子イサクを捧げるアブラハムの物語をテーマとしている『おそれとおののき』における「倫理的なものの目的論的停止」の問題は、人間の思惟や理性で扱えるものと、人間のあらゆる能力を超えた外在的なものとが混同されるようになった時代に対して投げかけられている。理性的な信仰をもって接近することが出来ない逆説こそが、キェルケゴールが強調するキリスト教の本質である。[発表50分質疑40分]
3 「キェルケゴールと敬虔主義」口頭発表 1999-09-00第58回日本宗教学会 敬虔主義の特徴を「教会改革」と「信仰の主体性」という二つの点に絞り込み、キェルケゴールとの関係を考える。キリスト教の本質を、信仰に対する個人の主体性と考えるなら、キリスト教会の改革者としてのキェルケゴールと敬虔主義の両者は、この本質をキリスト教に取り戻すために働いたと言える。個人の信仰を求める精神活動は、硬直化した制度や社会と不可分に出来してくるものである。[発表15分質疑5分]
4 “Kierkegaard im Licht der neueren internationalen Forschung” (Walter Dietz)の紹介口頭発表 2000-05-00第12回キェルケゴール研究会 キェルケゴール協会再発足の総会に際して開かれたこの研究会において、現在世界中で行われているキェルケゴール研究の概観をする必要があると考え、この論文を紹介した(Philosophische Rundschau, 1999年9月号所収論文)。デンマークのキェルケゴール研究センターが出版しているKierkegaard Studies Yearbookなどの学際的なキェルケゴール研究を紹介するサーベイ論文である。また同センター編集のデンマーク原典新全集にも言及している。[発表50分質疑40分]
5 「キェルケゴールと基礎づけ主義」口頭発表 2001-09-00第60回日本宗教学会 キェルケゴールの著作を通してキリスト教における神の存在証明がいかにして無効なものになるかを確認し、またD・Z・フィリップスが基礎づけ主義に関して哲学と宗教の関係を述べたことを併せて考えることで、宗教の基礎づけ主義をキェルケゴール的視点から解釈する。ある信念は十分な基礎の上にあってはじめて正当性を有するという基礎づけ主義は、逆説への信仰が宗であるキリスト教においては適用され得ないというのがキェルケゴールの主張である。[発表15分質疑5分]
6 ヴァルター・R・ディーツ「新たな国際的研究の光を浴びるキェルケゴール」 翻訳 2001-11-00『新キェルケゴール研究』創刊号 2000年5月のキェルケゴール研究会で紹介した論文を訳出して掲載。
Kierkegaard Studies Yearbookなどの学際的なキェルケゴール研究を紹介するサーベイ論文である。また同センター編集のデンマーク原典新全集にも言及している。

[総頁数143頁][本人担当122頁−141頁]
7 「《知られざるもの》について語ることは可能か―キェルケゴールと宗教の基礎づけ主義-」口頭発表 2001-11-00第1回キェルケゴール協会秋季学術大会 神を「知られざるもの」と表したキェルケゴールは、神の存在証明の無効性を「信仰の全内容を概念の形式に翻訳することができたところで、信仰を把握したということにはならない」と指摘する。これと併せて、プランティンガに代表される現代の宗教の基礎づけ主義を検討し、その論点と問題点を明らかにする。さらにキェルケゴールの『哲学的断片』や『後書』を参照することで、神への信仰を基礎づけることに関するキェルケゴールの見解を確認する。キェルケゴールが「知られざるもの」とした神への信仰と、信仰は基礎づけを必要としておりまたそれが可能であるという宗教の基礎づけ主義とを比較するのが主旨である。[発表30分質疑15分]
8 「逆説、理性、伝達可能性について」口頭発表 2002-09-00第61回日本宗教学会 現代英米言語哲学、特にウィトゲンシュタイニアン・フィデイスム(例えば、D・Z・フィリップスがその代表である)の立場から、キェルケゴールの逆説的信仰の本質に迫ることを試みる。そして「言語ゲームとしての宗教」という立場から信仰の伝達可能性、さらには今日焦眉の問題となっている宗教の倫理性、たとえば信仰内容の説明責任というキルケゴール研究の新しい切り口を提示する。[発表15分質疑5分]
9 「キルケゴール-その多様な〈読み〉の可能性」共同発表 2002-09-00第61回日本宗教学会 20世紀初頭の哲学者たちに大きな影響を与え、また戦後、実存思想の祖として盛んに読まれたキェルケゴール。これらの時代とは思想も社会状況も異なる現在にキェルケゴールを読むアクチュアリティを探るためのセッション。J・カプトなどが指摘するようなポストモダンの批評、思想との親近性、キェルケゴールと異なる傾向をもつ分析的宗教哲学との比較研究、1990年代後半から刊行が始まったデンマーク語新版全集を使用した研究の方法などについての報告。[発表・質疑30分](藤枝真、須藤孝也、平林孝裕、長谷修孝(司会)によるテーマセッション)
10 ゲルハルト・マルセル・マルティーン「終末論と神秘主義」ハンス-マルティン・バールト、マイケル・パイ、箕浦恵了、門脇健編 『仏教とキリスト教の対話III』所収翻訳 2004-03-00法蔵館 終末論と神秘主義の本質と伝統を聖書やヨーロッパ思想を繙くことによって再解釈していく。宗教が発展してきた動因の一端を終末論と神秘主義の中に見出し、宗教の世俗化が喧伝される現代において、これらの重要性を示している。[総頁数281頁のうち143~160頁]
11 金成禮「大虐殺の後で:済州島における女性の痛みと生存の連帯」科学研究費補助金基盤研究 研究代表者:大越愛子「近代日本の共同体思想をジェンダーから解明する」研究成果報告 所収翻訳 2004-03-00平成13年度-15年度科学研究費補助金基盤研究)(C)(2)[課題番号13610051]「近代日本の共同体思想をジェンダーから解明する」研究成果報告書 Kim Seong-nae, “After the Massacre: Women’s Solidarity of Pain and Survival on Cheju Island”の翻訳。済州島4.3事件の生存者である女性たちの語りを通じ、終戦後の朝鮮半島を二分した反共運動の暴力性を分析する。共産主義への恐怖が女性への暴力へと変容していく様子を詳述している。[総頁数108頁のうち91~107頁]
12 Kierkegaardian notion of LEAP and Shinran’s notion of Ocho(crosswise leap)口頭発表 2005-06-00Fifth International Kierkegaard Conference "Kierkegaard and Buddhism"と題されたworkshopでの発表およびディスカッション。その他の発表者はKinya Masugata, Mukogawa Women’s University及びJoel Smith, Skidmore College。
キェルケゴールの"Spring(英:leap)"と親鸞の「横超」との比較研究。信仰の飛躍という表現で両者の親近性が明らかになる一方で、誰が(何が)飛躍する(飛躍させられる)のか、人間の意志の自由が有り得るか、という問題が新たに開けてくる。[提題時間15分、ディスカッションを含むworkshop全体の時間2時間]

13 金成禮「大虐殺の後で:済州島における女性の痛みと生存の連帯」翻訳 2005-11-00青弓社 大越愛子/井桁碧編著『戦後思想のポリティクス』所収。Kim Seong-nae, “After the Massacre: Women’s Solidarity of Pain and Survival on Cheju Island”の翻訳。(平成13年度-15年度科学研究費補助金基盤研究(C)(2)[課題番号13610051]「近代日本の共同体思想をジェンダーから解明する」研究成果報告書に初出)[総頁数300頁][本人担当227-257頁]
14 宗教的信念の独立性とその限界について ――ウィトゲンシュタイニアン・フィディズムによるキェルケゴール理解の試み――口頭発表 2006-10-00実存思想協会  「キェルケゴール研究の最前線」と題して、従来とは異なるキェルケゴール研究の可能性を探る特別招待報告。
 宗教的信念と世俗的倫理との相克は、キェルケゴール『おそれとおののき』(1843)において旧約聖書のアブラハムによるイサク奉献の問題として述べられている。信仰の名の下に倫理を停止することの問題に対して答えるために、宗教的信念の独立性をうたうウィトゲンシュタインの影響を受けた信仰主義(Wittgensteinian fideism)の主張を検討する。
 さらに、キェルケゴールの公共/私的領域の概念を捌き分けて理解することから、宗教と倫理の関係を明らかにする。[発表時間40分、質疑20分]
15 現代日本の終末期医療における仏教と医療の関係-ターミナルケアを巡って-口頭発表 2006-11-00大谷大学真宗総合研究所・フランス国立高等研究院合同シンポジウム
「宗教と近代合理的精神――日仏文化の比較をとおして」
 身体的な痛みの緩和だけでなく、精神的な痛み、こころの痛みのケアが求められている時代にあって、仏教が医療と関わる可能性を探る。
 仏教とケアの関係は、仏陀自身の行動や、日本において「施薬院・悲田院」などの例を考えると正当なもののように思えるが、仏教的ターミナルケアや、ケア施設における仏教者の活動が十分に行われているとは言えないのが現状である。呪術としての医療ではなく、近代的な科学としての医療の役割はもちろん否定されるのものではないが、"医療は生きている人のため"、そして"仏教は亡くなった人を供養するため"、という分業のような捉えられ方をされている観がある。このような点をふまえ、終末期医療において仏教が果たすことの出来る役割を明らかにする。[発表時間30分]
16 Reines-Land-Buddhismus und ‚Nembutsu’ als eine gegenwärtige Form inoffizieller Spiritualität口頭発表 2008-05-02第6回 Rudolf Otto Symposion „Interreligiöse Verständigung zu Glaubensverbreitung und Religionswechsel“(信仰の広まりと宗教の変化(改宗)についての宗教間の相互理解)と題したマールブルク大学のシンポジウムにおいて、「浄土教と現代のスピリチュアリティの一形態としての「念仏」」というテーマで発表を行った。念仏は浄土教において非常に重要な役割を担い、浄土教が凝縮された精華である一方、時代の流れと共にさまざまな意味が賦与されていった経緯もある。念仏について、その意義を規範的に論じるのではなく、記述的に論じることによって、それが人々の「不安」によって広く受容され、また人々の「不安」によって変容していったことを明らかにする。[発表時間30分、質疑時間30分]
17 Are Kierkegaard's multiple styles of authorship equivalent to the theory of the Three Vehicles in Mahayana Buddhism? (A response to Professor Khan’s “Kierkegaard’s Authorship as Upaya”)口頭発表 2008-08-01第22回 World Congress of Philosophy Round Table Session "Kierkegaard as a Resource for Comparative Philosophy"において、方便としてのキェルケゴールの仮名著作活動を論じたAbrahim Khan氏へのresponseとして、日本の研究において「方便」が用いられてこなかった経緯、法華経上の文脈、キェルケゴールの著作構造を比較しながら論じた。[発表時間15分、Round Table 討議時間60分]
18 Indoctrinating The Younger Generation: A Strategy of YASUKUNI Shrine for the Propagation of Patriotism.口頭発表 2010-05-06COLLOQUE Organisé par
l’Ecole Pratique des Hautes Etudes – Paris Sorbonne (EPHE) Groupe Sociétés, Religions, Laïcités (GSRL)
Identité nationale et religion en France et au Japon
大谷大学とフランス国立高等研究院(EPHE)との学術交流の中で、2006年本学開催のシンポジウムに引き続いて、パリのEPHEで開催されたシンポジウムにおいて、国民のアイデンティティと現代の宗教性をめぐる問題について、靖国神社の成立経緯と現代における若者信者層の再生産を論じた。戦前の国家的慰霊施設とは異なり、戦後の靖国神社は一宗教法人という位置づけになっており、その護持には独自の工夫が必要となる。新しい世代の信者を獲得するためにそこで用いられる宗教的言説からは、戦前と軌を一にするような「公的性質」を持った慰霊施設であるという自認が読み取られる。[発表時間30分、ディスカッション30分]
19 生命倫理に関する合意形成における宗教的信念の役割口頭発表 2010-09-05日本宗教学会第 69 回学術大会 生命倫理の諸問題に関する言説、とくに本発表では脳死・臓器移植に関する議論がなされる際に関係者や研究者、宗教団体、報道機関などから発せられることば遣いに注目し、社会的問題の合意形成を目指す際の人々の死生観・医療観が形成される際の問題点を論じた。問題の中立性・公共性が一方にあり、他方には自分にとっての主要問題という実存的性質があるという医療問題における宗教的信念の役割と限界を指摘する。[発表時間15分、質疑5分][要旨掲載:『宗教研究」84巻4輯 (2011年)]
20 医療倫理学の基礎翻訳 2011-06-00時空出版 第11章「臓器移植」の翻訳を担当。
臓器移植の概要を示した上で、まずこの問題を論じる際に考える必要がある事柄、つまり提供臓器の確保について様々な選択肢を検討する。次に、脳死そのものを死と捉えるかについての議論、臓器の公正配分の議論について検討していく。
[総頁数335頁][本人担当214頁~243頁]
21 妊娠中絶の生命倫理翻訳 2011-10-00勁草書房 バルーク・ブロディ「妊娠中絶に関するトムソンの議論」の翻訳を担当。
J.J.トムソンのよく知られた主張「胎児が人間であると認めたとしても、(ある期間まで)中絶することは容認される」というものに対するブロディの反論である。ブロディは、「ある人を助けるために、別の人を犠牲にすることが正当化される」という主張に重ね合わせて、その正当性を疑う。それは、母親-胎児関係に特徴的なものではなく、あらゆる場合に問い直されねばならない主張であるとブロディは指摘する。
[総頁数306頁][本人担当37頁~44頁]
22 社会哲学者としてのキェルケゴール 講演 2012-07-01キェルケゴール協会第13回学術大会 キェルケゴールは、ある意味で「社会哲学者」であるということができよう。それは、もちろん網羅的な意味で社会哲学を構想していたということまでは言えないであろうが、キェルケゴールの、特に1846年の彼の著述生活の転換期以降からは、主体的真理という関心事に加えて、それを現実社会の中で実現していくための、様々な障壁との衝突が見えてくる。それはpublicという概念についての20世紀後半からの思想史における当該概念の肯定的解釈と対応していると考えることができる。[発表時間:90分]
23 桜井哲夫(東京経済大学コミュニケーション大学教授)「<自己責任>を問い直す―他者への温かな関心を取り戻すために―」へのコメント
コメンテーター藤枝真
コメント 2013-06-00親鸞仏教センター  「自己責任」ということばが指し示す空ろな自由意識について提題した桜井氏の発表についてコメントを寄せた。
 近年に散見される「自己責任」ということばは、誰から誰に呼びかけられているものなのか。責任が持つ語源からその関係性についてコメントした。
[総頁数240頁][本人担当142頁〜146頁][『現代と親鸞』第26号]
24 キェルケゴールの公共概念を再考する(関西倫理学会ワークショップ「生誕200周年記念:倫理学の対象としてのキェルケゴール」)口頭発表 2013-11-01関西倫理学会2013年度大会  キェルケゴールを倫理学としての読む可能性を、様々な角度から検討するワークショップでの発表である。
 宗教的権威に依存する度合いを低めて、市民が自らの行為を決定していく市民社会の誕生と、自己自身が主体的にキリスト者となることを選び取るキェルケゴール思想とを、19世紀のデンマーク社会において重ね合わせて考察する。
 主体的な選択を可能とする民主主義は、同時に人々が「傍観者」であることを許すものでもあるとキェルケゴールは指摘する。[発表時間15分、ディスカッション120分]
25 Between the secular and the religious: Japanese Buddhism in the public discourse on the issues of organ transplant口頭発表 2014-08-00XXIII World Congress of Philosophy  発表タイトルは、「世俗と宗教のはざまで:臓器移植に関する公的議論における日本仏教」と訳することができよう。XXIII World Congress of Philosophyの生命倫理の部会で、現代日本がかかえる臓器移植の問題について発表した。宗教/非宗教(世俗)の二分法では汲み尽くすことができないような複合的な死生観を、仏教が(限定的な形で)ふたたび医療に関わることによってケアするべきであるという主張である。[発表時間20分]
26 Philosophy in the city: A socio-political reading of the Kierkegaardian notion of the public口頭発表 2014-08-00XXIII World Congress of Philosophy 発表タイトルを訳すれば、「市中の哲学:キェルケゴールの”public”の概念に関する社会・政治的読解」ということになる。
XXIII World Congress of Philosophyの"Kierkegaard’s Relation to Greek philosophy, religion and culture"の部会で発表した。アテネで開かれたこの大会において、キェルケゴール生誕200周年を記念するRoundtableにおいて、キェルケゴールが活動したコペンハーゲンを、古代ギリシアのポリスのような性質に注目して論じた発表である。[発表時間20分]
27 生命倫理の議論における公共的理性と非制度的宗教性口頭発表 2015-09-06日本宗教学会第74回学術大会 生命倫理の問題を語る際に、伝統的教団(特に仏教教団)の言説を分析すると、過剰なまでに世俗的語彙を用いた「非宗教的な」言説を公式見解としている傾向が強まっていることに気が付く。宗教団体自体の「脱宗教化」は、世俗化現象と共に強まっていると言えるのであるが、複雑化する医療をめぐる人々の懊悩に対して、このような非宗教的言説がどのような効果をもたらしているのかについて考察する。
[発表時間15分、質疑5分][要旨掲載:『宗教研究』89巻別冊(2016年)]
28 鈴木祐丞『キェルケゴールの信仰と哲学ー生と思想の全体像を問うー』書評書評 2016-05-15キェルケゴール協会『新キェルケゴール研究』第14号 鈴木祐丞『キェルケゴールの信仰と哲学ー生と思想の全体像を問うー』(ミネルヴァ書房、2014年)の書評。キェルケゴールの1848年の体験を信仰上の突破点として注目する論考である。筆者はキェルケゴールの日誌記述を丁寧に読み解くことで、その体験が「罪の許し」としての信仰であると究明している。[総頁数110頁][本人担当88頁〜93頁]
29 Religion’s Retreat: Has The Secularization of Japanese Bioethical Discourse on Organ Transplantation Been Beneficial?口頭発表 2017-03-15The Kennedy Institute of Ethics, Georgetown University アメリカ・ワシントンDCのジョージタウン大学ケネディ倫理学研究所に客員研究員として滞在した期間に研究した成果を発表したもの。
生命倫理への要求は社会の変化と連動して起こるが、アメリカではそれが反戦や公民権運動ともかかわる「反体制」の性質を帯びていた。日本の合理主義や経済成長信仰が生命倫理の言説に与えた影響を考察。[発表時間:60分 質疑応答:30分]
30 アメリカの生命倫理事情口頭発表 2017-06-15真宗大谷派教学研究所「生老病死と現代」研究班研究会 2016年度の在外研究(於ジョージタウン大学ケネディ倫理学研究所)期間中の研究成果を発表した。アメリカの生命倫理学会(ASBH)や宗教学会(AAR)に参加し、アメリカにおける「非宗教的バイオエシックス」の傾向性を読み取った。1970年代から組織的な生命倫理研究が始まったアメリカであるが、そこにおける研究スタイルは、生命観を非宗教的な見地からとらえることによって、新しい医療技術の取り扱い方や臓器移植・生殖医療・安楽死など生死に直接に関わる決定に関して、主に自律の概念を中心にしてアプローチ出来るようにした。[発表時間:90分 質疑応答:90分]
31 日米生命倫理における言説スタイルの変化講演 2017-07-06大谷大学宗教学会大拙忌公開講演会 Religion’s Retreat: Has The Secularization of Japanese Bioethical Discourse on Organ Transplantation Been Beneficial?
(宗教の撤退:日本の生命倫理言説の世俗化は臓器移植にとって有益か?)
アメリカ在外研究の成果としてKennedy Institute of Ethicsで発表した内容をもとに、日本語講演原稿にまとめたものを発表した。[発表時間:80分 質疑応答:10分]
32 3.11から7年 東北から明日が見える 「仏教の視点から」エッセイ 2018-02-00真宗大谷派宗務所『月刊 同朋』3月号 執筆担当箇所タイトル:「あなた」は「わたし」である。
 東日本大震災から7年を経て、震災の記憶と未来の防災への意識がだんだんと薄れていっている今、被災した人々は、わたしの姿でもあったかもしれないし、これからありうるかもしれないという視点を確かめることが必要である。このことを、『御文』の「御同朋・御同行」を引用しつつ解説している。[総頁数60頁][本人担当2頁]
33 臓器移植に関する生命倫理言説の非宗教化で問題は解決するか?
―アメリカの生命倫理研究を参考に——
口頭発表 2018-03-23教団付置研究所懇話会生命倫理研究部会
第18回研究交流会
真宗大谷派教学研究所「生老病死と現代」研究班研究会における発表をもとに、当研究所が加盟する「教団付置研究所懇話会」の生命倫理研究部会の研究交流会で発表をした。より日本の事例に特化して発表を再構成し、日本の(特に)仏教教団が臓器移植問題に発言することが減少した理由について考察を加えた。[発表時間:60分 質疑応答:40分]
34 アメリカにおける宗教的生命倫理言説の位置づけ口頭発表 2018-09-08日本宗教学会第77回学術大会 アメリカの宗教に関わる生命倫理の言説について、特にH.T.エンゲルハートに注目して考察する。エンゲルハートは、アメリカにおいても日本においても「非宗教的生命倫理学」を基礎付けた人物と見なされていた。日本ではその後の彼の研究上の転回にはほとんど注意が払われていなかったが、アメリカでは宗教的生命倫理を「内容豊かな」バイオエシックスとして構築していく彼の研究姿勢は注目を集め続けていた。
[発表時間:15分、質疑応答:5分]
35 「宗教なき時代」の単独者:キェルケゴールにおける「超越」と倫理学口頭発表 2018-11-11関西倫理学会2018年度大会 現代のような価値多元社会における倫理学は、「超越」的なものに基づかないことが常識的となっている。そうすることによって、社会成因の間での倫理の共有を目指しているからである。キェルケゴールは人間観の倫理を保持しつつも、実存のより高次の段階として超越を含み入れている。本発表では、現代のキェルケゴールの読解として、ハーバーマスとエンゲルハートを引き合いに出し、超越なき後の時代にキェルケゴールを読む可能性を「自己自身となりうること」の中に見出す。
「「超越」と倫理学」と題したシンポジウムの一部である。
[発表時間:30分、シンポジウム全体は3時間。討議、質疑含む]
36 エンゲルハートにおける「神なき時代」の生命倫理口頭発表 2019-09-15日本宗教学会78回大会 エンゲルハートの『バイオエシックスの基礎づけ』(原著1986年)は、生命倫理への姿勢は「非宗教的なもの」であるべきであるという基本的なトーンを定めた。しかしのちに彼はその非宗教的世俗的生命倫理の限界を見極め、「内容豊かな(content-full)」、複数形の生命倫理を提唱するようになった。どのような理由で再び特定の宗教的信念にもとづく生命倫理を考えるようになったのか。ここでは、2017年の最後の著書After God(神なき時代)を手掛かりに、生命倫理の「原則主義」への批判、特に自律概念の問い直しを詳しく見ていく。[発表時間:15分 質疑応答5分]
37 終末期医療を「宗教」から考える講演 2020-08-23東本願寺日曜講演 2020年に発覚した京都ALS患者嘱託殺人事件を受けて、生命倫理に関わる問題の中でも特に安楽死・尊厳死問題に焦点をあて、現代社会に見られる安楽死容認の発言に宗教的言説が散見されることを指摘した。それらの宗教的言説は、基本的には素朴な心身二元論に基づくものであり、そこには肉体の安楽死が精神(魂)の救済につながるという主張が見出される。「悪い生を送るよりも良い死を選ぶ」という安楽死容認の風潮には、生の価値を有用性や満足度で測り、また他者の目から効率性で測る思考的枠組みが含まれている。その枠組みを外さなければなし崩し的な安楽死容認は後を絶たない。[発表時間:75分]
38 終末期医療を「宗教」から考える 講演原稿 2021-02-01編集 真宗大谷派教学研究所、発行 真宗大谷派宗務所 『ともしび』第820号 2020年に発覚した京都ALS患者嘱託殺人事件を受けて、生命倫理に関わる問題の中でも特に安楽死・尊厳死問題に焦点をあて、現代社会に見られる安楽死容認の発言(新聞、テレビ、ツイッターなど)に宗教的言説が散見されることを指摘した。それらの宗教的言説は、基本的には素朴な心身二元論に基づくものであり、そこには肉体の安楽死が精神(魂)の救済につながるという主張が見出される。「悪い生を送るよりも良い死を選ぶ」という安楽死容認の風潮には、生の価値を有用性や満足度で測り、また他者の目から効率性で測る思考的枠組みが含まれている。その枠組みを外さなければ、なし崩し的な安楽死容認は後を絶たない。(2020年8月23日東本願寺日曜講演での発表を原稿化したものである)
[総頁数:10頁][本人担当1頁〜9頁]
39 合評:藤枝真「「宗教なき時代」の単独者:キェルケゴールにおける「超越」と倫理学」」(関西倫理学会『倫理学研究』第49号所収) 口頭発表(合評のための論文補足発表および質疑へのレスポンス) 2021-07-03第3回キェルケゴールセミナー(キェルケゴール協会) 2019年の関西倫理学会へのシンポジウム「「超越」と倫理学」での発表内容をまとめた「「宗教なき時代」の単独者:キェルケゴールにおける「超越」と倫理学」」(関西倫理学会『倫理学研究』第49号所収)についての合評会において、まずシンポジウム全体の趣旨を再度確認し、次いでその中で発表者が主張した点、すなわち、キェルケゴールが神との関係の中での罪意識を通じて人間の有限性を認識し、そこを起点として「自分自身でありうること」を模索した点を強調した。
[発表時間:執筆者による要約(10分)+評者による質疑(15分)+執筆者の応答(10分)+全体討議(35分)]
40 公開シンポジウム「宗教といのち 日韓台の終末期医療の現状から「良い死」を考える」コメント 2022-02-12大谷大学真宗総合研究所東京分室  鍾宜錚(大谷大学)「台湾における「善終」の法制化と宗教的実践」、渕上恭子(慶應義塾大学)「韓国における終末期医療と尊厳死 —「死の自己決定」と「死にがい」をめぐって—」、金田諦晃(東北大学)「緩和ケア病棟での活動から考える「良い死」—臨床宗教師の視点から—」の各発表についてコメントした。
 台湾における「善終」(大往生と丁重な葬送儀礼)への希求は、伝統宗教儀式を執行する法制化につながっているということ、また、韓国において「延命医療」を受けず、自ら進んで死を受け入れることに「死にがい」を見出そうとする人々の中には、周囲への配慮の姿勢が顕著に見られること、そして日本における緩和ケア病棟での宗教的・スピリチュアルケアのなかの「伝統的宗教言説」は、無宗教を自認する人が多い現代であっても一定の有効性を示しているということ、これらのことをコメントした。
[シンポジウム全体:3時間30分][本人コメント時間:25分]
41 キェルケゴールは反ヘーゲル主義者だったのか?
―彼のヘーゲルへの関わりを再吟味する―
翻訳 2022-09-00萌書房 Jon Stewart, Kierkegaard's Relations to Hegel Reconsiderd, Cambridge University Press, 2003(695pp.)を共訳したもの。第8章「マーテンセンの内在論と『哲学的断片』におけるキェルケゴールの超越」の翻訳を担当。
 本書において原著者は、これまでの通説とは異なり、キェルケゴールの批判はヘーゲル自身に向けられたものではなく、当時のデンマークのヘーゲル主義者たちに向けられたものであることを明らかにし、またある点においてはヘーゲル哲学に直接に影響を受けていることも示している。
[総頁数920頁][本人担当369頁〜414頁]
42 宗教意識の揺らぎ 口頭発表 2023-09-09第82回日本宗教学会学術大会 パネル発表「人口減少地域における「宗教意識」の揺らぎ」(パネル代表者:木越康)において、「宗教意識の揺らぎ」というタイトルで、岐阜県山間部に移住してきた3人へのインタビューから得られた宗教意識について発表した。三者三様の宗教意識だが、総じて伝統仏教(当地は真宗地域)にとらわれず、神社とも地域の人的つながりの一つとして関わっている姿が窺えた。既存の宗派的な文脈にとらわれないスピリチュアルな実践がなされていることも確認された。
[発表時間 15分][パネル全体の時間 100分]
以上42点

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