教育研究業績の一覧

門脇 健
A 教育業績
教育実践上の主な業績 年月日概要
1 教育内容・方法の工夫(授業評価等を含む)
1 読者を意識した文章 0000-00-00 学生それそれに自分の関心のある問題を600字ほどにまとめゼミの学生全員に読んでもらい、自分の文章がどのように伝わるのかを客観視する。
2 小論文の指導 2005-04-01 ~ 小論文の作成のために、長文ではなく、100字で必要最小限の言葉を選び、分かりやすく伝える訓練を実施。
ただ添削するだけでなく、互いに他者の文章を批評し合う授業を展開。(一回生用ゼミ)
3 ビブリオ・ドラマの応用 2007-04-01 ~ マールブルク大学ゲルハルト・マルティン教授考案のビブリオ・ドラマを応用し、講義においても「歎異抄」の一場面を劇として演出するノートを学生に書かせることにより、具体的に宗教的対話を考える機会を与える工夫をした。
4 面談の実施 2011-05-00 ~ 一回生のゼミの学生の全員と個別に面談し、学生生活のスタートの問題点を点検する。
2 作成した教科書、教材、参考書
3 教育方法・教育実践に関する発表、講演等
1 生きる力の教育 2013-08-24 小中高の教員の再教育の場で、生きる力の教育に関して講義とシンポジウムを行う。
4 その他教育活動上特記すべき事項
B 職務実績
1 教員免許更新講義 2015-08-00 教員免許状更新講習の「命の教育」に関する講義を担当。
2 教員免許更新講座 2016-08-00 死を考えることで生きる力を開発するということを伝えた
3 教員免許更新講習 2017-08-19 「命の教育は可能か」というテーマで、講義をしたのちシンポジウムに参加した。
4 教員免許更新講習 2018-08-25 命の教育について、その困難さについて考える機会を先生方と共有した。
C 学会等及び社会における主な活動
所属期間及び主な活動の期間 学会等及び社会における主な活動
1 2005-00-00~0000-00-00 日本宗教学会評議員
D 研究活動
著書、学術論文等の名称単著、
共著の別
発行又は
発表の年月
発行所、発表雑誌等
又は
発表学会の名称
概要
Ⅰ著書
1 Buddhismus und Christentum vor der Herausforderung der Säkularisierung共編著 2004-00-00EB-Verlag ( in Germany)
「世俗化の挑戦を前にした仏教とキリスト教」というテーマで開催された2003年のマールブルク大学におけるシンポジウムの記録。マルティン・バルト、マイケル・パイ、箕浦恵了を共同編集者としている。「仏教的観点から見たキリスト教」という論文発表を掲載(167-176ページ)。
2 Innerer Fiede und die Überwindung von Gewalt共著 2007-00-00EB-Verlag 「心の平和と暴力の克服」というテーマでマールブルク大学で開催されたルドルフ・オットー・シンポジウムの記録。編集はマルティン・バルト、クリストフ・エルザス。「真宗から見た暴力とその克服」という発表論文を掲載している(239-249ページ)
3 揺れ動く死と生共編著 2009-00-00晃洋書房 フランスと日本における宗教と合理的思考の現在の諸問題を提示。共同編集者、ジャン・ボベロ
4 哲学入門 死ぬのは僕らだ!単著 2012-09-00角川SSC新書 ソクラテス、プラトン、アウグスティヌス、パスカル、ヘーゲル、ニーチェ、カミュ、レヴィナスの死と生に関する言葉を新たな切り口で解読し、一般にも読みやすく表現した。
以上4点
Ⅱ学術論文
1 和解 -ヘーゲルと  『ハムレット』-単著 1987-02-00『宗教哲学研究』第4号京都宗教哲学会 ヘーゲルの中心概念である「和解」は『精神現象学』で決定的形式を得る。しかし、その形式の解釈は今までの研究では、そこにロマン派の動向のみを見ていたため混乱していた。本稿では、そこにシェイクスピアの『ハムレット』の「和解」の形式が活かされていることを明らかにした。15頁(P69~P83)
2 劇としての『精神現象  学』 -ヘーゲルの見  た『ハムレット』-単著 1987-09-00『哲学研究』554号京都哲学会 へ一ゲルが悲劇に関心を寄せていたことはよく知られているが、それはギリシャ悲劇であった。しかし、それ以上にヘーゲルが関心を寄せ評価していたのが『ハムレット』であった。本稿ではゲーテのハムレット観に対してヘーゲルの特異な『ハムレット』観を究明して、ヘーゲルにとって『ハムレット』が大きな思想上の源であることを示した。36頁(P59~P94)
3 無常或いは無限性とい  うこと単著 1988-09-00『宗教研究』277 日本宗教学会編 ヘーゲルは『精神現象学』に於いてはじめてハムレットについて言及する。それは、シュリング及びガルの一面的な思想を突破するカギをそこに見い出したからだ。その問題をガルの「頭蓋論」と『ハムレット』のゴルゴダの場のヘーゲルの扱い方を検討して明らかにした。23頁(P151~P173)
4 愚かということ  -親鸞と『ものぐさ 太郎』-単著 1988-12-00『福井工業高等専門学校紀要』第22号福井工業高等専門学校 中世民話のヒーロー『ものぐさ太郎』の「ものぐさ」を肯定する思想と、親鸞の懈怠を告白する思想を比較し、そのような悪を認めることが可能なのは、超越的な力への信があるからであることを論じた。13頁(P13~P25)
5 よこさまの論理  -親鸞に於ける信に ついて-単著 1989-03-00『哲學論集』第35号大谷大学 哲学会 親鸞の横超思想の「横」の意味を、平安~鎌倉時代の様々の用例を検討して明らかにした。それによれば、「横」は「因果によらぬ=他力による」ということである。つまり親鸞は「自業自得」「因果応報」という仏教思想を新たな地平へ「横」という概念の強調により切り開いたのである。14頁(P59~P72)
6 「和解」の成就するま   で単著 1990-07-00『ヘーゲル学報』創刊号 ヘーゲルの思想形想を劇(レッシング『賢者ナータン』,ギリシャ悲劇,シェイクスピアの悲劇)という観点から明らかにした。それによると、ヘーゲルは劇を観ることから始め、つぎに創ること、そしてその両者を総合してゆくということで、思想を形成していったことが明らかとなった。39頁(P211~P249)
7 カントにおける「無関  心」単著 1992-12-00『大谷學報』第72巻第1号大谷学会 カントの批判哲学の成立を、スエーデンボリの視霊現象(ガイスト現象)に対する「無関心(Gleichgültigkeit)というカント独持の立場に焦点を当てて論じた。その「無関心」という立場は、“法廷”という批判哲学の場を得たが、同時にそれは宗教を「道徳的宗教」に限定することになったことを明らかにした。13頁(P26~P38)
8 法廷から劇場へ  -ヘーゲルの世界観-単著 1993-03-00『哲學論集』第39号大谷大学 哲学会 ヘーゲルの『精神現象学』の基本的枠組がカントの「無関心」ヘの“無関心”によって成立していることを論じた。“無関心への無関心”という立場は、ヘーゲルにおいてはSpiel(劇)という場を開くことになる。ヘーゲルはそこに、実体に基づく知を拒絶する絶対知の場を見い出したことを明らかにした。15頁(P50~P64)
9 批判する知と絶対知  -ガイストに対する カントとへーゲル-単著 1994-01-00『叢書・ドイツ観念論との対話』第5巻『神と無』大峯顕(編)ミネルヴァ書房 ガイストの現象に対するカントとヘーゲルの態度の差異を論じた。カントはガイストの現象を『視霊者の夢』で真剣に考察することで、ガイストに無関心という批判的立場を確立したが、ヘーゲルは、その批判的立場を批判することで(つまり、実体的基準を批判することで)「ガイストの現象学」という立場を構築した。19頁(P128~P146)
10 倉田百三と亀井勝一郎単著 1995-05-00『岩波講座日本文学と仏教第十巻近代文学と仏教』岩波書店 一般に近代的と考えられている倉田の宗教思想が、実は前近代的共同体を志向する体質を有していること、そして倉田からそのような志向を捨象する形で亀井の宗教への転向がなされたことを明らかにした。また、ここに見られる問題は、近代における親鸞受容の基本的問題であることを指摘した。26頁(P299~P324)
11 The Circle Play:  Nishitani and Hegel単著 1997-11-00ZEN BUDDISM TODAY No.14THE KYOTO SEMINAR FOR RELIGIOUS PHILOSOPY編 西谷啓治とヘーゲルの思考法の差異を、PLAY(遊び/劇)についての両者の考え方から考察した。西谷はヘーゲルの立場を「存在」から出発すると批判する。したがって、そこには無心の遊びは成立しないと批判する。それに対し、ヘーゲルの思考法は、その出発点そのものをも批判する円環構造を持っており、ヘーゲルは、自分の基盤を相対化する劇中劇的な思考法をPLAYとすることになる。8頁(P57~P64)
12 上下とうちそと   -「仏恩報謝」と  「あさましき身」-単著 1998-04-00蓮如上人五百回忌記念論集『蓮如の世界』大谷大学真宗総合研究所 蓮如の「仏恩報謝」における上・下のダイナミックな信心の構造を考察するとともに、その信心のうちなる世界と、「あさましき身」が生きるその世界との断絶と往還の可能性について論じた。15頁(P737~P751)
13 知への欲求単著 1998-08-00藤田正勝・松丸寿雄編『欲望・身体・生命』 昭和堂 「知への欲求」の源泉を、人間が根本的に受動的存在であるという事実から考察した。つまり、その受動性を超えようとするところに「知への欲求」が成立するのである。このことを、ソクラテス、デカルト、ヘーゲルの絶対者の関係を具体的に検証しながら論じた。21頁(P75~P95)
14 Freiheit von Leid単著 2000-00-00Buddhismus undChristentum Barth,Minoura,Pye編EB-Verlag Hamburg 1999年5月ドイツ・マールブルク大学で開催されたルドルフ・オットー・シンポジウムに論文の形で提出された発表。このシンポジウムでは、真宗とプロテスタント神学の近さが確認されたが、この論文では、キリスト教の「罪からの救済」に対して、仏教の「苦からの救済」を強調した。また、それは、「苦からの自由」という欲求そのものからの自由として完成されることを述べた。(P176~181)なお、日本語版『仏教とキリスト教の対話』(2000年11月、法蔵館)では、「苦からの自由」としてほぼ直訳の形で収められている。
15 彼岸に存在するのは 空虚だけか単著 2000-04-00『大谷學報』第79巻第2号大谷学会 人間は、無限を彼岸に置きそれに憧れたり、あるいは否定したりしている。しかし、ヘーゲルによれば、彼岸にはそれをとらえることの出来ないという失敗の経験があると言う。失敗という経験そのものに、無限が現象しているというわけである。逆に言えば、無限には人間の失敗という経験が、あらかじめ組み入れられているのである。そこに、理性の狡知が成立する。21頁P1~P21
16 非論理の論理-問うことを問う論理-単著 2003-03-00『哲学論集』第49号 禅仏教・『歎異抄』・ヘーゲルの『大論理学』における問答のあり方を概観しながら、問うこと自体を問う論理の構造を明らかにした。そこに明らかになるのは、日常的な論理が解体し問いの不可能性が示される場においては、別の地平がひらかれるということである。そこでは、問の不可能性という否定のうちに問う者自体が肯定されるという事態であった。12頁
17 精神と亡霊単著 2005-00-00真宗総合研究所研究紀要、23号 ヘーゲルの中心概念である精神=ガイストという語が、「亡霊」としか読めない形で使用されているが、その箇所が、全集段階で削除された経緯、マルクスがその箇所に注目していた事実、そしてその箇所が最近確認されたことを述べ、ヘーゲルのガイスト概念の広がりについて論じている。[123頁ー139頁]
18 精神と亡霊(2)単著 2007-00-00大谷大学研究年報第59集 ヘーゲルの中心概念ガイストの、ヘーゲル以前の用例を特にカントに関して考察した(38頁)。
19 ためらいの現象学――レヴィナスと読むヘーゲルの『ハムレット解釈』単著 2008-00-00大谷哲学会編『哲学論集』第54号 ヘーゲルの『ハムレット』解釈をレヴィナスの『ハムレット』批判を反論する形で考察した(20ページ)
20 死の学び単著 2008-03-00科学研究費補助金(基盤研究C)研究成果報告書(課題番号18530631)仏教と教育の関係性に関する哲学的・臨床的研究 日常場面においての「死の教育」に葬儀が重要な役割を果たしていることを、ヘーゲルのガイスト論を基礎としつつ日本の現実に即して論じた。125ページ~138ページ。
21 霊はどこを徘徊するか――カント、シラーそしてヘーゲルの場合――その他 (単著) 2010-09-30『宗教研究』365号(日本宗教学会) 1760年ごろからの40年間のドイツ語Geistの用例を検討し、この語によって示される霊・精神が何を意味しているかを考察した。
51ページから77ページ。
22 死者の声を聴くヘーゲル単著 2011-05-00あじあ遊学・シャーマニズムの諸相(勉誠出版) ヘーゲルのガイストを死者を含む概念として捉え、ヘーゲルの歴史観を再考察した。
23 ガイストの帰還――カントの夢とヘーゲルの白昼――単著 2015-02-28大谷大学哲学会編『哲学論集』61号 ガイストという概念について、カントとヘーゲルの差異を述べた。
24 宗教の門の前で単著 2015-03-00『宗教哲学研究』第32号 近代における親鸞の信仰に対する見方を主に吉本隆明『最後の親鸞』において考察した。
以上24点
Ⅲ 口頭発表・その他
1 ヘーゲルの芸術宗教論口頭発表要旨 1985-03-00『宗教研究』263 日本宗教学会編 パトスとは一方では苦悩であり他方では熱情でもある。それは個を超えた力であり、悲劇とはこの力と人間との対決である。これを克服した時、喜劇が成立するが、それは同時にこの神的な力の忘却であるとヘーゲルを述べる。この不幸をさらにどう克服するかがへーゲルの課題であった。
2 ヘーゲルの芸術宗教論 Ⅱ口頭発表要旨 1986-03-00『宗教研究』267 日本宗教学会編 ヘーゲルの特異なハムレット観は、ゲーテのそれとの対決から現れてきたこと、そしてそのことによって、ヘーゲルは自分の思想を確立してきたということを『精神現象学』『美学講義』及びゲーテの『マイスター』を比較しながら明らかにした。
3 ヘーゲルと『ハムレット』口頭発表要旨 1987-03-00『宗教研究』271 日本宗教学会編 ヘーゲルの和解の構造がシェイクスピアの『ハムレット』と同じであることを、当時の文学思想状況-ロマン派の“憧れ”とゲーテの“行動”との対立-を背景にして明らかにした。
4 ヘーゲルの眼差し -真実は劇的である-口頭発表要旨 1988-03-00関西哲学会編『関西哲学会紀要』第22冊関西哲学会 ヘーゲルにとって劇は大きな要素であるが、それは、虚構でありつつ存在するという否定を含む存在であるという意義を有する。それは、実体を否定し同時に実体的な視点をも否定するヘーゲルの「実体=主体」説の根本をなすものである。このようなヘーゲル哲学に於ける劇・舞台の重要性を明らかにした。
5 ヘーゲルと『ハムレット』Ⅱ口頭発表要旨 1988-03-00『宗教研究』275 日本宗教学会編 ヘーゲルはマクベスの信をglaubenと表現し、オレステスの信をvertrauenと表す。そして、ハムレットの信をこの二つの信を超えたglaubenと表わしている。そこにはvertrauenからzweifelnを通してglaubenへ至る過程、否定的過程が含まれている。ハムレットとはヘーゲルにとり「自分自身を完成するスケプシス主義者」であった。
6 悲しみの泉-親鸞に おける知と悲と信-口頭発表要旨 1988-09-00『大谷學報』第62巻 第2号大谷学会 親鸞はその著作の中で弥陀の本願を信ぜよとは述べていない。しかし、一方では本願による救済を「知るべし」とは述べている。そこには、信を知に於いて把握しようとする矛盾が存在する。彼はこの矛盾を「悲」としてとらえている。しかし、この「悲」こそが人間の知的・倫理的限界の確認なのであり、そこから真実の信心が逆説的に確証される場なのである。
7 親鸞に於ける愚の問題 口頭発表要旨 1989-03-00『宗教研究』279 日本宗教学会編 中世の説話・民話そして仏教に於いては、「マメヤカ」「精進」が強調され、その結果として「幸福」「救い」が考えられている。しかし、親鸞はそのような因果律を破ったところに絶対他力を考えていた。その力は「かしこき」力であり、愚であることはこの力につつまれる喜びの姿である。
8 ヘーゲルとジュリエッ ト-愛の矛盾-口頭発表要旨 1991-03-00『宗教研究』287 日本宗教学会編 ヘーゲルのフランクフルト期の断篇に「愛」と名付けられたものがあるが、それはシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』の解釈であることを明らかにした。またそこに於ける愛と現実の矛盾が、以後のヘーゲルの思想の重要な要素に発展してゆくことを明らかにした。
9 ヤコービのローマン理 論翻訳 1993-02-00初期観念論と初期ロマン主義 W.イエシュケ/H.ホルツコイ編 相良・岩城・藤田監訳昭和堂 Früher Idealismus und Frühromantik:Der Streit um die Grundlagen der Asthetik(1795‐1805),Herausgegeben von W.Jaeschke u.H.Holzhey,Hamburg 1990所収のK.Hammacher:Jacobishe Romantheorieの翻訳。
10 ヘーゲルの悲劇論口頭発表要旨 1995-03-00『宗教研究』303 日本宗教学会編 ヘーゲルの基本概念の一つであるDas Spielについての考察。Das Spielは「遊戯」と訳されているが、それではそれは「たんなる否定的な運動」となってしまう。しかし、ヘーゲルは、そうでは「ない」とする。この「ない」は、遊戯の当事者である意識が、「遊戯」を「遊戯」でしかないと自覚することによって成立する。そして、それは同時に「絶対的ガイスト」との出会いを意味し、そこにおいて「遊戯」は「劇」となる。
11 真宗大谷大学建築に関 する覚え書き研究ノート 1997-03-00『真宗総合研究所研究紀要』第14号大谷大学 真宗総合研究所 真宗大谷大学本館(赤レンガ)の建築経緯の調査。その結果、赤レンガ本館は、大正初期の建設にもかかわらず、明治中期の学校建築様式を採用していることが明らかになった。
12 ヘーゲルにおける無限口頭発表要旨 2000-03-00『宗教研究』323 日本宗教学会編 ヘーゲルの無限の概念を、カントの崇高の概念と比較した。カントの場合、把握できないあるいは描くことの出来ない荒々しさの向こうに崇高なる無限性を想定するがヘーゲルの場合は、むしろ把握することが出来ないというそこに無限の現象を見ることを述べた。
13 小坂国継著『善人がなぜ苦しむのか』書評 2000-06-00『宗教研究』324 日本宗教学会編 小坂国継著『善人がなぜ苦しむのか――倫理と宗教――』(1999年1月、勁草書房)の書評。倫理を「自己中心主義」、宗教を「神中心あるいは無中心主義」と整理した点を評価しつつも、人間を「善人」とする規定、宗教的人間を「一切の執着から脱することの出来る人間」とする人間観・宗教観を批判した。2段組P139~142
14 トーテムとタブー翻訳 2009-06-00岩波書店刊フロイト全集第12巻 フロイトの『トーテムとタブー』の翻訳(200頁)
15 事典項目 2010-10-00宗教学事典(丸善) 宗教学事典の「苦」の項目。
仏教二おける苦を中心に概観した。
2頁。
16 現代社会学事典共著 2012-11-00弘文堂 「コジェーヴ」「ジャン=イッポリット」の二項目を執筆
17 ドラマを始める口頭発表 2013-05-00大谷学会 2013年度大谷学会での発表「ドラマを始める―ヘーゲルの観たハムレット―」。同学会の大谷学報第93巻第1号に活字化。
ハムレットのヘーゲルの考察が、いかにヘーゲル哲学に影響を与えたかを論じた。
18 教えが伝わる――浄土の秩序と娑婆の論理単著 2013-06-00真宗教学研究第34号 真宗教学学会 歎異抄第二条をレヴィナスのタルムード講話を介して解読。真宗教学学会の発表原稿を整理したもの。
19 死から生きることを見つめるーー映画・ドラマに描かれた仏事単著 2018-01-01東本願寺出版『同朋』2018年1月号 仏教行事が日本の映画やテレビドラマそしてアニメーションでどのように扱われてきたのかを、キリスト教の行事が扱われている映画などと対比しながら論じた。
20 日本宗教学会学術大会シンポジウム 2018-09-07日本宗教学会 松沢哲郎、鷲田清一両先生とともに「ヒトと宗教」というテーマでディスカッションをした。
以上20点

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