教育研究業績の一覧 乾 源俊
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A 教育業績 | ||||||
教育実践上の主な業績 | 年月日 | 概要 | ||||
1 教育内容・方法の工夫(授業評価等を含む) | ||||||
1 | 初級中国語における発音習得法の開発 | 2009-04-00 ~ | 中国語 初級中国語で最も重要な発音の習得にあたり、要点を母音・子音・四声に分けて整理。プリントの空欄に受講者みずからが書き入れていくことで、音韻の体系を理解する。発音のこつを簡にして要を得たことばで示し、当初の数時間において集中指導する。以上により、誰もが容易に習得できる方法を考案・実践した。 | |||
2 | 中国文学演習における授業方法の工夫 | 2012-04-00 ~ | 中国文献学の基礎を学ぶために、先学の著した目録学関係書物の要旨を、授業のなかで受講者自身が分担して作成。受講者に要約の能力を身につけてもらうこと、それをもとに発表することによりプレゼンテーション能力の養成をはかった。教材は清水茂『中国目録学』を用い、要旨を完成して、授業の終わりに配布。卒論作成にむけて、文献研究法のマニュアルとして利用できるように、という意図を含む。教材は次年度以降、武内義雄『支那学研究法』、狩野直喜 『漢文研究法』と順次変更、成果を蓄積し、受講者に配布、授業で随時参照できるようにした。 | |||
3 | 中国文学概論における講義方法の工夫 | 2014-04-00 ~ | 中国文学の概要を理解してもらうために内容を韻文と散文に大別、それぞれジャンル・スタイル別に内容を整理。当該項目の時代と背景、主要作品、叙情内容、展開の経緯など、要点を大づかみにとらえ、だれもがわかるように示す。授業冒頭には何が問題か発問し、答えてもらうことにより受講者自身の問題として考えてもらう。終わりには理解できなかったことをメモして提出してもらい、次の時間に答える。以上の方法により相互の理解をはかり、授業内容の理解度を高めるようにした。 | |||
2 作成した教科書、教材、参考書 | ||||||
1 | 中国語発音習得のための手ほどき | 2009-04-00 ~ | 初級中国語における発音習得のための母音・子音・四声に分けた手解き用プリント3枚、及び点検のためのシート1枚。 | |||
3 教育方法・教育実践に関する発表、講演等 | ||||||
4 その他教育活動上特記すべき事項 | ||||||
B 職務実績 | ||||||
C 学会等及び社会における主な活動 | ||||||
所属期間及び主な活動の期間 | 学会等及び社会における主な活動 | |||||
1 | 1987-00-00~0000-00-00 | 日本中国学会 | ||||
2 | 1989-00-00~0000-00-00 | 東方学会 | ||||
3 | 2016-04-00~0000-00-00 | 日本道教学会 | ||||
D 研究活動 | ||||||
著書、学術論文等の名称 | 単著、 共著の別 | 発行又は 発表の年月 | 発行所、発表雑誌等 又は 発表学会の名称 | 概要 | ||
Ⅰ著書 | ||||||
1 | 中国文人の思考と表現 | 共著 | 2000-07-00 | 汲古書院 | 村上哲見博士の研究分野である中国文人について文学・思想・歴史の各方面から多面的に考察した論集。そのうち唐代詩人李白の場合について「生成する李白像」の題で分担執筆した。楽府の流れを汲む歌行詩のなかで、詩人李白がみずからの像を読者の前に提示するさまについて論じた。村上哲見、福山泰男、佐竹保子、成田静香、塚本信也、乾源俊、川合康三、その他。 | |
2 | 中国の文学史観 | 共著 | 2002-02-00 | 創文社 | 漢代から今世紀に至るまで、中国の文学史観がどのように構成・展開されたかを解明すべく編集された論集。そのうち総論に続いて、唐代の場合を「初盛唐期における復古文学史観の形成過程」と題して分担執筆した。初盛唐期における復古文学史観が、唐朝のイデオロギーと絡みつつ形成されてゆくさまを論じた。川合康三、乾源俊、浅見洋二、蒋寅、和田英信、竹村則行、西上勝、陳国球、戴燕。 | |
3 | 詩僧皎然集注 | 共編 | 2014-03-00 | 汲古書院 | 唐代大暦期の詩僧皎然の文集卷一にはじめて注釈を施した訳注書。全編にわたり加筆修正を施し、編集作業を統括した。総頁数350頁。 | |
4 | 生成する李白像 | 単著 | 2020-02-05 | 研文出版 | 李白の詩人像がどのように形成展開されたか、文集序と楽府・歌行を主な材料として考察した。李白は天宝元年の隠逸の挙により入宮したであろうこと、文集序記述における家系及び出身地の記載が、唐王朝の宗教的イデオロギーと関係して作られていることなどについて論じ、定説を正した。東北大学に提出した博士学位請求論文「李白楽府歌行論」に修正加筆を施し、刊行した。総頁数485頁。 | |
以上4点 | ||||||
Ⅱ学術論文 | ||||||
1 | 謝霊運と謝朓 | 単著 | 1988-05-00 | 集刊東洋学 59号 | 知覚の表現にめだった成果のある南朝のふたりの詩人をとりあげ、それぞれの傾向を比較考察することによって、中国古典詩に顕れる詩的認識の歴史的展開を記述することを企てた。 | |
2 | 李白「蜀道難」序説 | 単著 | 1990-12-00 | 高知大国文 21号 | 李白の代表作「蜀道難」をめぐって唐代に生じた話題の、後人にはわからなくなった意味を、当時の情勢を考証することによって解明し、歴史的に重ねられた「誤った解釈」から、議論を引き戻す端緒をひらいた。 | |
3 | 李白「蜀道難」論に寄せて | 単著 | 1994-06-00 | 人文科学研究(高知大学人文学部人文学科) 2号 | 「蜀道難」にまつわるすべての言説を、いかに読むべきかという問題意識のもとに読みくだし、作品と関連づけすること、その例を提示することを企てた。これによって自由な解釈の可能性をひらく縁とし、従来袋小路にあった議論の新たな展開を促した。 | |
4 | 初唐七言歌行と李白 | 単著 | 1994-12-00 | 高知大国文 25号 | 盧照鄰らの初唐期七言歌行が伝える感情を、正しく捕らえわれわれのことばで言い表すことをとおして、これが盛唐期の李白の創作にも流れこんでいることを述べた。 | |
5 | 送別歌行の形成と展開Ⅰ | 単著 | 1998-03-00 | 高知大国文 28号 | 武后期の七言歌行は、宋之問によって山岳を舞台とした作品に展開される。そのことに、道教茅山派の宗師司馬承禎が、陶弘景以来の文学伝統を引き継ぎつつ深く関与していることを論じた。 | |
6 | 松本肇著『唐宋の文学』 | 共著 | 2001-04-00 | 中国文学報 62冊 | 松本肇氏著書の運動を再生するように、評者自身もみずからの関心に従って中国文学の諸問題について自由に論じ、もって批評とした。そのうち「四「作家と作品」-謫仙人と呼ばれた李白-」を分担執筆。李白が謫仙人と呼ばれた話は、作品「蜀道難」と関係づけられるが、じつはこの作品が関与していないこと、なぜそうなったか、中国文学における作者と作品の問題について論じた。川合康三、西上勝、浅見洋二、乾源俊、和田英信。 | |
7 | 唐初の正史における文学史記述 | 単著 | 2001-12-00 | 高知大国文 32号 | 唐初に編まれた正史の文学史記述が、北朝以来の政治理念をなぞり、唐王朝の正統化を意図して編まれていること。その際、一見したところ文学を風諭機能によってとらえる『漢書』芸文史の枠組みに拠りながらも、そのじつ変化を重視する『宋書』謝霊運伝論の文学史観にもとづいていることを論じた。 | |
8 | 送別歌行の形成と展開Ⅱ | 単著 | 2002-12-00 | 高知大国文 33号 | 睿宗期の宮廷サロンに発生した送別歌行は、盛唐期に至り多様な展開をみせる。そのなかで、王維が独自の作品空間を切り開いてゆくさまについて述べた。 | |
9 | 李白登科考 | 単著 | 2004-03-00 | 文芸論叢 62号 | 従来、科挙に応じなかったとされる李白が、じつは天宝元年の高道科に応じていたこと、それが「逸人の挙」であること、自身が述べる玄宗との対面の場は天宝二年元日の元会儀礼であり、王維もそこに参加していたこと、などを論証した。 | |
10 | 死を想い生を歌う | 単著 | 2007-03-16 | 文芸論叢68号 | 漢代の古詩にはじまり、李白に受け継がれる、生は短い、ならばこの時を楽しもう、という思考の型が、文献のうえでどこまで溯れるのか。死と生の解釈をめぐる古代中国人の言説を、春秋戦国時代から漢代にかけて整理し、古典詩の発想の淵源を探る。それが普遍的な発想にもとづきながら、戦国から前漢、さらに後漢へと変化発展してゆく過程を追った。総頁数27頁(253-277頁) | |
11 | 悲歌慷慨 | 単著 | 2010-10-00 | 大谷学報 第90卷第1号 | 楽しみのさなかに生の悲哀を感じて突如涙する。斉の景公と晏子の問答から『史記』の項羽と劉邦、あるいは荊軻の歌へ、この叙情形式の展開の過程を追う。それはもと巷間の語り物のなかで演じられていたものが、楚漢の際の歴史物語のなかにはいってきたものである。その後、五言詩のなかにとりこまれかたちを変えて、中国文学の根幹にある感情として生き続ける、ということを論じた。 | |
12 | 于頔「杼山集序」覚書 | 単著 | 2013-03-00 | 文芸論叢第80号 | 皎然文集に付された于頔の序が、皎然の文学をどのように評価し文学史のなかに位置づけるか、その仕方が当時の文学史記述の文脈にどのように位置づけられるのか、概略を述べた。 | |
13 | 送別歌行の形成と展開Ⅲ | 単著 | 2016-06-00 | 大谷大学研究年報第68集 | 李白の送別歌行制作を、当時の科挙制度と王朝の宗教制作の中に位置づけて考察。李白が天宝元年、応詔入京時までの作品を対象とした。 | |
14 | 送別歌行の形成と展開Ⅳ | 単著 | 2017-04-20 | 大谷大学研究年報第69集 | 李白の送別歌行が、離京後、隠逸挙人に応じた友人を送った作において自身の姿を重ね憤懣を表出し、江東へ旅立つ際に、自身による山岳への夢中遊行を歌う作へと展開してゆくさまについて述べた。 | |
15 | 楽府と歌行 | 単著 | 2018-03-14 | 文芸論叢第90号 | 李白の歌辞作品の中心をなす楽府と歌行について、それぞれのスタイルの成り立ちと、李白において両者がどのように使い分けられているか、概説を試みた。 | |
16 | 李白文集序の詩人像 | 単著 | 2018-03-30 | 大谷大学研究年報第70集 | 李白生前に編まれたふたつの文集序に対照的な詩人像が描かれる理由について、李陽冰序で玄宗との親しい関係が言われるのは、隠逸挙人により宮廷に勤めるようになったこと、臨終にあたり唐朝のイデオロギーが反映したことなどが挙げられる旨、述べた。 | |
17 | 李白楽府歌行論 | 単著 | 2018-11-22 | 東北大学 | 李白の詩人像が、作品のなかで生成変化し、文集序に定着するさまを、楽府歌行の作を中心に、文集序、エピソードの記述などによって追い、それが玄宗の老子信仰による時代の雰囲気と関係しながら形成されることを論じた。博士学位請求論文 | |
18 | 条支と神龍 | 単著 | 2020-03-14 | 『文芸論叢』第94号 | 李陽冰序に先祖謫居の地が「条支」、内地帰還が「神龍」始めと記される理由について考察。不老長生を希求した漢武帝の像を、この半年前に遷化した唐玄宗に重ね、さらに危篤の床にある詩人本人の、玄宗への思いが重ねられ記述が構成されていることを論証した。 | |
以上18点 | ||||||
Ⅲ 口頭発表・その他 | ||||||
1 | 李白の舟行詩 | 口頭発表 | 1987-05-00 | 第36回東北中国学会大会 | 李白の紀行詩のなかから特に舟行の詩について、所与の条件である「運動」が解釈のうえで重要な役割を果たしていることを述べた。於秋田大学 | |
2 | 李白のキャピタルポエム | 口頭発表 | 1994-05-00 | 第40回中国四国中国学会大会 | 黄河の奔流、飲酒と蕩尽に自己の希望と落胆が交錯する、李白「将進酒」の叙情が、詩人個人の感慨に帰せられるべきでなく、初唐七言歌行の伝統のもとに新たに展開されたものであることを述べた。於山口大学 | |
3 | 李白「登科」考 | 口頭発表 | 2003-10-00 | 第14回中唐文学会大会 | 従来科挙に応じなかったとされる李白が、じつは制挙の一科目である「高道」科に応じており、皇帝謁見はその際のものであることを論証した。於昭和女子大学 | |
4 | 純粋文学史の夢想 | 書評 | 2005-03-00 | 漢学会誌 44号 | 『中国の文学史觀』の書評である、門脇廣文「書評・川合康三編『中国の文学史觀』創文社二〇〇二年創文社刊」に対して、執筆者を代表して返答したもの。文学史とはひとつではなくさまざまなかたちでありうることを述べた。 | |
5 | 李白について私が知っている二、三の事柄 | 講演録 | 2005-09-00 | 文芸論叢 65号 | 2005年7月5日大谷大学文芸学会公開講演会の筆録。李白という詩人の詩人像について、それがどのように形成されているのか、考えを述べた。 | |
6 | 韓愈詩訳注第1冊 | 訳注 | 2015-04-00 | 研文出版 | 韓愈詩全訳第1冊の訳注作成。「馬厭穀」「苦寒歌」「鳴雁」「雉帯箭」「題炭谷湫祠堂」「利剣」担当。総505頁。 | |
7 | 李白の送別歌行 | 口頭発表 | 2015-10-10 | 日本中国学会第67回大会 | 山に還る友人を送る李白の送別歌行を、隠逸挙人、唐朝の道教政策、玄宗の老子信仰との関連から考察した。発表時間20分。於国学院大学 | |
8 | 韓愈詩訳注第2冊 | 訳注 | 2017-10-05 | 研文出版 | 韓愈詩全訳第2冊の訳注作成。「陪杜侍御~」「感春四首」「豊陵行」担当。総566頁。 | |
9 | 李白文集序の詩人像 | 口頭発表 | 2017-10-07 | 日本中国学会第69回大会 | 生前に編まれた二種の文集序に示された李白像のうち、李陽冰によるものが、われわれが詩作品から受ける印象とはやや異なる、特殊な李白像であることを指摘し、その理由について考察した。発表時間20分。於山形大学 | |
10 | 漢の武帝と唐玄宗あるいは李白のことなど | 口頭発表 | 2019-10-11 | 第30回中唐文学会大会 | 漢の元鼎元封間と唐の開元天宝の際と、ふたつの時代は両皇帝の信仰が過熱した、極めて似た状況のように映る。それぞれ宗教施設を建て、儀式祭祀のなかで神を招来しようとする。両皇帝の宗教をめぐる言説とそれにかかわる李白歌詩の表現について考察した。於神戸研究学園都市 | |
11 | 条支と神龍 | 口頭発表 | 2019-10-25 | 大谷学会 | 最も早い李白文集の序文、李陽冰「草堂集序」に、先祖謫居の地が「条支」、帰還の年号が「神龍」と記される。その正否をめぐり従来議論が紛糾してきたが、これがどのような資料でどう読むべきかという視点から、解答を与えた。 | |
12 | 韓愈詩訳注第3冊 | 訳注 | 2021-10-08 | 研文出版 | 韓愈詩全訳第3冊の訳注作成。「征蜀聯句」担当。総481頁。 | |
13 | 李白「素畜道義」考 | 口頭発表 | 2023-10-07 | 日本中国学会第75回大会 | 李白が宮廷に召された際、玄宗皇帝よりことばをかけられた。「平生より道の義を養っていたからこそ、ここに及んだ」と。「道の義」とは何か。また李詩に言う「道」とは何か。前者は隠逸を対象とした制科「高道(不仕)」挙と関係するだろう。後者は道士としての修養、すなわち内丹と関係するだろう。李陽冰による文集序の玄宗発言の引用は、ふたつの道をめぐる矛盾を含むだろうことを述べた。
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以上13点 |