教育研究業績の一覧

木越 康
A 教育業績
教育実践上の主な業績 年月日概要
1 教育内容・方法の工夫(授業評価等を含む)
1 人間学Ⅰ 2010-04-00 ~ ブッダの生涯と思想を、地図やインドの現地写真、経典の言葉などを用いてパワーポイント教材を作成した上で講義した。毎年写真や資料を入れ替え、バージョンアップ版を作成し、授業に活用している。
2 「浄土経典を読む」講義における『観無量寿経』定善十三観のパワーポイント作成 2010-09-00
~2010-03-00
『観無量寿経』では、浄土観察の方便として、日想観~雑観に至る十三観が説かれる。パワーポイントで各観を再現し、実際に「観察行」を進める形で講義を行った。
2 作成した教科書、教材、参考書
1 大学導入科目用共通教材(『「学び」の発見』2005年度版)の作成を担当 2005-03-00
~2005-07-00
 2005年度より、大谷大学では第1学年必修科目として「「学び」の発見」を導入した。同科目は、高校教育からの転換と、大学教育への接続のための基礎教育科目であり、自らの知的好奇心(問い)に促されて行われる大学での「学び」へのすみやかな導入を目的としたものである。
 同科目は、全学科共通科目であり、大学院生をTAとした25~30名程度の少人数クラス体制で実施されている。主に4つの実践作業を行いながら、図書館等の研究施設を利用し、大学における「学び」を経験してもらう。本テキストでは、それぞれの実践内容や指導法、月間計画等を詳説した。
2 大学導入科目用共通教材(『「学び」の発見』2006年度版)の作成を担当 2006-03-00
~2006-07-00
2005年度より、大谷大学では第1学年必修科目として「「学び」の発見」を導入した。同科目は、高校教育からの転換と、大学教育への接続のための基礎教育科目であり、自らの知的好奇心(問い)に促されて行われる大学での「学び」へのすみやかな導入を目的としたものである。
 本テキストは、2005年度実施の同科目の問題点を検討し、改良を加えたものである。2005年度には25~30名程度のクラスであったものを、さらに20~25と小クラス化し、実践の際の利用施設も、図書館のみから、共通研究室等を使用することとした。それぞれの実践内容や指導法、月間計画等を詳説したものである。
3 大学導入科目用共通教材(『「学び」の発見』2007年度版)の作成を担当 2007-03-00
~2007-07-00
2005年度より、大谷大学では第1学年必修科目として「「学び」の発見」を導入した。同科目は、高校教育からの転換と、大学教育への接続のための基礎教育科目であり、自らの知的好奇心(問い)に促されて行われる大学での「学び」へのすみやかな導入を目的としたものである。
 本テキストは、2006年度実施の同科目の問題点を検討し、改良を加えたものである。2005~2006年の2年間では4つの実践内容を行ったが、2007年度からは口頭発表を念頭に置く新たな実践を加え、5つの実践作業を行う内容とした。本テキストは、それぞれの実践内容や指導法、月間計画等を詳説したものである。
4 テキスト「大谷大学で学ぶ―建学の精神ー」の作成 2014-03-31 ~ 大谷大学の建学の精神を学習するテキスト。大谷大学の「建学の精神」をもっとも具体的に表現したのが、初代学長清沢満之の「真宗大学開校の辞」と第三第学長佐々木月樵の「大谷大学樹立の精神」である。前者は真宗大谷派が東京に「大学」を開校した際に語られた言葉であり、後者は1918年に発令された「大学令」に基づく大学として京都への移転を遂げた大谷大学が新しい学制のもとでいかに存立するのかを確認したものである。テキストは学生・教職員全体に対する自校教育資料として新たに開発したものである。全体の編集および10-13頁・16-23頁の両訓示に対する解説の執筆を担当した。
授業に実際に使用した教員から情報を収集し、年内に改訂版を作成する。(総頁31)
5 仏教と人間教育そして真宗 2021-02-01 ~ 真宗教育シリーズ7.真宗大谷派関係学校教職員の研修会での講義をもとに、「真宗教育」について概要をまとめたもの。仏教教育から真宗教育への転換について考察を加えた。総69頁
3 教育方法・教育実践に関する発表、講演等
1 意欲喚起系初年次教育「学びの発見」導入の経緯と問題点 2010-03-07 第15回FDフォーラム第1分科会「2年次以降につながる初年次教育」で、大谷大学における初年次教育導入の事例を紹介し、学生や教員へのアンケートをもとに、その問題点を指摘した。(30分)
2 大学コンソーシアム京都第20回FDフォーラム「学修支援を問う~何のために、何をどこまでやるべきか~」 2015-03-01 2015年3月1日同志社大学に於て行われた「大学コンソーシアム京都第20回FDフォーラム 「学修支援を問う~何のために、何をどこまでやるべきか~」」の第6分科会にパネリストとして発表とシンポジウム参加。同分科会のテーマは「自校教育を通した「建学の精神」の具現化」であったが、そこで「大学における宗教教育の理念と壁と可能性」と題して発表を行った。大谷大学において、現在、学生への宗教教育の中心を担っている科目である「人間学」を紹介するとともに、建学の理念の具現化の取り組みの中から2014年度から試験的に導入されているテキスト『大谷大学で学ぶ』制作の趣旨と内容を紹介。宗教教育の現状と壁と可能性について、考察を加えた。
4 その他教育活動上特記すべき事項
B 職務実績
1 立命館大学非常勤講師 2007-04-00 ~ 立命館大学文学部に於て、「宗教学(前期)」および「仏教学(後期)」を講義する。
2 学生部長 2008-00-00
~2010-00-00
大谷大学および大谷大学短期大学部学生部長を務める。
3 大谷大学真宗総合研究所指定研究
「建学の精神」教育推進班
2011-04-01
~2013-03-31
大谷大学における「建学の精神」教育の推進を目的とした研究班の研究員チーフを務めた。
4 大学コンソーシアム京都 評議員 2014-00-00 ~ 大学コンソーシアム京都の評議員を務める。
5 教育学生支援担当副学長・文学部長 2014-04-01
~2016-03-31
大谷大学教育学生支援担当副学長及び兼務として文学部長を務める。
6 大谷大学教員免許状更新講習
2014-08-00
~2016-08-00
宗教と社会との関係の基礎を講義するとともに、特に現代的宗教(新新宗教)に注目することを通して、新たな宗教へと向かう背景ともなる青年の「心の病」の問題について講義した。
7 大谷大学教員免許状更新講習
2015-08-01 西欧的近代化に対する反動として注目を集める宗教回帰現象(1970年代以降)は、青年の現代社会へのポストモダンの衝動としても理解される。現代的宗教に注目することを通して、宗教へと向かう背景ともなる青年の「心」の問題について講義した。
8 学長 2016-04-01
~2023-03-31
大谷大学・大谷大学短期大学部学長を務める。
9 真宗総合研究所・特定研究「新しい時代における寺院のあり方研究」の研究代表

2017-04-01 ~ 特定研究「新しい時代における寺院のあり方研究」において研究代表を務める。

10 大学コンソーシアム京都 副理事長 2018-04-01 ~ 大学コンソーシアム京都の副理事長を務める。
11 カリフォルニア大学バークレー校 客員研究員 2022-04-01
~2023-03-31
客員研究員を務める。
C 学会等及び社会における主な活動
所属期間及び主な活動の期間 学会等及び社会における主な活動
1 1990-00-00~0000-00-00 日本印度学仏教学会会員
2 1991-00-00~0000-00-00 日本宗教学会会員
理事(2016-)
3 1994-00-00~0000-00-00 日本仏教学会会員
理事(2020-)
4 1995-00-00~0000-00-00 真宗連合学会会員
5 1997-00-00~0000-00-00 真宗教学学会会員
6 1999-00-00~0000-00-00 国際真宗学会会員
7 2008-00-00~0000-00-00 European Association of Japanese Studies (ヨーロッパ日本研究協会)
D 研究活動
著書、学術論文等の名称単著、
共著の別
発行又は
発表の年月
発行所、発表雑誌等
又は
発表学会の名称
概要
Ⅰ著書
1 キリシタンが見た真宗共著 1998-04-00東本願寺出版部 十六世紀中期から十七世紀中期にかけて日本でキリスト教布教に従事したイエズス会宣教師たちが書き残した文書(キリシタン文書)を通して、当時の一向宗の様子を解明しようとしたもの。総285頁〈本人担当分77頁(p82〜138/p190〜211)〉共著者:武田武麿、木越康、御手洗隆明、藤原正寿、狭間芳樹
2 親鸞の念仏共著 2000-03-00『仏教とキリスト教の対話』法蔵館 ドイツのマールブルク大学の福音主義神学部と、大谷大学との共同研究「仏教とキリスト教-浄土真宗と福音主義神学-」において発表したものを原稿化。福音主義神学における「信仰のみによって」と、親鸞思想の根幹をなす「ただ念仏」を比較する。ドイツの神学者に親鸞思想の主要概念を紹介することを目的として作成したものである。総311頁〈本人担当分15頁(P66~80)〉共著者:ハンス-マルティン.バールト、マイケル.パイ、箕浦恵了、訓覇テル雄、寺川俊昭、クラウス.オッテ、クリストフ.ゲストリヒト、安冨信哉、ヴォルフガング.ネートヘーフェル、木越康、宮下晴輝、ゲルハルト.マルセル.マルティン、児玉暁洋、デートリヒト.コルシュ、高田信良、シモーネ.ハイデッガー、門脇健、加来雄之、大河内了義
3 「実践神学」から「真宗学」への問いかけ共著 2003-12-00『仏教とキリスト教の対話Ⅱ』法蔵館 2000年3月に発刊された『仏教とキリスト教の対話』の続編。「真宗」と「社会」との関係を、宗教的実践という視点から考察したもの。信仰者と社会との関連について、真宗学では、キリスト教における「実践神学」のような意味と質で研究されることは皆無である。本論では、キリスト教における「実践神学」の位置や「教会論」などを参考にしながら、「実践」の課題を真宗学的に位置づけてみた。総296頁〈本人担当分21頁(P257~277)〉共著者:ハンス-マルティン.バールト、木越康、マイケル.パイ、箕浦恵了、寺川俊昭、長谷正当、安冨信哉、宮下晴輝、ロバート.フランクリン.ローズ、ゲルハルト.マルセル.マルティン、門脇健、大河内了義
4 真宗教学と近代化ー浄土理解をめぐる論争からー共著 2004-03-00『仏教とキリスト教の対話Ⅲ』法蔵館 大谷大学とドイツ・マールブルク大学との共同研究の記録『仏教とキリスト教の対話』最終巻。「世俗化からの挑戦に直面する仏教とキリスト教」という共通テーマに対して、「真宗教学と近代化ー浄土理解をめぐる論争からー」という主題で応えたものである。具体的には野々村直太郎『浄土教批判』と金子大栄『浄土の観念』を取り上げた。総281頁〈本人担当分18頁(P107~124)〉共著者:ハンス-マルティン.バールト、マイケル.パイ、箕浦恵了、寺川俊昭、クラウス.オッテ、安冨信哉、ヴォルフガング.ネートヘーフェル、宮下晴輝、ゲルハルト.マルセル.マルティン、木越康、ヨッヘン-クリストフ.カイザー、門脇健、大河内了義、吉田孝夫、村山保史、ラインハルト.ヘンペルマン
5 『正像末和讃』を読む単著 2005-06-00真宗大谷派大阪教区 親鸞作『正像末和讃』の講義ノートをもとに原稿化したもの。『正像末和讃』は、親鸞八十六歳ごろの作と言われる。同じく親鸞作の『浄土和讃』『高僧和讃』とあわせ、「三帖和讃」として一般に親しまれている和語による仏教讃嘆の詩である。七十六歳ごろに作られたといわれる他の二和讃が「伝承」の和讃と呼ばれるのに対して、「己証」の和讃であるとされる。ここでは『正像末和讃』全体の構成に注目しながら、その製作の動機とそこにあらわれる晩年の親鸞思想を解明した。総281頁
6 近代仏教の二大主義 -境野黄洋と清沢満之ー共著 2009-03-20『揺れ動く死と生』晃洋書房 日本仏教の近代化に大きな役割を果たした境野黄洋と清沢満之について、両者の仏教近代化の意図の違いについて考察を加えたものである。特に「世俗化」をキーワードとして2人の宗教再構築の態度を比較検討した。総250頁〈本人担当分15頁(p151〜165)〉共著者:門脇健、ジャン.ボベロ、マイケル.パイ、木場明志、セヴリーヌ.マテュー、藤枝真、村山保史、馬場寛、ハルトムール.ロータモンド、木越康、井上尚実、ジャン=ポール.ヴィレーム、阿部利洋、田辺繁治、杉村靖彦
7 ボランティアは親鸞の教えに反するのか―他力理解の相克ー単著 2016-03-11法蔵館 東日本大震災発生後、多くの人々が復興支援活動に奔走する中、親鸞思想に大きな影響を受ける人、あるいは真宗や浄土真宗と呼ばれる仏教教団になにがしかの形で関係をもつ人々の間で、一つの疑問が提示されていた。それは、他力を本質とする親鸞思想と、自らのボランティア活動との整合性の問題である。
 本書では、仏教と社会関与、キリスト教と社会関与の問題を整理した上で、真宗と社会関与について考察を加え、これらの活動を躊躇させるようなものとしてある真宗理解が誤りであることを明らかにした。総160頁
8 『後世物語聞書』聴記単著 2017-07-05東本願寺出版部 親鸞が「よきひとびと」の一人と仰いだ隆寛律師の思想を収めた『後世物語聞書』に関する研究書。同『聞書』は、親鸞がたびたび書簡で門弟たちに読むように勧めたものであるが、2~3点を除いてこれまでほとんど研究されたことがない。隆寛や親鸞が法然から継承しようとした浄土教思想がよく表現され、親鸞の『教行信証』への影響も多くみられるため、親鸞思想を研究する上では重要な位置にあるものと思われる。本書では、善導や法然、さらには他の浄土教理解の伝統に立つ弁長や良忠などの思想と比較する中から、同聞書が親鸞に影響を与えた浄土教思想の特徴的側面を明らかにしたものである。総177頁
9 死者/生者論 ―傾聴・鎭魂・翻訳ー共著 2018-03-10ペリカン社 「東日本大震災」の被災者(生者)の声と、犠牲になられた方々(死者)の声とを聞き取ろうとした、宗教学者・歴史学者などによる共著。「死んだら終わりですか?-慈悲のかわりめー」というタイトルで寄稿した。犠牲となった息子と今も共に生き続ける一人の母親の言葉(死んだら終わりですか?)から、『歎異抄』を改めて読み直したもの。臨床的仏教研究試論。磯前順一、山形孝夫、高橋原、金沢豊、木越康、鈴木岩弓、佐藤弘夫、加藤智也、寺戸淳子。総398頁 本人担当分29頁(114 -143頁)
10 仏教と人間教育、そして真宗 単著 2021-00-00東本願寺出版部 真宗大谷派学校連合かにおける新任教職員研修会における講義録ノートをもとに書き下ろしたもの。「真宗教育シリーズ7」として発刊された。「真宗」に基づく人間教育について、一般的な教育及び仏教教育とは異なる視点を論じたもの。総69頁。
以上10点
Ⅱ学術論文
1 大行の開示する仏道-諸仏称名についての一考察-単著 1989-12-00『大谷大学大学院研究紀要』第6号大谷大学大学院 『大谷大学大学院研究紀要』第6号「称無碍光如来名」を、独自に「大行」として顕揚する親鸞の思想的背景について尋ねたものである。『教行信証』「行巻」に引かれる『十住毘婆沙論』を中心として、念仏者において「諸仏」とはいかなる意味を持つものであるかについて考察した。25頁(3~27頁)
2 親鸞における「われら」の自覚単著 1990-12-00『印度学仏教学研究』第39巻第1号日本印度学仏教学会 これまでの「大行」研究と、それによって明らかにされた「諸仏」観をもとに、親鸞において「われら」として語られる念仏共同体が、いかなる思想的背景を持ったものであるかについて尋ねたものである。2頁(189~191頁)
3 真宗教団の原理-親鸞における同朋の自覚-単著 1991-09-00『親鸞教学』第58号大谷大学真宗学会 「具縛の凡愚・屠沽の下類」を積極的に「われら」として語る親鸞をもとに、「同朋」「同行」として捉えられる念仏共同体の誕生の原理と共同体としての主体的自覚について尋ねたものである。18頁(34~51頁)
4 真宗教団の原理-安田理深における教団論の展開-単著 1991-12-00『印度学仏教学研究』第40巻第1号日本印度学仏教学会 雑誌『真人』における安田理深の諸説を概観することを通して、真宗教団の存在意義を親鸞思想によって位置付けていった安田の教団観を考察したものである。4頁(233~236頁)
5 真宗教団論-安田理深における教団論の展開-単著 1993-01-00『親鸞教学』第61号大谷大学真宗学会 キリスト教における教会概念を導入して、真宗教団を「ゲマインデ(実存共同体)」として明らかにしようとする安田理深の教団論の展開を追ったものである。17頁(55~71頁)
6 真宗教団論序説-宗教意識の変容と真宗教団近代化の焦点-単著 1993-03-00『私学研修』 №133私学研修福祉会 近代化が宗教世界にもたらした影響を概観することを通して、大谷派真宗教団における近代化の特性を明らかにすることを目的とするものである。本論では特に、西欧的近代化に対する反動として注目を集める現代の宗教ブーム(1970年代以降)に焦点を当て、それを通して真宗教団の現代における独自の存在意義について考察を加えたものである。16頁(21~36頁)
7 現代宗教と真宗-「浄土真宗」の課題-単著 1995-07-00『親鸞教学』第66号大谷大学真宗学会 本論は、「現代的宗教(新新宗教)」というものがいかなる性格のものであり、それがどのような理由によってブームと言われるほど現代人の関心を呼んでいるのかということについて考察し、それによって「現代人」が直観的に感じ取っている現代特有の危機意識を明らかにすることを目的とした。それを受けて、親鸞思想が、どのような課題を現代社会の中で担うかについて尋ねてみた。つまり、親鸞思想の持つ現代的意義について再考し尋ねることを目的としたものである。16頁(34~P49頁)
8 信仰的主体の確立-宗教の個人化の問題をめぐって-単著 1996-01-00『真宗研究』第64輯
真宗連合学会
「宗教の個人化」とは、近代的な社会制度の発展が、宗教の社会における活動領域を縮小させ、宗教はさまざまな社会的領域から隔離された私的世界においてしか、その活動領域を保ちえないという指摘である。これはつまり「信仰的主体の確立」は、現代的社会状況においてはきわめて個人的でしかありえず、公的世界とは無関係な、私的領域でのみ意味を持ちうるものであるということを言うものである。本論では、このような「個人化」「私的領域化」という問題に対して、どのように仏教が応答していくのかについて考察を加えてみた。14頁(28~41頁)
9 真宗教団と蓮如単著 1998-04-00『蓮如の世界』大谷大学 長い宗教の歴史の中で、宗教思想と信仰共同体(教団)が、矛盾なく共存共栄の関係を維持することは極めて稀である。それは、宗教思想が「聖」に属する部分であるならば、教団はそれに対して、常に「俗」なる面に属するものとみなされるからである。教団化は、宗教思想の一種の堕落であるともみなされるのである。そのような中で、蓮如という人物が真宗教団にもたらした繁栄の中味について、再検討した。22頁(420~441頁)
10 はじめに僧伽ありー真宗における教団論の位置ー単著 1998-10-00『真宗教学研究』第19号真宗教学学会  真宗学では、キリスト教神学において教会論として位置づけられるような学問分野が欠如していることが指摘される。本論では、安田理深とカール・バルトの「教団」にまつわる諸説を考察することを通して、真宗学の立場から、真宗における「教団論」の位置について確かめてみた。13頁(50~62頁)
11 蓮如と真宗教団 -『キリシタン文 書』によりながら-単著 1999-03-00『親鸞教学』第73号大谷大学真宗学会 十六世紀中期から十七世紀中期にかけて、日本でキリスト教布教に従事したイエズス会宣教師たちが書き残した文書(キリシタン文書)を通して、当時の一向宗の様子を見ていくことをねらいとした。19頁(31~49頁)
12 The Postmodern and   Shin Buddhism単著 1999-12-00『Pure Land』No.16国際真宗学会 現代様々な場面で指摘されるポストモダンの問題は、真宗においても大谷派近代教学批判を内に含みながら展開されている。それは、近代的合理主義精神への反省と批判とを踏まえて「あの世」の概念の復活を提唱する形で、たとえば梅原猛氏等によって展開されている。本発表では梅原の指摘を中心としながら「あの世」の再発見という形で言われる真宗ポストモダン論に批判を加えながら、今後の真宗におけるポストモダンを考えていく方向性を模索したものである。7頁(59~65頁)
13 "Sola fide und das nembutu. Die Begegnung von Jodo Shinshu mit dem Christentum"単著 2000-00-00『Buddhismus und Christentum』EB-Verlag Hamburg (in Germany) 第三回ルドルフ・オットーシンポジウム「仏教とキリスト教との対話」での基調発表"Sola fide und das nembutu. Die Begegnung von Jodo Shinshu mit dem Christentum"を収載。『仏教とキリスト教との対話』(法蔵館)として出版されている日本語原稿のドイツ語翻訳原稿。13頁(39~51頁)
14 ポストモダンと真宗-「あの世」を再び超えて-単著 2000-04-00『大谷學報』第79巻第2号大谷学会 現代、さまざまな場面で、ポストモダンの運動が話題となっている。その動きは当然宗教の世界、特に真宗においても同じことである。日本における真宗ポストモダンの運動は、近代における経験科学にもとづく合理主義精神に対する反省と批判を踏まえて「あの世」の概念の復活や「霊魂」の再評価の流れが表面上主流となっている。ここでは、これらの真宗ポストモダン像を検証しながら、今後の真宗学の課題について考察を加えた。17頁(22~38頁)
15 真宗(もしくは真宗学)における「実践学」の可能性単著 2002-03-00『親鸞教学』第79号大谷大学真宗学会 1999年5月、ドイツ・マールブルク大学においてシンポジウム「仏教とキリスト教ー浄土真宗と福音主義神学」での発表を論文化したもの。特に「宗教間対話」の問題と、真宗における「実践学」の可能性について考察を加えたものである。22頁(13~34頁)
16 "Shin Buddhist Doctorinal Studies and Modernization."単著 2004-00-00『Buddhismus und Christentum vor der Herausforderung der Säkularisierung』EB-Verlag (in Germany) マルティン・バルト、マイケル・パイ、箕浦恵了,門脇健共編書。「世俗化の挑戦を前にした仏教とキリスト教」というテーマで開催された2003年のマールブルク大学におけるシンポジウムの記録。同シンポジウムにおける発表原稿"Shin Buddhist Doctorinal Studies and Modernization."を掲載している。13頁(89~101頁)
17 真宗教学の近代化と現在ー浄土理解の変遷を通してー単著 2004-03-00『親鸞教学』第82・83号大谷大学真宗学会 いわゆる「近代教学」の伝統に立つ浄土理解に関して、近年、歴史学や哲学の立場などからさまざまな批判が寄せられる。「近代教学」はそれ以前にあった浄土理解をどのように受容し、現在我々はそれをどのように継承しようとしているのか。さらには今後、それはどのように再確認されるべきであるのか、検討を加えた。19頁(50~68頁)
18 真宗学と「教化」の学ー大谷大学「宗教教化学研究会」に学ぶー
単著 2005-06-00『真宗教学研究』26真宗教学学会
キリスト教神学における「実践神学」に相当する「実践真宗学」を模索した一つの事例として、大谷大学内に設置された「宗教教化学研究会」に注目した。真宗における実践学模索の過去を振り返ると共に、「実践真宗学」の可能性について考察した。15頁(28~41頁)
19 "Liberation through the Awareness of One's Evil as the Shin Buddhist Path"単著 2007-00-00 『Innerer Fiede und die Überwindung von Gewalt』EB-Verlag(in Germany) マルティン・バルト、クリストフ・エルザス共編。「心の平和と暴力の克服」のテーマで開催された第5回ルドルフ・オットー・シンポジウムの記録。発表原稿"Liberation through the Awareness of One's Evil as the Shin Buddhist Path"を収載。「悪人成仏」の思想から導き出される「平和」について考察した。12頁(250~261頁)
20 真宗における「内的平和と暴力の克服」-第五回ルードルフ・オットーシンポジウムよりー単著 2007-03-10『親鸞教学』88号大谷大学真宗学会 2005年5月、ドイツのマールブルク大学で「内的平和と暴力の克服―試練に立つ諸宗教の伝統―」のテーマのもとでシンポジウム が開催された。同シンポジウムに、親鸞思想の立場から「真宗における「悪の自覚」と救済」(Liberation through the Awareness of One's Evil as the Shin Buddhist Path)という題目で発表を行った。当日の発表原稿(英語版)を日本語訳して修正を加えた。19頁(17~36頁)
21 真宗教学の近代化にみる「真宗」学の課題

単著 2008-03-00『親鸞教学』90号大谷大学真宗学会 2006年度大谷大学真宗学会大会講演録に加筆したもの。日本における近代化が「真宗」学にもたらしえた影響について考察を加えたものである。特に「浄土の実在」に対する疑いの問題を中心に扱った。23頁(62~84頁)
22 「悪人正機」の人間教育単著 2008-08-00『大谷大学教職支援センター研究紀要』第3号 親鸞思想をある意味象徴的に語るものとして「悪人正機」説がある。本論文では、その思想が持つ人間教育への可能性について考察を加えた。18頁(129-146頁)
23 The Position of the "Study of Praxis" in Shin Buddhist Doctrinal単著 2008-12-00『The Pure Land』No.24(International Association of Shin Buddhist Studies)  真宗教学においては、キリスト教神学における「実践神学」に相当する研究分野は未開の状態にある。それは、真宗教学が「教団論」をもたず、真宗における教団の存在意義が未確認であることに起因するものと考えられる。
 近年、社会的な諸問題と親鸞思想あるいは真宗教団の関係を見直そうとする反省的動きもみられる。本論文では、実践神学を通して見えてくる真宗における実践学欠如の問題について検討を加えた。13頁(177~189頁)
24 野々村直太郎と「浄土教革新」論
単著 2010-01-30『真宗研究』54 真宗連合学会
野々村直太郎の「浄土教革新」に関する論の展開に注目することを通して、一般的には、浄土教思想の破壊者であるとみなされる野々村の真意が、浄土教の近代的再建にあったことを明らかにしたもの。特にここでは、真宗の僧侶ではなく、宗教学者野々村としての発言の意図を中心に尋ねた。20頁(55~74頁)
25 信心発起という出来事―法然・隆寛との思想的交流を通して-単著 2011-08-25『『教行信証』の思想』』筑摩書房 親鸞聖人七百五十回御遠忌記念論集『『教行信証』の思想』所収。親鸞における「信心」の発起について考察を加えたものである。特に、親鸞に大きな影響を与えたと考えられる兄弟子隆寛の思想に注目し、「信心発起」という出来事に関する詳細な思索の展開をたずねた。それにより、後に『教行信証』などで「回向成就の信」として語られることになる親鸞の独創的信心理解の解明を図った。28頁(87~114頁)
26 親鸞と末法(上)単著 2012-03-16『親鸞教学』99号大谷大学真宗学会 親鸞において「末法」という時代認識は、いかなる意味を持ったのか。浄土教思想の発展は、正像末の三時にわたる仏教衰退思想、なかでも特に末法意識の定着との関連の中で理解されることが多い。しかし親鸞は「浄土真宗は、在世・正法・像末・法滅、濁悪の群萠、斉しく悲引したまう 」と述べ、法然から「真宗」として伝承された浄土教思想が、末法濁世のための傍教ではなく、釈尊出世本懐の教えであると理解した。本論文ではこのような親鸞の浄土教観について、特に末法との関連から尋ねたものである。22頁(40~60頁)
27 改めて、親鸞における「自力と他力のあわい」単著 2012-04-01公共哲学京都フォーラム「公的良識人」第245号 竹内整一氏主催の第107回公共哲学京都フォーラム「自力と他力のあわい」での討議への応答。「改めて、親鸞における「自力と他力のあわい」」と題し、フォーラムでの議論を受けて、親鸞における「自力と他力のあわい」の問題について改めて考察したもの。特に、フォーラムで話題となった思想が生み出される「大地性」を重視した上で、親鸞における他力思想の背景を尋ね、「慙愧」が重要な意味を持つことに注目した。(4024文字)
28 親鸞と末法(下)単著 2012-12-20『親鸞教学』100号大谷大学真宗学会 親鸞には「在世・正法・像末・法滅」全時に開かれてあるものとしての「浄土真宗」の確かめと、「末法五濁」という事態に特別な意味を持つ「浄土真宗」の確かめと、「時」に関して二つの視点がある。この二つの確かめの契機は、不一不離の関係にあって、親鸞独自の浄土真宗観にとって重要な役割を果たすものと理解される。「親鸞と末法(上)」に続き、ここでは「末法」に関して、親鸞が「浄土の真宗は、証道いま盛なり」と語る意図を尋ねた。21頁(18~38頁)
29 True Disciple of Buddha in Contemporary Society, Through Shinran’s Perspective単著 2013-00-00『The Pure Land』No.27』(International Association of Shin Buddhist Studies)
親鸞の『正像末和讃』を通して、現代社会における真仏弟子像について考察した。特に親鸞が末法における仏弟子像をあきらかにする思想を背景に、本願と仏弟子の関係について論じたもの。10頁(73~82頁)
30 他力の信心ー親鸞の仏弟子観ー単著 2013-07-00『信仰とは何か(一)』日本仏教学会 日本仏教学会2012年度学術大会での発表をもとに原稿化したもの。親鸞は「仏弟子」に関して、他力の信心を得た者を「真仏弟子」とし、それ以外の者を「仮」もしくは「偽」として対峙させる。本発表ではこのような主張の意図を、特に法然から親鸞へと継承された信心理解の問題を中心に検討した。29頁(1~29頁)
31 親鸞における「信心発起という出来事」
ー「迴向発願心」解釈を中心としてー
単著 2014-06-30『大谷大学研究年報』第66集 大谷学会 親鸞における信心発起がどのような出来事であったのかを、可能なかぎり詳細にすることが著者の近年の関心である 。本論は、その考察の一端として『観無量寿経』に説かれる「廻向発願心」の了解をめぐって、善導から法然、隆寛へと継承される思索に注目し、それらが親鸞の信心理解に与えた影響を明かにしたものである。65頁(1~65頁)
32 Symposium: Pure Land Faith-Christian Faith, A few Questions about Dialogue and Faith 共著 2015-00-00The Eastern Buddhist vol.46,No1 ドイツのマールブルク大学と大谷大学との共同研究「仏教とキリスト教との対話」活動の中から、「信仰」と「宗教間対話」に関するいくつかの問題点を指摘したものである。
33 臨床仏教としての親鸞思想単著 2015-03-20『親鸞教学』104号大谷大学真宗学会 2013年度大谷大学真宗学会大会での発表に、資料と新たな項目からなるいくつかの章を加えたもの。鷲田清一は、専門領域において蓄積された高度な知識を基本原理とし、そこに拘束されるようなものとしてある「哲学」を、「臨床哲学」という視点から批判的に問い直そうとする。本論も、同じ視点から真宗教学の学的方法の問題点を検証したものである。『教行信証』などに表現される親鸞思想そのものが、そのような意味での「臨床仏教的思索」の中から生まれたものであることを明らかにした上で、真宗学における臨床的思索の重要性を確認しようとした。31頁(47~78頁)
34 仏教社会福祉と災害支援―将来の災害支援に向けてー共著 2015-09-30『日本仏教社会福祉学会年報』第46号 日本仏教福祉学会 同朋大学において行われた日本仏教社会福祉学会第49回大会テーマ「災害支援と仏教社会福祉-将来の災害支援に向けて-」における発表の記録。ボランティア活動と親鸞思想との理念的整合性の問題について、実際の活動を紹介しながら考察を加えたもの。親鸞には「自力の心をひるがへしすつる」や「聖道の慈悲」に関する限界性の発言など、一見「ボランティア的活動」を否定するかのように見受けられる思想があると指摘されるが、そのような理解が誤りであることを明らかにするための試験的発表の記録。12頁(31~42頁)
35 地域社会と寺院の抱える問題点の研究-課題と分析視角- 共著 2018-03-31『大谷大学真宗総合研究所研究紀要』第35号 真宗総合研究所・特定研究として2017年度新たに立ち上げた「新しい時代における寺院のあり方研究」研究班が、どのように調査研究をすすめているのかについて、現状を報告した。大都市圏への人口集中と地方市町村の過疎化、加えて極度の少子化とそれによってもたらされる超高齢社会到来の予測は、日本の未来に暗い影を落としている。これに伴い日本の宗教事情も大きな変化をみせているが、本研究では特に仏教について、過疎地域に取り残された寺院の調査を行うことによって解体の危機に瀕する仏教的伝統の現状について調査を行っている。本論文では研究目的の執筆と全体の編集を担当した。[総頁数21頁]
36 「如来廻向」思想の萌芽に関する一考察 単著 2019-03-15『親鸞教学』111号大谷大学真宗学会 親鸞思想の核心とその特殊性を最も象徴するのが「如来廻向」である。主著『教行信証』には「浄土真宗」の大綱として如来の「二種の廻向」が掲げられ、浄土真宗の教行信証の利益のすべては「如来の大悲廻向」によって成立するものであるとされる。本論は、このような親鸞の如来廻向思想がどのような思索を通して表れてきたのか、その発端を明らかにすることにある。言わば「如来廻向」思想の萌芽を尋ねる試みである。総21頁(1~21頁)
37 過疎地域と寺院のあり方に関する総合的研究 共著 2021-03-00『大谷大学真宗総合研究所研究紀要』第38号 2017年から2019年度にかけて、大谷大学真宗総合研究所において特定研究「新しい時代における寺院のあり方研究」班が立ち上げられた。本論は、その研究の成果の報告として、4名の研究員によって執筆されたものである。それぞれ、①真宗的宗教学・②歴史学・③社会福祉学・④宗教人類学の視点からの報告であるが、著者は①の立場から、調査対象者たちの特に「死」を巡る宗教的意識の動向について報告した。冊子版『『研究紀要』には要旨を、フルペーパーは大谷大学学術情報リポジトリに掲載されている。総28頁(本人担当19-26頁)
38 死んだら終わりですか?ー臨床仏教ということー単著 2021-03-00『宗学院論集』第93号(浄土真宗本願寺派宗学院) 「臨床仏教」としての真宗学の序説。浄土真宗本願寺派宗学院での研修会における講義をもとに、真宗学的「臨床仏教」について考察を加えたもの。実際の臨床経験を通して筆者が「臨床仏教」に注目した経緯を述べたうえで、西田幾多郎や野々村直太朗などの思想との関連から、真宗学的臨床仏教についてまとめたもの。総41頁(57-97頁)
39 隆寛律師『具三心義』読解(上) 単著 2022-03-15『親鸞教学』115号大谷大学真宗学会 筆者は近年、隆寛律師作と考えられる著述を手掛かりに、親鸞の他力思想の萌芽を尋ねるとともに、隆寛と親鸞の思想交流について考察を加えてきた。特に直近の拙論「如来廻向思想の萌芽に関する一考察」では、親鸞思想の核となる「如来廻向」について、『具三心義』にみられる思想的萌芽に検討を加えた。本論では三段に分けられる『具三心義』の初段である「総明三心義」に注目して概略を明らかにする。この段には、拙論「如来廻向思想の萌芽に関する一考察」で扱った内容も多く含まれるが、初段全体にわたる議論を通読することによって、親鸞思想との呼応に関する理解が深められると考えるため、泛を厭わず全体にわたる読解を行った。総21頁(1~21頁)
40 隆寛律師『具三心義』読解(下) 単著 2022-12-15『親鸞教学』116号大谷大学真宗学会 三段に分けられる『具三心義』の初段である「総明三心義」に注目して概略を明らかにすることを目的とする論文の「下」。全体にわたる議論を通釈することを通して隆寛と親鸞思想との呼応関係に注目することを目的とする。総24頁(1~24頁)
41 Recent Trends Concerning the Issue of 'Buddhism and Practice’in Cntemporary Japan 単著 2023-02-03Journal of East Asian Cultures ハンガリー・ブタペストのエトヴェシ・ロラーンド大学(ELTE)で開催されたシンポジウムでの発表を原稿化したもの。同シンポジウムではさまざまな仏教的立場から「実践」もしくは「行」の問題が議論されたが、ここで論じたのは、伝統的な仏道修行に関してではなく、仏教における社会的実践の問題である。これまでしばしば仏教者の社会的実践に関しては、その消極性が批判されてきたが、本論ではその原因を歴史を論じたうえで、新しい現代的な動きについて紹介した。

42 他力成就の風に任す①ー『具三心義』至誠心釈の「須」の読み方を巡ってー 単著 2024-03-15「親鸞教学」第119号大谷大学真宗学会
先行する拙論で『具三心義』総論部の「大文第一総明三心義」を尋ねたのに続き 、同書本論部にあたる「大文第二別明三心義」の読解を進める。本論文タイトルの「他力成就の風に任す」は、「至誠心」を「真実心」と了解した善導の深意を表現した隆寛の言葉である。親鸞は『教行信証』「信巻」で「真実心」を法藏菩薩の願心と了解するが、『具三心義』で隆寛はこれを「他力成就の風に任す」心と表現し、衆生に成就する如来の「真実」とした。本論ではそのような理解に至る隆寛の思索の跡を訪ねていくが、今回は特に引文中の「須」の読みを巡る問題に焦点を当てる。総19頁(1~19頁)
以上42点
Ⅲ 口頭発表・その他
1 親鸞における「われら」の自覚口頭発表 1990-06-00日本印度学仏教学会第41回学術大会於東北大学 内容については、『印度学仏教学研究』第39巻第1号掲載論文に同じ。
2 真宗教団の原理  -親鸞における同朋 の自覚-口頭発表 1990-12-00大谷大学特別研修員於大谷大学 内容については、論文に同じ。『親鸞教学』第58号掲載
3 真宗教団の原理-安田理深における教団論の展開-口頭発表 1991-07-00日本印度学仏教学会第42回学術大会於仏教大学 内容については、『印度学仏教学研究』第40巻第1号掲載論文に同じ。
4 真宗教団論口頭発表 1991-11-00日本宗教学会第50回学術大会於早稲田大学 内容については、『宗教研究』第65巻第4輯掲載論文に同じ。
5 真宗教団論-安田理深における教団論の展開-口頭発表 1991-12-00大谷大学特別研修員研究発表於大谷大学 内容については、論文に同じ。『親鸞教学』第61号掲載
6 真宗教団論 1992-03-00『宗教研究』第65巻第4輯日本宗教学会 キリスト教教会論の充実に対する真宗教団論の不在が指摘される中で、真宗教団論はいかなる視点に立って展開され得るのであるか。親鸞思想と教団論との連続非連続を視野に入れた上で、試論として一つの方向性を示そうとしたものである。3頁(225~227頁)
7 安田理深の真宗教団論  -安田理深とカール・ バルト-口頭発表 1993-09-00日本宗教学会第52回学術大会於北海道大学
安田理深は『真人』第13号において、バルト(カール・バルト)神学の教会論的視座に注目し、そこでバルトの教会理解に通づる教団論的視点を示している。そこでここでは、安田理深における教団論の展開と、『教会教義学』を中心としたバルトの教会理解を考察することを通して、両者に共通して認められる教団論的視点について明らかにしてみた。(発表20分)
8 信仰主体の確立 -宗教の個人化の問題 をめぐって-口頭発表 1995-06-00真宗連合学会第42回大会於大谷大学 「宗教の個人化」とは、近代的な社会制度の発展が、宗教の、社会における活動領域を縮小させ、宗教は、様々な社会的領域から隔離された私的世界においてしかその活動領域を保ち得ないという私的である。本発表では、そのような状況が指摘される中、真宗者の社会性とは何かについて検討を加えたものである。(発表20分)
9 現代的宗教と真宗ー宗教ブームの中の真宗ー口頭発表 1997-07-00第二回真宗大谷派教学大会 「現代的宗教」とは、「新新宗教」と言われるものを意味する。これは、社会学者西山茂によって命名された、1970年代以降におこった新しいタイプの新宗教を指す。本発表は、「新新宗教」とはいかなる性格のものであり、どのような理由によってブームと言われるほど現代人の関心を呼んでいるのかということについて考察し、「現代人」が直観的に感じ取っている現代特有の危機意識を明らかにすることを目的とした。(発表20分)
10 大谷派なる宗教的精神ポストモダンと真宗 -もう一つの清沢満之批判-共著 1999-00-00清沢満之学習会真宗大谷派宗務所 宗教のポストモダン像を模索する思索の中から、新しい形での清沢満之批判が起こっている。それは近代的合理主義精神に対する反発ないし批判を内に含みつつ、清沢の精神主義運動が生み出した「近代教学」に対する批判という形で展開される。同書では、宗教のポストモダンとして指摘される諸事情に眼を向けながら、清沢批判の根拠について検討し、同批判が持つ問題点と批判から学び取るべき視点とを検討した。42頁(20~61頁)
11 Sola fide und das   nembutsu口頭発表 1999-05-00第3回ルドルフ・オットー・シンポジオン於マールブルク大学 ドイツのマールブルク大学福音主義神学部と大谷大学との共同開催シンポジウム「ルドルフ・オットー・シンポジオン」における発表。福音主義神学における「信仰によってのみ」という思想概念に対応する親鸞思想として「ただ念仏」を検討し紹介。両者の思想を比較することを通して、その類似性と異質性について検討しようとしたものである。(発表30分)
12 The postmodern of  Shin Buddhism口頭発表 1999-08-00第9回国際真宗学会於ハワイ・西本願寺 仏教センター 現代様々な場面で指摘されるポストモダンの問題は、真宗においても大谷派近代教学批判を内に含みながら展開されている。それは、近代的合理主義精神への反省と批判とを踏まえて「あの世」の概念の復活を提唱する形で、たとえば梅原猛氏等によって展開される。本発表は「あの世」の再発見という形で言われる真宗ポストモダン論に批判を加え、今後の真宗ポストモダンを考えていく方向性を模索したものである。(発表20分)
13 「第Ⅲ回ルドルフ・オットー・シンポジウム」に参加して 1999-09-30『親鸞教学』第74号大谷大学真宗学会 1999年5月6日~9日にかけて、ドイツ・マールブルクのフィリップス大学において「仏教とキリスト教ー浄土真宗と福音主義神学」のタイトルのもと「第三回ルドルフオットーシンポジウム」が開催された。仏教者とキリスト教者が、それぞれの立場から神仏・信仰・教団などに関して発表し、対話研究を行った。本論は、キリスト教福音主義神学と真宗を中心とする仏教分野との初めての対話研究の記録である。6頁(134~139頁)
14 真宗と「実践」をめぐる問題口頭発表 2001-07-00第8回真宗教学学会大会於大谷大学 真宗の社会的実践欠落についての指摘は、近代性への反省と批判が起こるにしたがって増大し、今や内外を問わず真宗(真宗学)に対して厳しい要請の声がある。特に1998年2月発行の『南御堂』新聞(真宗大谷派難波別院)には、阿満利麿氏による真宗学の社会性欠落に関する論説が掲載され、教団並びに真宗学者に波紋を呼んだ。本発表では、阿満による批判をきっかけに真宗と「実践」をめぐる近年の動向に注目しながら、真宗と社会との新しい接点を求めようとする動きについて検討した。(発表20分)
15 真宗と「実践」口頭発表 2001-10-002001年度第3回真宗学会例会於大谷大学 親鸞教学の課題として、これまで「実践」が継続して積極的に議論されてきたことはなかった。その理由についてはさまざま考えられるが、端的に言えば「専修念仏」や「他力」など、法然や親鸞思想の根幹をなす諸概念が「実践」という言葉や概念とはなじまないものであることによるものであろう。本発表では「実践」という言葉によって「真宗」と「社会」の関係について考えてみた。(発表30分)
16 異義篇ダイジェスト解説 2002-09-01大法輪閣 特集「『歎異抄』を読もう」のうちの、『歎異抄』異義篇の解説および要約。『歎異抄』著者と言われる唯円によって、親鸞の教えとは異なる諸説を具体的に挙げた異義篇(歎異篇)を解説したうえ、全体にわたって要約を試みたものである。
17 真宗教学の近代化と現在ー浄土理解の変遷を通してー口頭発表 2003-10-00大谷学会於大谷大学 真宗教学において「浄土」をどのように理解し位置づけたらよいのかについて、歴史学や哲学の立場などから、さまざまな批判が投げかけられている。現代真宗教学において展開される浄土理解の主流は、近代初頭における西欧的諸思想との出会いの中から生まれたものであると言える。近代は、それ以前にあった浄土理解をどのように受容し、それは今後どのように再確認されるべきであるのか。西本願寺派の野々村直太郎、大谷派の金子大栄に注目しながら、検討を加えた。(発表30分)
18 ブッダと親鸞-教えに生きる共著 2004-07-00東本願寺出版部 ラジオ放送「東本願寺の時間」用の原稿をまとめて資料を加えたうえで再構成し、出版したもの。8人の担当者(一楽真、織田顕祐、加来雄之、木越康、中川皓三郎、延塚知道、藤嶽明信、三木彰円)による分筆。各人から提出される元原稿に協議しながら修正し作成した。全41回放送分。[総142頁]
19 真宗における「悪の自覚」と救済口頭発表 2005-05-00第5回ルードルフ・オットー・シンポジウム(ドイツ・マールブルク大学) 「内的平和と暴力の克服―試練に立つ諸宗教の伝統―」のテーマのもとで開催されたシンポジウムでの発表。親鸞思想の立場から「真宗における「悪の自覚」と救済」(Liberation through the Awareness of One's Evil as the Shin Buddhist Path)という題目で行った。親鸞において「内的平和」とは「悪の自覚」であり、外に向かっての「暴力の克服」の問題も、このような信仰的自覚に促された内容であることを考察した。(発表30分)
20 日本における近代化と「浄土」理解の問題
 ― 野々村直太郎の浄土教理解を通して ―
口頭発表 2005-09-00第12回国際真宗学会大会(武蔵野大学) 明治から大正・昭和初期にかけ、真宗教学は「西欧的近代思想」と出会い、大きな影響を受けた。この研究は、その時に受けた衝撃を「浄土理解」にまつわる問題を中心に見ていくことを目的とするものである。本考察の最終的な目的は「現代において浄土をどう理解するのか」にあり、さらには「現代人にとって浄土の真宗なる教えは、如何なる意味を持つのか」を尋ねることにあった。(発表20分)
21 真宗教学の近代化にみる「真宗」学の課題
口頭発表 2006-11-00大谷大学真宗学会大会 「真宗教学」にとって「近代化」とは、「真宗」なるものに自己が如何に対面するのかについて、近代的合理精神を重要なファクターとして大きく人々が動揺した経験であった。本発表では、『宗教学要論』や『浄土教批判』などを著し、伝統的信仰の近代化の問題に取り組んだ野々村直太郎の主張を検討することを通して、近代化と信仰の衝突の問題について考察した。(発表60分)
22 真宗教学における「実践学」の位置口頭発表 2007-08-04第13回国際真宗学会大会(カルガリー大学) 「非僧非俗」との立場を明らかにする親鸞は、出世間と世間、自己と他者、個人と社会との二元対立的思考を超えた「和解」の道を人びとに提供しようとしたと考えられる。そのような親鸞の思想を根幹に置く「真宗」は、どのような態度で社会の現実に語りかけようとするのか、本発表ではそれを真宗における「実践学」として考察した。(発表20分)
23 宗教教育、真宗教育とは何か講義録 2008-05-01真宗大谷派学校連合会会報(平成20年度) 真宗を建学の精神として掲げる学園の教職員の研修会での講義録。仏教教育とは何か、真宗教育とは何かについて、真宗学専門の立場、および、大学での教育経験をもとに考察し、講義したものの記録。25頁(93頁~117頁)
24 Where have all the Pure Lands Gone? -The Man Who Would Deconstruct The Pure Landー口頭発表 2008-09-00International Conference of the European Association for Japanese Suudies イタリアのレッチェで行われた"International Conference of the European Association for Japanese Suudies"での発表。日本における宗教の近代化の様相について、野々村直太郎の『浄土教批判』を紹介し、その影響と意義について考察を加えた。(30分)
25 ボランティアと真宗基調講演 2009-02-02真宗大谷派主催「第1回ボランティア研修会」 真宗大谷派宗務所主催の「第1回ボランティア研修会」での基調講演。これまで取り組んできた「実践真宗学」の立場から、真宗教団とボランティアの関係の問題について考察を加えた。(60分)
26 The man who would deconstruct the Pure Land口頭発表 2009-04-09東方仏教徒協会(EBS)公開シンポジウム 2009年イタリアのレッチェで行われた"International Conference of the European Association for Japanese Studies" の報告。同学会での発表を要約したうえで報告した。(発表20分)
27 野々村直太郎と「浄土教革新」論
口頭発表 2009-06-05真宗連合学会学術大会(龍谷大学) 浄土教破壊論として、しばしば非難の対象される野々村直太郎の浄土教革新に関する諸論が、実は宗教学者の立場からなされた浄土教の近代的革新論であると同時に、親鸞回帰を意図したものであることを考察した。(発表20分)
28 近代日本の真宗理解

――野々村直太郎の試み――
口頭発表 2009-07-10龍谷大学仏教文化研究所
「仏教思想の対話的研究」
龍谷大学仏教文化研究所、共同研究「仏教思想の対話的研究」ワークショップでの基調発表(60分)。宗教多元のなかで「仏教」の位置を考えるという研究会の趣旨に基づき、野々村直太郎が果たした「浄土教革新」の意義について、特に「近代化」をキーワードとして報告した。(発表60分)
29 「嘆仏偈」および「正信偈」の解説と現代語訳解説 2009-09-28大法輪(2009年9月号) 「嘆仏偈」および「正信偈」の解説と現代語訳。
日常での勤行に便ならしめるために作成したもの。「嘆仏偈」4頁(98-101頁)・「正信偈」)8頁(110-117頁)
30 The lecture on ”Shosin Nemnbutuge”(1)講義 2010-04-01東本願寺ハワイ開教区 ジョイントリトリート 真宗大谷派ハワイ開教区の開教師達ならびにメンバーに向け、親鸞の著作である『顕浄土真実教行証文類』に収められる「正信念仏偈」の講義を行った。欧米の信者間でも通常「漢文」で読誦される同偈文を、1つ1つの漢字に注目しながら解説を加えた英語による講義の試み。
(60分×3講義)
31 日常的欲求と根源的欲求講演録 2010-08-10真宗大谷派金沢仏教青年連盟出版部 金沢仏青連盟主催の講演会の記録に加筆したもの。阿弥陀仏の本願への帰依を信仰の根本とする親鸞の仏教観について、特に『仏説観無量寿経』を中心として検討を加えた。(総68頁)
32 The lecture on ”Shosin Nemnbutuge”(2)講義 2010-08-28東本願寺ハワイ開教区 ジョイントリトリート 真宗大谷派ハワイ開教区の開教師并びにメンバーに対する「正信念佛偈」講義(英語)の第2回目。「依釈段」と呼ばれる「正信偈」前半部の後段、釈尊と阿弥陀仏の関係について、偈文にしたがって講義した。
(60分×3講義)
33 日本の仏教―親鸞と日本人―
 親鸞聖人の生涯と教え
解説 2011-04-15徳間書店 雑誌「日本の仏教」における親鸞特集記事を執筆。親鸞の生涯を解説したうえで、親鸞思想の現代における意義を考察したもの。親鸞思想を明らかに示すものとして、『歎異抄』数条については、新しい試みに基づく「訳」を作成した。14頁(8-21頁)
34 The True Disciple of the Buddha in Contemporary Society through Shinran's Perspective口頭発表 2011-08-0615th Biennial Conference of Inetrnational Association of Shin Buddhist Studies 国際真宗学会における発表。親鸞思想を背景に、現代における真仏弟子像について考察を加えたもの。特に「五濁」の用語に注目し、現代における五濁の姿をそれぞれ尋ねた上で、「阿弥陀仏の本願」の教えが持つ意味について検討を加えた。(発表20分)
35 The lecture on ”Shosin Nemnbutuge”(3)講義 2011-08-10東本願寺ハワイ開教区 ジョイントリトリート 真宗大谷派ハワイ開教区の開教師并びにメンバーに対する「正信念仏偈」講義の最終回。親鸞における「帰本願」の思想について、「正信偈」の本文に従いながら行った英語による講義。
(60分×3講義)
36 他力という「あわい」―親鸞の悲歎ー口頭発表 2011-12-03第107回公共哲学京都フォーラム  「自力と他力のあわい」という総合テーマに基づく各界研究者(哲学・宗教学・美学・仏教学など)による総合討議での基調発表。
 最晩年の作である和讃で親鸞は、「弥陀の本願信ずべし」と阿弥陀に対する信仰を強く表明する一方で、「浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし」と自らの信仰に対する深い悲歎を綴る。親鸞の信仰は、他力への讃嘆と自力への悲歎の交錯そのものであった。その意味で総合討議のテーマである「あわい」こそ、親鸞の信仰を的確に表現する言葉であるのかも知れない。これについて「親鸞の悲歎」という視点から確かめた。(発表30分)
37 浄土真宗の基礎知識 -教えについてー分担執筆 2012-05-01大法輪 浄土真宗の教えについて、一般にわかりやすく解説したもの。「浄土三部経」「阿弥陀如来」「本願」「浄土はどこにあるのか」「往生とは」「現生正定聚」「往相回向・還相回向」の項目を担当。
38 The Degeneration of Buddhism and the Development of Pure Land Thought口頭発表 2012-08-24EASR(ヨーロッパ宗教学会) Annual Conference University Stockholm 2012 当学会の総合テーマは「終わりとはじまり」であった。これをもとに、親鸞思想から考察を加えた。親鸞において「終わり」が意味するものは「釈迦の教法」と言われる「正法」あるいは「像法」であると考えられ、逆に「はじまり」は「末法」あるいは特に「阿弥陀仏の本願」となると考えられる。このような親鸞の仏教観或は時代認識を『教行信証』や和讚等を通して考察し紹介する試み。(発表30分)

39 他力の信心―親鸞の仏弟子観ー口頭発表 2012-09-13日本仏教学会2012年度学術大会 学会総合テーマ「信仰とは何かー仏弟子ということー」について、親鸞思想の立場から検討を加えたものである。親鸞は「仏弟子」に関して、他力の信心を得た者を「真仏弟子」とし、それ以外の者を「仮」もしくは「偽」として対峙させる。本発表ではこのような親鸞の主張の意図を、特に法然から親鸞へと継承された信心理解の問題を中心に検討した。(発表20分)
40 The Originality of the Understanding of the Mind of Faith in Shinran’s Pure Land Buddhism口頭発表 2013-06-02International Association of Shin Buddhist Studies “The Originality of the Understanding of the Mind of Faith in Shinran’s Pure Land Buddhism”「親鸞浄土教における信心理解の独自性」というテーマでの発表。親鸞浄土教の一つの特徴としてある「他力の信心」を、特に法然思想の継承という側面から考察した。従来親鸞に独自の考えであるとされた信心観が、法然からの影響を強く受けたものであることを明らかにしようとした。(発表30分)
41 臨床仏教としての親鸞思想口頭発表 2013-10-17大谷大学真宗学会大会 「臨床」という言葉は、心理学・教育学・哲学・法学等の学問領域において使用され、「具体的現場を重視する態度」や「現場に積極的に介入する態度」を指す。鷲田清一は、専門領域において蓄積された高度な知識を基本原理とし、そこに拘束されるようなものとしてある「哲学」を「臨床哲学」という視点から批判的に問い直そうとする。本発表では、親鸞思想もまたそのような意味での臨床仏教的思索の中から生まれてきたものであることを明らかにすると共に、真宗学の現在の「学」としてのあり方を反省的に問い直そうとする試みである。(発表60分)
42 日本人の度量共著(序文執筆担当) 2014-02-20講談社+α新書 2012年4月に東京で行われた「親鸞フォーラム」の記録として出版された『日本人の度量―3.11で「生まれ直す」ための覚悟―』に寄せた序文。同フォーラムでコーティネーターと務めた視点から、3.11震災が真宗を中心とする仏教界に与えた影響や、原発事故の問題点を反省的に振り返ることができないでいる日本の状況を明示した上で、本書の内容のもつ重要な意味について紹介した。本編には、姜尚中・高村薫・鷲田清一・本多弘之各氏による講演や発言を収める。8頁(p3~p10頁)
43 豊かな人間性を目指して講演録 2014-03-10京都光華女子大学・光華女子大学短期大学部『真実心』第35集 京都光華女子大学・京都光華女子大学短期大学部において行われた宗教講座での講演録に加筆したもの。仏教の基本的な思想を、特に実践的側面から紹介した上で、そこから親鸞思想への展開を、特に「懺悔」という側面から紹介したもの。37頁(145~181頁)
44 愚禿の名告り講演録 2015-01-20真宗大谷派仙台教区花巻組教化委員会 真宗大谷派仙台教区花巻組教化委員会主催による講演会の記録。東日本大震災をどのような出来事として受け止めるのかを、親鸞思想を通して明らかにしようとしたもの。当日の講演の記録に加筆し、資料を加えたものである。総78頁
45 On Cultivating Spirituality: The Significance of Modern Shin Buddhist Thought and Movement in the History of Religions
〝精神主義″とは何か-宗教史における真宗近代教学の意義-
コメンテーター 2015-06-27大谷大学真宗総合研究所国際仏教研究班主催 「”精神主義″とは何か-宗教史における真宗近代教学の意義-」と題して行われた国際シンポジウムでコメンテーターを務めた。“The Ālayavijñāna in Soga Ryōjin’s Theory of Dharamākara Bodhisattva”Michael Conway “A Modern Shin Buddhist Understanding of Buddhist History: Soga Ryojin’s Shinran’s View of Buddhist History”Robert Rhodes “Being within the Tathāgata: The Laying of the Foundations of the Religious Subject (Faith) in Yasuda Rijin’s Thought”Kaku Takeshi らの発表を受け、近代教学的手法と信仰獲得の問題について議論を行った。
46 The Struggles of Traditional Buddhist Denominations in Contemporary Japan: The Case of the Shinshū Ōtani-ha 口頭発表 2015-08-28The XXI International Association for the History of Rrligions World Congress in Erfurt 日本の現代社会における社会的問題を、特に仏教の視点から取り上げて論じたもの。今回の発表では、少子高齢化、大都市圏への人口の流入と過疎化問題に注目し、地域において寺院が消滅していっている現状を紹介。特に真宗大谷派を事例として対応策をも紹介したが、厳しい状況から脱することが困難である現状を報告した。(発表30分)
47 「宗教的立場を超えることの意味 ―宗教に関する学の原点」口頭発表 2015-11-28日本文化研究所シンポジウム 日文研シンポ「鎭魂・翻訳・記憶—声にならない他者の声を聴く」での発表。タイトルは「宗教的立場を超えることの意味 ―宗教に関する学の原点」。同シンポジウムは、日文研教授磯前順一氏の企画によるもので、被災地の記憶の保持并びに宗教的装置による記憶と忘却の意味を問い直すのが目的。東北大学や上智大学から被災地復興支援にかかわった研究者を招聘し、「第一部 声にならない他者の声を聴く」「第二部 記憶と弔い上げ―死者をどのように鎮魂するか」「第三部 分立しつつ重なり合う信仰と知―既成の「宗教」概念を超えて」の三部構成で議論が行われた。木越は第三部で、宗教的立場を超えることと宗教に関する学の原点について、復興支援にかかわる活動を通して思索した内容を報告した。(発表30分)
48 「臨床」から考える仏教の実践 -コメントー単著 2016-08-31『日本仏教学会年報』81号 2015年度日本仏教学会において「仏教における実践」を総合テーマに、多くのパネル発表が行われた。本論論考は、セッションNo.4における各発表に対するコメントとして書かれたものである。内容は、谷山洋三(東北大学)氏の「臨床宗教師の可能性」、鍋島直樹(龍谷大学)氏による「ビハーラ活動と臨床宗教師研修の歴史と意義 ―親鸞教学を礎にして―」、 西岡秀爾(花園大学)氏の「臨床仏教者の役割と展開」に関するコメント。三氏とも、「傾聴」や「寄り添う」ものとしての宗教者の在り方の重要性を指摘するが、さらに宗教者個々の宗教的信条が、臨床の現場においていかなる意味を持ちうるのかについて、議論の可能性と問題点について指摘した。
49 人口減少時代における地域と寺院のあり方研究パネル 2018-09-09日本宗教学会第77回学術大会 同学術大会、開催校特別企画として開かれたもの。少子高齢化がますます進むと考えられるこれからの時代における過疎地域研究の一環として、同地域において「寺院」がいかなる役割を果たし得るのかについて議論することを目的とした。研究代表者(木越)による提題に続き、3名(藤元・徳田・中條)による研究発表が行われた。
50 “Recent Trends Concerning the Issue of ‘Buddhism and Practice’
in Contemporary Japan”
口頭発表 2018-09-18エトヴェシ・ロラーンド大学国際シンポジウム「Buddhism in Practice 仏教の実践」 「仏教の実践」の総合テーマのもと、ハンガリーのエドヴェシ・ロラーンド大学において開催されたシンポジウムでの発表。本発表では仏教における利他的実践、特に「社会的実践」にまつわる議論に注目した。仏教における社会的実践は、原始教団の段階から、常にその閉鎖性の問題が指摘されてきた。その状況は現代までも続き、もはや仏教そのものが抱える本質であるとも言える。発表では、近・現代の「仏教と社会的実践」を巡る議論に注目することを通して、仏教思想の社会への拓けは、強い外的要請の中から発揮される性質のものであることを論じた。(発表30分)
51 「他力」という出来事ー親鸞の廻向論ー口頭発表 2018-12-16大谷大学真宗総合研究所東京分室・立教大学大学院キリスト教学研究科共催シンポジウム 真宗総合研究所東京分室が立教大学との共催でおこなった「恩寵と他力」を巡るシンポジウムでの発表。神学者カール・バルトは、『教会教義学』の中で日本浄土教に触れ、特に親鸞思想とキリスト教との親和性について詳細に述べている。本発表では、親鸞の他力思想を、バルトの「神による自己表現」という発想をキーワードとして、対話的に明らかにしよとしたものである。(発表20分)
52 中国浄土教と親鸞の他力思想講演・講義 2019-09-16中国社会科学院古代史研究所・中国佛學院 「中国社会科学院古代史研究所」において行った講演。同研究所と本学真宗総合研究所との学術交流協定更新を記念し、浦山あゆみ真宗総合研究所長、井黒忍准教授との三名で行った講演会。日本において「他力思想」を構築し積極的に展開した親鸞を、中国浄土教からの影響という視点から考察し、紹介した。講演では特に善導作『観経四帖疏』中の「迴向発願心釈」からの影響を検討した。また同講演は、内容を付加するかたちで翌9月17日に「中国佛學院」における学生や教員に対する特別講義としても行った。両日とも発表後に質疑応答が活発に行われ、親鸞思想の特異性について互いに確かめる貴重な機会となった。(発表30分・講義60分)
53 大乗仏教の歩み 龍樹① 単著 2021-03-00『親鸞教学』113号大谷大学真宗学会 大谷大学開放セミナー「大乗の歩み」における筆者の講義ノートをもとに作成したもの。インドの仏陀に起原を持つ大乗仏教が日本の親鸞にまで至り届いた経緯を、特に親鸞が特別な意味を持って高僧と仰ぐ七人の仏教者の思想を通して確かめようとした企画の一部。実際の講座では、歴史学や仏教学の立場からも講義が行われたが、 筆者が担当したのは親鸞の立場から、七人の高僧中の第一祖と仰がれるインドの龍樹の思想について考察を加えたもの。総31頁(77∸107頁)
54 大乗仏教の歩み 龍樹② 単著 2022-01-00『親鸞教学』114号大谷大学真宗学会 大谷大学開放セミナー「大乗の歩み」における筆者の講義ノートをもとに作成したもの。インドの仏陀に起原を持つ大乗仏教が日本の親鸞にまで至り届いた経緯を、特に親鸞が特別な意味を持って高僧と仰ぐ七人の仏教者の思想を通して確かめようとした企画の一部。実際の講座では、歴史学や仏教学の立場からも講義が行われたが、 筆者が担当したのは親鸞の立場から、七人の高僧中の第一祖と仰がれるインドの龍樹の思想について考察を加えたもの。総21頁(112∸132頁)
55 仏教信仰の動揺 口頭発表 2023-09-09第82回日本宗教学会学術大会 パネル発表「人口減少地域における「宗教意識」の揺らぎ」(パネル代表者:木越康)において、「仏教信仰の動揺」というタイトルで、発表を行った。2017年度から実施してきた大谷大学の共同研究班による調査の流れを報告し、特に地域住民(門信徒)への聞き取りから見えてきた現状の問題点について考察を加えた。「宗教意識の揺らぎ」を中心とする調査の対象は、当初は寺院への聞き取りが中心であったが、次第に門信徒や地域住民の意識調査へとスライドすることになった。本発表ではそのような経緯を紹介し、いくつかの地域住民の声を紹介した。
[発表時間 15分][パネル全体の時間 100分]
56 The Great East Japan Earthquake and Reconsidering “Buddhism”:

Do Our Lives Come to Nothing After Death?
口頭発表 2024-03-27UC Berkeley Center for Japan Studies the institute of Buddhist Studies
"UC Berkeley Center for Japan Studies the institute of Buddhist Studies"主催の学会”Foundations of Buddhist Chaplaincy: A Japan-US dialogue における報告。日本では東日本大震災を契機に、仏教理解や仏教者の実践について大きな変化が訪れた。日本における当該の状況を、真宗における立場から考察したもの。特に大谷大学文学部真宗学科に現代臨床コースが設置された思想的背景を考察して紹介した。(英語・20分)
以上56点

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